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マムシに震えたあと、すべての用事が済み、予約した新幹線の時間まで倉敷の街歩きをすることにしました。帰省は度々しておりましたが、実家、病院、老健と街歩きをする間もなく慌ただしく帰京しておりましたのでほんとに久しぶりです。大原美術館による時間はないと思い、大原美術館を建てた大原孫三郎の生家に行きました。こちらです。3代目が建てた家です。大原美術館の川向かいです。大原家は、養護施設、児童養護施設、病院、美術館を建てたのですね。今のクラレの創業一族です。敷地内に蔵がたくさんありました。母
晴れの日の木馬たち原田マハあらすじどしゃ降りの日もある。でも、雨はいつかきっとあがる。病に倒れた最愛の父を支えるため、倉敷紡績で働くすてら。社長の大原孫三郎の知遇を得、贈られた雑誌(白樺)でゴッホの絵を見て心打たれ、「ゴッホが絵を描いたように小説を書く」と、自身の道を定める。あることをきっかけに岡山を去ることになったすてらは、東京へと向かうが……。著者がかつてない熱量で「小説」と「アート」への愛を込めた最新長編!原田マハさんの小説を初めて読んだのは5年前、「美し
39.晴れの日の木馬たち原田マハ12歳の山中すてらは、教会のアリス先生の紹介により倉敷紡績の工女となる。寄宿舎での生活の中で物語を書き、社内の文化祭で人々に読んでもらうことに。そこから倉紡を辞めて東京の作家先生の元で暮らし、作家となっていく物語。大原孫三郎や夏目漱石といった実在の人々を絡めて話が進んでいく。明治大正という時代の中での暮らしぶり、大原孫三郎が芸術や社会福祉にも力を入れていたこともよくわかった。大原美術館に行ってみたくなりました。
「今昔」と書いたが、それほどムカシの話ではない。ついこの間までの話だ。ハイ、新幹線の旅。①(ムカシ)発車直前の新幹線に飛び乗るのが小生の「美学」だった!(笑)。(現在)たくさんの荷物を抱えて、よたよた、うろうろ。とほほのほ。②(ムカシ)車内販売を心待ちにしていた。新聞、週刊誌、スジャータ(例のかちんかちんのアイスクリーム)、ホットコーヒーの4点セットを卓上に。(現在)その車内販売は廃止に。今や、週刊誌よりスマホの方が面白い。だいいち、新聞なんか売っていないよ。読書よりも
アフタヌーンティーを楽しんでから、ディナーショーまで3時間ゆとりがあるなか、企画展示に惹かれて訪れたのが中之島香雪美術館。現在は「大原美術館所蔵名画への旅~虎次郎の夢~」が開催中。エル・グレコ(冒頭の写真)、モジリアーニ↑、ゴーギャン↓、モネ…。これらは大原美術館創立者の実業家・大原孫三郎に絵の才能を認められた児島虎次郎が選んで購入した作品。小島虎次郎(1881~1929)は、最初は大原氏の奨学生として欧州に留学、数回の渡欧の際、大原孫三郎の依頼で絵画を買い付けてくるよう
【児島虎次郎】「日本の人々に本物の西洋絵画を見せたい」「後世の人のために一枚も多く収集したい」買い付ける虎次郎も、お金を送る大原孫三郎も真剣勝負の毎日だったそうです。パンフレットや図録の表に掲載されているのは、スペイン絵画の巨匠エル・グレコの傑作『受胎告知』。今からおよそ100年前海を渡りフランスから日本へ運ばれた名画です。モネの睡蓮も直接本人に会い買い付けたそうです。虎次郎は写真撮影が趣味との事で、モネの写真も彼が撮影したものです。沢山撮影したそうですが、残っている
中之島香雪美術館特別展「大原美術館所蔵名画への旅-虎次郎の夢」を見ました。エル・グレコ《受胎告知》、ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》、クロード・モネ《睡蓮》などの名作人気投票もありました。なかなか興味深い結果でした。やっぱり、有名な作品は人気でした。おすすめします!個人的には、児島虎次郎の作品がとても良かった。おそらくは過労からの心臓麻痺で、47歳の若さで亡くなってしまいましたが、長生きして欲しかったです。
