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二の丸御殿は全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である書院造の代表例として日本建築史上重要な遺構です。江戸城、大坂城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として国宝に指定されました。内部は、日本絵画史上最大の画派である狩野派による障壁画と、多彩な欄間彫刻や飾金具によって装飾されており、将軍の御殿にふさわしい豪華絢爛な空間となっていますが、残念ながら撮影禁止です。
大河ドラマ『どうする家康』第48話最終話大坂決戦クライマックス。乱世を終える覚悟で家康は自ら前線へ向かう。千姫の助命嘆願も空しく、茶々は大坂城の烈火に包まれる。翌年、江戸が賑わう中、家康は病に倒れた。
大阪で生まれ育つと、なにかっちゃ大阪城公園に行かされるものの、じつは天守閣に上ったことがありません。いつでも行けると思ったら絶対行かない典型例。小学校の写生会で天守閣の絵を描いたことはあるのですが、屋根を半分描いたところで面倒になって提出したら怒られました。小学2年生に描かせるには天守閣の構造が複雑すぎるんだよ。ぼくは悪くない。国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの写真を一部改変大坂冬の陣後に埋め立てられた大坂城の堀ですが、江戸幕府による改修で元通りに掘りかえされました。しかし、明
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第48回最終回「神の君へ」の感想の続きです。茶々、秀頼の壮絶な死。見せ場の一つでしたね!すばらしい!<炎上する大坂城>自害する秀頼。それを大野修理が介錯しました。秀頼の死を見守る茶々。毛利吉政ら、家臣団は「お供いたしまする!」と叫び、次々に自害した。大野修理も自害した。それを介錯したのは茶々でした。(となると、茶々は介錯なしで死ぬのか。一人残された茶々)茶々の最期の思い。
「大坂冬の陣」冬至までは力を貯めようみなさん、おはようございます寒いですさすがにメディアも温暖化を言いません22日の冬至まではじっくり力を貯めておきましょうさあ、今日『12月20日』の國史を学びましょう「大坂冬の陣、終わる」慶長19年(1614年)豊臣家が再建していた方広寺の鐘に刻まれた8文字「国家安康」「君臣豊楽」家康を割り、豊臣を君主とすると家康はいいがかりをつけます20万人の大軍で秀吉の後継ぎである秀頼のいる大坂城を攻めました大坂冬
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第48回最終回「神の君へ」の感想です。最後まですごかったですね!おもしろかったですね!ラストの場面はやはり岡崎城でキマリですね!最高!<大坂夏の陣・徳川本陣>真田信繁らの襲撃をかわし、徳川軍の勝利で終わろうとしている。夏の陣の戦いの集結。炎上する大坂城が見える。<大坂城>茶々は「輿を用意してある。出よ。」と千姫に言う。千姫を神君のところに返すようである。(豊臣の人間として、徳川を倒す決意で戦いに
わたしは北川景子さまのファン…ではなく、お顔が好きのレベルである。なので、お顔を見ていていいならずっとガン見するが、そのために松潤のドラマまで見る気はなく、大河もいちども見ていないのだが、最終回の再放送があるなら見ようという気分だ。「つまらぬ国になるであろう」「正々堂々と戦うこともせず万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」「やさしくて、卑屈な、かよわき者の国に」と最期の言葉を吐き捨て、自害した。なんか凄そうですね。『どうする家康』北川景子演じる茶々が吐き捨てた最
こんばんは。彦根地方、朝から雪です。昼前から雨に変わりました。日当たりの良い水槽では、おとといまでエサをやるとすぐに食べに来たメダカちゃん達も、昨日から姿見えず。今週は強烈な寒波の一週間になりそうです。さて、大河ドラマ「どうする家康」昨日、涙の最終回。徳川秀忠の娘、千姫。豊臣との架け橋として秀頼のもとに嫁いだ。大坂冬の陣で、徳川方が撃ちかけた大砲が天守を直撃した時、義母茶々(北川景子)は身を挺して崩れ落ちる瓦礫から千姫を守る。秀頼の妻として、豊臣の家
どうする家康最終回いろいろ感想はあるが、まず圧倒されたのが茶々すごかった。北川景子さんのSNSで「三回落城」「二度死にました」と投稿されたのが印象的。考えてみると、二度死にましたというのはお市の方として、と茶々として、の二度三回落城は、茶々の経験。お市の方は落城は二度茶々は三回も落城を経験しているのだ、一度目浅井長政の小谷城二度目柴田勝家の賤ヶ岳でのお城そして三度目大坂城すざましいなあ。。。。
