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何十年ぶりに入る新橋演舞場。開演30分前入場するのに既に数十メートルの列…人気のほどに驚いた。根強いスーパー歌舞伎ファンがいるんだなぁと実感!スーパー歌舞伎として名高い•ヤマトタケル初めて観ました。(あらすじ)小碓命(おうすのみこと)は父である帝より熊襲征伐を命じられる。小碓命は熊襲の首領タケル兄弟を見事に討ち果たし、熊襲タケルより「ヤマトタケル」の名を与えられる。喜び勇んで大和へ帰ったタケルだったが、帝は更に蝦夷征伐を命じる。何故、帝は小碓命に辛くあたるのか?
古代、先祖が八咫烏だった、という話しの続きから八咫烏は神武天皇について北上して、後に大和朝廷で陰陽師になっていきますこの陰陽師が僕の直接の先祖になる様で、最初は色々な占いの様な形で時期や方位の吉凶を見て、朝廷にアドバイスする様な役職だった様です陰陽師、というと式神を使ったり、色々な呪文を使ったり、というファンタジーなイメージですが、ちゃんとした朝廷の役職で、実際には都を作る時に場所や時期のアドバイスを献上したり、お祓いをしたり、みたいな神社の宮司の様な感じですかねそも
2世紀の魏志倭人伝の頃、大型建物ができたとある。卑弥呼のおウチ?大和朝廷の出先とか支配を受けていたとは思えないな~
現代語古事記/竹田恒泰:BK-4054050751:bookfanプレミアム-通販-Yahoo!ショッピングstore.shopping.yahoo.co.jp1,870円商品を見る明治天皇の玄孫・竹田恒泰氏が『古事記』を現代語に翻訳したものである。翻訳と書いたが単純翻訳ではなく、原文にはない文章や注による解説を追加したり、箇条書きの活用など、なかなか分かりやすくできている。がっ、やはり神々の名前は分かりにくい。ヴォータンやフリッカの比ではない(笑)
※こちらの記事は、平成20年11月2日に書かれたものです。こんばんは。今回は教育社歴史新書<日本史>の2、水野祐氏著の『大和(やまと)の政権』についてです。これを読んだのも、下手すれば10年前とかなので細かい内容を思い出しつつ紹介してみようと思います。水野氏が冒頭で述べるのは「大和朝廷(やまと・ちょうてい)」と「大和の政権」という表現の違いについて。氏曰く、「大和朝廷」といえば神武天皇(じんむ・てんのう)から脈々と続き、奈良(なら)時代に至るまでの天皇家の王権を言う言葉であって、「大和
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子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の古墳時代の大和朝廷についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想4~6世紀終わりの古墳時代の大和朝廷(『まんが日本史』より、タイトル画面)古墳時代(4~6世紀終わり)について今回は前後半で内容が分かれる感じです。古墳づくりについて前半は、大王(おおきみ)が自らの力を地方の豪族たちに示すための古墳づくりについて、大王は豪族たちに協力させる形で各村より村民を動員して行う風景が描かれます。(『まんが日本
ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。【歴史】古代日本を統治した「大和王権」と「邪馬台国」に関連性はあったのだろうか?昭和の教育を受けた者(私も含む)は大和朝廷と習ってきたと思います。ところが最近は大和王権と言っています。一般の方は感じないかもしれませんが、私は皇室軽視、皇統断絶を企む悪辣な陰謀に見えるんですよ。実は以前NHK大河でも平清盛で
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa161fc28ae53d6e1e9179ed2429efbdc7475301(長押しして、開くをタップしてね)朝日より。そもそも、「邪馬臺国」やまたいこくと呼んでいいのか?「卑弥呼」ひみこと呼んでいいのか?当時の、日本語発音と表記文字。魏の、発音と漢字表記。そちらの研究、アプローチも注目したい。自然に畏敬の念を持ち、歴史に親しみ、学ぶ。自然に、優しく。他者に、優しく。利他主義に生きる、最後の侍、藤原越中
約二か月ぶりの投稿ですソサノヲ様の物語を書き終えてほっとひと息し、二か月間体調を整えて、今日からまた、少しずつブログを再開させていただければと思いますこの間にはっきりわかったこと。それは、生まれる前にわたしが「書きます!」と神様に約束してきたのは、子ども向けのホツマツタヱではなく、大和朝廷に貶められてしまった神々や人々の復権の物語だったということです。そういった神々や人々の苦しみ、悲しみを理解し、経験するために、わたしは、大好きな家族、友達、先生方、祖国日本を離れて、カナダへお