倉敷川に面して、有隣荘の隣地に建っているのが旧大原家住宅だ。旧大原家住宅は1971年3月11日に、主屋をはじめ10棟が国の重要文化財に指定された。1982年には、土地も重要文化財に追加指定された。その時点では、居住用に使われていたため、建物内部は非公開であったが、2018年4月に「語らい座大原本邸」として一般公開されるようになった。公益財団法人・有隣会により管理されている。邸内には、大原家の歴史を時系列により、パネル展示されているコーナーもある。天領・倉敷は備中に位置する。古代吉
商店街を抜け、美観地区に入る。来るたびに、新しい店ができている。仕方ないんだろうな。林源十郎商店・旧林薬品が新たな施設に生まれ変わった。施設名は、林源十郎商店で、デニムや生活雑器、リビング用品、飲食を扱うセレクトされた8店舗が入居する施設として平成24年3月にリニューアルオープンした。林源十郎は、家業の薬種商を継いでもりたてる一方、敬虔なクリスチャンとして地域貢献、社会貢献にも熱心に取り組み、多大な功績を残した。大原財閥を作り上げた大原孫三郎に林源十郎は多大な影響を与えた。「岡山孤児
こちら読みました題名で選んだのですが凄い人のお話でした倉敷に行った事ないので気になる場所になりました。わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯―(新潮文庫)Amazon(アマゾン)
***「子孫というものは、いったい何のためにあると思う」(中略)「子孫は先祖の誤りを正すためにあるんじゃ。わしはそう思って、やってきた」***その男は二筋の道を同時に歩んだ。地方の一紡績会社を有数の大企業に伸長させた辣腕経営者の道と、社会から得た財はすべて社会に返すという信念の道だ。治安維持法下に社会思想の研究機関を設立し、倉敷に東洋一を目指す総合病院や美術館を建て……。決して怯まず「事業に冒険はつきもの、わしの眼には十年先
久しぶりの中之島香雪美術館に友人のSちゃんと行って参りました。この前来たのはいつだったかなぁと言いながらも二人とも思い出せないでいる(^_^)中之島に香雪美術館が出来た時に訪れた・・・のだったかなぁって(^_^)ネットを見てわかりました。中之島香雪美術館は2018年3月に開設です。神戸御影にある香雪美術館の創立45周年を記念して建てられた美術館です。いずれも朝日新聞創設者村山龍平のコレクションを展示している美術館です。中之島香雪美術館
今日もよろしくお付き合いください…(*ˊᵕˋ*)੭ੈ…(こちらの記事をアメトピに掲載して頂きましたありがとうございます)『総勢19人での楽しい新年食事会』今日もよろしくお付き合いください…(*ˊᵕˋ*)੭ੈ…(こちらの記事をアメトピに掲載して頂きましたありがとうございます)『アップルパイを焼いて、年始の実家訪…ameblo.jp〜2025年の1年間〜に取り上げて頂いた他のアメトピ掲載記事も良かったらご覧くださいアップルパイを焼いて、年始の実家訪問に備える大晦日人気カフェの
「2025.12月、岡山、大阪滞在中の出来事②」おはようございます。12月の岡山・大阪滞在中、印象に残った出来事の続きです。倉敷美観地区を散策の後、大原美術館へ行きました。作品の素晴らしさはもちろん、設立者の大原孫三郎さん、協力者の児島虎次郎さんの並々ならぬ思いに胸が震えました。
43年前になりますか、高校の修学旅行で倉敷に行きました。あいにく大雨で、覚えているのは大原美術館だけ。学年が9クラスあり、宿泊先は倉敷アイビースクエアと倉敷ステーションホテルに分かれました。女子高生ですから当然オシャレなアイビースクエアに泊まりたかったのですが、担任教師の力関係なのか、はたまたくじ運なのか、残念ながら私のクラスはステーションホテルに…😭いつか泊まってみたいなと思っていながら倉敷には行くことがなく、ようやく今回願いがかないました。倉敷に行きたいという友人たちの希望で旅
