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大光から配当金が入金されました。ありがとうございます。増配予定です。
343ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳問うて云わく、諸経にも、悪人の仏に成るは、華厳経の調達の授記、普超経の闍王の授記、大集経の婆藪天子の授記。また女人の仏に成るは、胎経の釈・女の成仏。畜生の仏に成るは、阿含経の鴿雀の授記。二乗の仏に成るは、方等だらに経、首楞厳経等なり。菩薩の仏に成るは、華厳経等。具縛の凡夫の往生は、観経の下品下生等。女人の女身を転ずるは、双観経の四十八願の中の三十五の願。これらは法華経の二乗・竜女・提婆・菩薩の授記にいかなるかわりめか
340-343ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳妙法蓮華経妙は、玄義〈天台〉に云わく「言うところの妙とは、妙は不可思議に名づくるなり」。また云わく「秘密の奥蔵を発く。これを称して妙となす」。また云わく「妙とは、最勝修多羅、甘露の門なり。故に妙と言うなり」。法は、玄義に云わく「言うところの法とは、十界十如、権実の法なり」。また云わく「権実の正軌を示す。故に号して法となす」。蓮華は、玄義に云わく「蓮華とは、権実の法に譬うるなり」。また云わく「久遠の
339-340ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳また、妙楽大師、末代にこの法の捨てられんことを歎いて云わく「この円頓を聞いて崇重せざるは、良に近代に大乗を習う者の雑濫に由るが故なり。いわんや、像末は情澆く信心寡薄にして、円頓の教法蔵に溢ち函に盈つれども、しばらくも思惟せず、便ち冥目に至る。いたずらに生じ、いたずらに死す。一に何ぞ痛ましきや。ある人云わく『聞いて行ぜずんば、汝において何ぞ預からん』。これはいまだ深く久遠の益を知らず。善住天子経のごとくんば、『
こんばんは✨本日の備忘録1️⃣本日の評価損益額2️⃣「INPEX」もWバガーに3️⃣「大光」から配当金4️⃣健康診断に行って来ました1️⃣本日の評価損益額選挙が終わって2日目…本日も、株価は上昇中一体どこまで上がり続けるのでしょうね本日の終値はこちらです私の手持ちの株はこんな感じでした株価の上昇は、嬉しいことですが企業様の実態が追いついていれば良いのですけど…と、少々心配になって来ました日本の企業様の成長を応援しながら📣信じております2️⃣Wバ
月々日々に――池田先生の折々の言葉2026年2月10日人間生命の可能性を信じられない絶望は、乱世の闇を深める病根だ。この無明の闇を破る希望の大光こそが、日蓮仏法である。※2012年11月30日付聖教新聞「随筆我らの勝利の大道」を基にしています。寸鉄2026年2月10日「百千万年くらき所にも灯を入れぬればあかく」。地域照らす希望の光源に(新2100・全1403)◇6月に伝統の任用試験。最極の生命哲理学ぶ誇り求道の友と共に挑み成長◇信用を得る根
337-339ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳問う。諸経のごときは、あるいは菩薩のため、あるいは人・天のため、あるいは声聞・縁覚のため、機に随って法門もかわり、益もかわる。この経はいかなる人のためぞや。答う。この経は相伝にあらずんば知り難し。悪人・善人、有智・無智、有戒・無戒、男子・女人、四趣・八部、総じて十界の衆生のためなり。いわゆる、悪人は提婆達多・妙荘厳王・阿闍世王、善人は韋提希等の人・天の人。有智は舎利弗、無智は須利槃どく。有戒は声聞・菩薩、
335-337ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳次に五時五時とは、一には華厳経〈結経は梵網経〉。別・円二教を説く。二には阿含〈結経は遺教経〉。ただ三蔵教の小乗の法門を説く。三には方等経。宝積経・観経等にして説時を知らざる大乗経なり〈結経は瓔珞経〉。ただし、蔵・通・別・円の四教を皆説く。四には般若経〈結経は仁王経〉。通教・別教・円教の後三教を説く。三蔵教を説かず。華厳経は三七日の間の説、阿含経は十二年の説、方等・般若は三十年の説。已上、華厳より般若に至
