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相国寺(しょうこくじ)は、室町幕府三代将軍の足利義満が、後小松天皇の勅命を受けて、夢窓国師(夢窓疎石)を勧請開山として、明徳三年(1392年)に創建された京都五山第二位に列せられる寺院で、萬年山相国承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)と称する。その後、応仁の乱や天明の大火による、戦乱や火災により、幾度も諸堂を失ってきたが、再建を繰り返し現在に至り、臨済宗相国寺派の大本山である。また、金閣寺、銀閣寺、真如寺は山外塔頭で、相国寺一山を構成している。*相国寺・春の特別拝観は、令和6年3
令和六年五月皐月恵林寺土曜坐禅会のお知らせです...会場は、恵林寺本堂です。坐禅時間は、25分程度の坐禅を二回。途中、小休が入ります。初めての方・坐禅にはまだまだ不慣れな方は、随時、30分~1時間程度、別室にて作法、坐禅のやり方などをお教え致しますので、余裕を持ってなるべく早めにお越しください。また、特別な準備は必要ありませんが、足を組みますので、動きやすいゆったりとした服装で御願い致します。坐禅会後、住職・古川周賢老大師からの御挨拶と短い法話がございます。
令和六年四月卯月恵林寺土曜坐禅会のお知らせです...会場は、恵林寺本堂です。坐禅時間は、25分程度の坐禅を二回。途中、小休が入ります。初めての方・坐禅にはまだまだ不慣れな方は、随時、30分~1時間程度、別室にて作法、坐禅のやり方などをお教え致しますので、余裕を持ってなるべく早めにお越しください。また、特別な準備は必要ありませんが、足を組みますので、動きやすいゆったりとした服装で御願い致します。早朝の本堂は、冷え込みが厳しい時がございます。ご参加にあたりましては、各
令和六年三月弥生恵林寺土曜坐禅会のお知らせです...会場は、恵林寺本堂です。坐禅時間は、25分程度の坐禅を二回。途中、小休が入ります。初めての方・坐禅にはまだまだ不慣れな方は、随時、30分~1時間程度、別室にて作法、坐禅のやり方などをお教え致しますので、余裕を持ってなるべく早めにお越しください。また、特別な準備は必要ありませんが、足を組みますので、動きやすいゆったりとした服装で御願い致します。早朝の本堂は、かなりの冷え込みがございます。ご参加にあたりましては、各自
令和六年二月如月恵林寺土曜坐禅会のお知らせです...会場は、恵林寺本堂です。坐禅時間は、25分程度の坐禅を二回。途中、小休が入ります。初めての方・坐禅にはまだまだ不慣れな方は、随時、30分~1時間程度、別室にて作法、坐禅のやり方などをお教え致しますので、余裕を持ってなるべく早めにお越しください。また、特別な準備は必要ありませんが、足を組みますので、動きやすいゆったりとした服装で御願い致します。早朝の本堂は、かなりの冷え込みがございます。ご参加にあたりましては、各自
先日、鎌倉の瑞泉寺に行きました。階段を登ると山門が見えてきます。この時期、山門の付近の木々がしっかり色づいていました。瑞泉寺の奥には、夢窓国師の庭園があります。過去に夢窓国師が造った山梨の恵林寺、京都の天龍寺を見たていたので、瑞泉寺も非常に期待していたのですが、少し期待したものとは異なりました。最後に、お寺から入口を見ます。非常に趣のある雰囲気でした。山門から帰り道も素敵でした。
この数ヶ月京都の風土を勉強してきましたが、そんな中で知ったのが夢窓疎石(夢窓国師)といいう鎌倉から室町時代にかけて活躍したお坊さん。すでに夢窓に関する紹介もしましたが、以下実際に夢窓が作庭したという庭園を見るべく西芳寺へ。『京都の風土:枯山水の源流、夢窓漱石の『夢中問答』』夢中問答入門禅のこころを読む(角川ソフィア文庫)Amazon(アマゾン)<概要>京都の天龍寺や西芳寺(苔寺)などの庭を作庭した禅の名僧「夢窓疎石(12…ameblo.jp▪️西芳寺の拝観方法西芳寺を