※こちらの記事は、平成19年6月7日に書かれたものです。これも高校生くらいのときに読んだ本。偉大なる歴史学者安本美典氏が書名の通り「卑弥呼(ひみこ)の謎」に挑戦した名著。卑弥呼の時代についての記事を読みたい方は、下記リンクをクリックしてください:松本清張『邪馬台国』と言っても1972年初版発行の本であるので、今ではこの著書の中で否定されている学説も多い。しかしながら、古代史研究の軌跡をたどるという意味と、単純に読み物として面白いという意味ではこの本の価値は色あせない。内容は「邪馬台
【三種の神器とは(ウィキペディア)】三種の神器についてウィキペディアは以下のように説明している。「三種の神器(さんしゅのじんぎ、さんしゅのしんき、他の読み方もある)は、日本神話において、天孫降臨の際にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた三種類の宝物、すなわち八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉の総称。また、これと同一とされる、日本の歴代天皇が古代よりレガリアとして伝世してきた三種類の宝物を指す。」【三種の神器(記・紀では)】この説明について、前半部分
大和朝廷という文字を見てほしい。これでヤマト朝廷と読む。「大和」がなぜ「ヤマト」なのか?私は、これは連合国家による建国だったと思っている。「邪馬台」を中国人に読んでもらうと「ヤマド」と発音するという。だから私は、邪馬台国とは「ヤマト」国だったと思っている。そのヤマト国を盟主として複数の国が連合して建てた国が大和朝廷なのではないか。「大和」とは文字通り、大きく和合したという意味なのではないか。大和朝廷は近畿で発生した。ということは、もしかしたら
【時間軸と空間軸】チェンバレンは史書としての古事記の特徴について感想を述べている。前項で原史料に基づいた記述は5世紀の履中記以降から、ということを記したが、イザナギとイザナミの島づくりや食物や金属加工の神づくり、あるいはイザナギ一人による天照大神以下三神づくりから、千年以上の年月を経て、ようやく各地の記録による記述が始まったことを指摘している。古事記の記述は神代から「時間的な途切れが全くない」。ところが空間的には、高天原、黄泉国、出雲、筑紫、大和など場所の設定は変化している。
今日は遅出で疲れたので、こちらのDVDを見ながら寝ます。世界文化遺産の中核となる神秘の島、沖ノ島のドキュメンタリーです。
こんばんは(・∀・)福岡県那珂川市多次元ライトワーカー光の案内人Greenessence〜緑の滴です。歴史が大好きな私は、雷山千如寺でチラシを見まして。申込期限までギリギリ、考えて。あの吉田扶希子さんも講師だし、と申込しました。吉田扶希子さんは、脊振山の信仰を研究して、本を出版されています。私が清掃参拝している毘沙門天のことも、少し書いていました。さて、今日は伊都国歴史博物館館長の岡部さんの古墳講座。もう、びっくり‼️でした。装飾品や須恵器の完成度、古墳時代にメッキの技
若い頃に勤めていた会社の寮は、奈良仕事の関係で、飛鳥にも滞在しました。でも、古代史や大和朝廷に、関心ありませんでした。その後、不意に思い至ったのが、畿内には、大和朝廷のルーツの痕跡が全くない、何故なんだ、不思議だ・・・?NETで調べると、大和朝廷の畿内説とは、歴史学者が、畿内説ありきで推論を積み重ねた、根拠のない学説、その要約は・・・巨大な前方後円墳などを造る有力豪族が複数存在「その中のリーダーが、大和朝廷に・・・」唯々、漠然と説明しています。当時の畿内の有力豪族
広まって深まって仲良くなって欲しいので「日本語と韓国語は同系語」さんのページシェアです。大和朝廷の公用語は主として百済語-日本語と韓国語は同系語飛鳥~平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。『万葉集』『記紀...japanese130.cocolog-nifty.com飛鳥~平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった
P.45.イワレは、この強大になつた大和国の王となりましたが、まだ、東征前の誓いである、北部九州統一は出来ずにいました。ただ、クカミと阿曇族の力を借りて、南韓国の洛東江支流の南江に位置する狗邪韓国の蔚山で、製鉄させて、鉄鉱石ではなく、鉄の塊として阿曇族に運ばせて、吉備の造る玉鋼(たまはがね)と合わせて強靭な武器の製産に成功していました。出雲国との戦いの翌年、イワレは病死しました。結局、イワレは自分の手では父王達の怨みを晴ら
角川ソフィア文庫:伊藤博訳注:「万葉集一」の巻第一を読みました。始めは真面目に読んでたけど、巻第一は大和朝廷のお偉いさんの歌ばかりで、、、辟易としてしまった・・・だから訳ばかり読んでしまった。でも発見はあった。当時の大和朝廷(天智天皇~奈良時代あたり)は影響力が愛媛県~愛知県あたりなのかなあって。もっと遠くまで影響力はあったかもだが、当時の移動手段では、お偉いさんはそこまで足を運ばない。そして平城京や斑鳩の前に滋賀県大津あたりに都があったらしい。楽狼(ささなみ)と言う。
