ブログ記事95件
ボクサーには本名、リングネームとは別にニックネーム、異名などがつく場合が多い。リングネームが最もマッチしたのはファイティング原田、ガッツ石松が双璧。F原田の本名原田政彦はまだ収まりが良いが、G石松の鈴木有二では後の俳優としての活躍もなかっただろう。他にリングネームで世界王者になったのは国際ジムの三名(ロイヤル小林、レパード玉熊、セレス小林)両小林はスポンサー筋からの名前だが、実にマッチしているというか自分で名前を大きくした好例。ニックネームの横綱クラスはカミソリパンチ
先日購入したボクシングマガジン増刊号(井上尚弥特集)の中に「日本リング史に輝くライバル戦」との企画記事があった。選出されたカードは「金子繁治VS中西清明」「大場政夫VS花形進」「鈴木石松VS門田新一」「ジャッカル丸山VS関博之」「山中慎介VS岩佐亮佑」大場VS花形は日本ランカー時代花形が判定勝ちしており、雪辱に燃える大場は世界王者の立場として花形を挑戦者として選んだ。文字通りのライバル戦として腑に落ちる。金子VS中西、石松VS門田は前後の流れをリアルタイムで体験して
横浜BUNTAI三大世界戦【WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ】高見亨介(帝拳)VSエリック・ロサ(ドミニカ)現在日本人世界王座挑戦者は6連敗中切り札高見に大いに期待がかかっていた。1R、小柄ながらロサも足を踏ん張りパンチを放ってくる。8勝(2KO)とは思えないパンチの切れ。パンチの重さ自体は高見が上回っていたが、ロサも王者のプライドを感じさせる立ち上がり。2Rも後半高見の連打(左フックを打ち抜いた)に逆転されたが、ロサの調子も良く仕
10位ダド・マリノ9位パスカル・ペレス8位エリック・モレル7位ポーンキングビッチ6位大場政夫5位海老原博幸4位ファイティング原田3位ミゲールカンㇳ2位ユーリ・アルバチャコフ1位白井義男この辺はひいき目なしに日本人選手の独壇場でしょう。白井さんはなんやかんやで日本boxingの夜明けを歴史を作った選手であえて1位にしました。この方のBOXINGのいい処は、攻防兼備でディフェンス技術ボクシング技術が素晴らしかったことと、むかーし
政夫は、あの頃のように優しかった…獰猛なファイトを続ける大場も、家族のもとに戻れば、どこにでもいる闊達な青年にちがいなかった『いつかは政夫も、負けてリングを降りる日がくるのだろう…』『つかの間の幸福でもいい、無事にリングを降りてくれれば…』
痩せっぽちの少年踏み出した荒野への一歩渇いた心満たされぬ想い…終わりなき孤独な旅路少年はやがて、たくましいボクサーへと変貌を遂げる獲物を追って、さまよい歩く野獣の咆哮あなたには聞こえるか…
名もなき少年は、世の片隅で、つくばうように生きてきた小さな胸に、ひそかにいだく、誰も知らない、ひとつのくわだて『この拳で、すべてを掴んでやる…』大場政夫、15歳旅立ちのときが、迫っていた…
ひとつ前の当ブログで、1973年1月25日に首都高速で事故を起こし、23歳という若さで亡くなった大場政夫さんのことを書きました。昨年12月に放送された『1971年紅白歌合戦』で、審査員として出ていた大場政夫選手を見て思い出したのですが、最近、大場選手に関係の深い方が亡くなりました。長野ハルさんです。今年の1月1日に老衰のため99歳で亡くなりました。その訃報は一般紙では小さく出ただけですが、スポーツ新聞では大きく1頁をさいて報じていて、大場政夫選手と一緒に写っている写真も載っていました。長野ハ
当ブログ1月9日、10日に、昨年12月14日(土)、15日(日)の2回に分けて放送された1971年の『第22回紅白歌合戦』を観たことを取り上げました。宮田輝さんと水前寺清子さんの司会、トップバッター・尾崎紀世彦さんの歌唱など、今とは違う「歌」中心の『紅白歌合戦』を大いに懐かしく観たと書きました。もう一つ、「おっ」と目をとめた人物がいました。その人物は出場歌手ではなく、「審査員」の中にいたプロボクサーの大場政夫さんです。当時、フライ級の世界チャンピオンだった大場政夫選手を僕は大好きで、タイトル