令和5年10月神無月坐禅会のお知らせです...会場は、恵林寺本堂です。坐禅時間は、25分程度の坐禅を二回。途中、小休が入ります。初めての方・坐禅にはまだまだ不慣れな方は、随時、30分~1時間程度、別室にて作法、坐禅のやり方などをお教え致しますので、余裕を持ってなるべく早めにお越しください。また、特別な準備は必要ありませんが、足を組みますので、動きやすいゆったりとした服装で御願い致します。坐禅会後、住職・古川周賢老大師からの御挨拶と短い法話がござい
前回、NHK日本庭園の感想として、銀閣寺の名称についてもっともらしい事を述べたが、その他の庭園については特筆すべきものが無いと言ってしまった。とは言うものの経験した事の無い暑さが続く京都、うじうじしながら様子を窺っているが、35℃を下回っても京都の蒸し暑さは天下一品、とてもじゃないが汗だくでカメラのファインダーを覗く気にはなれない。しかし特筆すべきものが無い中にも、世界遺産の寺院庭園は紹介する価値はやはりある。またまた、都合の良い御託を述べる天邪鬼(´艸`)。龍安寺、天龍寺
山梨日帰り散歩の最後はやはり、武田信玄公ゆかりの“恵林寺(えりんじ)”を詣でて〆たいと思います。恵林寺は甲府市から少し離れた甲州市塩山(えんざん)の地にあります。境内の入口では、“雑華世界(ざかせかい)”と書かれた扁額の掛かる黒々とした総門が迎えてくれます。“雑華世界”とは、この門の内は仏の住まう悟りの世界であり、悟りの眼をもってして見れば、仏の世界は華咲き乱れる美しい世界であることがわかる、というような意味だそうです。雑華世界に対して総門より外を“複雑世界”と呼ぶそう
毎度どうも「牧野植物園」を見学後、すぐ隣に四国霊場三十一番札所「竹林寺」があります。五台山の山の上、綺麗に苔むした境内は趣がありました。可愛らしい石像も赤い前垂れをかけた狛犬も歴史ありそう。子持ちの狛犬って珍しくないですか?竹林寺の書院では有料になりますが、夢窓国師作庭の庭が観られ、五台山の斜面を利用した借景の庭で、ゆっくりと座って瞑想にふけるのもアリ。宝物館も見学コースに入ってます。五台山の「牧野植物園」や竹林寺へは、高知駅からシャトルバ
相国寺(しょうこくじ)は、京都五山の第二位に列せられる寺院で、正式には萬年山相国承天禅寺(しょうこくじょうてんぜんじ)といい、永徳二年(1382年)に、室町幕府の第三代将軍・足利義満により創建された。寺名の「相国」とは、国をたすけ治めるという意味で中国から来た名称であるが、日本でも左大臣の位を相国と呼んでいた。足利義満は左大臣であり相国であることから、相国寺と名付けられた。夢窓国師を開山とし、仏殿、法堂が立柱され、明徳三年(1392年)には、楼門、祖師堂、庫裏、僧堂などの伽藍が完成した。相国
天龍寺夢窓国師の庭園を楽しむ。京都2023/06/03京都市民防災センター研修後、嵐山散策夢窓国師の庭園(曹源池)国の史跡・特別景勝地第1号世界文化遺産
立命館大学のそばにある等持院非常に久しぶりとなりますが以前訪れた時に美しいという記憶が鮮明なお庭がある人の少ないお寺ですこの時期皐が美しく池が囲む大変美しいデザインが夢窓国師作と言われ大好きなお庭です足利尊氏の墓があり歴代足利家の将軍像が安置された格式あるお寺入り口の松が伸びている本堂の達磨の絵も迫力があり芸術的です輝くような新緑が目にまぶしくて高台にある茶室が美しく皐でこんもりと段々が作られ相当手を入れて維持しているとおもわ
一夜明け、お疲れも残るところ本日も御用のある方が大勢いらっしゃり多忙なコーラスの皆様です………さて、続き…お腹もいっぱいになりそろそろ歩きたい衝動に駆られます*恵林寺へ武田信玄の菩提寺です風林火山『風のように素早く動いたり林のように静かに構えたり火のような激しい勢いで侵略したり山のようにどっしりと構えて動かない意』戦いにおける四つの心得は有名ですね鮮やかな朱色四脚門〈国重要文化財〉通称:赤門織田信長による焼き討ちの後、家康によって160
