ブログ記事173件
今日は・・・・昨日からの・・・・引き続きの・・・・仕事をしていて・・・・ようやっと・・・・一応完成しました。。。。あとは・・・・もう一度見直して・・・・ゴーです。。。。でも・・・・まだまだ・・・・溜まっている仕事が・・・・あるのですよねぇ~~(あ~あ)今・・・・一所懸命に・・・・片付けています。。。。(笑)仕事が溜まっていると・・・・精神的にも・・・・苦
今日も・・・・暑かったです。。。。車で・・・・クーラーかけてますし。。。。かみさんが・・・・ミスタードーナツを・・・・買って来ました。。。。暑いときには・・・・こんなのが良いねぇ~~ドーナッツも・・・・あります。。。。(笑)今日は・・・・けっこう会議が多くて・・・・仕事になりませんでした。。。。ところで・・・・大乗起信論の・・・・
今日は・・・・朝から・・・・いろいろあって・・・・忙しかったなぁ~~バタバタと・・・・いろいろある日と・・・・ない日の・・・・差が激しいのですよね。。。。夜からは・・・・今日から始まった・・・・吉村先生の・・・・大乗起信論の・・・・見逃し配信を・・・・視聴しました。。。。テキストも・・・・用意されています。。。。これを機会に・・・・しっ
おはようございます。アメリカのノースダコタ産業大学で認知心理学を教えている、心理学者のトリです(最近では、認知症の疑いが持たれています)。「世の中を変えたい」「世界を変えたい」と言っている人がいる、というおはなしの続きです。今回は、その希望を叶えて差し上げようという趣旨である。そんな壮大な野望を、どうやったらかなえることができるのか、疑問に思われる向きもあろう。心配ご無用、それは簡単なことだ。当然のことながら、「世の中」や「世界」というものは、外部の環境である。しかし、外部
*普遍的日本論1~12*丸山真男の「~である」こと/「~をする」こと*丸山真男の「なる」「うむ」「つくる」*機械的/有機的1・2*人の利用価値/存在価値と人間の思想/自然の形式*理論段階での自然の形式から実践段階での人間の思想へ*透過的/不透過的な世界観*人の利用価値/存在価値と信長型・秀吉型・家康型*人の利用価値/存在価値と「論語」の知/仁*天皇が統治するのは、まず「国」、つぎに「民」~・~・~私はこれまで、内面/外面の両面を基軸に、思想/形式や、利用価値/存在価値
本日、同朋大学仏教学会2021年度第1回目の例会が開催されました。コロナにより5月の開催が中止・延期となりましたが、6月は何とか行うことができました。発表は大学院生2名と安藤弥教授で、題目は以下の通りです。「源信『往生要集』の研究」「帰依の課題―『大乗起信論』を読む―」「三河大浜騒動における光輪寺賢立の苦悩」
今日は・・・・午前10時30分から・・・・災害の勉強会でした。。。。豪雨災害は・・・・多いですから・・・・いい勉強になりましたよ。。。。その後・・・・大乗起信論のノートを作って・・・・勉強していました。。。。ノートを作って・・・・整理しながら・・・・理解しています。。。。で・・・・午後3時から・・・・大乗起信論の講義です。。。。相変わらず・・・・
今日は・・・・久々に午前中に何もなくて・・・・正午頃に起きました。。。。(笑)こういう日がないと・・・・身体が持ちません。。。。(笑)で・・・・午後3時から・・・・大乗起信論の講義です。。。。相変わらず・・・・分からない。。。。(笑)現代語訳そのものが・・・・分からないから・・・・困るんだよなぁ~~(笑)まあ・・・・図書館から借りた入門書を・・・・コピ
今日は・・・・晴れ予報だったのに・・・・今にも雨が降りそうな・・・・天気でした。。。。まあ・・・・今日は1日中・・・・講義なので・・・・実走予定はありませんでしたが。。。。午前10時30分から・・・・防災士のスキルアップ研修として・・・・ズームで・・・・災害とペットの講義を受けました。。。。ちゃんと国には・・・・人とペットの災害対策ガイドラインが・・・・あったのですね。。。。(良
