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日本vsオランダU-18ベースボールワールドカップ2023大リーグボール1号
このところの当ブログで、アニメ『巨人の星』の劇中では星一徹が1回しか「ちゃぶ台返し」をしていないのに、そのイメージが定着している話を書きました。とにかく夢中で観ていたので、いろんな場面が鮮明に脳に焼き付いているわけですが、『巨人の星』でこんな思い出もあります。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでカラーテレビの普及率が大きく伸びたと言われていますが、僕の家では買うことができませんでした。ずっと、白黒テレビでした。親にもねだったりしましたが、「カラーテレビは目に悪いんだってよ」という言説
大リーグボール2号を打たれた事で完全に心が折れてしまった飛雄馬川上監督にオールスター戦の出場辞退と引退を願い出るが「お前は全てかゼロしかないのか」と却下される一方ライバル花形も父親の花形モータース社長から野球を引退して後を継ぐかどうかをオールスターの飛雄馬の結果で決めるという賭けをさせられるそんな中大敗しているオールスター第一戦でついに飛雄馬は登板を命じられたここは花形モータースの本社たがTESTというプレートの車は、3代目ブルーバードっぽいやはり花形モータ
[4703]第63回「回想・達也の野球部入部」明青のベンチ。嗾(けしか)ける南。南「よぉし、行け!初先発、初勝利、初完封!狙え、ノーヒットノーラン!」佐知子「こらこら」南「大丈夫ですよ。タッちゃんはプレッシャーに強いんだから」○練習試合のグラウンド大きく外れる達也の投球。球審「ボール、フォアボール!」三つの塁が埋まっている、三工の走者。(佐知子の声)「無死満塁。大分追い込まれましたね」達也の投球、高めに逸れる。孝太郎
最近…仕事の方が、バタバタでございまして(;^ω^)………初めて、夜にアップで~すww…………実は(*'ω'*)………大した事じゃ~ないんですけど…(じゃあ~書くな?まあまあ~ww)……………先日…ノートパソコンを、購入いたしました(。・ω・)ノ゙(大人の10回払いww)…………思えば3年前(@´з`@)ノ゙…………あんだけモメて!!……「もう二度と!!このメーカーからは買わない!!ヽ(`Д´)ノ」………と
どうも。前橋育英高校時代の現・西部の高橋光名の投げた球を『大リーグボール1号』とか言ってますね。実際の大リーグボール1号というのは、打者のバッティング動作を予測し、星飛雄馬の『球質の軽さ』『コントロール』『父に教わった魔送球』を利用して、スイング途中のバットに当てて凡打にしてしまう、という実に地味な魔球でした。いわば2号「消える魔球」の前座的意味合いが強く、1号を生み出すきっかけも安易なら、習得方法も非常に「???」で意味不明でした。梶原一騎の本質が、格闘系興行系日本的なるも
ものすごく今さらですが巨人の星の大リーグボール1号は、審判からビーンボールの判定をされないのだろうか。
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正月の三が日に京都金杯の追い切り時計をチェックしようと日刊スポーツを買いました。一通り競馬欄を読んだ後に野球欄に目をやると、元阪急ダリル・スペンサー氏死去の文字がダリル・スペンサー選手が日本プロ野球で活躍したのは私が生まれた頃。リアルタイムの記憶はありませんが、アニメ「巨人の星」に出ていたのを思い出します。調べてみると1967年、来日四年目に阪急ブレーブスのパリーグ初優勝に貢献。長池選手とともに阪急のクリーンナップを打ち、1965年には三冠王野村選手と最後まで争ったスラッガーだったそう