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第47回「乱世の亡霊」の感想の続きです。<大坂城>初と江は、姉の茶々を説得するために大坂城へ行った。初は神君からの手紙を茶々に渡した。さらに、自分の娘・千姫にくしと神君からの贈り物として「ぺんすー」というものを渡そうとする。しかし、千姫はそれらを受け取らず、返した。(すでに豊臣の人間になったことを表しているのでしょうか。そりゃ、自分のいるところに大砲をぶち込むようなじい様のことは信用できない
どうする家康第46・47回をダイジェストで。豊臣と徳川の戦は避けられない状態になっていた。碁石の白は豊臣の大坂城、黒は大坂城を囲う徳川。中央は豊臣秀頼駿府城では、江戸から来た林羅山と金地院崇伝が方広寺梵鐘について意見を述べた。豊臣の使者として片桐且元が駿府城へ。大坂城から退去・大和、伊勢辺に国替え他の大名と同じく、江戸に参勤茶々を人質として江戸に出す*強烈な条件を提示されたないずれかの条件を受け入れるように条件提示にビビる且元大坂城に戻った且元は、家康からの条件提示を伝
戦国武将の中でも、井伊直政の美貌、美しさは傑出していたようである。15歳になった直政は、鷹狩に向かう徳川家康を道端で待った。直政は由緒ある井伊家の再興のために、当時台頭してきた家康に仕えようと考えたのである。男色にはあまり興味のなかった家康さえも、直政のあまりの美しさに思わず立ち止まって声をかけたという。直政の元服は22歳のころだったと言われることから、やはり家康に唯一愛された男性が井伊直政だったのかかも知れない。小早川秀秋は関ヶ原の合戦の前に、西軍を裏切って家康と密約を交わしたという
夢を語る場所。会社組織に属していないため、すべての行動は自分で決定できる。だから漠然と何もしないですごしたいときは、そうできる。でもそれは退屈なので、やりたいことを明確にしてそれに向かって行動する。そうしたらいつのまにか実現してしまう。全部ではないが。そのためには、まずやりたいことを明確にする。夢を形にする作業。小さいことからその時は、実現がなかなか難しいと思うようなことまで、とにかく書き出す。その時の自分が思う夢それを語る時間。
主家を持たない武士を、戦国時代には「牢人」、江戸時代には「浪人」といいます。考えてみれば、なんででしょうね?意味はほぼ同じなんですけど、大坂城に集まった武士たちは「牢人」であって、これをうっかり「浪人」と書いたら、オマエ間違ってるぞ、真田や後藤に謝れ!って、あっちこっちから怒られますよね(たぶん)。そこで、私なりに、ちょっと理由を考えてみたんですけど。「牢」というのは「くずれにくい、かたい」という意味です。「堅牢」とか「牢固」とかいった熟語がありますが、いずれも「しっかり作った」とい
ご来訪ありがとうございます😊徳川家康の集大成…皇室…宗教…武家への法令作りです…これをもって長き平和が保たれました…秀忠は凡庸…二代目は凡庸がベストと…家康は考えてました…全て儂がお膳立てすると…https://kusanomido.com/study/history/japan/sengoku/ieyasu/76373/【どうする家康】家康の終活と人生最後の決断「天皇、宗教、外様大名を法で封じ込める」-草の実堂関ヶ原の戦いから10年後の慶長20年(1615年)5月に
地球の皆さん、こんばんは。😃大河ドラマ第47回を観ました。大坂冬の陣で、豊臣側が和睦に応じました。が、本心は納得いかず大坂城の堀を埋めただけで、集めた浪人も抱えたまま、茶々を人質に差し出さず。挙句の果てにその浪人達が京都に火を放ち、暴動を起こしました。煽って戦に持ち込むつもりでしょう。紀元前から戦が絶えなかった日本、いきなり【戦無き世】と掲げられても武士などは拒否反応を起こします。失業になるからです。武功で立身出世が出来なくなるからです。でも、武士以外の民衆は家康の気持
家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊〈以下ネタバレあります〉茶々(北川景子)の妹の初(鈴木杏)と阿茶の局(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに城の堀を埋めることで和議が成立しますしかし、乱世を望む荒武者たちは大坂城に集まり続け、家康はこのままでは再び大坂城に兵を進めることになると憂えますそんな中、初と江(マイコ)は茶々を止められるのは家康だけだと訴えますその申し出に家康は茶々への手紙をしたため、それを持って、最後通牒を告げに行く初と江
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第47回「乱世の亡霊」の感想です。すごかったですね!(和睦交渉はスイーツ合戦で決まってしまうんですね!そりゃそんなもんでしょう!)大坂・冬の陣で、<大坂城に>大砲が撃ち込まれ、自分をかばい、がれきの下敷きになった茶々を心配する千姫。ここから彼女の心は大きく豊臣方に動いたんでしょう。大坂冬の陣は和睦交渉となり、豊臣方の全権代表に選ばれたのは、茶々の妹・初であった。<大坂城>大野修理は和睦