今日の一日一読は第二章の最後までにしました。竹村先生はこの章を副題に、言語の解体と創造をあげていたので、今回は言語をいかに超えるかに関する仏教の考え方が取り上げられていました。具体的には3つ挙げられていて、大乗起信論の依言真如と離言真如、禅の不立文字、阿のような密教です。それぞれ重要な気づきをもたらしてくれるものだと思いますが、言語に縛られないということを強調するあまり、ただ言語を否定しているようにも思えます。しかし現実的に言語を否定することは困難なので、どうしても非現実的な世界に入り込むしか
今日は・・・・一本・・・・何とか書類を仕上げたので・・・・土日に仕事をしなくて・・・・すみそうです。。。。(良かった。。。。)夜から・・・・ジムに行きました。。。。今日のメニューは・・・・軽めの雑種です。。。。①クランチ。1セット30回×5セット=150回。②バックエクステンション。バーに両脚を掛けて上半身を水平まで持ちあげる筋トレ。1セット15回×4セット=60回。③負
(岩波文庫、1994年1月)。こんな基本書なのによく分からない。悲。インド文明圏の常識・インド思想と、中国文明圏の常識・中国思想は著しく異なるからその橋渡しをするのは並大抵のことではなかったはずである。何の本で読んだのか思い出せないのだが、中国は「積善の家に余慶あり」(易経)というように個人のした善は家についた。それに対してインド思想では六道輪廻が常識で個人のした善は個人について当然だった。これだけ違うのである。ここから中国仏教は頓悟があり得、インド仏教は何百回何千回の生
(つづき)以上、「大乗起信論」の全文を、取り上げてきましたが、その目次は、次に示す通りです。▲第1:序分(五言律詩+五言絶句)▲第2:正宗分《全容》■第1段:因縁分《動機》(8項)■第2段:立義分《主題》※一心(衆生心)※二門(心真如門・心生滅門)※三大(体大・相大・用大)■第3段:解釈分《解説》□第1章:顕示正義《正当な教義の明示》(一心=二門合一)●心真如門《真実の心》(一法界、大総相、法門体、不生不滅)○離言真如《説明を超越する真実》(沈黙)○依言真
(つづき)■第5段:勧修利益分・已説修行信心分、次説勧修利益分。[すでに修行信心分を説きたれば、次に勧修利益(かんじゅりやく)分を説かん。]《すでに、信心の修行の部分を説明したので、つぎに、修行の勧誘と効果の部分を説明しよう。》・如是摩訶衍諸仏秘蔵、我已総説。[かくのごとき摩訶衍(まかえん)は、諸仏の秘蔵なり、我すでに総説せり。]《このように、大乗は、大勢の仏達の大切な宝物で、私は、すでにまとめた。》・若有衆生、欲於如来甚深境界、得生正信、遠離誹謗、入大乗
(つづき)‐真如三昧・復次、精勤専心、修学此三昧者、現世当得十種利益。[また次に、精勤(しょうごん)して専心に、この三味を修学(しゅがく)せば、現世に、まさに十種の利益(りやく)を得べし。]《また、つぎに、まじめに励んで専念し、この瞑想(真如三昧)を修学すれば、この世界で、まさに10種の利益が得られる。》・云何為十、一者、常為十方諸仏菩薩之所護念。[いかんが十となす、一は、常に十方の諸仏・菩薩の護念する所となる。]《その10種類とは、1つ目が、いつも10方向(8方位
(つづき)‐「止」(禅定=心身の安定)・若修止者、住於静処、端坐正意、不依気息、不依形色、不依於空、不依地水火風、乃至、不依見聞覚知。[もし止を修(しゅ)せば、静処(じょうしょ)に住し、端坐して意を正し、気息によらず、形色(ぎょうしき)によらず、空(くう)によらず、地・水・火・風によらず、ないし、見・聞・覚・知にもよらず。]《もし、止(禅定=心身の安定)を修習するならば、静寂な場所に安住し、正座して心を正し、呼吸に頼らず、形・色に頼らず、空に頼らず、地・水・火・風に頼らず、ま
