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本日、大久野七騎に《中江藤樹=隠れキリシタン》説の検討をお願いできました。お願いしました、ではなく、お願いできました。歴史教育が暗記型であることの宿命は、お願いして解決できるような次元の問題ではなく、お願いできるか否かの、微妙なタイミングがすべて…。壮観です、大久野七騎が、ともかく清水安三の《中江藤樹=隠れキリシタン》説を読んでいる姿は!熟読は、これからですが、…感動!
二松学舎が空襲で校舎を焼失、その再興の際に尽力、その功労者・那智佐伝学長の資料が集まりはじめています。東日本大震災で倒壊したままの那智佐伝のお墓の前の山林を売却、そのお金を二松学舎に入れていた…んですね。こうなると、森鴎外の『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』ばりの『那智佐伝』を執筆しなくては!となります。ここでまた、なぜ鴎外?三島由紀夫の『文章読本』ゆえです。《泉鏡花vs.森鴎外》ここでまた、なぜ泉鏡花?『新しき村の100年』を出版する前田速夫・元「新潮」編集長の愛読書が泉鏡花『
《学際》とか《脱構築》とか言ったり、聞いたりしますが、具体的には、どういうこと?借り物の言葉だから、答えはないし、空しいですよねぇ。ぼくの《アクティブ学園史》は、具体的でしょう?三島由紀夫の『金閣寺』だって、京都大学の学生も登場しているし、大谷大学なんか、舞台になってるのに、あれほどの傑作なのに、「おら知らねぇ!」の頬被り。「三島の『金閣寺』は名作だが、…」その先が言えない。おいおい、京都大学は人文科学の最高峰だう!京都大学の人文科学研究所の桑原武夫、梅棹忠夫は、代表的な人物で
届いたばかりの「新しき村」今年4月号を読んでいたら、1年前《大久野七騎プロジェクト》が始まった契機、沢木興道が出てきて、びっくり。渡辺兼次郎さんの「昔のこと、今のこと」の中で、5ページ。ノヴァーリスの詩も。沢木興道は、わが山里の和尚さんでもあり、ノヴァーリスは、ぼくはドイツ文学の出身なので、不思議な…。沢木興道は、スティーブ・ジョブズの禅の先生の先生みたいな存在。不思議な…縁を感じてしまいます。
書く暇なくなりたり。嬉しきことなれど、音信不通は好ましからず、さりとて激動を静かにエッセンスのみを記して、はたして意味ありや?たとえば、里見勝蔵宛の武者小路実篤の葉書あり。知られざる葉書のようなるが、…ふむー。秘匿するにあらず、里見勝蔵、形式の枠の外で思考して、絵を描きたる人なれども、その形式として、夏目漱石の則天去私⬆我孫子➡⬆➡南伊豆↗⬆↘新しき村新村堂せんがわ↖
大久野七騎プロジェクト、ミドルベリー大学日本校と遭遇。これもまた《ご縁の連鎖ードレッシングー》というものなるべし。ミドルベリー大学、バーモント州にあるリベラルアーツ大学なり。全米50州、世界70の国や地域の優秀な学生が集まる大学となん。世界の70の国・地域↘↘⬇↙↙↘↘↙↙全米50州↘⬇↙ミドルベリーこんなイメージなるか?その、世界の優秀な学生を惹き付ける吸引力は、リベラルアーツ、すなわち
大久野七騎新年会あり。このナポレオン、澤木興道老師の高弟・酒井得元老師より頂戴したものなり。わが山里にては、ごく近隣の人のみがその名を知りて、山里全体では、その存在を知る者すくなし。されども、全国的には著名な和尚にして、知らぬは、わが山里の人々…。中曽根元首相、二度、訪れたるは、何ゆえぞ?澤木興道老師の高弟・酒井得元あればなり。興道老師、酒井得元老師の弟子には乙川弘文ありて、…うんぬん。話は、武者小路実篤の新しき村に及びて、これから大久野七騎、毛呂山に通う日々となりそうな、…。
教育関係者、「日本には教育のグランド・プランなし!」とて嘆きたり。かつては、ありたりしか?高等教育の三段階発展説なるものありて、それをグランド・プランとなせし時代あり。われ、「この学説、結果論なれば、未来を拓くグランド・プランとなりえず!」と主張したれば、干されたり(笑)。くだらなき話なるようなれども、…日本の子どもたちの地獄への選択なりしが、…わが戦い、ふむー。わが旧著、五十万円の値がつきて、われを生き埋めにせし人々、…恩給、年金にて、仕事もせず、ぬくぬくと、…幸せなるか?孫子を地