大王神社長野県安曇野市穂高3640御祭神ぎしきはちめんだいおう魏石鬼八面大王(安曇野に伝わる伝説上の人)創建延暦年間(782年~806年)頃平安時代魏石鬼八面大王という鬼が祀られているという神社ですなーーΣ(ºωºノ)ノにーー💦💦👹❗鬼と聞いたら早速行かなければ!と。。(鬼が好き)着いてみると、、(゚д゚)ポカン意外な場所にありました!!大王神社はわさび農場内に存在したんです~何で、、(・_・?)わさび農場の中に神社かつて🏔️大王わ
歴史の教科書で最初に出てくる登場人物と言っても過言ではない卑弥呼。239年に曹叡(そうえい)から親魏倭王の称号を受け取る。魏志倭人伝が有名だ。曹叡は、中国の歴史である三国志で有名な曹操の孫である。日本の中心的な人物のイメージであるため、天皇関係者であるとイメージできる。しかし、「卑弥呼」と言う名前の天皇や皇后は出てこない。1つの説としては、神功皇后だ。神功皇后が朝鮮半島を攻めた三韓征伐が西暦200年頃。卑弥呼が金印を受け取ったのが239年であるため同世代と言え
古代大和朝廷が築城したとされる鬼ノ城7世紀の築城と推測されています大和朝廷が白村江の戦いで敗れ自国の守りを固めるために築城したとも当時巨大な勢力を誇っていた吉備の勢力を削ぐために築城させたとも言われている謎の古代山城です古代大和朝廷期にこれほどの石垣と土塀を作る技術があったことには驚かされます城壁を一周、ゆっくり2時間のハイキングでかなりの疲労ですがここから開けて見える吉備平野の眺望には癒やされるとともにここが拠点たり得たことも納得させられます鬼ノ城ビジターセンターまで
建国記念の日に神武天皇の逸話を紹介することになりました。(私にとっては)あくまで偶然なのですが、これも何かのお導きなのでしょうか…【これまでのシリーズ記事へのリンク】【第12代景行天皇】推定治世期西暦266年~295年(西暦71年~西暦130年:記紀の記載そのままの場合)【初代神武天皇】推定治世期紀元前97年~59年(紀元前660年~580年:記紀の記載そのままの場合)三種の神器の持つ権威を軽く見過ぎな、現在の歴史家たちと今の風潮皆さんもご
📩◾️『知っておきたい日本の神道』(武光誠/角川文庫)[5]🔹6世紀はじめの**継体天皇のときに、王家は首長連合の盟主ではなく、首長たちを従える日本で唯一の君主になろうとした。そのために自分たちの祖先神を、大物主神から天照大神に変えた。各地の首長が祭る神を王家の先祖神、天照大神の下にもってくる必要があったためである。【**継体天皇=皇位継承を受けて北国(越前)を発つも、20年を要した大和入りに大きな謎が残る。】《王家が天照大神信仰をつくったことによって、大和朝廷は急速に発展した
前回、天智天皇の近江遷都について解読してみましたが、ではその後の流れはどうだったか考えてみたいと思います。日本書紀では天智の弟である天武が皇位を受け継いだということになっていますが、どうやらこの二人は兄弟ではなさそうです。天智は北部九州から逃れてきた勢力、天武は奈良盆地の土着の豪族でしょう。天武は大海人皇子とも呼ばれるので海部氏系とも思われます。天武はなぜ、近江朝を攻撃したのか?それは多少なりとも恨みがあったのでしょう。中大兄の乙巳の変や孝徳天皇在位時の改革等は九州の勢力が
🛑エレナ・ダナーンとの対談Q&A☆Part1☆レムリア、アトランティス、ピラミッド、アヌンナキ☆大和朝廷のルーツ☆大和朝廷のルーツ〜アヌンナキ☆マータさんとエレナさんの貴重な素晴らしい対談です非常に興味深く観ました!アヌンナキと皇室、神道、日本との関係が分かりとても腑に落ちました!ユダヤと日本のルーツの関係性もスッキリしました!とても心が湧き踊るお話ですよ!オススメですさる100TV-5D意識(マータさん)さん動画よりどうぞ⬇Part1☆Q&Awithエレナ・ダナー
妄想!日本に女酋長「卑弥呼」は居なかった!日本の歴史教科書では「卑弥呼」なる人物が出てくる。「卑弥呼」という名が知られているのは、中国の歴史書「三国志」魏書東夷伝倭人条に記述があるからである。定説では倭人というのは古代の日本人のことを指しているのだという。しかしながら日本史の正史には女王「卑弥呼」のことも、その王国「邪馬台国」(邪馬壱国)についても記録が一切ないのだ。日本中捜してもいまだに「卑弥呼」や「邪馬台国」なる名称が記された遺物など、一度も出土したことはないのだ。しかし
少し前に「山辺の道」について書かせて頂きましたが、実はその翌日に飛鳥まで足を伸ばして、今までに行けてなかった所も回ってきました。こちらは少々範囲が広くなるので、流石に徒歩とはいかずレンタサイクルを活用させて頂きました♪飛鳥駅を出発して直ぐに欽明天皇陵があるのですが、注目したいのはその隣にある小さな「吉備姫王墓」の猿石です。全部で四体いるのですが、猿の名前が付いていながら実は人物を表しているそうです。吉備姫は一切教科書には登場してきませんが、孝徳、皇極(斉明)天皇の母親です。大化の改新前