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前回記事「仏典を読む(その84)薬師経6」の続きです。今回は薬師如来第10の誓願について私見を述べます。10私が未来に仏となる時、全ての衆生が、国の法律によって捕らえられ、縛られ、ムチで打たれ、牢に閉じ込められ、あるいは処刑されようとしていたり、その他にも数えきれない災難や屈辱、悲しみや苦しみに心身ともに追い詰められているとしても、私の名を聞けば、私の持つ福徳と大いなる力によって、すべての憂いや苦しみから解き放たれますように。薬師如来の誓願によると、国家による迫害や人間関
前回記事「仏典を読む(その83)薬師経5」の続きです。薬師如来の第8誓願は、仏教における女性差別が含まれており、少し取り扱い注意の内容となっています。8私が未来に仏となる時、女性が女の持つ百の悪に苦しめられ、女身を強く厭い離れたいと願うならば、私の名を聞くことで、女性は女身を転じて男身となり、立派で丈夫な体が備わり、ついには無上の悟りに至れますように。仏教が誕生した古代インド社会においては女性軽視の傾向が強く、仏教もその影響を受けており、原始経典(阿含経典)においても、「女
前回記事「仏典を読む(その82)薬師経4」の続きです。今回は薬師如来の十二大願で最も重要と思われる部分を紹介します。4私が未来に仏となる時、誤った道を歩む者をことごとく正しい仏道に歩ませ、声聞や独覚の道にとどまっている者を大乗の悟りへと導くことができますように。5私が未来に仏となる時、私の教えに基づいて修行する人々が、不足のない清浄な戒を得られ、たとえ戒を破ってしまった者でも、私の名を聞くことで再び清浄な戒を取り戻し、悪道に堕ちることがありませんように。4では部派仏
前回記事「仏典を読む(その81)薬師経3」の続きです。今回から数回にわたり、薬師如来が菩薩であった時(修行時代)に立てた12の誓願について、考察を行いたいと思います。1私が未来に仏となる時、私の身から放たれる光は限りなく全ての世界を照らし、私の身体は三十二相・八十種好を備えた完全に荘厳されたものとなりますように。2私が未来に仏となる時、私の身体は瑠璃のように内も外も透き通り完全に清らかで穢れがなく、その光は広大で優れた功徳を備え、太陽や月も透過して暗闇に苦しむ衆生を導き、助
釈迦にあったら釈迦を殺せが、大乗仏教の合言葉やろ。変態やで。韓国仏教かもしれん。台湾もかなあ?
こんにちは!徳尾貴俊(とくおたかとし)です。プロフィールはこちらchatGPT、便利ですよね。(個人的にはAIの中でNo.2ですが。)こんなことを聞いてみました。「経済的にも精神的にも豊かになるために最も大切にしなければならないことを一語で教えて!」なんて返ってきたと思いますか?その答えの核となる部分を10秒アニメを作って表現してみました。満員電車で、高齢者に席を譲る青年。その在り方に、先程の問
前回記事「仏典を読む(その80)薬師経2」の続きです。お釈迦様によると、薬師如来は菩薩であった時(修行時代)に12の誓願を立てたとされます。これらの誓願は「十二大願」として薬師経の中核とされるところ、その内容は以下のとおりです。1私が未来に仏となる時、私の身から放たれる光は限りなく全ての世界を照らし、私の身体は三十二相・八十種好を備えた完全に荘厳されたものとなりますように。2私が未来に仏となる時、私の身体は瑠璃のように内も外も透き通り完全に清らかで穢れがなく、その光は広大で
病院の待合いの合間に、うつらうつら、『仏教』雑学3分間ビジュアル図解シリーズ、末木文美士監修PHPの、第3章・大乗仏教の数ページpp.59-71を読み返していました。それぞれ、大乗仏教の形成「菩薩の理想像を追求した新しい改革運動」大乗の仏と菩薩たち「無数の仏たちと無数の菩薩たち」般若経「現存最古の大乗経典を含む一大経典群の総称」般若心経「空のエッセンスを凝縮した一番短い般若経典」維摩経「空を体得した在家の菩薩が主人公」法華経「永遠の仏が説く統一的真理」とあります。これらの内