元WBA世界フライ級王者大場政夫(帝拳:1949~73享年23歳)氏が首都高5号で事故死してから、今日で52年。没後49年の五十回忌だった3年前も、逝去から50年の節目だった一昨年も追悼企画の類はなく昨年も何もナシ、そして今年も何かやるという情報は聞こえて来ず。それだけならまだしも、大場氏を入門時からラストファイトまでずっと内助の功で支えた帝拳ジムのマネジャー・長野ハル氏が元日に亡くなるという悲報が重なり、今年は残念感がより一層重くのし掛かって来る形に。今だ未見の
日本のみならず世界ボクシング界の功労者長野ハルさん逝去。訃報を伝える数多くのネット記事を見ていた。電車内で不覚にも落涙寸前となった記事二本。長野さんがJBCへ大場の遺品を寄贈しに来た時のエピソード。「私が持っていても・・・コミッションで管理して下さい」と大場が身に着けていた指輪を持参。「これで大場の物は何もなくなったわよ」とお笑いになっていたという・・・。JBCからの表彰も「うちは二人の選手を死なせているのよ」と固辞。もう涙涙・・・。
帝拳ジムのマネジャー・長野ハルさんが死去…老衰のため元日に99歳でスポーツ報知>プロボクシング帝拳ジムは5日、マネジャーの長野ハルさんが1日、老衰のため亡くなったと発表した。99歳だった。同ジムのホームページによると、長野さんは病気療養中だったが、1日20時40分に老衰のため亡くなった。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで家族葬にて行われるという。長野さんは1925年(大正14年)4月26日生まれ。次の誕生日で100歳を迎えるはずだった。ボクシングとの出会いは1948年。23歳の時
帝拳ジムで70年間余りマネージャーを務めた文字通りのゴッドマザー・長野ハルさんが逝去。生涯現役99歳の正に大往生だが、やはり寂しさがつのる。長野さんと言うとやはり思い出すのは大場政夫。二回り(24歳)上の長野さんの事を「お姉さん」と慕っていた大場。大場が夭折の際、「楽しいことを何も経験せずに亡くなるなんて」と悲観にくれた長野さん。数多くの世界王者、各王者誕生を目の当たりにしても常に大場の事が頭に有ったと思う。40年ほど前、帝拳ジムで公開スパーが有る時に
今夜のゆく年くる年は〔'71年夢いっぱい〕です――。昭和45(1970)年12月31日(木曜)。民放4局(日本テレビ、TBS、NETテレビ、東京12チャンネル)共同製作によるゆく年くる年の番宣広告。司会は人気絶頂のザ・ドリフターズとベテラン・高橋圭三。各界の豪華スターが出演する中、格闘系のゲストは貴ノ花(当時・関脇)、小林弘(WBA世界スーパーフェザー級王者)、大場政夫(WBA世界フライ級王者)、アントニオ猪木(アジアタッグ王者、インターナショナル・タッグ王者)、輪島(当時・十両筆
先日私のブログを見て下さっている方から1971(昭和46)年の紅白歌合戦が再放送され、その審査員に大場政夫が出ている!と教えて頂き観る事が出来ました。私は1972年生まれですので、その一年前の紅白は当然初めて見た訳ですが、しかもいまや伝説となった大場さんの試合以外の場面での映像は初めてでしたので、大変感激して観る事が出来ました。あらためて教えて下さって本当にありがとうございます😊!さて、大場さんの紅白を観てボクサーで審査員を務めた選手はどれくらい居るのだろうか?と気になって調べてみました
《本日のDVD鑑賞》クリスマスイブという事は、1ヶ月後には(1月25日)永遠のチャンピオン元WBAフライ級王者大場政夫さんの命日。1973年1月2日に5度目の防衛戦で、チャッチャイ・チオノイを大逆転のKO勝ちをした3週間後の悲劇。チャッチャイ・チオノイは大場さん亡き後の空位のWBAフライ級王座を、5月に決定戦でフリッツ・シェルベルトを5RにTKOで降し3度目の世界王座獲得をしている。その王座の3度目の防衛戦で計量オーバー~王座剥奪され、試合も花形進さんに6RにTKO敗け。この試合が、日本で
