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話は、Fボス②の『お茶飲み』の続きに戻ります。話があちらこちらに飛んでしまい、読みにくくてスミマセン🙇まるで私の頭の中のようでぐちゃぐちゃですね💧前日に、私のお茶🍵だけが準備されていなかったので、次の日は、誰よりも早く介護職員室で待っていました。ですが今度は、待っても待っても、誰一人戻ってきません💧休憩ばかりしていられないので職員室を出ると、食堂からFボスの笑い声が聞こえます。まさか⁉️介護職員だけ集まり、食堂で紅茶🫖を飲んでいたんです😤「ごめんね〜、昨日の紅茶🫖が余ってたから〜」と
他の人たちには普通にできることも僕の様な特性の人たちにはできないことが山ほどあります。支援を長期間受けてきて、自分が他の人たちと違うということがわかりました。どの程度違うのかという様なことは分かりません。ただ、僕は周りの皆さんとは違うということです。特に動作が変なところがあります。よく見ていなくても分かります。僕が動かなくて何も話さなければ普通に見えます。しかし、動作がともなうコミニュケーションでは、てきめんに僕のおかしさが周りに伝わってしまいます。周
忘れないためにメモをします。それはそれで良いのです。しかし、メモしたことを見返すのを忘れてしまう僕なのです。意味がない!!はい、その通りです。メモしたことを忘れてしまう。見返すことを忘れてしまう。何を書いて良いのか迷ってしまい。書いていて強いストレスを感じてしまう。だからメモに残して見直すと言うのは僕には無理なことなのです。それに気づくまでに1年はかかりました。だからマルチタスクはとても苦手なのです。できないと言った方が良いと思いま
ミスをしてしまいました。支援している青年からの注文がありました。青年がアマゾンで注文した商品が僕の部屋に届けられました。青木が日本に帰ってきていたので、その商品を青木に渡し、青木がフィリピンに滞在している青年に渡す予定にしていました。それを僕が青木に渡し忘れたのです。青木に商品を渡す予定の日に、青木は何度も「渡すのを忘れないでください。」と僕にメールをしました。その都度確認ができていた僕です。しかし、青木が肉離れを起こしてしまい、歩行ができなくなり、成田
東大さんがエイジさんの成長を讃えるブログを書かれました。確かに成長はしているでしょう。しかしそのスピードは僕たちの変わるスピードとは比較できないものなのです。あの文章を読むとなんだか将来に対しての期待みたいなものを感じる人たちがいると思います。でも、その期待は裏切られると思います。どんなに努力をしても変わることができない部分があるのですから。何が問題なのかと僕が考えるならば、やはり他者とのコミニュケーションが取り辛いということです。例えば、エイジさん
僕はASDの特性をよく持っている人間。宇宙人扱いされたことも良くあります。それを悪く捉えるのではなく、それほど周りの人たちと違いがあると捉えると良いと思います。違いがあるんだと認識してくれたら僕たちはほっとします。地球人と同じ様な顔で同じ言語を話す。それ以上に東大を出ているんだって??「だったらいろいろなことが僕たちよりできるよね。例えば・・・・。」そう言われこともありますけれど。実際は周りの人たちと比べて全然できないのですよ。「えええええ、こ
最初に作ったカフェはゲストルームに変更しました。理由は日本料理店が思った以上に盛況なので、人手をそちらに回すためです。また、日本料理店に関しては、盛況としか報告できません。皆様に日本料理店を作ることを報告しながらその後、何も報告していませんでした。申し訳ありません。この日本料理店は、日本でひきこもったり不登校だった人たちが働く練習をする場です。日本でも就労練習の場を持っていましたが、思ったほど効果は出ませんでした。なぜなら、自分は理解ある場所で支援を受け