前回記事「仏典を読む(その79)薬師経1)」の続きです。文殊菩薩が「誰か偉大な仏様がいるのであれば、そのお名前と偉業について教えてください」とお願いしたころ、お釈迦様が応じ、薬師如来について話し始めます。世尊は仰せになった。この世界から東へ数えきれないほどの仏国土を過ぎたところに浄瑠璃という世界がある。そこには薬師瑠璃光如来(以下・薬師如来)という仏がおられる。薬師如来は、如来・応正等覚・明行円満・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師仏・薄伽梵という称号を備えており
前回記事「仏典を読む(その78)薬師瑠璃光如来本願功徳経(薬師経)」の続きです。それでは薬師経の要約を進めていきたいと思います。薬師経は何種類かありますが一番有名な玄奘三蔵訳版を利用します。最初から最後まで通しで何度か読んでみましたが非常に読みやすく、分からないところはあまりありません。難解すぎる般若経の解読を経験したら他の経典を読むのが易しくなることが分かりました。苦労はするものですね。薬師瑠璃光如来本願功徳経私はこのように聞いた。ある時、世尊(お釈迦様)が諸
私にとって、仏教の始まりがバガボンドだった。まだ入り口にも達していないくせに、到達すべきものを見たような気がした。学びだしてから今日に至るまで、ずっと抱えてきた「梵天勧請」に対する違和感。。。仏教では有名なこのエピソード。上座部ではあまり語られないので、大乗特有のものと思っていた。決してそんなことはなく、パーリ仏典の『聖求経』や『相応部』にあるらしい。悟りを開いた時、梵天(ブラフマン=当時インドの最高神)が現れ、人々の為に法を説いて欲しいと懇願されるエピソード。バガボンドから
これまでの私の人生は自分の意思とは関係なく病気になっては回復することの繰り返しでしたけど、病を癒す力を持つ薬師如来を信仰すれば病気にならない、あるいは、なりにくくなるのでしょうか。神仏に祈願したら奇跡的に難病が治癒した…といった話はしばしば聞きますけど、では、祈願をしたのに回復しない人との違いはどこにあるのでしょうか。薬師如来は若くして病気で亡くなる人をなぜ救ってくれないのか、このあたりはずっと関心のあるテーマです。実のところ、現代における多くの僧侶は、薬師如来が魔法のように人々の病を
聖書と古事記⑧「古事記と聖書と仏典」富田靖子-さびしんぼう(FANMV)【序】天武天皇は、古事記編纂のために稗田阿礼に「帝皇日繼と先代舊辭(先代旧辞)」の誦習(書物などを繰り返し読んで学び、覚えること)を命じます。この「帝皇日繼」と「先代旧辞」とは何か?を以下で考えてみたいと思います。撮影神戸どうぶつ王国画像と記事は関係ありません【帝皇日繼(ていおうのひつぎ)】「帝皇日繼」と同じ数値を示すものに、「転生した釈迦(reincarnatedbuddh
悟り猫自分を悟ったという奴は相手にするなは通説であるw本当の意味で、悟り=解脱をしたのは釈尊ただ一人と聞いている。上座部仏教では阿羅漢を目指し、大乗仏教では菩薩を目指す。どちらも悟り(彼岸である山頂)は同じだと思うけれど、解釈が違ってくる。上座部では八正道。大乗では六波羅蜜を実践の指針とする。釈尊は言葉として八正道を説いたけれど、大乗では悟った者でないと八正道は無理と考える。で、六波羅蜜を実践していくその先に八正道に行きつくとしている。理解は、上座部が「釈尊が言葉にした教え」
