ブログ記事15件
前回の飛鳥坐神社の鎮座地を起点にして学んだこと|久米の子の部屋(ameblo.jp)を書いたことで、天地悠久様から、忌部山から久米御縣神社を伸ばしたライン上に当たるものについてのお問い合わせがありました。そこで調べてみると、孝元天皇劔池嶋上陵と繋っていることが分かりました。何故か、「久米御縣神社」と「孝元天皇劔池嶋上陵」が表示されていませんが、知ることが出来た経緯度を地図に複数住所を一括表示|しるしーず(tizu.cyou)に入力すると、下のようなラインが見えて
前回の大伴系の系譜『古屋家家譜』について|久米の子の部屋(ameblo.jp)から、少し日が空いてしまいました。新型コロナウィルスの感染者数が落ち着いてきたことから、しばらく会えなかった家族が帰って来たのでバタバタしていたのです。5人での会食を2時間。部屋は締め切らず、席を離し、お酒は飲まずにお土産にして。また、元気に会えることを願っています。現在も片付けと冬支度にバタバタしていますので、『古屋家家譜』について分かったことを並べてみます。『古屋家家譜』
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは先のブログで、鰐氏関係と妄想した、大麻山にある野田院古墳。藤原北家が鰐氏の金比羅に気絶し、菅原道真の怨念を恐れて勧請した石清尾八幡宮。その鎮座する山体にある石積みの石清尾山古墳群。野田院古墳、船岡山古墳も石積みと思われる。鰐と石積みについて探検です。気になることばかりで、道草食べて長くなりました🐴石清尾八幡宮と、その背後の石清尾山古墳群のある山体積石塚(つみいしづか)石を積み上げて墳丘を造っている墓。古墳時代にこの石積
最近、溝口睦子氏著『古代氏族の系譜』をお借りして、つまみ読みしています。【内容説明】によると、「近年発見された大伴系の系譜『古屋家家譜』は、古伝を正確に伝えた秀れた史料である。本書は、この『古屋家家譜』と従来の『伴氏系図』を合わせ考察することにより、古代史に重要な役割を担った大伴氏の古本系の一部を推定復元する。さらにその復元された本系から、日本の古代国家形成にかかわる興味ある問題点を取り出し、そのもつ意味を探る。」もので、溝口氏は4頁に「さて大伴氏は、説明するまでもない古代屈指の名族で
自然災害と「応天門の変」の関係についての考察(5)poch1270様に、拙ブログをご紹介頂きました。ありがとうございました。『秘策?補陀洛渡海と空海の遺志円珍(応天門の変)』イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今回は、リクエストを頂いた「補陀洛渡海」についてです。空海が、人を救う秘策だったのでは?との疑問を探検したいとと思いま…ameblo.jp私は、今まで何回か、空海と「久米」との関係について書いてきましたが、久米氏と同族である大伴氏と、空海との関係については触れてき
自然災害と「応天門の変」の関係についての考察(3)前回の駿河湾と土佐との繋がりについて|久米の子の部屋(ameblo.jp)からの続きです。船の木材といえば、舟木(船木)氏が思い出されます。造船などを職掌とした舟木氏については舟木氏と大伴(久米)との関係|久米の子の部屋(ameblo.jp)にも書いたように、伊勢船木氏の本拠地といわれる伊勢国佐那県に手力男神が祀られていたりして、大伴(久米)との強い繋がりが見られますが、造船技術を駆使して建国に貢献した
イの国探検隊ファンの皆様こんにちはまた煩悩の参拝です。丸亀市にある亀山神社小高い丘の上にあります拝殿少し歯が見えている。やや笑っている感じ。(妄想)「ししし、イの国探検隊なるぬけたやつが来た、観察するか。イの国探検隊、縮めてイ探=異端だな。」浦安の舞雨乞いかな?奉納獅子は、久米氏獅子組以前のブログで書きましたが、久米氏と言えば、徳島県に多いとのこと。久米一族については、徳島県石井町の久米勝夫氏により全国の久米