青木と話した。10日ぶりになります。お店に関しての情報を共有したほか、支援している人たちの様子も聞いた。ここにきてエイジさんの成長がはっきりと見えてきたことを青木は喜んでいました。自主的になってきたそうです。「今、私がやらなければならないことは何ですか?」と聞いたり。「今日の反省会をお願いします。」と自ら連絡してくる様になったそうです。また、ビザヤ語と英語を自由に使える様になりたいのでまた、オンラインチューターをお願いしますと要望してきたそうです。それ
10年間にわたって支援を受けてきました。しかし、僕はADHDの特性を持つ人たちの様な変わり方をしませんでした。彼らは、支援を受けて社会にそして学校に戻っていきました。彼らは多くの選択肢を将来に見つけられるのです。しかし、僕には限られた選択肢しかありません。その違いは大きいのかもしれません。ただ、僕はそんなふうには捉えられないのです。それでは支援を受けても意味がなかったのか?いいえ支援を受けてとても良かったと思っている僕です。僕の何が問題なのかがわかったか
フイリピンに戻り、2週間過ごしてまた3月7日日本に帰国しました。帰国時に書くことがあったので、ブログを更新しようとしましたが、ドタバタしてしまい、書くタイミングを逸してしまいました。まあ相変わらずの忙しさです。いいえ、僕ではなく青木なんですけれど。1人で全てのことをやっているわけでして。「誰か雇ったりすればいいだけなのでは?」と簡単に思われる方が多いと思います。しかし、信頼できるスタッフになかなか巡り会えないのがここフィリピンなのです。とにかく騙そうと企む人
バッチリとグラウンディングがガチガチになり上と下と体内(ランニングエナジー)と…なんともまぁエネルギーいい感じだわ🤣今、念珠ちゃんメンテナンス入魂をしているのでね。ほぼ毎日、みなさんからの念珠が届いているのだけど📮なんとゆーかなんて可愛らしいのでしょう🤣😍めちゃめちゃ久しぶりに逢う子も居たりして『うわぁ〜』久しぶりだね!って話しかけてみたりして🤭石ちゃんの状態を視ると持ち主様の状態もわかります。回りの石ちゃんの頑張りが限界な子も居たりね。天珠はそんなに簡単には
発達障害の大きな問題は、僕たちの様な他人に関心を持つことができない人たちが抱える問題ではないかと思うのです。ADHDの特性を持つ人たちが抱える問題が、昔からよくクローズアップされていましたが、今は以前ほど取り上げられなくなった気がします。どの様にすれば、ADHDの特性を持つ人たちが快適に暮らせるようになるかを支援の現場で考られています。その成果が徐々に世の中に浸透して来ているのではないかと考えます。以前は〈片づけられない人〉という言葉がよく飛び交っていまし
僕が支援を受けてきた10年間で、50人近くの同じ仲間を見てきました。その中で僕の様なタイプの人は数人でした。多くの支援仲間は学校にそして社会に戻っていきました。ヒロさん、大統領さん、テルさん、シンゴさん、ブンさんなどなど。しかし、僕やエイジさんはそうはいきませんでした。その違いは何かというと、僕はASDの孤立型なのです。エイジさんもそうです。ヒロさん、大統領、テルさん、シンゴさん、ブンさん、青木さんなどは、孤立型ではないのです。彼らは、ADHDの特
初めてのボランティア活動楽しかったです10年近くの僕への支援について、簡単にはお話ができません。あえていうならば、自分自身を知ったということです。自分への取り扱い説明書みたいなものがわかったということです。そこに至るまでに10年近くかかっています。なぜ10年間もかかってしまったのか?支援をしてくれた青木に言わせれば、経験不足だったとのこと。僕の様なタイプの支援をしたことがなかったそうです。また、東京大学を卒業しているくらいだから、時間をかけて支援をすればそこそこ
初めてのボランティア活動、とても緊張しました。僕は東京大学に現役で合格、大学院まで進んだ人間です。優秀な人間だと思っていたし、そのことで自信もありました。しかし、大学院での日々の中で周りの人たちとの関わりがうまくいきませんでした。大学院も行けなくなって、そのことから決まっていた一流企業への就職もダメになりました。僕は東京大学を卒業したのに、アルバイトにさえつけない人間になってしまったのです。それ以上に、自分以外の人間は僕より優秀な人たちだと思い込み、強い不安か
