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いよいよ退院(転院)の時。その前に、執刀医から「術後の説明」を受けることになりました。先ずは手術の経過•内容説明がありました。「解離部分が、腹部の分岐点より上に2cm、分岐点以降に5cm残っている。解離が進むことはないし、瘤が膨らむ可能性も低いが、瘤の拡大に備えて血圧コントロールが必要。場合によっては、ステントでフォローする可能性もある」※「解離部分が残るかどうか」という点は、最後まで気になっていたことです。今後の見通しとしては、「術後3-4ヶ月で、ちょっと出
母が昨年の1月に大動脈瘤の手術を受けてはや1年経過。85歳越えにしてリスクを抱え大手術をし術後脳梗塞にはなったが無事成功。(上写真・1年前術後)今は左半身のリハビリや脳体操をしながら療養中。よく話よく手足も動かせるようで元気で一安心。(下写真・現在の母)トイストリーのバズやミニオンに囲まれて幸せそうです。車椅子で散歩に行けるぐらい回復できることを祈っています!
★傷口は泡で洗う🧼担当医から「傷口はよく洗ってください」と言われました。早々にシャワー🚿許可が出たのですが、おっかなびっくりで、傷口はサッとシャワーで流すくらいにしていました。そのせいか、傷口がジクジクしていて治りが悪かったです。ある日担当の看護師さんが、「洗い方を見せてください」とシャワー室の横で見ていて、「傷口は、泡を手につけて撫でるように洗ってください」→言われた通り泡で洗うと、傷口のジクジクがなくなり、キレイになりました👏どんどん傷口がキレイになり
★差込便器💩術後数日は寝たきりで、オムツをしていました。小は尿管カテーテルで排出されていましたが、大💩はどうする⁉️「オムツにしてもいいし、都度よんでくれたら対応します」と言われ😅オムツにはできそうもないので、都度対応していただきました💦銀色の「チリトリのような物」にビニールをかけて対応してくださいました。元々快便体質なので、朝食を食べていると食後直ぐ💩の予感があります😅※食事は、早々にお粥が出てきて意外でした※両手は管だらけで動かせないので、歯磨きも看護師さん
先程1本の電話が来週火曜日父が急遽入院、手術きまりましたと実は来週火曜日から水曜日は旦那さんが東京出張で不在そして娘は今日ピック失敗したので金曜日ピック透視室で来週抗がん剤_(:⁍」)_入院時間に自宅から間に合わないから我が家に前の日泊まりに来ると前回同様入院手続きは私がせねばならぬもうむりやってー(߹ᯅ߹)なんなんもうー(߹ᯅ߹)でもどうにかせねばならないし今までもしてきた弾け飛びそうやー
今日の午前中に、かかりつけのいつもの耳鼻咽喉科へ、花粉症の薬をもらいに行きました〜昨年の今頃は〜まだまだヘロヘロで行けなかったので、2年ぶりです😅☝️おそらくは大丈夫であろうと言われてますが、大動脈の解離した部分がまだ残っているので、万が一の事を思って、財布に服用してる薬の一覧を常備してます☝️アレルギーの薬と飲み合わせが悪いのがあるのかななんて思いながら一応先生にお見せしました☝️すると、いつも処方してもらってるアレルギーの薬が飲み合わせが悪い❗との事で、違う薬の処方となりました😲☝
大動脈瘤になって1年あまりが経過して結果は、順調!!半年たって、大動脈瘤の大きさが5.6cmから4.6全員そして現在は、4.2cmまで小さくなっているとの事。次回の診察は、来年つまり『1年後』で大丈夫とね事で、また命拾いが出来て本当によかったと思っている。
父親の大動脈瘤の入院は、昨年の1月の中旬頃の小雪が降る寒い火曜日でした。病院の入院は手術の前日から5日間の予定…。病院までは、車で10分…。初めてのためか『父親』も『母親』も緊張からか無言で…。車から聴こえるFMを聴きながら自分が運転をしてた記憶を今でも覚えています。病院に着きいろいろな手続きを済ませ病室へ…。予定の通りの窓から外が見える角部屋でした。病室に着くとまずは、担当の『看護士』さんの紹介と翌日の手術を担当する『麻酔科』の先生の紹介と問診があり昼から手術に向けての準備がある
