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こんにちは🍀前記事からの続きで、新潟県新発田市の「清水園」内にあります◯新発田藩史料館◯堀部安兵衛伝承館◯清水谷蔵所資料館を、見学しました。これまでの記事の内容と同様、16年振りに再訪しました✨明治期に豪農伊藤家(現・北方文化博物館)所有となり、お米を収納する清水谷蔵所時代の米蔵の中で大きく分けて3つの史料が展示されています。こちらは堀部安兵衛伝承館にて📝三谷幸喜さんの舞台の題材にもなったのですね🎭こちらは新発田藩史料館にて📝どれも大変興味深い歴史の色々です✨
札幌中心部のビル内の整形外科で診てもらった結果は、幸い骨折ではないという。レントゲン写真を3枚撮って、医師は子細に観察した。CTで検査しないと断言できないが、たぶん大丈夫でしょう、ということだった。ホッとした。半日市内観光バスに乗る湿布薬と痛み止めを処方されて外へ出ると、もう11時半に近い。歩いて、以前に入った、時計台に近いラーメン屋に入った。以前食べた時より、旨みと切れに欠けると思ったのは、気のせいか。以前のなかった、ランチ時は大盛り無料という表示も、味が落ちた代償なのか。
今日のカービングは島ぞうりナイフ一本で表面を彫り、模様を出しています。こうやって、鼻緒を外して彫っています。三頭のトラには、心温まるエピソードがありました。飼っていらっしゃるうさぎと亀とすっぽんを鳥獣戯画風に。楽しい島ぞうり彫り💛一緒に彫りませんか?もしくは、世界に一つの手彫りの島ぞうりを履いて、暑い夏を過ごしませんか?さて、叔母、従妹、母との4人旅一泊目は赤倉観光ホテル。ウェルカムドリンクをいただきほっこりしたら、まずは、観光。妙高在住の素敵姉さまに、2度ほ
朝倉文夫市ヶ谷の日本棋院のロビーに二十一世本因坊秀哉と初代総裁・大倉喜七郎の胸像が設置されている。作者は「東洋のロダン」と呼ばれた彫刻家、朝倉文夫である。朝倉は早稲田大学の「大隈重信像」や、旧東京都庁第一庁舎前に設置され現在は東京国際フォーラムに移設されている「太田道灌像」の作者としても知られている。経緯はよく分からないが秀哉像は昭和九年(1934)に制作されたものと思われ、大倉喜七郎像は喜七郎氏が亡くなった昭和三八年(1963)に棋院の依頼で制作されている。本因坊秀哉
丘海書道教室書海社恵比寿草加書道教室大人書道松本芳翠中目黒代官山書海社の書道教室です。東京都内恵比寿、埼玉県草加、通信添削、大人対象です。平日の日中に稽古しています。書海社の月刊競書誌を主に用いて、正しく、美しい書、松本芳翠流を目指します。基本から丁寧に、師範取得、展覧会作品までご指導いたします。欠席分は通信添削に振替しますので、お忙しい方も安心して受講できます。kyuukaishodou.wixsite.com今日は、大倉集古館へ行ってきました、大倉組商会150周
相模湾に浮かぶ大島。朝、曇から差し込む光で宗教画のような光景が広がっていた。何かが起きそうな予感すら感じさせられる。大倉財閥2代目総帥の大倉喜七郎男爵がイギリスから持ち込んだゴルフという文化。無いのなら作ってしまおうと、CHアリソンに設計を依頼し、人工作業で作り上げたクラシックコースである。それが今ではゴルファーの憧れ、人生一度はプレーしてみたいコース、女子プロのトーナメントコース、米国ゴルフマガジン誌が選出する2023年~2024年の『世界ゴルフ
この日の宿泊先はもちろん戦前に建てられた超がつく日本を代表するクラシックホテル『川奈ホテル』。今は無き老舗イタリアン...西麻布『CHIANTI』を彷彿させる床が印象的なフロントからこの究極のリゾートホテルの顔とも言える、イギリスのお城をイメージして作られたこの有名なロビーまで、1936年(昭和11年)の創業当時から変わることなく今も残されております。「バロン・オークラ」と呼ばれていた『川奈ホテル』創設者の大倉財閥二代目総帥大倉喜七郎(