昨日の夕方。NHK総合の放送で、映像を修復した昭和46年の紅白歌合戦前半の部分を見入っていた。昭和46年。自分は小学生になる一つ前の幼稚園、保育園の年長組。仮面ライダー等の特撮やアニメ番組を夢中に見ていた時でしたが、この年のヒット曲もしっかり覚えて、最初に登場の尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、南沙織さんの「17才」は、一番だったら歌詞を見なくても歌えます。他にも小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」や五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」も懐かしく聴きました。審査員も大相撲からは、大関に上
大場政夫生年月日1949年10月21日(金)日干支甲申同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)1.マリー・ド・ブルゴーニュ1457年2月13日(日)みずがめ座2.上杉鷹山(上杉治憲)1751年9月9日(木)おとめ座3.ジャン・アンリ・ファーブル1823年12月21日(日)いて座4.ヴィクトリア(ドイツ皇后)1840年11月21日(土)さそり座5.アレクサンドラ・フョードロヴナ(ニコライ2世皇后)1872年6月6日(木
元国鉄スワローズ、中日ドラゴンズの徳武定祐氏が逝去氏の選手や指導者との功績は輝かしいものがある。訃報を伝える記事の中に徳武氏の娘さんが郷ひろみの奥さんで有るとの記載も有ったが、本来は氏の野球人としての功績にフォーカスすべき。氏の選手や指導者としての人生に敬意を表した上で以下のエピソードを記させて頂きます。世界王者として時代の兆児でもあった大場政夫は各スポーツ選手らと交流が有った。各界では玉の海、球界でも金田正一らと共に徳武氏とも。大場と徳武氏、二人の年齢差は約10
1973年1月25日の夕刊何気に三面記事を除くと「大場激突死」!後世に残るカリスマ的な人気も(文章にするのもはばかりますが)やはりこの出来事があってのことなのかなあ。えー?とすら思わず淡々と物事を理解したその時。死んだ?死ぬの?なんで?世界チャンピオンが死んでええのか?特にわめくでもなく。ぼーっとニュースを見つめていました。(という記憶すらない)翌日、学校でもさしたる話題にもならず友達に「おい、大場が死んでんぞ!もっと悲しめよ」って八つ当たりするでもなく。現役のスポ
1973年1月2日日大講堂WBA世界フライ級タイトルマッチ15回戦同級王者大場政夫(帝拳)KO12R同級2位チャチャイチオノイ(タイ)ボクシングマガジン12月号に大場と輪島功一両世界チャンピオンの対談があった。「大場さんのクルマ凄いねえ」「うん、ポンティアックファイヤーバード」「さすがリングの王子とリングの土方は違う」ともに正月に防衛戦を控えている中タイトルを守るべく決意を語る両王者。普通のスポーツ選手の表情でポーズをとる大場と客受けする変顔でおどける輪島。
1972年6月20日日大講堂WBA世界フライ級タイトルマッチ15回戦同級王者大場政夫(帝拳)KO5R同級1位オーランドアモレス(パナマ)3月4日に花形進(横浜協栄)を判定で降し、3度目の防衛に成功するとともに新人時代の借りを返した大場は4回目の防衛戦に最強の挑戦者と名高い「黒い戦慄」アモレスとの指名試合に臨む。「やっぱり弱気になっちゃ駄目だ」と前月の柴田敗戦を引き合いに出し大場はKO宣言。対するアモレスも「必ず眠らせる」とこちらも自信満々。当時のパナマにおい