昨年母は、明け方、倒れていて、救急車で運ばれ、緊急入院しました。心筋梗塞で、処置をしてもらい、入院中の検査で、胃潰瘍と糖尿病、大動脈瘤は、すぐに手術をしないと心配な状態でした。コロナであまり仕事以外で外出しなくなった母は、声がかすれていたのも気付いていたし、母の姉弟、わたしのおじが糖尿病で透析までしている状態だったので、母にも、検査をすすめていましたが、連れていくまではしなかったこと、胃潰瘍になるほど、ストレスがあったのか?今になって後悔しかありません。母は、弟2人と暮らしていましたが、
ご先祖様は10代前では2046人20代前だと1048576人…自分があの世に行ってもきっと子どもや孫・大切な人たちに同じ言葉を想うだろうなぁ悔いの無いように生きたいですね急性心筋梗塞で命の危険にさらされ手術の同意書に「すぐにサインを!」と一刻を争う状況で緊急手術…無事に手術が成功!しかしその後巨大な大動脈瘤が見つかり…「8.3センチにも膨らんだ大動脈瘤を抱え、今、生きておられることが非常に稀です」「いつ破裂して死んでもおかしくない
手術まで約1ヶ月をきった12月の半ば…。雪がちらっく寒い日にもう一度手術に向けての検査と書類の提出に病院へ行った事を今でも覚えています。病院では、『採血』『尿検査』『心電図』『エコー』『レントゲン』『CT』『歯科健診』と手術に向けての家族相談もしたかなぁ??とにかくいろいろな検査・説明・書類の記入を手術前にした事を覚えています。
いよいよ、町の病院から大病院へ。紹介状をもらい地域で一番大きな病院へ。診察までだいぶん待たされ父親と母親は落ち着かない様子だった。病院の診察室で紹介状を提出すると、だいたいの事は事前に聞いてますと先生からお言葉をいただき、この病気を治すには、大動脈瘤の切除手術をするか、ステントを入れる手術をするかしかないと説明を受けました。年齢的にも、ステント手術をお勧めしますとの事。と言う訳で、ステント手術とはどう言うものか?症例などなど当時いろいろ説明を受けました。自分も2度手術の経験があるので
特定健診は、『体重』『身長』『血圧』『尿検査』『検便』『採血』『レントゲン』の検査があったらしい。当時、父親は病院で検査らしい検査なんてした事がなく初めてに等しい。『レントゲン』から肺に異常がある事がわかり、先生から一度『CT検査』と『エコー』それと『血管エコー』もやってみる??と言われ実際に検査を受ける事に…。採血では『甲状腺異常』は見つかったものの、それ以外の病気は特に見つからなかったので、本人は軽い気持ちでいたみたいだったが、実際に血管エコーから『5.6cm』の大動脈瘤が見つかった。
今日は、77才父の腹部大動脈瘤受診付き添い少しずつ、大動脈瘤が大きくはなっている看護師の私は、開胸手術のその後を知っている痛みで苦しみ、リハビリで苦しみ、なかなかもとの生活に戻れないうちに、活動量が減り、筋肉量が減り、活動意欲も減っていく…みんながみんなではないけれど、私の父は、この道を進むと思う病院後、ランチを父と一緒にしながら、生きることについて、話をした父の両親は両方84才で亡くなっているその目安は父にもあるようだあと、7年か…まだまだ頑張れるだなんて、言わないあと、7
この話は、手術前の説明でも軽く出ましたが、その時点では具体的に考える余裕がありませんでした。手術後、歩くリハビリが始まった頃、リハビリの先生と今後のことを話す機会があり、考え始めました。【退院して自宅で過ごす】◯自由に過ごせる◯入院費がかからない×何かあった時、対応が遅くなりそうで心配×自宅の環境で無理をすることがありそう【転院してリハビリする】◯何かあった時、すぐに対応してくれそう◯自宅で環境の不備に苦労しなくてもいい×入院生活の縛りがあ