帝国ホテル中央玄関日本を代表する高級ホテルのひとつ「帝国ホテル」(東京都千代田区内幸町)の中央玄関が愛知県犬山市の明治村へ移築されている。帝国ホテルは外国人の接遇所を兼ねた大型ホテルの必要性から外務大臣・井上薫の依頼で渋沢栄一と大倉喜八郎らにより明治23年(1890)に開業するが、開業当時の建物は大正8年(1919)に失火により全焼している。新館は20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによる設計で、大正12年(1923)に4年間の歳月をかけて完成している。
とかく偉大な創業者の息子は、その重圧に潰れたり反抗したりして親の財を失うケースが多いですが、中には更にその事業を拡大するばかりか社会・文化に大きく貢献する人物もいます。今日は、その代表例といえる大倉財閥の2代目総帥、大倉喜七郎氏の命日・没後60周年にあたります。喜七郎氏は、1882(明治15)年に大倉財閥の創立者・大倉喜八郎氏(↓)の長男として東京で生まれました。学習院予備科・初等科から慶應幼稚舎→普通部→慶應義塾大学を経て、イギリスのケンブリッジ大学トリニテ
(小樽運河)より大倉山ジャンプ台1972年に札幌オリンピックが行われた所です。この写真を撮った場所の右側には、ジャンプ競技の展示場があったのですが、そこに札幌オリンピックで金・銀・銅を独占した日の丸飛行隊の写真があったのかなかったのか・・・。札幌オリンピックは、もう遠い昔のこととして抹消されてしまっていたようです。にわかには信じがたい展示内容でした。二人乗りリフトで、ジャンプ台の上にある展望台に向かいます。札幌の西側から東側を見た風景になります。ここから東側へ50km程は平野部な
いよいよ本格的なウィンタースポーツ・シーズンの到来です。日本で人気の種目といえば、まずフィギュアスケートがあげられますが、屋外競技ならジャンプでしょう。1972年札幌五輪の笠谷・金野・青地の表彰台独占や、1998年長野五輪での原田・船木らの団体逆転金メダル、そしてレジェンド葛西選手や女子・高梨沙羅選手など、日の丸飛行隊の活躍をご記憶の方も多いはず。そのジャンプ競技における〝聖地〟といえるのが大倉山ジャンプ競技場札幌市郊外に位置する日本を代表するこのジャンプ台が開場したのは、今からちょ
昨夜郷土の文化に親しむ会に体験参加してきました。ホテルオークラ創業者は新発田市出身大倉喜七郎さんのお話東京から新発田市に移築される蔵春閣新発田の城下町まちづくりプロジェクトのお話ホテルオークラの創業者は新発田の方コロナ禍はじめてのホテル会合に参加こんななのですね。御酌禁止手酌奈津子先生ゆかりさんと上で休憩して解散ホテル大変そうでした。さて、今日は長岡へわたしも長岡花火プロジェクトがんばります!プロジェクト好きになりそう笑千羽鶴に長岡花火怒られますからハワイ
やや、エントランスの延長上の、セパレイトされていない落ち着かなさはある。いつも昼に飲んで、夜にはあまり食べないし、普段はもう飲まない熊井。昨日の初めてのアルコールが、19:00ちょっと前Barokuraにて、“HAPPYHOUR”終了直前に滑り込みセーフ。好きな、ドライマーティニを昨夜はタンカレーで。1人の和歌山オテルドヨシノでのディナーという、ハレのバレンタインデーは、それはもちろん夢のようでしたが、弾丸帰札してBarokuraのHAPPYHOURで半額で頂く“Swee
blogNo.33420200917木展覧会名:近代日本画の華:ローマ開催日本美術展覧会を中心人に行った日:2009015火行った場所:大倉集古館(東京都港区)このところ、一斉に美術館・博物館類が「再開館」を始めたので、正直慌てています。今回も、西洋美術館でやっている「ロンドンナショナルギャラリー展」と、東京国立近代美術館でやっている「ピーター・ドイグ展」とで、おおいに迷ったのです。「ロンドンナショナルギャラリー展」は全て日本初公開だし、「ドイグ展」はイ