334-335ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳次に円教。この円教に二つ有り。一には爾前の円、二には法華涅槃の円なり。爾前の円に五十二位、また戒・定・慧あり。爾前の円とは、華厳経の法界唯心の法門。文に云わく「初発心の時、便ち正覚を成ず」。また云わく「円満修多羅」文。浄名経に云わく「我無く造無く受者無けれども、善悪の業、敗亡せず」文。般若経の「初発心より即ち道場に坐す」の文。観経の「韋提希、ただちに即ち無生法忍を得」の文。梵網経に云わく「衆生、仏戒を受
332-334ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳次に別教。また戒・定・慧の三学を談ず。この教えはただ菩薩ばかりにて、声聞・縁覚を雑えず。菩薩戒とは、三聚浄戒なり。五戒、八戒、十戒・十善戒、二百五十戒、五百戒、梵網の五十八の戒、瓔珞の十無尽戒、華厳の十戒、涅槃経の自行の五支戒・護他の十戒、大論の十戒、これらは皆、菩薩の三聚浄戒の内、摂律儀戒なり。摂善法戒とは、八万四千の法門を摂す。饒益有情戒とは、四弘誓願なり。定とは、観・練・薫・修の四種の禅定な
331-332ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳次に通教〈大乗の始めなり〉。また戒・定・慧の三学あり。この教えのおきて、大旨は六道を出でず。少分利根なる菩薩、六道より外に推し出だすことあり。声聞・縁覚・菩薩、共に一つ法門を習い、見思を三人共に断ず。しかれども声聞・縁覚、灰身滅智の意いに入る者もあり、入らざる者もあり。この教えに十地あり。この通教の法門は、別して一経に限らず、方等経・般若経・心経・観経・阿弥陀経・双観経・金剛般若経等の経に散在せり。
329-331ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳見思の煩悩を断ずる者を聖と云う。この聖人に三道あり。見道とは、見思の内の見惑を断じ尽くす。この見惑を尽くす人をば、初果の聖者と申す。この人は、欲界の人・天には生まるれども、永く地・餓・畜・修の四悪趣には堕ちず。天台云わく「見惑を破るが故に、四悪趣を離る」文。この人は、いまだ思惑を断ぜざれば、貪・瞋・癡身に有り。貪欲ある故に、妻を帯す。しかれども、他人の妻を犯さず。瞋恚あれども、ものを殺さず。鋤をもって地を
328-329ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳煗法智慧の火、煩悩の籬を蒸せば、煙の立つなり。故に煗法と云う頂法山の頂に登って四方を見るに曇り無きがごとし。世間・出世間の因果の道理を委しく知って闇きこと無きに譬えたるなり。始め五停心よりこの頂法に至るまでは退位と申して、悪縁に値えば悪道に堕つ。しかれども、この頂法の善根は失せずと習うなり忍法この位に入る人は永く悪道に堕ちず世第一法この位に至るまでは賢人なり。但今、聖人と成るべきなり七聖に三つ
328ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳別想念処に四つ一、身外道は身を浄と云い、仏は不浄と説きたもう二、受外道は三界を楽と云い、仏は苦と説きたもう三、心外道は心を常と云い、仏は無常と説きたもう四、法外道は一切衆生に我有りと云い、仏は無我と説きたもう外道は常〈心〉・楽〈受〉・我〈法〉・浄〈身〉、仏は苦・不浄・無常・無我と説く総想念処先の苦・不浄・無常・無我を修練して観ずるなり↓まだ御書新版を手
ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳例せば、外典の許由・巣父がごとし。五停心一、数息息を数えて散乱を治す二、不浄身の不浄を観じて貪欲を治す三、慈悲慈悲を観じて嫉妬を治す四、因縁十二因縁を観じて愚癡を治す五、界方便地・水・火・風・空・識の六界を観じて障道を治すまた云わく「念仏」と↓まだ御書新版を手にしていない方はコチラ↓https://ameblo.jp/guchi0410/entry-1291933
326ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳声聞について七賢・七聖の位あり。六道は凡夫なり。七賢智ということなり三賢一、五停心二、別想念処三、総想念処四善根一、煗法二、頂三、忍法四、世第一法この七賢の位は、六道の凡夫より賢く、生死を厭い、煩悩を具しながら煩悩を発さざる賢き人なり。↓まだ御書新版を手にしていない方はコチラ↓https://ameblo.jp/guchi0410/entry-12919335928.html『
326ページ(017)一代聖教大意正嘉2年(ʼ58)2月14日37歳四教一には三蔵教、二には通教、三には別教、四には円教なり。始めに三蔵教とは、阿含経の意なり。この経の意は、六道より外を明かさず、ただ六道〈地・餓・畜・修・人・天〉の内の因果の道理を明かす。ただし、正報は十界を明かすなり。地・餓・畜・修・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏なり。依報が六つにてあれば、六界と申すなり。この教えの意は、六道より外を明かさざれば、三界より外に浄土と申す生処ありと云わず。また三世に仏は次第次第に
322ページ(016)主師親御書建長7年(ʼ55)34歳また、法華経より外の一切経を空に浮かべて、文々句々、阿難尊者のごとく覚り、富楼那の弁舌のごとくに説くとも、それを難事とせず。また、須弥山と申す山は、十六万八千由旬の金山にて候を、他方世界へつぶてになぐる者ありとも、難事には候わじ。仏滅度して後、当世・末代悪世に法華経をありのままに能く説かん、これを難しとすと説かせ給えり。五天竺第一の大力なりし提婆達多も、長三丈五尺、広さ一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか。また漢土第一の大力、
319ページ(016)主師親御書建長7年(ʼ55)34歳釈迦仏は、我らがためには、主なり、師なり、親なり。一人してすくい護ると説き給えり。阿弥陀仏は、我らがためには、主ならず、親ならず、師ならず。しかれば、天台大師これを釈して曰わく「西方は仏別にして縁異なり。仏別なるが故に隠顕の義成ぜず、縁異なるが故に子父の義成ぜず。またこの経の首末に全くこの旨無し。眼を閉じて穿鑿せよ」と。実なるかな、釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として、十九の御年、家を出で給いて、檀特山と申す山に籠もらせ給い、
318ページ(015)一生成仏抄建長7年(ʼ55)34歳(富木常忍)そもそも、妙とは何という心ぞや。ただ我が一念の心不思議なるところを妙とは云うなり。不思議とは、心も及ばず語も及ばずということなり。しかればすなわち、起こるところの一念の心を尋ね見れば、有りと云わんとすれば色も質もなし。また無しと云わんとすれば様々に心起こる。有りと思うべきにあらず、無しと思うべきにもあらず。有無の二つの語も及ばず、有無の二つの心も及ばず。有無にあらずしてしかも有無に遍して、中道一実の妙体にして不思議な
316ページ(015)一生成仏抄建長7年(ʼ55)34歳(富木常忍)夫れ、無始の生死を留めて、この度決定して無上菩提を証せんと思わば、すべからく衆生本有の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理とは、妙法蓮華経これなり。故に、妙法蓮華経と唱えたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり。文理真正の経王なれば、文字即実相なり、実相即妙法なり。ただ詮ずるところは、一心法界の旨を説き顕すを妙法と名づく。故に、この経を「諸仏の智慧」とは云うなり。一心法界の旨とは、十界三千の依正・色心・非情草木
こんにちは♪久しぶりに投稿するゆうてつです。家に荷物が届きました(置き配)自宅の階段の照明が壊れた為に購入した代替品です。開封!取扱説明書(一枚の紙です。)中身は・・・間接照明のような仕様です。旧(右)と比べても特に違いは感じませんね。既存の物と比べてみましたが、あまり違いは感じません。既存品が2016年製、今回購入した物が2026年製ですので10年の差があります。既存品の品番は「DBK-38241Y」です。0.01アンペア上がってる...?色々な製品が中国製になるな