7inchCAMP2日目🏕️今日も快晴で良かった☀️5:30気温13℃快適ですインナーテントも付いてたけど砂利なのでコットで寝ました。砂利だとペグが入らなくて大変でした鉄製の長いペグが良いと思います何故か今日は腰が痛い朝ごはん作ります簡単にホットサンド作りました出発までのんびり巨石がゴロゴロある場所キャンプ場になる前は何があったのだろう?古そうな小屋が何棟もある。ZIZTENT★は、オムレツの様に半分折り、パタパタと折り込めば綺麗に畳めるので楽でした11:0
嵐山に来たら必ず寄る天龍寺の曹源池庭園静かに眺めると心が癒やされ満たされます夢窓疎石作庭世界遺産のお庭です修行僧は夜、大方丈から庭園を眺めるここで座禅をしたそうです観光客の多くが写真撮影後に急いで通り過ぎて行きます行き交う観光客を眺めながら自撮りしているカップルはどこの国の人かなぁとか背広姿の団体はどうゆう人達かなぁ新人研修?社員旅行?あの人が社長さんかなぁとかついついあれこれ(笑)大方丈の入口に洗面所があります寺社仏閣巡りでは有り難いです多宝殿後醍醐天皇の尊
主人と鎌倉観音霊場巡り…西御門来迎寺の次は二階堂の奥地にある瑞泉寺へ〜寺号表奥に駐車場があるので、ここまでは車で来れるみたいですこの先で拝観料払います紫のオオアラセイトウ?が一面咲き乱れていました夢窓国師古道場の碑上っていきます男坂、女坂がありまして男坂は苔むして風情があり、杉本寺では上がれませんが瑞泉寺では、実際に上がれます上がれますが、苔だらけの階段は危ないし主人がいたので、女坂にしました😅瑞泉寺の案内板山門境内案内板鐘楼堂本堂臨済宗円覚寺派寺院の瑞泉寺は錦屛
北大構内散策記事のつづきがありますが、実は4/3から2泊3日で京都へお邪魔していました。枝垂桜や染井吉野はもう散り始めていて、中にはすっかり葉桜になってしまったのもありましたが、まだまだ咲いているのもあり、桜の京都へ行きたいとずっと思っていて、長年の夢がやっと叶いました。旬の話題なのでこちらを先に載せたいと思いますが、旅行記事が数日続くかもしれません🙇♀️。4/3(月)にANAがシステム障害のため、午後の便から遅延が発生していましたが、朝の便でも10分以上遅れました。鬼滅の刃デザインの
虎渓山・永保寺の塔頭寺院を廻った後、名刹「永保寺」をめぐります。坂を下っていきます。「虎渓山永保寺」は臨済宗南禅寺派のお寺です。本殿・庫裏などは平成15年(2003)火災で焼失してしまいましたが、平成23年(2011)再建されました。幸いなことに国宝観音堂・開山堂は焼失を免れました。本堂(大方丈)の前に建つ「織部焼の燈籠」…陶器の里らしい燈籠です。庫裏は平成22年に再建されました。このお
天龍寺の禅苑金澤成保京福電車の嵐山本線・嵐山駅をでると、向かいに塔頭をしたがえた天龍寺の大伽藍がひかえている。臨済宗天龍寺派の総本山で、今回は、その庭園・建築の見学にくわえ「雲龍図」の拝観と精進料理(このブログ「天龍寺の精進料理「篩月」」)を楽しみに参拝した。天龍寺の由来この地はもともと、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、その後は、後嵯峨上皇や亀山天皇が御所を造営した。後醍醐天皇の菩提を弔うため、この地に暦応2年(1339)足利尊氏を開基とし
◇等持院から再び嵐電に乗り、帷子ノ辻で乗り換えて嵐山。天龍寺にやってきました、等持院と同じ達磨さんがお出迎え、そして天龍寺と言えば夢窓国師作庭で有名なお庭「曹源池庭園」
浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…仏教では、運というのは私たちが過去生から今にいたるまでのすべての行為、発言、思いが記録されている業という宇宙の貯金通帳によって決められているとされます。禅僧であった夢窓(むそう)国師は、運の現れ方には三種あると述べています。今なしたことの結果がすぐに現れる、過去になした行為などの結果が今現れる、今なした結果が今生でなく来世に現れるということです。今やったよいこと、悪いことの結果がすぐに現れないからといって、運