こんにちは✨行きたくない、やりたくないのにも理由があります。目先の理由ではない理由😅何のこっちゃ?心の中の奥にしまっているそれを癒し許し、あれ?そんなことなかった。自分が悪いんじゃなかった。(心の奥の部屋の話は大乗仏教の阿頼耶識に記されているようにとってもとっても昔から大事なこととして有ったんですよね。)理由を見ることですよね。世の中には多くの価値観があって自分が見てきた人生にはなかったけどそれをポンっと軽く違う価値観を言ってくる人たちがいるんです。自分の今までになか
奈良薬師寺「空」と「唯識」語る奴は相手にするなwは、通説だけど。。。w上座部仏教も大乗仏教も同じ山頂を目指すと信じてる。なので、違う点を探すのではなく、私なりにその核心に迫っていきたい。初期仏教に近づくには、まず『阿毘達磨倶舎論』1,2ページ読むだけで、爆睡w(不眠症の方におススメの1冊)それはさておき、、以下、AIにお助け頂いた↓『倶舎論』の後半、特に「破我(自我の否定)」や「破法(実体的な存在の否定)」に関連する議論では、有部の「法(存在要素)」の実体論的な解釈に対する世
251119真宗大谷派行信寺@福岡県大牟田市大黒町「人は「出会い」によって育てられ人生は「別れ」によって深められる」いい「出会い」位、素晴らしい事はない。そして、出逢いがあれば別れは必ずやってくる。「諸行無常」「愛別離苦」という哀しみをしっかりとかみしめて。そんな哀しみだっていつかは乗り越えられるはず。桜川唯丸&スピリチュアルユニティ「別れの小径」1991年アルバムウランバンより
奈良吉野山からの眺め大乗仏教は、初期仏教の根本的な教えに依拠することが重要であると思う。釈迦牟尼を否定して仏教などあり得ない。基本をやらないと応用編には進めない。当たり前のことだ。日本仏教が大好きだし、自身も真言宗信徒であるけれど。。。日本仏教、今一度原点に立ち返るべき。人々は他力本願すぎやしない?古くからの日本の慣習、檀家制度、亡き人先祖供養が経済基盤を支えてるのは理解する。けど、始めに供養するのは自分自身じゃない?自利利他の中にあって、利他の協調しすぎ。。。先祖のDNAを
大乗仏教の六波羅蜜には仏の境地に至るための六つの修行が述べられています。その一つに持戒があります。持戒とは仏教の戒律を守り、正しい行いを実践することと言われています。一見、仏の道を歩む者だけが守る特別なものと思うかもしれません。ですが世俗世間で生きる我々にも大事な要素であります。私たち在家の人間も法律や規則などの決め事を守りながら生活しています。持戒は「戒めを持つ」と書くところから、ただ決め事を守るだけというものではありません。自ら積極的にやるべきこと、
金剛般若経の要約全文を掲載します。各部の考察についてはこちらをご覧ください。金剛般若経(金剛般若波羅蜜経)私はこのように聞いた。ある時、釈尊は、1250人の修行者たちとコーサラ国の首都に所在する園に滞在しておられた。釈尊は、食事を乞うて市中を歩き、食事を終えられた後は食器と上着を片付けられ、両足を洗って設けられた座に両足を組んで精神を集中して座られた。多くの修行者たちは、釈尊に近づいて右回りに三回回って傍に座った。修行僧の中にいた須菩提(すぼだい・スブーティ)は、釈尊に合
承前。日本だけではなく、世界中にはもっとたくさんの仏教宗派があります。仏教の開祖であるゴータマ・ブッダ自身(=釈迦、『尊称』を付けて釈尊)が活動したのは、紀元前500年前後(同じ頃、中国では孔子や老子が活動)のネパール南部(彼が生まれたのはこの地域にある街、ルンビニ)およびインド北部だけですが、彼の入滅後(死亡後)には、その弟子や信者達によって仏教はインドとネパールから世界中にもたらされました(各地域に伝来しました)。その伝来先は、インド中央部から見た東部にあたる中国や日本