311-315ページ(014)本尊問答抄弘安元年(ʼ78)9月57歳浄顕房そもそも人王八十二代隠岐法皇と申す王有しき。去ぬる承久三年太歳辛巳五月十五日、伊賀太郎判官光季を打ち捕りまします。鎌倉の義時をうち給わんとての門出なり。やがて五畿七道の兵を召して、相州鎌倉の権大夫義時を打ち給わんとし給うところに、還って義時にまけ給いぬ。結句、我が身は隠岐国にながされ、太子二人は佐渡国・阿波国にながされ給う。公卿七人はたちまちに頸をはねられてき。これはいかにとしてまけ給いけるぞ。国王の身として民
310-311ページ(014)本尊問答抄弘安元年(ʼ78)9月57歳浄顕房しかるに、日蓮は東海道十五箇国の内、第十二に相当たる安房国長狭郡東条郷片海の海人が子なり。生年十二、同じき郷の内、清澄寺と申す山にまかり登り住しき。遠国なるうえ、寺とはなづけて候えども、修学の人なし。しかるに、随分諸国を修行して学問し候いしほどに、我が身は不肖なり、人はおしえず。十宗の元起・勝劣たやすくわきまえがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して、一切の経論を勘えて十宗に合わせたるに、俱舎宗は、浅近なれども
306-309ページ(014)本尊問答抄弘安元年(ʼ78)9月57歳浄顕房問う。弘法大師は讃岐国の人、勤操僧正の弟子なり。三論・法相の六宗を極む。去ぬる延暦二十三年五月、桓武天皇の勅宣を帯びて漢土に入り、順宗皇帝の勅によって青竜寺に入って、恵果和尚に真言の大法を相承し給えり。恵果和尚は、大日如来よりは七代になり給う。人はかわれども、法門はおなじ。譬えば、瓶の水をなお瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法との瓶は異なれども、伝うるところの智水は同じ
304-306ページ(014)本尊問答抄弘安元年(ʼ78)9月57歳浄顕房問うて云わく、法華経を本尊とすると、大日如来を本尊とすると、いずれか勝るるや。答う。弘法大師・慈覚大師・智証大師の御義のごとくならば、大日如来はすぐれ、法華経は劣るなり。問う。その義、いかん。答う。弘法大師の秘蔵宝鑰の十住心に云わく「第八法華、第九華厳、第十大日経」等云々。これは浅きより深きに入る。慈覚大師の金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏、智証大師の大日経指帰等に云わく「大日経第一、法華経第二」等云々
302-304ページ(014)本尊問答抄弘安元年(ʼ78)9月57歳浄顕房問うて云わく、末代悪世の凡夫は何物をもって本尊と定むべきや。答えて云わく、法華経の題目をもって本尊とすべし。問うて云わく、いずれの経文、いずれの人師の釈にか出でたるや。答う。法華経の第四の法師品に云わく「薬王よ。いたるところにて、もしは説き、もしは読み、もしは誦し、もしは書き、もしは経巻の住するところの処には、皆応に七宝の塔を起て、極めて高広厳飾ならしむべし。また舎利を安んずることを須いず。所以はい
300-301ページ(013)下山御消息建治3年(ʼ77)6月56歳下山光基教大師云わく「ひそかに以んみれば、菩薩は国の宝なること法華経に載す。大乗の利他は摩訶衍の説なり。弥天の七難は、大乗経にあらずんば、何をもってか除くとせん。未然の大災は、菩薩僧にあらずんば、あに冥滅することを得んや」等云々。しかるを、今、大蒙古国を調伏する公家・武家の日記を見るに、あるいは五大尊、あるいは七仏薬師、あるいは仏眼、あるいは金輪等云々。これらの小法は大災を消すべしや。「還って本人に著きなん」と成って
297-300ページ(013)下山御消息建治3年(ʼ77)6月56歳下山光基法華経の第二の巻に主と親と師との三つの大事を説き給えり。一経の肝心ぞかし。その経文に云わく「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり。しかるに今この処は、諸の患難多し。ただ我一人のみ、能く救護をなす」等云々。またこの経に背く者を文に説いて云わく「また教詔すといえども、信受せず乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」等云々。されば、念仏者が本師の導公は「その中の衆生」の外か。「