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12月4日(日)に御徒町将棋センター5階の研修室にて東京理科大学将棋部OB会総会及び現役将棋部との交流戦を開催いたしました。コロナ禍で、新生OB会としては、初めての総会開催になりました。議案としては①OB会則の制定②2020.10月~と2021.10月の2期事業報告・決算報告③2022.10月~期の予算④役員の選出を行いました。各議案は提案通り可決され榎本会長は退任され、熊谷新会長が就任いたしました。また2020年~2022年卒業の3人の方に新規に幹事に就任いただきました
一昨年から企画していました東京理科大学将棋部OB現役交流将棋会を12月4日に下記要領で開催することに決定しましたので、ご連絡させていただきます。前回2016年に開催させていただいて、6年ぶりの開催になります。郵送、メール、ライン等で連絡させていただきますが、このブログをみて参加をいただく方もいらっしゃるかとおもいます。連絡先のメールアドレスにご連絡をいただければとおもいます。記1.日時2022年12月4日(日)11時~OB総会
大学時代に活躍すると学校名が記録として残るので、時代が違っても同窓生の活躍を確認することができるが、卒業して一般棋戦での活躍になると、同窓生が活躍していても気づかないほうが多いのかもしれない。ということで、私の知って時代の方を一人紹介しておく。昭和44年に野田(理工学部)に入学された大村芳男さんです。今回、野田、神楽坂、葛飾を含めた将棋部OB会の組織化にご協力をいただいているのですが、野田の昭和40年、50年代のメンバーと大運河会という野田の将棋部のOB会組織をつくり活動されています。現在は
関東大学将棋リーグ戦に昨年から東京理科大学将棋部と東京理科大学理工将棋部が合同で1チームになって参加することになりましたが、昔は神楽坂だけでリーグ戦に参加していました。理工学部ができたのは1967年(昭和42年)ですが、しばらくは、団体戦には参加いただいてなかったようです。昭和47年の学生名人戦で理工学部の湯浅正樹さん(昭和46年入学)がベスト16に入られたのをきっかけで、翌年だとおもいますが、団体戦に出場いただいたのが最初ではないかとおもいます。昭和40年代からの個人戦の成績がありますので
私の高校時代から大学時代には、まだチェスクロックは普及していなかった。昭和40年代に昭和薬科大学(世田谷)で開催された高校選手権では、判定というのがあって一定時間経過するとプロの棋士の先生により判定がされて勝敗が決まったこともあったように記憶している。関東大学将棋リーグではさすがに判定はなかったが、持ち時間はなく、試合進行上で一定時間を経過すると秒読みが始まる。近くにいる人が自分の腕時計を使って秒読みを行っていた。したがって不利になると指さずに秒読みになるのを待ってから逆転を狙うということもあ
昨年は、新型コロナウイルスの影響で関東大学将棋のリーグ戦は春秋とも開催されませんでした。授業でさえ構内で実施することができずにオンラインでの授業が多く、クラブ活動もなかなかいままで通りにできない状況が続いているようです。私が高校時代、大学時代を過ごしたのは1960年代後半から1970年代前半になります。この時代にはコロナウイルスの影響はありませんでしたが、大学紛争、高校紛争などがあり、授業に影響を受けた経験がある人があるかとおもいます。私も高校時代に高校紛争の影響を受けて授業が数か月できず
私の趣味は将棋です。かれこれ10年続いていますが、腕前はまだまだ。棋力はアマ4段の実力です。アマ4段と言われても一般の人には分からないと思うので、実績を少々紹介させて頂きます。・文部科学大臣杯団体中学の部東京都予選ブロック優勝・高校将棋選手権団体戦東京都予選優勝全国ベスト16まあまあ活躍している感じですかね。本ブログでは時々将棋の話題になると思いますが、基本的には大学生活について取り上げていきたいと考えております。
おじさんは医学生最後の大学将棋(団体戦)の都道府県予選へ。団体戦で勝星を上げるということの難しさを語り合う。練習や個人戦では成績が良いのに、団体戦になると勝ち切ることができないことは割とよくあることだ。土壇場、厳しいシーンで「自分が勝てなくても」と思う一瞬の魔があるのか、負けの痛みが薄まる気分のせいか。わたしの(スポーツ競技)経験では「疲れと甘え」と感じている。身体のどこかに、足の指か毛根かどこかに必ず残っていたはずの最後の力を出しきれず、苦しさに負けてしまった苦い経験だ。
皆さんおはようございます名古屋を拠点に活動している経営コンサルタントのモーちゃんこと毛利たかのぶです皆さんは、プロ騎士の藤井聡太さんをご存知でしょうか?昨晩は、藤井さんと同じ門下の竹内貴浩さんのセミナーに参加しておりました竹内騎士は、4段のプロ棋士で、何と名城大学のコーチをやっているそうです昨晩は、大学将棋部のお話を聞いておりました大学の将棋の全国大会は、7人の団体戦でリーグ戦で優勝を競うようで、毎年、早稲田、東大、立命館などの大学が優勝を争っていたそ