(つづき)■第4段:修行信心分・已説解釈分、次説修行信心分。[すでに解釈(げしゃく)分を説きたれば、次に修行信心(しんじん)分を説かん。]《すでに、解釈の部分を説明したので、つぎに、信心の修行の部分を説明しよう。》・是中、依未入正定聚衆生故、説修行信心。[この中に、未だ正定聚(しょうじょうじゅ)に入らざる衆生によるがゆえに、信心の修行を説く。]《この中には、まだ悟りが得られると決定した立場(正定聚)に入っていない人(生命)によるので、信心の修行を説明する。》
(つづき)○解行発心・解行発心者、当知、転勝、以是菩薩、従初正信已来、於第一阿僧祇劫将欲満故、於真如法中深解現前、所修離相。[解行(げぎょう)発心は、まさに知るべし、転(うた)た勝(まさ)り、この菩薩は、初めの正信より已来(このかた)、第一の阿僧祇劫(あそおぎこう)において、まさに満ぜんと欲するをもってのゆえに、真如の法の中において、深解(じんげ)現前して、修する所の相を離れる。]《解行発心(教義を理解・修行する発心)は、ますます上の段階になったのを、まさに知るべきだ、この菩
(つづき)□第3章:分別発趣道相・分別発趣道相者、謂一切諸仏所証之道、一切菩薩発心修行趣向義故。[道に発趣(ほっしゅ)する相を分別するは、一切の諸仏の証せし所の道に、一切の菩薩が発心・修行・趣向する義をいうがゆえなり。]《仏道に発意する様相を区別(悟りを得る道の面を理解)するのは、すべての様々な仏達が、悟りを得た道に、すべての菩薩が、発心・修行・意向する意義(義)をいうからだ。》・略説発心、有三種。[発心を略説せば、三種あり。]《発心を単純化すれば、3つある。》
(つづき)□第2章:対治邪執・対治邪執者、一切邪執、皆依我見、若離於我、則無邪執。[邪執(じゃしゅう)の対治(たいじ)は、一切の邪執が皆、我見(がけん)によれば、もし我を離れれば、すなわち邪執なし。]《邪念・執着の退治は、すべての邪念・執着が皆、偏見(我見)によるので、もし、自我を離れれば、つまり、邪念・執着はなくなる。》・是我見有二種。[この我見に、二種あり。]《この偏見(我見)は、2つある。》・云何為二、一者人我見、二者法我見。[いかんが二となす、一は人
(つづき)‐真如の用・復次、真如用者、所謂、諸仏如来本在因地、発大慈悲、修諸波羅蜜、摂化衆生、立大誓願、尽欲度脱等衆生界、亦不限劫数尽於未来。[また次に、真如の用は、いわゆる、諸仏・如来が、本因地(もといんじ)に在(あ)りて、大慈悲を発(おこ)し、諸(もろもろ)の波羅蜜(はらみつ)を修して、衆生を摂化(しょうけ)し、大誓願を立て、ことごとく等しく、衆生界を度脱(どだつ)せんと欲し、また劫数(ごうすう)を限らず、未来を尽くす。]《また、つぎに、真実の作用(真如用)は、つまり、大
(つづき)◎心生滅から心真如へ○真如の体・相・用‐真如の体・相・復次、真如自体相者、一切凡夫声聞縁覚菩薩諸仏、無有増減、非前際生、非後際滅、畢竟常恒、従本已来、自性満足一切功徳。[また次に、真如の自の体・相は、一切の凡夫・声聞・縁覚・菩薩・諸仏に、増滅あることなく、前際に生ずるにあらず、後際に滅するにあらず、畢竟(ひっきょう)して常恒(じょうごう)なり、本(もと)より已来(このかた)、自性(じしょう)は、一切の功徳を満足す。]《また、つぎに、真実自身の本体・様相(
(つづき)‐用熏習・用熏習者、即是衆生外縁之力。[用の熏習は、すなわち、これ衆生の外縁(げえん)の力なり。]《作用の働き掛け(用熏習)は、つまり、これは、人(生命)の外的原因の力だ。》・如是、外縁有無量義、略説二種。[かくのごとき外縁に、無量の義あるも、略説せば、二種なり。]《このような外的原因には、計り知れないほどの壮大な意義(義)があるが、単純化すれば、2つある。》・云何為二、一者差別縁、二者平等縁。[いかんが二となす、一は差別の縁、二は平等の縁なり。]