第73回の正解を発表します。正解は新潟県新発田市でした。新発田藩の歴代藩主であった溝口家の家紋「五階菱」をそのまま市章にしています。五階菱は溝口菱ともいうそうです。大倉財閥を築いた大倉喜八郎は新発田出身。その息子の大倉喜七郎(札幌の大倉山は大倉喜七郎が私費を投じてジャンプ競技場を建設したことに由来)が溝口家の久美子と結婚したことから、五階菱は大倉家の家紋にもなりました。(2020/9/8)--------------------【各テーマの目次はこちら】■バス乗り
しかし、五島が、75歳の時、月刊『太陽』(筑摩書房、昭和32年10月創刊号)に寄せた手記でこう語っている。「昭和9年3月に東京高速鉄道という会社が設立された。これはかつて武蔵電鉄が東京市内の都心連絡を行う為、渋谷〜有楽町間4マイル強の地下線敷設免許を得ながら、実現せずに免許失効となったものを、その後、東京市が出願して免許を取ったが、東京市も資金難でそのまま放置されておった。これを東京地下鉄道会社(浅草〜新橋間)の土木工事を請負って地下鉄建設に経験をもった大倉組と、東横電鉄と東京地下
■今日はちょっと辛口です谷口吉郎氏が設計したホテルオークラ旧本館のエスプリを維持しつつ、息子・谷口吉生氏が新しく設計したTheOkuraTokyoが今年オープンしました。それに伴い同敷地内の美術館、大倉集古館も改修を経て再オープン。楽しみにしていました。大倉集古館はもともと、大倉財閥の創始者、大倉喜八郎氏のコレクションとしてスタート。実はこの大倉家は、ホテルオークラだけでなく帝国ホテルを創業した一家でもあるのです。これ、意外と知らない人が多いように思いますが。
2019年9月12日(木)ホテルオークラ東京が、TheOkuraTOKYOとしてリニューアルオープンしました。たまたま、近くにいたので、見学に行きました。勤務する会社とは、縁の深いホテルです。1962年5月大倉財閥の二代目大倉喜七郎氏が創設されたホテル。日本の3大老舗ホテルのひとつですね(帝国ホテル・ホテルニューオータニ)帝国ホテルは初代大倉喜八郎氏が、渋沢栄一氏と設立し、この3大老舗ホテルのうち2つは、大倉父息子のホテルが携わっていますね。そして、ニューオータニ建設には大倉喜八
マレーシア・ペナン州がセミナーを開催。世界遺産の「ジョージタウン」などを紹介トラベルWatch近代的な街から徒歩でユネスコ世界遺産を訪れることができるうえ、ショッピングやグルメなどの楽しみも。ぜひ最新情報を片手にペナンへと訪れてほしい」と話した...総会で解散決める「会津農書」の農業遺産認定目指した協議会福島民友雪国の農業技術を記した江戸中期の「会津農書」に基づく伝統農法や持続的農業システムについて、世界農業遺産と日本農業遺産認定を目指していた「会津地域...土木遺産
■「帝国ホテル開業128年」東京都千代田区内幸町にある、日本最上の高級ホテル「帝国ホテル」は、今から128年前(1890年/明治23年)の本日、11月3日落城、11月7日開業。...昨年夏、フレンチの歴史的巨匠「村上信夫シェフ」の素晴らしき履歴をブログにて連載しましたが、実は、私の父(岸秀蔵)も元帝国ホテル(村上シェフの部下であり、柔道部仲間)出身。今日から、私としてもゆかりのある帝国ホテルの開業128年の歴史を綴りたいと思います。■「帝国ホテル/沿革/経営
九州国立博物館で開催中の特別展オークラコレクションに行ってきました。明治150年記念特別展オークラコレクション会期:2018年10月2日(火)~12月9日(日)開場:九州国立博物館現在、東京の大倉集古館が改装中(2019年春まで)ということもあって実現した展覧会でしょう。実は大変恥ずかしながら、自分は東京在住中に大倉集古館を訪れておりません(汗。。。なんと愚かなことでしょう。。まあ、この度、九州でコレクションを拝見できる機会に恵まれたことを素直に喜びたいと思います
