ブログ記事6件
大塔合戦は1400年(応永7)9月守護の信濃支配に反発する北信・東信の武士がひき起こした合戦。信濃守護職の小笠原長秀に反発感をいだくものが多く、将軍の威光笠に着いて尊大で横暴であった。この振る舞いに反発して、地元の豪族が「国人一揆」と称し国人に呼びかけて長秀を追放しようと四宮河原で戦った。大塔の古要害跡し、二ツ城跡付近との説もあるが定かではない。弘法大師参道入口、金剛院入口から行きます石造多層塔金剛院赤い鳥居が見えてきます二ツ柳神社は廃城になっ
早いもので、今日で5月も終わりですね。新型コロナウイルスのワクチンは2回目を接種しましたが、翌朝37.7℃の熱が出て、その日一日は37.3℃くらいをキープしていまして、凄いダルさが抜けませんでした。2日後もダルさは抜けませんでしたが、何とか仕事をこなしました。あ、接種部位の痛みは翌日だけすごかったです。さて今回は、現在の長野県長野市にあった城、横田城です。先日は同じ長野市にあった横山城をご紹介しましたが、名前は似てますが違う城です。横田城跡は現在、古殿稲荷社となっていて、篠ノ井駅東口
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は「マイナー歴史巡り」です。信州の南北戦争と呼ばれた「大塔合戦」をお送りしております。【前回まで】塩崎城まで移動を開始した守護・小笠原長秀でしたが、途中、北信側の攻撃にさらされます。ですが、坂西長国らの奮闘もあり北信側の攻撃を退けます。ですが度重なる北信側の攻撃に遂に守護側の軍は分断され、各々命からがら、塩崎城と大塔の砦に逃げ込みます。
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は「マイナー歴史巡り」をお送りします。前回の続きで、信州の南北戦争と呼ばれた大塔合戦について書きたいと思います。【前回】信州の守護になった小笠原長秀君の暴挙(国人の領地の稲を刈って自分のものにしようとする)で北信の国人の怒りを買い、ついに戦となってしまいました。善戦をする守護側ですが、次第に追い込まれ塩崎城へ撤退し援軍を待つことにした守護側
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は「マイナー歴史巡り」をお送りします。宜しかったら、お付き合いください。前回の続きで信州の南北戦争と呼ばれた「大塔合戦」を書いていきたいと思います。【前回まで】念願かなって信州の守護になった小笠原長秀君。守護として挨拶する為、信州の南側の武士たちを引き連れ善光寺に入ります。ですが来るもの達に酷い態度で臨む長秀の態度に民心の心は離れた状態に。
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は、新しいシリーズを書いてみたいなと思いまして「マイナー歴史巡り」というシリーズを書いてみたいと思います。良かったらお付き合いくださいね。今日は、第1回目という事ですが、信州の南北戦争と言われる「大塔合戦」について書いていきたいと思います。これは、知っている方、知らない方もいると思いますが、前々から、いつかブログでお伝え出来ればと思って