小学校、中学校、高校、大学の同窓生と連絡がつきて、大人版《地域社会版アクティブラーニング》としての「大久野七騎プロジェクト」につきて説明を開始したり。まだ第1回なれども、4時間、意見交換できて、毎月1回の例会とはなりたり。徐々に人数を増やすにしても、そのイメージは大切なれば、素描すれば、以下の如し。わが山里より毛呂山の《新しき村》までは、車で1時間ほどなり。ここには、昭和30年代の食堂あり。あるいは、戦前よりの食堂なるか?懐かしき風情、われは大いに気に入りたり。ここに舞台ありて、The
何ゆえ《南伊豆大学》なりや?何ゆえ《我孫子大学》なりや?何ゆえ《毛呂山大学》なりや?ここまでくれば、大目的たる《知識偏重暗記型教育から思考型教育へ》のパラダイム転換が見えてくる。国語で文学史を学ぶ、これ、暗記型教育の弊害の典型なり。受験で試されるゆえ、設問:代表的な白樺派の文学者の名を挙げよ!解答:志賀直哉武者小路実篤はい、合格!これ、愚劣の極みならんか?滑稽の極みらんか?日本一有名な限界集落《新しき村》は、創立100周年を迎える…。ここにあるは、「限界集落をい
南伊豆大学が誕生して、夏目漱石の文学に再び魅力を回復できるや?鉄道自殺では話題が暗ければ、『吾輩は猫である』で話題を明るくせん。「円覚寺の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向こうから来る汽車をとめて見せると云う大気焔さ」如何?
ついに《南伊豆大学》誕生!とはなりたり。基本コンセプトは、をご覧ずべし。では、南伊豆大学の使命とはなんぞ?世界が混沌としたるとき、少子高齢化により限界集落となり、未来が閉じんとするとき、大学に問われるは、未来を開く展望を示す力にあり。すなわち、未来を開くグランド・プランを描き出す《構想力》が問われ、その要請に応えることができれば、南伊豆大学は誕生して、その社会的な使命を果たしたこととなるわけなり。構想力となれば、ジョン・ラスキン。漱石が『三四郎』にて、寺田寅彦(野々宮宗八)の問いに
今日の一橋大学の、前身の、そのまた前身、つまりは一橋大学の原点に学びし久原房之助、優秀な成績にて卒業したるに、《人生の根本原理》を知らん!と、慶應義塾に再入学。されども、一般教養にて首席、専門教育にて急降下、末席すれすれの低空飛行。何ゆえか?今日で言えば、一橋大学をすでに優秀な成績にて卒業、新入生の慶應義塾にては、礼儀として、一度は首席となり、ここにて慶應義塾の成績評価を切り捨て度外視する条件が整いたれば、「さて、教授諸君、君らの研究成果をひれきしたまえ。聴くだけは聴くが、役に立たず詰ま
久原房之助の慶應義塾での学び方は、創業者の基本のようなる…。例えば、Appleのスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニャックの伝記、自伝を読むと、ハーバード大学に学んだビル・ゲーツ、ザッカーバーグは、ビル・ゲーツザッカーバーグ⬆ジョブズ⬆ウォズニャック↖⬆↗↖シリコンバレー↗↖⬆↗↖⬆↗↖⬆↗
大久野七騎プロジェクト、昨年4月の祭りに発して、NHKTVEテレシンポジウムを《人工衛星シンポジウム》として打ち上げ、日本一の教育シンポジウムを標榜したり。何ゆえ日本一なるか?山奥大学自由学芸七科デザイン研究所、大久野七騎プロジェクトの展開にて、そのカリキュラムを明らかにしたれば、その《何ゆえ》に応えたり。検証すること、その発想と着眼点の当否はこれからの課題なれども、わが山里には高校なく、大学もなし。この事、見落とすことなきよう!都会の大学、限界集落と化した大学村を見捨て、都内回帰と