自然の美しさに心が洗われます。シャルガオ島僕は今、シャルガオ島に滞在しています。朝晩にスコールがありますが、概ね天気は良好です。本日はYouTubeの撮影ということで、ビーチに来ました。フィリピンのシャルガオ島の海の美しさに僕は感動しますが、沖縄の海の美しさを知る僕は沖縄の海に軍配を上げます。まあ、ケチをつけるわけではないですが。まだ沖縄に行ったことがなければぜひ、宮古島の海を訪れてください。さて。今一度自己紹介をします。僕は東京大学を卒
テルさんから連絡がありました。「頑張ってブログを書いてください。」という内容でした。「エイジさんのことを応援してくれている人たちがいます。その人たちに向けて書いてください。」とも言われました。だから今書いています。私は普段フィリピンのシャルガオ島に住んでいます。そこで社会復帰目指して日々練習をしています。私の目標は経済的な自立とフィリピン女性と結婚することです。先日、シャルガオ島からマニラまで食材の買い出しに行きました。以前青木さんに連れられて購入
人生を楽しめば良いんです!!自分ができることをやりたいので、続けて書きます。「希望はある。」と僕は言いたいです。それは小学校から大学卒業時までの期間、学校に通えなかった僕が、その後働くことができて、結婚を考えられる相手まで見つかったという事実から言えるのです。僕は全く家から出られなかったので、状態といえば大変な部類だったと思います。しかし、それ以上に大変な人もいるわけで。もちろん、人それぞれの大変さは違います。でも、こん
エイジさん、幸せになってくださいよ!!もうすぐ4月です。この間正月を迎えたばかりなのに。信じられないこの速さで時間は過ぎていきます。仕事は毎日午前様です。同居している彼女はフィリピン人女性で職場まで同じです。ですから自転車通勤に切り替えて彼女と行き帰りは同じです。とにかくとても忙しくて、睡眠時間もままならないので、ブログが書けないのです。青木さんには、そのことを伝えて了承してもらっています。しかし、1ヶ月誰も書いてないではないですか?「なん
要はフィリピンにはフィリピンの良さがあるということです。ただ、テルさんも苦言を呈していることですが、フィリピンで日本人相手にビジネスをされている方達のやり方に少し疑問を感じている僕でもあります。僕に関して言えば、野菜、肉、魚すべて良くないですね。水も良くないな。だから美味しいものなんて思い浮かばない。でもね、テルさんも書いていたけれど、「フィリピンは隠れグルメ天国です。」と書いたブロガー!!フィリピン料理は美味しくないから、人気がないわけですよ。
年明けから、新規の受注が入りまくっていて、とても忙しくしている僕です。みなさまお元気でしょうか?最近、東大さんが復活してきましたね。とても嬉しいですよ。内容も前向きで読んでいてホッとしています。エイジさんはエイジさんで頑張っているし。おならのことは、以前、青木さんとの話し合いで書かなくても良いと言われたのに書いたんですね。僕が思うに、こんなに状態が悪い自分がどこまで変わるのかということを皆さんにあらかじめ示しておきたかったのかな?確かに言い方が
この服装は青木が選んでくれたんです。結構気に入っています。青木が!!ですよ。フィリピンが良くて日本がよくないというわけではありません。日本を離れて、フィリピンに移り住んだ当初は、日本に関して否定的な見方をしていた僕です。特にフィリピンにいて、日本の嫌なニュースを聞いたりすると、余計に日本を否定したくなっていました。立場的に少数な人たちや弱い立場の人たちが辛い状況に置かれているというニュースには敏感に反応していました。またよく夢を見ました。日本政府が、僕のように社会