…誰を開山に迎えて建立したものか?延元4年8/16、後醍醐天皇が吉野で崩御し、対立していた京都方の足利尊氏・直義(タダヨシ)兄弟は、その情報を得て、すぐに冥福を祈る為の新寺院建設を決める。その場所は、平安期の嵯峨天皇皇后の檀林寺跡に営まれた、後嵯峨法皇の亀山殿の地であった。亀山殿は、亀屋天皇を経て後醍醐天皇に伝領されていたが、すでに荒廃していた。尊氏・直義兄弟に新寺院建設を勧めたのは、「夢窓疎石」である。疎石は足利尊氏の信任篤く
洪音楼[こうおんろう]あたりから見た開山堂南側。■開山堂礼堂1807年(文化4年)桃園天皇皇后・恭礼門院の黒御殿を下賜され移築し再建。仏堂とするために増築、一部改造され、南側に礼堂、北側に祠堂という構成。■開山堂京都府指定有形文化財。祖師堂、御影堂、影堂。夢窓国師(1275-1351)像、普明国師像、足利義満像を安置。西側にある拝観入口より入るとすぐ左にある枯山水庭園。とてもシンプルながら、その手間のかかりそうな繊細なデザインから、次の庭園へ
《宝筐院》昔の静かな嵯峨野の魅力を感じたい方におススメなのが、釈迦堂横にある「宝筐院」です。紅葉好きにとっては「嵯峨嵐山で一番、紅葉がきれい!」との呼び声高い古刹です。平安時代に白河天皇の祈願によって建立された勅願寺で、建立当初の名は善入寺といいいました。鎌倉時代までは代々皇族が住職を務める寺院でしたが、南北朝時代に南朝と北朝の争いに巻き込まれ、廃寺同然に。その後、夢窓疎石の高弟・黙庵周諭禅師(もくあんしゅうゆぜんじ)が臨済宗の寺院として復興させました。黙庵に深く帰
🍁秋の段葛(だんかずら)桜の葉が紅く染まりはらはらと舞っていました🍂真っ直ぐ行くと鎌倉八幡宮の本堂が遠くに見えてきました八幡宮を国宝館方向に斜めに横切り歩くこと15分ほどで白い鳥居の【鎌倉宮】に到着!鎌倉幕府を倒幕した後醍醐天皇の皇子護良(もりなが)親王が祀られています本堂から見た白い鳥居↓鎌倉宮からてくてく🚶通玄橋を渡って少し行くと【瑞泉寺】(ずいせんじ)到着!水戸黄門がお手植えした冬桜ちょうど咲いていました🌸夢窓国師(むそうこくし)は瑞泉寺を開山した
“宇宙(そら)”の和音♪通信/9月30日☆今日は何の日?【夢窓忌】鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師を下賜。武家である室町幕府初代将軍の足利尊氏・直義兄弟など、幅広い層から崇敬。禅僧としての業績の他、禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人であり、天竜寺庭園と西芳寺庭園が世界遺産に登録。後醍醐帝の鎮魂のために建立された天龍寺の造営にあたっては、元に天竜寺船を派
前回の続きです。室町幕府歴代将軍の菩提寺等持院へ。臨済宗天龍寺派等持院ここは夢窓国師の作った庭が素晴らしいのです。そしてその庭の中には夢窓国師の弟子でもある室町幕府初代征夷大将軍足利尊氏の墓があります。今回等持院を訪れたのはこの尊氏公の墓に詣でたかったからでした。足利尊氏を私はある理由から尊敬しています。その理由はこの本です。南北朝研究者亀田俊和さんのご著書「観応の擾乱」2017年出版され、ベストセラーにな
臨川寺京都市右京区嵯峨天龍寺造路町33臨川寺は建武2年(1335年)に、後醍醐天皇が第二皇子の世良親王の菩提を弔うために建てられました。世良親王とは護良親王の兄宮さまです。大変聡明な方で後醍醐天皇にも期待をかけられましたが若くしてお亡くなりに。乳父の北畠親房は親王に殉じて出家しました。天龍寺の管轄で普段は非公開の寺院。天龍寺開山の国師・夢窓疎石のお墓もこちらにあります。鵜飼を見学に来たため日が暮れ始めた嵐山の風景ですが、臨川寺は渡月橋のすぐ近くです川沿いの賑やかな通り