「エル・グレコ」でゆったり時間を過ごした後はまずは児島虎次郎記念館へ大原美術館本館より掘りを渡ってすぐ建物は旧第一合同銀行倉敷支店でネオ・ルネサンス様式の洋風建築です設計は本館と同じ薬師寺主計氏すらりとした半柱、半円窓のステンドグラスが白壁黒瓦の街並みにあって目を惹きます実業家大原孫三郎氏の支援を受けヨーロッパに留学し自らの画業の研鑽と共に西洋の優れた美術作品を収集し大原美術館の礎を築いた児島虎次郎氏当美術館では彼の収集した古代エジプト、西アジアの美術品ならびに彼の絵画が展示され
2025年9月20日~22日、岡山でシャンソン歌手あみさんのコンサートなどを観てきました。まさか3日間もシャンソンに浸るとは思いませんでした(笑)。[紹介する内容]●あみさんのコンサート●生徒さんの発表会●美味しいもの●観光などそれでは、順番に紹介します。●あみさんのコンサートあみさんの故郷である岡山県の“きよね夢てらす”でのコンサート「風と空と夢」を皮切りに、翌日の「清田の杜音楽会巴里の音が聞こえる」を観ました。地元の大勢の方の温かい眼差しと声援の中で、感謝の気
こんにちは傾聴ダイヤル岡山心の病予防電話です。いつもブログをご覧いただきありがとうございます。(倉紡記念館)苦しいとき「この経験から私は一体何を学べるのだろうか」と考えてみる。ここをクリア出来たらどんな景色が見えるのだろうかと想像してみる。誰かの言う「幸せ」誰かの言う「健康」ではなく、私にとっての「幸せ」であり私にとっての「健康」のあり方を手に入れることだ。(大原邸)そこをうやむやにして生きていくとまたシチュエーションを変えて同じようなことが起こる。
ひつぞうの偏愛的読書【第41回】井上太郎著『大原總一郎へこたれない理想主義者』(中公文庫)1998年親本:1993年刊(文中敬称略)大原美術館は私設では国内初となる本格西洋美術館として倉敷に誕生した。設立したのは倉敷紡績の創業者・大原孫三郎。と思っている人が殆どだろう。事実としては正しい。だが、独自の審美眼で現代美術や民藝まで裾野を広げ、現在のレベルに高めたのは長男・大原總一郎(1909-1968)の功績ということは一般の鑑賞者に忘れられている。「知らんかった」
ご訪問ありがとうございます。昨年から撮り始めている美観地区の相場見通しの黒板ですが、今年はどのような見通しになっているのか?パチリしてきました。R6年12月分(2025年の見通し)R7年2月分やはり、良くも悪くもトランプ大統領の動向がキーワードになっていますね。黒板の近くには、今橋が架かっています。立派な石橋だなと思っていたら、鉄筋コンクリートだそうです。大正15年に、皇太子(
今夜は、倉敷美観地区にいます急なお誘いでしたが、出かける事にしました以前来た美観地区とは、随分かわり楽しく散策もできました今夜の宿泊所かつての紡績工場の跡地素敵にリフォームされてとても楽しいオシャレなホテルです広い広い敷地まずは、大原孫三郎しらなくては美観地区に来た意味がないアイビースクウェアに泊まる意味がないですしっかり説明を受けて来ました凄い方です本も買ってみましたアイビースクエアホテル内春になれば、緑の蔦が絡まって又雰囲気は違うでしょうね
倉敷へ行けば、大原美術館の横にあるミュージアムショップに寄る。年に3回ほどしか行かないが・・・(多いか)毎回、新しい書籍を発見する。これが楽しみ今回は、サブタイトルにあるように画家児島虎次郎の想いと建築家薬師寺主計の思いが淡々とした文章からよくわかる。さすが大原孫三郎さんは、若い人を物資ともに応援したからいつか返ってくるんだな~と、思う。一地方の倉敷の街が、どうやってできたのかが良くわかる、とても楽しい書籍である。