大倉喜七郎が愛用したフィアット1907ミニカーを集めていると日本の自動車史を勉強することになります。明治の日本にはどんなに車が走っていたのか?、初めてのレースは?、、、興味は広がります。さて、日本人の最初のレーサーは大倉財閥の大倉喜七郎で1907年にイギリスのブルックランドの開場レース、30マイルモンタージュカップで2位に入ります。このフィアットを翌年に日本に持ち帰りますが、1960年代のミニカーメーカーduguがモデル化しました。実車が誕生してからおよそ60年後にミニカーになりましたが
412家族の幸せな暮らし応援団高月工務店・経理事務たかつきホーム・アドバイザーhttp://www.takatsuki-k.co.jp/サイエンスホーム東山口店http://sciencehome-hy.jp/店長の高月圭子です。今日は日曜日で想いのブログです昨夜、10時過ぎにようやく遅い食事をとっていると何故か主人(社長)が、テレビのチャンネルを変えるすると…前職のホ
今、ホテルオークラ東京にいます。今日は、ひな祭り別館ロビーには、ひな人形が立派ですよねこちらのひな人形。。。由緒ある雛人形だそうです大倉家ゆかりの雛人形で、昭和初期のもの。日本橋の有職御雛人形司永徳齋による作品で、気高い作風から上流階級に愛好され、旧華族などに伝わる作品は高く評価されている。この雛人形は、ホテルオークラ創始者で元男爵の大倉喜七郎によって寄贈されたものだそうです。ふむふむ。。。凄いですよね~♪勉強になりましたそして…桃の花綺麗ですよね~♪ホッと、癒され
晴寒暖計五十七度(注・=摂氏13.9度)法学士宮本平九郎氏妻鎌倉にて死去の由、氏は嘗て三井鉱山会社にて余の部下にあり、後仏国巴里に赴きて日本語の教授と為りたる事あり、帰朝後も坎坷【かんか=不遇であること】不遇なりしが、今又妻女の死去にあり同情に堪えず。中村歌右衛門夫婦、大又主人【注・奥村金之助】を同伴して来宅、代々木の新宅図案に就き相談あり、余の新図案を交付せり。[国技館に風船球]午後大倉喜七郎夫人、粂馬夫人と自働車にて来宅、余は妻と共に之に同乗して国技館に赴き角
曇寒暖計五十四度(注・=摂氏12.2度)去月三十日日本美術協会における余の小堀遠州に関する談話筆記を同会より回送し来る。[清元会の発端]午後大倉喜七郎、清元延寿太夫と共に来宅、来年より清元研究会なる者を設けて延寿太夫二番、弟子一番、若葉会連一番位出演して、一は弟子養成の為め一は流儀拡張の為め聴聞料一人に就き五十銭位を取りて有楽座にて開会せんとの相談あり。尤も是れは余の提案にて過日大倉氏に話し置きたる処なるが、愈々実行したきに就ては余に世話方を依頼したしとなり。因て先づ試に来
晴寒暖計五十五度(注・=摂氏12.8度)鳥居坂三井邸新席茶会の筆記を刪正【注・さんせい=推敲】して時事新報に回送す。午後三時より烏森今井にて開催の清流会に主席す、来会者は大倉喜七郎、菊池武徳、朝山伯翁、高窪喜八郎父子等にて、清元十五段出演あり、余は青海波と雁金を語れり。午前蜂須賀侯爵の旨の含みて池内信嘉氏来宅せしに就き余の事情を語りたるに、然らば余り時間を潰さぬ事にして就任承諾ありたしとの事なれば、適任者の出で来るまで其意に任すべしと回答せり。
曇寒暖計65度(=摂氏18.3度)この日、・午後2時、同気倶楽部演能会に行く。蜂須賀侯爵の班女、古市公威史の富士大鼓、三井得右衛門(注・三井高信)の望月の三番のほか、素謡、仕舞、囃子などの演奏がある予定で、わたしが着いたときには松平頼壽伯爵の葵上の素謡の最中だった。わたしはほかに用事があったので、この素謡のあとに松風の囃子を舞ったが、得右衛門氏が地頭で、玄人は山階徳次郎だけで、舞台が狭いために足取りの勝手が違い、非常に舞いにくかった。・その後すぐに大倉喜七郎氏が当
曇寒暖計72度(=摂氏22.2度)この日、・三井元之助氏から電話で、来月4日に井伊伯爵邸で開催予定の能会で、囃一番への出演をたのまれ、承諾する。・四谷新宅への引っ越し準備。・夕刻、麻布我善坊の清元倶楽部の秋季発会式に出席する。大倉喜七郎、松岡均平、その他4,5名が来会。平岡次郎が、延寿太夫の子息桂寿郎から習った隅田川を唄う。上出来で、その音楽の才能にみなで感服する。101010022730916