パネラー青木豊彦氏の人工衛星《まいど1号》打ち上げの手法と、二松学舎の《漱石アンドロイド》の比較において、共通して鹿鳴館的なものを察知するとき、困るのは、漱石の学習院での講演『現代日本の開化』による鹿鳴館的なものへの痛烈な批判なり。《漱石アンドロイド》誕生の仕方が、漱石によって否定、痛烈な批判の矢となり、射返えされる、という事態なり。日立製作所、ジャパンエナジーの創業者・久原房之助への眼差しが必要となるのは、《高等遊民vs.久原房之助》としないと、漱石世界から抜け出せなくなるた
久々にNHK紅白歌合戦を観たり。《漱石アンドロイド》の話をすると、マツコ・デラックスのアンドロイドに話題が移る。審査員席にタモリ&マツコ・デラックス夫婦は居るはずが、会場に着いていながら、紅白歌合戦を観ることなく立ち去る、という演出なり。空席の審査員席とは何ぞ?あそこにタモリ・アンドロイド、マツコ・デラックスアンドロイドを座らせれば、あの空席2つは、…。アンドロイドが審査員となると、いかなることになるや?会場の外に現れたるゴジラは、いかなることになるや?「そんなことを考えて、
教育は人間的な営みにあれば、アンドロイドとは異なりて、ボケとツッコミは不可欠なり。ボケとは混沌(カオス)にして、ツッコミは秩序なり。混沌は可能性にして、秩序は終焉なり。『二松学舎列伝』に戻れば、商業会議所会頭渋沢栄一の協力で成立したりし商法講習所あり。森有礼の私塾として発足、東京商業学校、今日の一橋大学となれり。ここに入学した久原房之助という者あり。商科の専門教育、語学、数学を学びて優秀な成績にて卒業したりしが、人生の根本原理を学ばんと、慶應義塾に再入学。今日なれば、一橋大学を卒業、慶
関西国際大学にとりて、なぜ一橋大学の学長たりし阿部謹也氏が《世間論》《教養論》をセットで論じなければならなかったか?その事情は知っておく価値がある。漱石の《外発的開化》《内発的開化》を日本ではなく、受験生、一橋大生とすると、親なり、教師なり、受験産業の圧力によりて一橋大学に入学が可能となりたる、…そこにコンプレックスあり。東京大学、京都大学、一橋大学の序列のコンプレックスに加えて、教育的環境による一橋大学への漂着の場合、学問へのモチベーションがない!ことも珍しくない。一橋大
大久野七騎は、二松学舎のパトロンなり。推薦入学なれば、受験偏差値に無縁なれども、世間は偏差値の色眼鏡で見るに違いなく、その先入観と、如何に戦わん。《漱石アンドロイド》の手法と人工衛星《まいど1号》打ち上げの手法、鹿鳴館、お雇い外国人教師による明治政府の遣り方を彷彿とさせるは、まことに好都合。内発的開化⬆明治⬆政府⬆外発的開化《漱石アンドロイド》は、学生にとりては明治政府となり、日本国内版《外発的
我が「二松学舎が京都大学を超える!」と言うとき、それは《二松学舎列伝》に魂が抜けている!ということでもあり、ゆめゆめ京都大学を侮るべからず。京都大学人文系学部にしてみれば、世に復活の突破口は《二松学舎列伝》の蝉の抜け殻にあり!ということでもあり、いかがせん?ここに、「二松学舎、京都大学を超える!」が成り立ち、この成り立ちの意味を理解せずば、二松学舎は蝉の抜け殻に転落するということなり。
京都大学人文系学部が文部科学省より「廃部!縮小!改組!」の通達を受けて、京都大学総長が拒否宣言、いまだ記憶に新しき騒動なり。「誤解ありたり!」とて丸く納めたるようなるが、敢えて言わん、文部科学省が正しい!我、京都大学の反論を読みたるが、それら中身なく、これが人文学者の反論なるか!と飽きれ、唖然。なんたる体たらく。「日本は人文学軽視の国!」と世界に発信。日本の人文学は衰退、絶滅を選択したかの印象を世界に振り撒きたる、はてして賢明なるか?根本において間違いあり。欠落あり。我は京都大学の
自由学芸七科デザイン研究所の《リベラルアーツ地域版カリキュラム》姿が現れたり。タコツボより出るには、ササラ型の問題を超克する必要あり。大久野七騎『列伝風ハーバード大学史』を擁すれば、話は簡単なり。ハーバードのライバル、シカゴ大学は全学生がプラトン『国家』を読むとは、いかなることぞ?ハーバード大学はホッブス『リバイアサン』。いまは、どうなるか?現代は時代の最先端なれば、ササラ型を大樹と考えれば、枝葉末節。葉っぱのざわざわ、大樹が生きていればこそ。光合成も葉にて行われ、枝葉末節は大事なり