日曜日のお昼間です。ポカポカ気持ちがよく、どこか散歩へ行きたいような、そんな空気です。春が来たね、と感じる空気。ワクワクとドキドキが混じる春、です。母さんの職場、主だったメンバーがごっそり抜けて、およそ半分が入れ替えになるとか。は?何考えてるの?と、異動組は思います。残していく職場も不安だけど、母さんは、自分、しっかり!危うい職場を主導していく方が、どんだけ楽な仕事か。院生ライフ、毒の茨の道、ですよ。すでに、哲学の迷路に迷い込み、鼻血でそうです。
学校から持って帰ってきたのは、進路調査の用紙でした。高等部のクラス、そして、卒業後の進学希望まで。おぉ。大学名まで書く項目がある。高等部は、このまま内部進学し、進学クラスである英数科へ。そしてその後は、四年生大学へ○っと。大学、どこ書けばいい?とのび太。具体的に、何がしたいとか、どうなりたいとか、ビジョンはまだないのび太。将棋が強い大学へ行きたい!この1点!うん、将棋が強い大学って、超上位校だね☆好きに書いていいよ、思うままに。はい、きっと、
吉本です前にも少し書いたのですがうちの子供は将棋男子正確に言うと将棋男子でした小学4年からはじめて奨励会に入ってプロを目指していたのだけど高校3年生で退会その後はアマチュアとして大学将棋で日本一になったりアマチュア竜王になったりプロの竜王戦でプロに勝利したりでもそこで一応区切りをつけて社会人として日々サラリーマンをしていますそんな将棋男子吉本が将棋アプリの将棋ウォーズが主催する大会に今度の月曜日に出場するらしいちなみにその大会第一回大会も出ていてその時
今日待ちに待った竜王戦が始まりましたね!私は渡辺竜王が好きなのですが正直言って羽生さんの永世七冠みたいですね(笑)さて今週は袖飛車の序盤について書いていこうと思います。まずは、<対居飛車の出だし(先手)>▲3六歩△8四歩▲3八飛https://noike.info/yourls/71m6sbdilaもうすでに異様ですがガンガン行きます。ここで飛車をまわっておかないとせっかくついた3六の歩がただでとられてしまうことがあるのではじめ余裕があるうちに
将棋の記事を書くと言って第一回に袖飛車を持ってくるあたり…変態ですね(笑)最近はまっている戦法で解説書もほとんど出てないので私の独自の研究を皆さんにお伝えしちゃいますいずれ、書籍とかにならないかなぁ…今回は初回ということで概要を袖飛車戦法阪田三吉が、飛車をたった一つ動かすのを袖のように例えたのがこの戦法です。攻撃的な戦法で攻め好きな方にはおすすめで、奇襲戦法としてよく取り上げられますが、プロ棋士でもたまに指されます。一応分類は居飛車みたい
現在タレントに移行?ひふみんこと(加藤一二三先生)、爆勝中の藤井四段、初のタイトル獲得中村太地王座など話題の尽きない将棋界ですが実は私も将棋指しだったんです(笑)将棋を覚えたのが幼稚園の時おじいちゃんと遊ぶために覚えましたその後はささない時間が流れ競技として高校三年生の受験が終わってから再びさし始めました実力はアマ初段から二段レベルですのでそんなに強くはないですがコマの動かし方が分かる方、級位者の方、新しい戦法を覚えたい方に向けて自分の確
ようこそ!!お越しくださいました。有難うございます。昨日、将棋フォーカスでは『熱闘!大学将棋~part1~』が紹介されました。【将棋フォーカス】標題のような、珍事もありうる?あるんですねぇ・・・。詳細はこちらよかったら、ポチッとお願いねにほんブログ村ちょっと、横道にそれるが、裏話。ボランティアでパソコンサークルをやっていますが、パソコンのスペックの内容も理解できていない方もいらっしゃる。ある方は、デスクパソコンをお持ちだが
みなさんこんにちは!昨日に引き続き今日も涼しいですね私は気圧の影響で少し体調を壊しています台風も来ているそうですから、みなさん頑張ってこの梅雨を乗り越えていきましょうさて、lilacってなーに?シリーズも今回で最後です。どのような団体なのか、なんとなくイメージは掴んで頂けたでしょうか?少しでもみなさんに理解して頂けたら嬉しいです。今回はlilac創設2つ目の理由、大学から将棋を始めたい女の子への配慮のお話です将棋ってどんなイメージ?という質問を、将棋を全く知らない人に問いかけると、だ
先々週の日曜日、5月15日は大学将棋の大会があった。この日は春の団体戦最終日だった。この1日で全国大会出場校も降級も決まる大事な日である。もはやA級順位戦最終局に匹敵するレベルなのは何度もここで書いてきた。母校の明治は降級の可能性があった。twitterで心配する声がちらほらとあったので、つられて私も心配していた。本当は私は川越の大会に出場する予定だったのだが、いろいろ破綻してしまい、午後から飯田橋まで観戦することにした。ちなみにその前日は深夜まで喋り倒しており、そのまま家でおとなしくし