6年ぶりに来たかな。平等院鳳凰堂。
時雨亭京都の高台寺にある時雨亭は、伏見城から移築された茶室。高台院(北政所・寧々)は、時雨亭の二階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたのだといいます。高台寺高台寺は、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所・寧々)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院。建立にあたっては徳川家康も支援したのだとか。☆☆☆☆☆
大河ドラマ『どうする家康』第47話「乱世の亡霊」家康の大筒が火を噴き大坂城崩壊する。停戦を任されたのは茶々の妹・初。だが、乱世を望む荒武者は大坂城に集まり続ける。再戦を決意する家康に茶々・初・江の三姉妹が動く。
NHKの番組、「歴史探偵」で大坂の陣のことをやっていましたね。「どうする家康」の撮影で使った徳川軍の大砲。うほー!こわっ!スタジオにドカーンと持ってきちゃって。すごい迫力!ドカーン!ふえー!秒速340m!こんなのでやられたらひとたまりもないなぁ。ドラマの撮影でも本当に火を噴いていましたね。迫力満点!これで、秀頼、淀殿(茶々)、さらには、千姫のいる大坂城へ向けて、ドカーンとぶち込むなんて、家康公もやるなぁ。イメージ図ですね!ドカーン!自
先週に続きを上げる予定でしたが時間的に厳しく断念!!本日、最終日。窓から見納めの松江城天守。さらば松江城。近いうちにまた来そうな気がする…出立前の出雲空港。松江市と出雲市の天気が全然違うことはよくある。再び大阪上空デカすぎるあべのハルカスこの角度ならば…はい、見事に真田丸含む大坂城跡が入りましたよ。ズーム因みに安居神社は来る時の写真にもよく見ると映ってましたw大阪城天守伊丹空港着本日の昼食不伝流、語り継がれる伝説その二「長篠
\#どうする家康次回予告/第47回「乱世の亡霊」大坂に集う荒武者たち。豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れない…?そんな中、初と江は茶々を止められるのは家康だけだと訴える。戦は不可避!?家康は茶々を止められるか?どうする家康毎週日曜[総合]午後8:00毎週日曜[BSP4K・BS]午後6:00毎週日曜[BSP4K]午後0:15大坂城崩壊!家康の大筒が火を噴く!停戦を任されたのは茶々の妹・初。だが、乱世を望む荒武者は大坂城に集まり続ける。再戦を決意する家康に茶々・初・
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第46回「大坂の陣」の感想の続きです。<大坂の陣>大坂城からの出丸、真田丸の周りで、戦況が変わろうとしていた。ついに神君は決断を下した。(えっ、あれ?多くの視聴者が今年の流行語大賞のあれを思い浮かべたでしょう)秀忠公は「あれ…。あれは、おどしのために並べてあるのでは?」と聞く。(流行語大賞のアレとは違ったようですね。)これかぁ。神君は「戦いが長引けばより多くの者が死ぬ。」(かつて、
大河ドラマ『どうする家康』第46話再放送「大坂の陣」寺の鐘に刻まれた家康を呪う文字。真田信繁たち全国の荒武者が大坂城に集結。茶々の挑発に対し、家康は14年ぶりの大戦に踏み切る。真田丸の攻防、イギリス製大筒が炸裂する。
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第46回「大坂の陣」の感想の続きです。大坂の陣、戦いが始まり、その全てで、数に勝る徳川勢が勝利を収めていきました。だが、秀頼は、「大坂城は難攻不落である」と言って、話し合いに応じようとはしない。そこへ、徳川陣営へ報告が入ってきた。「前田勢ら合わせて数千が討ち死にした」(前田勢は真田丸の真ん前に陣を張っていましたね。)あの出丸、真田丸をにらむ本多正純。(戦いの全てで、徳川勢が勝っていたが、
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第46回「大坂の陣」の感想です。徳川本陣内。<大坂城を包囲した徳川軍の陣内>まだ開戦前のことですね。本多正純は「渡辺守綱殿に若いやつらを仕込んでいただいております。」と神君に報告する。(守綱殿、えらくなりましたなぁ。)守綱は、「戦を知らんくせに血気盛んで言うことを聞かん!」と嘆く。(さすがは歴戦の勇士!渡辺守綱!)「おまけに礼儀を知らん!」と怒る!そこへ神君が出てきて、「お前に言
[どうする家康感想]大河ドラマ、どうする家康、第46回「大坂の陣」の感想です。慶長19年、冬。徳川方は総勢30万に及ぶ大軍勢をもって天下一の城塞都市、大坂へ進軍。対する豊臣は10万。大坂の陣!14年ぶりの大戦。神の君は大坂城の南1里ほどにある茶臼山に本陣をおきました。(片桐且元がいますね!)「この度はお助けくださり御礼申し上げます。」(大野修理の企てた暗殺をのがれ、徳川に助けてもらったんですね。よかったですね。)