死ななくて良かった。私、フィリピンに住んでいます。フィリピンは、ご飯がまずいです。魚が特にひどくまずいです。フィリピンの肉は変な匂いがします。青木さんによれば、飼料の違いで肉が臭うらしいです。そしてとても硬いです。フィリピンの野菜は、硬いので美味しくないです。日本のキャベツが恋しいです。フィリピンのほうれん草と日本のほうれん草は全く別物です。スーパーの野菜売り場は腐った商品を平気で並べて売っています。だから、よく注意して買わないといけません。
「フィリピンの就労支援施設を見てみたい。」という問い合わせを数件頂いています。感謝なことです。しかし、申し訳ありませんが、お断りしています。また「フィリピンのシャルガオ島でボランティアとして活動に加わることはできますか?」というお問い合わせもいただきます。しかし、お断りしています。理由ですか?僕もエイジさんも30年間ひきこもっていました。Mr.Joeは20年間。テルさんは、15年近く。青木は6年近く。なんでひきこもってしまったのか?僕た
この2月からスタッフの人が専属で私の支援をしてくれています。2年前も専属で私の支援をしてくれていたのですが、どこまで1人でできるか様子を見るということで、1人で色々なことをやらされました。その結果、色々な場で私ができないことが多すぎたので、改めて専属の人がついたということです。朝起きたら、部屋の掃除。ゴミが出たらその場で、処分すること。いつもそこらへんに捨てていた私です。朝食は、ちゃんとしたものを食べること。パン1枚にコーヒーなんて良くないんですね。
皆様にお願いがあります。わたしたちは、フィリピンのシャルガオ島で小さな日本料理店を始めました。これは就労支援施設でもあります。不登校やひきこもりなどの青少年たちが、日本を離れて人の目を気にしなくても良い環境の中で、様々な活動をし、自信をつける目的の施設です。色々な備品を取り揃えましたが、結構お金がかかってしまいました。その中には、湯呑みや茶碗、取り皿などがあります。それらは陶器でできていますから壊れやすいです。プラスチックですとやはり安っぽく見えてしまいます
某有名つけ麺店にて2017年頃僕はこの団体で支援を受けてから色々な仕事を体験しました。いくつかの飲食店がこの団体を通して僕に働く機会を提供してくれたのです。しかし、うまくいきませんでした。どこのお店もとても優しく接してくれたし、働き甲斐もあったのです。しかし、他の人たちと一緒に働くことが不安で仕方がありませんでした。すでに50代になっていました。30年間の空白もあります。携帯も持っていなかった。人と話すやり方も忘れていました。とにかく最初から最
東京に住んで働いています。東京に住む理由は病気の治療の為です。働く理由は、寄り添っている青年の為です。僕が先発隊として色々な仕事を経験して、働きやすいアルバイトを見つけるのです。派遣社員で登録して、あちらこちら色々な仕事をしています。しかし、青年が出来そうな仕事は中々見つかりません。最初は週2回程度、1回は3、4時間程度ということです。そして徐々に時間を伸ばして、入る日数も増やしていくという計画です。色々と探したのですが、いまだに見つかりません。
幸せそうでなりよりです先日、PTA役員の方へのお話をしてきました。「子育て」についてのお話です。東大を卒業しても、社会に所属できない僕みたいな人間が東大にはそこそこいるんです。僕の何が問題で社会に所属できないのかを話しました。言うなれば反面教師です。勉強ができてもだめなんです。社会性が強く求められるのです。勉強がずば抜けてできていた僕です。小、中、高と勉強さえできていれば、問題はありませんでした。学校の言う通りに動いていればよかったからです。
東京で支援している青年の寄り添いでアルバイトに入る予定な僕でした。しかし、不安が強い青年には色々とアルバイトに入るにあたり条件があるのです。今、日本は労働不足です。特に首都圏は危機的状況と人材派遣会社のスタッフがよく僕たち派遣労働者に言っています。ですから、首都圏には多くの求人があるのです。外国人にすがりたいのですが、肝心の外国人も日本ではなく違う国に流れているようで、日本の国内は本当に人が足りないのです。そんな中なのですが、不安が強い青年の希