「波多門部造」から想像される久米の歴史10前回の奈良の久米川から見えてくる肥のクマ|久米の子の部屋(ameblo.jp)で、奈良の檜前(ひのくま)に触れたので、今回は檜前を本拠地とした東漢氏について見てみます。日本書紀・日本語訳「第十巻:応神天皇」|古代日本まとめ(kodainippon.com)や東漢氏-Wikipediaを読む限りでは、〝久米〟との関係は見えてきません。〝ひのくま〟が〝久米〟と本当に強い繋がりがあるならば、奈良の檜前には、何か
佐賀県筑紫山地に属する山に、天山(てんざん)があります。愛媛県松山市にある天山は、「あまやま」と呼ばれています。松山市天山2-2に座する天山神社にある説明には「八世紀前半に編集されたという地誌『伊予国風土記』逸文に、「伊与の郡。郡家より東北のかたに天山あり。天山と名づくる由は、倭に天の加具山あり。天より天降りし時に、二つに分れて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。よりて天山といふ、本なり。その御影を敬礼ひて、久米寺に奉れり」と書かれている。この記述によると、まず、「
今回は、熊本県の旧球磨郡久米郷宮原村にお住まいのひろっぷさんのブログ『ひろっぷ古代・中世・近世の繋がり先祖について』の中の、「!浙江省紹興(東冶)付近で鋳造された鎏金獣帯鏡」と題する記事にアプローチします。『!浙江省紹興(東冶)付近で鋳造された鎏金獣帯鏡』前回のブログ『2020秋最近の私と一主婦の考え』より続きます。https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12632223891.…ameblo.jpひろっぷさんは、才園古墳(熊本県球
「レイライン?」に書きましたが、『レイライン?』前回の記事のリンク先にも書かれていますが、法然は、現在の岡山県久米郡久米南町里方に生まれ、日蓮は、児玉時国に久米姓を名乗ることを勧めています。空海は、7歳か…ameblo.jp八幡神と久米との間には、どうも強い繋がりがあるようです。その繋がりを裏付けてくれるかもしれない人物に、橘良基がいます。国家第二の宗廟と崇められる京都の石清水八幡宮の本殿は、宣旨を承けた橘良基が建立しています。清貧であった橘良基の葬儀は、在
「くめ」が日本の歴史に最初に現れるのは『日本書紀』『古事記』の天孫降臨の場面の天津久米命(天槵津大来目)で、大伴氏の祖神とされる天忍日命(アメノオシヒ)と共に武装して瓊瓊杵尊(ニニギ)の先導をしています。つまり、天皇家を最初から支えていたと伝えられているのです。大伴氏と久米氏の関係を、宝賀寿男氏は古樹紀之房間というサイトにおいて、「姓氏氏族概観試論(6)大伴氏族・久米氏族概観」http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizoku
前回のブログ現代の肥人(こまびと)の独り言③から続きます。https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12330135762.html現代の肥人(こまびと)の独り言③を書いて、最後は心が穏やかな気分になっていたのですが・・・その後私の性分からか・・・穏やかな気分ではいられない「謎」や「真実」に気が付いてしまいました。その「謎」や「真実」に気が付く過程までを以下に書かせて頂きます。最近、参考にさせて頂いている伊予国一宮大山祇神社宮司家の三島敦
こんばんわ買取専門開運堂です。店長の秀ちゃんです。本日は、地方自治法施行六十周年記念千円銀貨弊プル-フ貨幣セット(B)東京都を買取りさせて頂きました。ありがとうございました。状態も良く、外箱(ダンボ-ル)もついておりました。頑張らさせて頂きました。記念貨幣も色々あります。買取りできない品もございますのでご理解いただけますと助かります。買取りできるかどうかの判断も当店、開運堂は無料です。お気軽にお持ち頂ければと思います。出張型買取りは、テレビ報道にも言