さて…基本的に…漫画は読まないんだが(笑)「島耕作」と…「はじめの一歩」を最初から…毎日読んでるな…「はじめの一歩」ボクシング漫画だ…いつか…全部読もうと思ってたが…なかなか機会がなかった…まあ…今回の…腰の骨折によって時間が出来たから…読もうかな…………となった次第だ…読めば読むほど…なんか…引き込まれるよな…絶対的なパンチ力は…あるが…いつも努力…努力…のボクサー…幕之内一歩…その努力で…ボクサーの階段を上がっていく…いじめられっ子だった…彼が…ボクシングの魅力
★ボクシングNo71971年10月23日日大講堂WBA世界フライ級タイトルマッチ15回戦同級王者大場政夫(帝拳)判定3-0同級1位フェルナンドカバネラ(比)「哀れ!沼田も王座転落」2週間前に行われた沼田義明対アルレドンド戦のプロボク誌の見出し。締め切りの関係か同月の大場の試合は掲載されず。しかし哀れって、他のタイトルはないのか?てことで安定王者3人が立て続けに王座を失う異常事態に立ち向かう我らが大場政夫。この年の大場は王座獲得第一戦でスイスのフライ級王者に
大層なつもりはないのですがまあブログって日記みたいなものでそろそろ人生の終わりに差し掛かっている身とすれば年記(って言葉があるのか?)も書いておきたいというのがこのブログの趣旨なのでうだうだと綴っていきますね。贔屓が偏っているのでご容赦のほど。★ボクシングNo11970年10月22日日大講堂WBA世界フライ級タイトルマッチ15回戦同級1位大場政夫(帝拳)KO13R同級王者ベルクレックチャルバンチャイ(タイ)自分が初めてリアルタイムで観たボクシング世界戦。
音羽にある講談社の前を歩いていたら30年ほど前に他界した父親と子供の頃交わした会話を思い出しました。すごい昔の昭和の年寄りしか分からない話しで私の年齢が知れてしまいますが…ちなみに、父親は印刷会社に勤め、勤め先もこの近くにありました。講談社の裏には首都高5号線が通っています。その1、父親帰宅後私に「今日打ち合わせで講談社に行ったら力石徹の葬式やってたよ。」、私「へ〜」調べるとマンガ「明日のジョー」の中で亡くなった力石徹の告別式が講談社内で行われたのは1970年3月24日でした。親父あの日こ
元WBA世界フライ級王者大場政夫(帝拳:1949~73享年23歳)氏が首都高5号で事故死してから、今日で51年。一昨年が没後49年の五十回忌、昨年は逝去からまる50年の節目だったことから追悼企画の類を期待していたものの…残念ながら何もなしで過ぎ、それからまた早や1年が経った形。引き続き、今だ未見の世界王者になってからのノンタイトル戦(vsフリッツ・シェルベ、ロッキー・ガルシア、トニー・モレノ、ナタリオ・ヒメネス各氏)等の映像をYouTubeなどで探すことはたまにやっています
「エデンの東」ジェームスディーン。彼は、自動車事故で24歳で死亡。日本では、日活の赤木圭一郎は、ゴーカート事故、ボクシングの大場政夫が自動車事故で若くして亡くなっている。横綱玉の海は、虫垂炎で若くして亡くなっている。
米国フロリダ州で行われたWBO世界フェザー級タイトルマッチで本年度トップクラスの番狂わせが起きた。(地元)王者ロベイシ・ラミレス(キューバ)へ挑んだのは、WBO11位のラファエル・エスピノサ(メキシコ)身長185cm(リーチ188cm)の規格外のフレームを誇り、23勝(19KO)無敗を誇る選手だが、前戦で同じく179cmの清水聡を寄せ付けなかったラミレスがスピードで捌くとみられた一戦。結果論ではないが、何も2戦連続で規格外のフレーム選手相手との防衛戦は何の罰ゲームだろう。
天才手塚治虫逝去し34年「ブラックジャック」の新作が発表された。作者逝去後もドラえもんやゴルゴ13は続いているが、それは当時のスタッフが作者の意思を忠実に引き継いでいるため。ただ今回の新作はそれらのパターンと異にする。登場するキャラクターやストーリーの多くをAIに依存。膨大な手塚作品を学習した「新作」に恐らく違和は感じないと思われる。眞氏という印籠も用意し、ファンからも異論は出ないだろう。けれどね・・・。以前紅白に美空ひばりがVOCAL