心筋梗塞?8.3センチの大動脈瘤?生きてることは非常に稀?更に?奇跡への道を歩み中のモトラ母の物語「キシモトランド」(きしもっちゃんと元良(モトラ)がお送りするYouTubeライブ配信番組1/27配信回)見逃した方アーカイブで是非ご覧ください━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━3:58この10年風邪やコロナで寝込むこともなく、過去一度も入院経験もない鉄人のモトラ母が!心筋梗塞?命が危ない??10:31手術成功!と思いきや看護師さんの奇跡のタッ
病気を発症してから、降圧剤を処方されて服用しています☝️そのうちの1つに『ニフェジピンCR錠20mg』があります☝️最初の入院中からなんですが、とにかく睡眠時間が短く、夜間はトイレも近く💦入院中は術後ということもあり、体質も変化したのだろうかと思いあまり気にしていませんでした☝️夜中に目覚めても、たまに眠れない事もありましたが、殆どが直ぐに眠りにつけてましたので☝️僕がそのあたり無頓着というのか、慣れてしまったのか気がつけば、1年半年〜位その状態で過ごしてきました😲😂ここ1ヶ
手術後、「生きていること」「歩けること」が達成できていて、有難さをしみじみ感じているところです。そんな中で、予想外の出来事がありました。【感覚麻痺】まだICUにいた頃、左太腿の異変に気付きました。感覚が無いのです!先ず、右太腿付根辺りにゴルフボール大のシコリを見つけ、慌てて看護師さんに伝えました。担当医に診てもらうと、「いずれ小さくなって消えるので、問題ない」とのことでひと安心。その日の夜、両手で膝をさすってみたら、ナント左側に感覚が無い!左太腿、膝から上
こんにちはご訪問ありがとうございます外泊も無事に終了していよいよ退院の話が現実的になってきましたそして、当初パパのお仕事の都合で退院は月曜日って決めていましたが急遽その日が都合悪いって事で前倒しで金曜日に退院が早まりましたやっとやつと退院長かった病院生活ともさようなら👋ですそして、その日はやってきました退院当日の朝までリハビリを受けて退院後の自主練メニューの計画票も貰っていざ、退院ついこの間外泊で外へ出たのに家へ帰る途中新しい建物が出来ていたり工事していた道路
おはようございます今日は映画の感想をお休みして私の体のことを書きますブログの紹介文にも書いてますが2018年の4月にいつも通院している町医者で咳が止まらないので一度CTを撮って肺炎じゃないか調べてみようと言われて大きな病院でCTを撮りましたその結果肺炎の心配はなかったのですが大動脈瘤があると言うのが分かったのでした幸いなことに大動脈瘤の大きさは45ミリで50ミリに達したら命の危険があるので手術しないとなりません毎年1年に一回CTを撮って経過
早いもので、22日は父の30日祭でした。そしてその日に、母が居る老人ホームから、母がご飯を食べられなくなったので、入院させたいとの連絡が来た。実は父の帰幽以降とても元気になり、車椅子生活だったのが、「自力で歩いています。」と、ホームから連絡が来て、とても喜んでいました。しかし、10日にホームでコロナが出て、母も調べたら無症状だが感染していたとの事。微熱が続いて段々食欲が無くなり、終いには、全く受け付けなくなって、手足に力が入らなくなっているので、入院になりました。
3日ほど前から、おへその横辺り?お腹の中で、うにゅうにゅと中で何かが動いてる感覚があり、朝から夜まで、意識して気にしてると、やはり、動いてる…何かいるの?って感じぐにゅぐにゅしたり、拍動したり…エイリアンでもいるんか?😱って思うくらい気持ち悪くてたまらないアスクドクターズで調べたら同じような経験をしてる人が多いみたいでDrからの返事には【通常の大動脈の拍動が、腹壁に伝わりやすく、鼓動として感じられている】らしい…ただほとんどの人達は、動脈瘤を心配していてそういう相談事を
ICUから循環器病棟を経て、一般病棟に移りました。【循環器病棟】ICUの隣にあり、循環器のスタッフが行き来していました。検査やリハビリに行く時は原則看護師さんが同行し、戻ってくるとスタッフキーでドアを開けていました。※面会の家族は、インターホンで名乗ると開けてくれたそうです。まだ、痛くて眠れない日もあり、痛み止めをもらっていました。※痛み止めは、カロナールでは全くダメで、ロキソニン希望でしたが、カロナールは看護師さんにも出せるけど、ロキソニンは医師限定らしく、頼むタ