↓【ブログランキング●位なんです】↓にほんブログ村↑このボタンorリンクをクリックすると僕の順位がわかります♪(=⌒▽⌒=)今、「わしの眼は十年先が見える大原孫三郎の生涯」(城山三郎著新潮文庫1994)を読んでいます。大原孫三郎さんといってもピンと来ないかもしれませんが、岡山県の倉敷にある大原美術館を作った人といえば、わかりますよね。いやー、すごい人です。倉敷を作った人です。日本で最初に本格的西洋美術館を作った人です。地方の一事業家でありながら、見込みのある多数の学生に奨学
岡山県の観光スポットのお話今年(2024年)の2月に久しぶりに岡山県倉敷を観光してきました🔶倉敷のお話『倉敷美観地区』岡山県の観光スポットのお話岡山県倉敷市にある、JR倉敷駅🚉倉敷駅🚉から徒歩🚶♀️で約10分くらい行くと、倉敷の有名観光スポットの倉敷美観地区に到着します!我…ameblo.jp『倉敷美観地区食べ歩き』岡山県の美味しいお話👅岡山県倉敷市の観光スポット、倉敷美観地区倉敷川が流れ、舟巡りや、川沿いの柳の木々がなんとも情緒のある町並みです🔶倉敷美観地区のお話『倉…ameb
岡山アートをめぐる旅はいよいよ最終日。3日目は倉敷の大原美術館です。正面玄関には二体のロダンの彫刻。(※館内の作品は全て撮影禁止ですので画像を添付します)「受胎告知」(1590年)"Annunciation"PhotobyLluísRibesMateusource:Annunciationc.1590-1603.Oiloncanvas.80,2x109,1cm.OharaMuseumofArt,Kurashiki.fl
タタリじゃー!たたりじゃー!おそろしや~横溝ワールドが炸裂してしまいました。すみませんでした。2000円の入館料を支払い入館。涼しいー!明るすぎる屋外から薄暗い館内照明に慣れるのにしばしかかる。洋画、といっても児島虎次郎の作品がメインに展示されている。彼が外遊したときの渡航先マップや、そのとき彼が入手した絵画、これがスゴい。美術の教科書に出てくるような作品がいくつも・・モネ、ルノワール、エル・グレコ、ロダンの銅像、ゴーギャン・・くく、倉敷・・お・お・大原
仕事を始める時には、10人のうち、2,3人が賛成する時にはじめなければいけない。1人も賛成者がないというのでは早過ぎるが、10人のうち5人も賛成するような時には、着手してもすでに手遅れだ。(大原孫三郎)現クラボウの2代目社長で大原財閥を築き上げた人物。岡山県倉敷市にある大原美術館はこの大原氏が設立した美術館。「従業員の幸福なくして事業の繁栄はない」と当時、福利厚生の重要性にいち早く気づいた人物でもある。新しいことを始めるには勇気がいる。新しいことを始めるにはセンスも必
2024.8.3JamesSetouchi佐多稲子3『機械のなかの青春』『夜の記憶』1佐多稲子1904(明治37)~1998(平成10)長崎生まれ。11歳のとき一家で上京、一家困窮のため少女時代から様々な仕事をした。堀辰雄、中野重治、窪川鶴次郎らと出会い、詩や小説を書く。プロレタリア作家同盟に入る。日本共産党に入る。当局から弾圧される。戦時中は大佛次郎や林芙美子らと戦地慰問をした。戦後は婦人民主クラブを創立し、新日本文学会に所属。共産党からは、除名・復党・再除名を繰り
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昨日の写真を。俺の写真無いやんと九里亜蓮投手が怒ったらイケないので。デジカメからのWi-Fi操作に少し手間取りつつナイスピッチングでした。レフトのポールの網目が少し写真の邪魔をしてますが、ご容赦下さい。今日は美観地区散策。茶屋大橋でソフトクリーム100円を頂きました。この時代に百円は嬉しい。からの大原美術館。まぁ、中には入っていませんが…入館料は二千円らしいですがね。素晴らしい美術館かと想像されますが。その眼の前は大原美術館を建てた大原孫三郎の旧宅この壁は防火、そして長期の劣化に耐えう