皆様、おはようございます来年に向けて、「弟子を迎える」準備を進めています。これまで、そんなことを自分がするとは思ってもいませんでした。むしろ、畏れ多くて、考えることすら避けてきたほどです。けれども……野澤三十六流の総許可をいただき、もはや「そうも言っていられない」立場になりました。とうとう私も法を継ぎ、伝える側に立たねばならない時が来たのだと静かに受け止めています。畏れは今もあります。けれども法脈を絶やさず仏様と師僧からいただいたご縁を次へと
時事問題に関しては、僕のXの投稿をご覧ください。ただ一言。世の中で起きる大きなニュースには、単にその事実を知るということ以上に、その事実に現実感覚が伴うということが非常に重要だ。今、世界で麻薬取引、人身売買、臓器売買、コロナワクチンによる被害などの実態がどんどん明らかになっているが、どうもそうした事実に対する現実感覚が国民の間で追いついていないように見える。中国からのアメリカへのフェンタニルの輸出が日本を中継点としてされていたということが明らかになっているが、これがどれだけとんで
『最澄を読む』ー③ーひろさちや●まえがき✪最澄が考える大乗仏教は、われわれ凡夫が一歩一歩仏に近づいていく仏教です。ところが密教は、いきなり仏の視座に立って下を眺める仏教です。だから密教を理解するには、最澄が持っていない視座に立たねばなりません。もしも最澄が、一歩一歩高い山に登っていく、そういう方法論でもって密教を理解しようとしたなら、そのときは相当に密教を歪(ゆが)めて受け取らねばならなかったばかりか、最澄の専門であった大乗仏教までも歪(ゆが)めてしまう虞(おそれ)がありました。つまり、俗
10/1記事「仏典を読む(その74)金剛般若経18」の続きです。金剛般若経の要約もいよいよあと2回くらいで終わりそうです。どれだけ時間かけてるんだって話ですが…。釈尊が仰せになった。①須菩提よ。求道者が「法は自我というものがなく、生ずることもない」と認識したとすれば、多くの功徳を積んだことになるだろう。しかし、須菩提よ。求道者や優れた人は積んだ功徳を自分のものにしてはならないのである。須菩提が訪ねた。師よ。求道者は、積んだ功徳を自分のものにすべきではないでしょうか。
12月3日(水)19:30~、ひかりの輪東京教室(世田谷区)にて、上祐史浩の「ヨーガ瞑想講座」を開催いたします。心の安定・健康・悟りを助けるヨーガの体操・呼吸法・瞑想を解説・実習し、特に今回は「大乗仏教のマントラ瞑想(シンボル瞑想)」を特別に解説します。ヨーガ・瞑想思想の学習であって、宗教・信仰では一切なく、予備知識も不要で、一般の方でもご参加いただけます。来場参加に加えて、ご自宅等からのZoomでのご参加もできます。参加費は3000円となっております。ご機会・ご関心のある方は、お気軽に
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20251030@大牟田市光明寺(真宗木辺派)「晴れの日は葉が伸びる雨の日は根が伸びる」哀しみをかみしめてこそ、伸びやかな自分の生を生きることができる傷つくことを怖れていては、恥をかくことを怖れていては、自分だけの人生を生きることなんかできないありがたいお言葉。合掌🙏-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
『最澄を読む』ー②ーひろさちや●まえがき✪ところで、最澄と同時代に、もう一人の仏教者がいます。空海です。こちらのほうは空と海であって、茫洋としたスケールの大きさを示す名前です。わたしたちが最澄を語るとき、そこにどうしても登場してくる人物がこの空海です。空海を抜きにして最澄は語れないのです。なぜなら、最澄と空海は、畢生(ひっせい)のライバルでした。たしかに最澄は、空海との応対に神経を摩(す)り減らしています。二人の仏教観はまったく違い、いかにしてもその溝を埋めることはできません。精神