京都大学人文学の危機、「廃部!縮小!改組!」の騒動、どうやら活路が拓かれ、未来への扉が開いたようなる、…。二松学舎の力量がいかほどのものなるか、われは知らず。されども、大久野七騎、二松学舎に子弟を送り込みたれば、保護者なり、パトロンなり。かくして、言わん、「京都大学の苦境、二松学舎が救うべし!」。京都大学の苦境、丸山真男が言いしタコツボの学問姿勢に衰滅の原因あるは、ほぼ間違いなきところなり。「タコツボより出でよ!」如何にして?『新しき村土星論』⬆
桜美林学園史上、最大の謎を解くとは、最大の価値を生み出すということなり。その価値の大きさ、日本を超えて世界のものとならん。さように大きなる価値が桜美林学園の歴史に秘められたる…。桜美林学園の創立者清水安三に続きて、清水畏三名誉学園長、『列伝風ハーバード大学史』を著し、その中に『北京大学史』を加えたり。ここに東にハーバード大学、西に北京大学を望みて、足下に日本の大学を検討する《教養の器》が形成されたれば、その巨大な海を水槽となして諸々の問題を考究すること可能となりたり。その、桜美林学園史に
NHKTVシンポジウムにて、人工衛星《教育日本一シンポジウム》は地球を回り始めたるが、次に待ち受けたるは、BS朝日「昭和偉人伝」(11月30日)なり。その偉人とは、賀川豊彦なり。いかなる人ぞ?東京は京王線上北沢駅より徒歩30秒のところに賀川豊彦記念館あれば、そこをお訪ねあれば、その全体像がわかるゆえ、あるいはBS朝日「昭和偉人伝」をご覧いただけば、その人となりは映像にても観ることとならん。此度は収録には居合わせてあらねば、「昭和偉人伝」を、わが立場より展開してみん。賀川豊彦、著名な人
教育問題とは、いかにブランド化するかによりて解決されるものなり。わが《大久野七騎くさやピザ》のブランド化は、教育問題を解決するプロジェクトでもありて、はて?《くさやピザ》ブランド化すること可能なりや。可能なり。わが山里には『列伝風ハーバード大学史』と、アメリカの名門、セブンシスターズのスミスカレッジの卒業生のお手紙、この2つの宝あり。スミスカレッジの卒業生、ごく普通にハーバード大学大学院ハーバードビジネススクールに進学、ハーバード大学院は選択肢の1つにすぎず、…。実
4大学の学生諸氏、はや気づきたるに相違なきが、あえて言わん。《実践女子大学vs.スミス大学》の比較検討の意味は、日本の受験偏差値、難易度のピラミッドの滑稽をあらわにするところにあり。実践女子大学とお茶の水女子大学、日本女子大学などと比較すること、これ、すなわち受験偏差値の効力を強め、その呪縛にみずからはまる行為なり。《実践女子大学vs.スミス大学》の比較検討は、その呪縛から離脱する行為なり。しからば、実践女子大学、なにゆえその行為に及ばず?みずからの比較検討は無意味なれ
日本の婦人参政権運動の指導者は市川房枝なり。されども、敗戦、GHQの強制力なければ、日本の女性に参政権なし!情けなきことなり。ルーシー・ストーンの恩恵、日本の女性に参政権を与えたる、めでたきことなりや?日本の大学、同じ壁に直面したるも、はて?此度の壁は国際化なるに、GHQの強制力なければ、国際化は能わず!の有り様。情けなきことなり。《実践女子大学vs.スミス大学》の比較検討は、実践女子大学が行いても意味なし。関西国際大学、大正大学、桜美林大学が行いて初めて意味生ず。何ゆえ
我が提唱したる《TheTheoryofRisingSun》の現実展開として「日の出町英語」を具体的に示したるが、はて?《日の出町英語》の核となる英語は、ワンパラグラフ、たった2つの文章のみ。これだけで充分なり。何ゆえぞ?わが山里の日の出町立図書館には、『列伝風ハーバード大学史』あり。この書にて、東はハーバード大学、西に北京大学を見やりて、足下に日本の大学を据えれば、底無し沼のごとく沈没するは当たり前。《関西国際大学vs.ハーバード大学》《大正大学vs