先週から喉風邪に苦しめられてるオヤジです。熱も出たのでかかりつけ医でコロナ&インフル検査をしてもらったところ陰性でした。直ぐに治るだろうと思ってたが、年をとるとなかなか治らなくなるもんですね。喉は随分良くなりましたが鼻水が出始めて、そろそろ良くなる気配です。さてタイトルの大動脈瘤の件です。岡山大学病院循環器内科を受診してきました。初めての科って緊張するな~、それに大動脈瘤っておどろおどろしい病気ですもんね。そんな事思いながら外来受付に行くと、受付の中から白衣を着た人が手を
07年選抜高校野球大会で、常葉菊川(現常葉大菊川=静岡)を初の日本一に導いた森下知幸氏(現御殿場西野球部監督)が16日午後11時39分、大動脈瘤(りゅう)破裂により、伊豆の国市内の病院で死去した。62歳だった。学校関係者によると、15日までは野球部を指導していた。いつもと変わらずノックも行っていたが、16日に体調不良を訴えて早退。その後、容体が急変した。17日の全校集会で生徒にも伝えられたという。森下氏は浜松商の主将として78年のセンバツ優勝。指導者としては母校や日大三島、常葉菊川、御殿場西
こんにちはご訪問ありがとうございます今日は外泊日ですやっとこの日が迎えられました久々の外の空気そして我が家🏠まずは車の乗り降りはOK家の玄関の段差もOK階段昇り降りもOK食事の用意は1品ずつ作ることもOK包丁、ピーラーも使えた!洗濯もOK洗濯物を運ぶのは家族にお願いして高いところに干すのはちょっと苦戦したけどOKそして、何より心の癒し🐶我が家の愛犬と過ごせる時間が幸せ🍀一つ一つ出来ることが増えるのは嬉しいでもね…人って欲張りだから(私だけかな?)もっと出
こんにちはご訪問ありがとうございますいよいよ今日は家族と病院側と面談の日ですパパと義母が一緒に話を聞いてくれましたリハビリも順調で回復も緩やかながらも入院当初よりは少しずつ良くなっているのであとは退院して良いと言う判断になりました1月29日に退院予定長かったやっと退院と言う目標が見えるようになりました早く愛犬にも会いたいしいっぱい触れ合いたいですまずはその前に一度家に外泊してどれくらい家事が出来るかチェックする事になりましたどこまで出来るのか私もドキドキで
大動脈解離、大動脈瘤での手術入院と退院後、しばらくは食欲も無かった事もあり20kg体重が落ちました☝️体重が落ちるということは、当然ですが指も細くなるんですね😲☝️分かりますかね😂☝️指輪がブカブカに😂💦スポスポと抜けてしまうので今は外してます😂後、足も細くなると言うか靴のサイズが0.5〜1㌢はサイズダウンしました😲💦少し感じてはいましたが、スーツに合わせる革靴を履いた時に感じました…スポスポだと…😂💦紐で締めれるタイプだったので良かったですが😂ふと疑問に思うこと…
こんにちはご訪問ありがとうございます世間の年末年始休暇が開けて仕事始めの4日(平均的に)からもちろん病院も外来が始まり案内は人気が一気に増えましたそして私はと言うと10日に家族とリハビリスタッフの皆さんで今後の計画についてお話をする事になりました私の場合、現状歩行はOK筋力•体力を落とさないように歩くリハビリをメインにあとは、左腕の可動域が狭いので電気を流したりストレッチしたり言語も顔の体操、言葉の発生頭の脳トレを日々リハビリしています先生や療法士さんのお話からす
手術は、10時間くらいかかったようです。朝8時半にオペ室に入って、出てきたのが20時前だった(らしい)です。「手術は無事に終わりました」「麻痺などの後遺症は、目覚めてみないとわかりません」というような説明が家族にあり、そのままICUに運ばれたそうです。翌日:深夜というか早朝、目覚めると抑制されていて涙目(;;)★ここで起こった悲劇については、別項目で書きました。ICUで過ごした中で、何より辛い時間でした。(痛いとか、そういう問題ではな