(つづき)◎不覚と覚の相関:法熏習・復次、有四種法熏習義故、染法浄法起不断絶。[また次に、四種の法の熏習(くんじゅう)の義あるがゆえに、染法(ぜんぽう)と浄法が起りて、断絶せず。]《また、つぎに、4つの物事の働き掛け(法熏習)の意義(義)があるので、不浄な物事(染法)と、清浄な物事(浄法)が、生起し、断絶しない。》・云何為四、一者浄法、名為真如。[いかんが四となす、一は浄法、名づけて「真如」となす。]《その4つとは、1つ目が、清浄な物事(浄法)で、名づけて「真如」(
(つづき)‐染心・染心者、有六種。[染心は、六種あり。]《煩悩に穢(けが)れた心は、6つある。》・云何為六、一者執相応染、依二乗解脱及信相応地遠離故。[いかんが六となす、一は執相応染(おうぜん)、二乗の解脱、および信相応地(おうじ)によりて、遠離(おんり)するがゆえなり。]《その6つとは、1つ目が、執着と結び付いた穢れ(執相応染)で、二乗(声聞乗/小乗出家者、縁覚乗/独学証悟者)の解脱、また、信心と結び付いた段階(信相応地)によって、遠く離れられるからだ。》・二者
(つづき)◎意と意識・復次、生滅因縁者、所謂衆生、依心意意識転故。[また次に、生滅の因縁は、いわゆる衆生が、心によりて、意と意識を転ずるがゆえなり。]《また、つぎに、生滅(流転)の内的原因・外的原因は、つまり、人(生命)が、心によって、意と意識へと転化するからだ。》・此義云何、以依阿梨耶識、説有無明、不覚而起、能見、能現、能取境界、起念相続故説為意。[この義はいかん、阿梨耶(ありや)識によりて、無明ありと説くをもって、不覚にして起り、よく見、よく現(げん)じ、よく境界
(つづき)○不覚:心生滅を、染法(不浄な物事)からみる・所言不覚義者、謂不如実知真如法一故、不覚心起、而有其念、念無自相、不離本覚。[言う所の不覚の義は、如実に真如の法の一なるを知らざるがゆえに、不覚の心起りて、しかも、その念あるも、念に自の相なければ、本覚を離れざるをいう。]《いわゆる、不覚(迷い)の意義(義)は、ありのままの真実の教義(法)が、ひとつだと知らないため、迷いの心が起こり、しかも、その(迷いの)思いがあっても、その思いに自身の様相がなければ、本覚(本からの悟り
(つづき)‐随染本覚・復次、本覚随染分別、生二種相、与彼本覚不相捨離。[また次に、本覚の随染を分別すれば、二種の相を生じ、彼(か)の本覚と相捨離(しゃり)せず。]《また、つぎに、随染(迷いの穢/けがれに汚染された)本覚を区分すれば、2つの面が生起し、これらは、本覚と互いに離れていない。》・云何為二、一者智浄相、二者不思議業相。[いかんが二となす、一は智浄相、二は不思議業相(ごっそう)なり。]《その2つとは、1つ目が、智恵による浄化の面(智浄相)で、2つ目が、不思議な
(つづき)●心生滅門・心生滅者、依如来蔵故、有生滅心。[心生滅は、如来蔵によるがゆえに、生滅の心あり。]《心生滅(心の生滅)は、如来蔵によるので、生滅(流転)の心がある。》※心生滅:如来蔵(仏性をもつ)+生滅流転する心・所謂、不生不滅与生滅和合、非一非異、名為阿梨耶識。[いわゆる、不生不滅と生滅を和合して、一にもあらず、異にもあらずを、名づけて阿梨耶識(ありやしき)となす。]《いわゆる、不生不滅(の心真如)と必生必滅(の心生滅)が結合し、同一でもなく、別異でも
(つづき)■第2段:立義分・巳説因縁分、次説立義分。[すでに因縁分を説きたれば、次に立義分を説かん。]《すでに動機の部分を説明したので、つぎは本題の部分を説明しよう。》‐「大乗」・摩訶衍者、総説有二種。[摩訶衍(まかえん)は、総説するに、二種あり。]《大乗(迷いから悟りへの大きな乗りモノ=偉大なる教義)は、まとめると、2つある。》・云何為二、一者法、二者義。[いかんが二となす、一には法、二には義なり。]《その2つとは、1つ目が物事(法)、2つ目が