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ようこそインターネットステーション泉中央へ、このブログは、私こと源住泰(ペンネーム)個人の趣味のページです。今回も前回に引き続き4/21の宮城県多賀城市にあります多賀城跡の話題の第3回目(ラスト)、敷地内のその他と陸奥総社宮の光景にスポットをあててみたいと思います。1,多賀城神社!前回敷地内の政庁跡まで紹介しましたが、今回は政庁跡から見て西側の多賀城神社から、北東方向にあります朝廷側の人々に親しまれていた陸奥総社宮まで順に紹介してゆきたい
ようこそインターネットステーション泉中央へ、このブログは、私こと源住泰(ペンネーム)個人の趣味のページです。今回も前回に引き続き宮城県多賀城市にあります多賀城跡の話題の第2回目、政庁南大路から政庁跡の光景にスポットをあててみたいと思います。1,多賀城南門のあたりの光景!かなり前に一度訪れたことのある多賀城跡、現在のその姿はどのようなものだったのでしょうか?まずは、多賀城南門のあたりの光景を6枚の写真でご覧いただきたいと思います。
ようこそインターネットステーション泉中央へ、このブログは、私こと源住泰(ペンネーム)個人の趣味のページです。今回は、4/21に立ち寄りました宮城県多賀城市にあります多賀城跡の話題を3回にわたってスポットをあててみたいと思います。まずは今回の第1回目は、敷地内に入り最初に目にしたガイダンス施設の光景です。ここ2~3年くらいの間にだいぶ整備されてきた多賀城跡、その現在のその姿はどのようなものだったのでしょうか?まずは多賀城跡ガイダンス施設とその目の前の様子と出
私が住んでいる宮城県に多賀城(たがじょう)市という町があります。市名からわかるとおりかつて、お城がありました。「城」と言うと戦国武将のお城を思い浮かべるかもしれませんが多賀「城」はそういう城ではありません。724年、朝廷が東北(陸奥国)を治めるために陸奥国府(行政)と鎮守府(軍事)を置きました。この政治・軍事の拠点となった都市が多賀城です。奈良時代から平安時代まで東北の中心だった場所。しかも、市内には歌枕の地が多く「みちの
桜の花はなかなか上手く描けませんが、こりずに今日は「多賀城跡の桜」のイメージで描いてみました(^-^)実際にはまだ満開にはなっていません(^-^)頭の中のイメージで描いたので、実際とは違います(^-^)描きたいものに技量が追いついていないので、毎回描いてみないとどんな出来上がりになるか分かりません(^-^)ちなみに今回は、左上の枝と右の緑のぼやけた林がそれっぽく描けたような気がします(^-^)
2月4日〜2泊3日で、山形〜宮城へ旅に出かけていました。大雪の合間を狙ったかのような3日間の旅。山形は、スキー場以外見たことのないような雪景色。1日目のメインは天空のお寺・山寺宝珠山立石寺へ。雪山登山という感じで、登山靴を履いてなんとか登りました。年末年始の疲れが溜まっていたのか、出発前の気温の低下で体が冷えていたのか、娘が引いてきた風邪が移ったのかその夜38度の熱が出て、9時くらいから旅館で寝て、翌
724年頃の東北地方における行政・軍事の拠点、多賀城。奈良県の平城宮跡、福岡県の大宰府跡とともに日本三大史跡の一つに数えられ、平城京は多分行ったが、九州の大宰府に次に行くきっかけを作るためにも、寒くて気が進まないカミさんの背中を押して訪れた。【夏草や兵どもが夢の跡】奥州平泉で松尾芭蕉が詠んだ句と、平家物語の最初のくだりを思い出す。【祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。】そして松島へ、車で約30分。しかるに、着くと強い雪が、、、
宮城オルレというハイキング・トレッキングコースで、今月の16日からオープンする多賀城コースの後半を歩いてみました(^-^)我が家の近くの⑥浮島神社から⑪多賀城跡ガイダンス施設まで歩きました⑥浮島神社からスタート(^-^)目印のリボンを頼りに歩きます分かれ道にはこんな目印が竹藪を上って以前の段々畑を登っていったん下った後、杉林の中を登ります登った先が⑦作貫地区また、リボンを探しながら歩きます。右側の木の枝にリボン発見(^-^)さらに東屋にリ
2025年10月23日大宮から新幹線で福島、福島からはツアーバスで、金蛇水神社ただし金蛇水神社は、御朱印処が混んでいて、以前参拝した時の御朱印です画像は今日です次は、多賀城址(宮城県多賀城市)創建1300年を記念して再建された南門が今年4月に一般公開されました再建された南門そして、鹽竈神社(陸奥国一之宮)(宮城県塩釜市)です220段の石段夕食は、料亭・とり文でアワビセイロ御膳です泊りは、石巻のルートイン石巻中央(大浴場付きホテル)今日の金蛇水神社や多賀城跡は2019年3月1
再来月は大分県に行くことにしています。初大分✨です。目的地は長らく憧れていた長湯温泉、別府温泉と宇佐神宮。宇佐神宮は神亀2年(725年)に現在地に神殿が造立され、八幡大神が祀られてから今年で1300年になります。宇佐神宮といえばまず「宇佐八幡神託事件」が思い浮かびます。道鏡による皇位簒奪を阻止した和気清麻呂は勤王の忠臣ともてはやされて、昔はお札の肖像画になったりあちらこちらに銅像が建てられたりしたものですが、神託事件の真相は如何なるものやら。1300年🌟なんていうのにめっぽう弱いも
ママでーす今日のアーシャん顔だけ座布団に乗せてます🤣🤣🤣ほんとかわいいなー。何としても座布団って感じですね(座布団シリーズが続いていますがお付き合い下さい)でも、この後は諦めたのか別なところでぐっすり寝てましたーさて、先日の休みにこんな所に行って来ましたよ。日本三代史跡(太宰府跡、平城京跡、多賀城跡)の1つである多賀城跡に南門が復元されているんです。工法も当時を再現したようで、これだけでも公開までに2年ほどかかっている様です。この門の近くには国宝の多賀城碑が建っています。
雨があがったので東北歴史博物館まで散歩してきました(^-^)JR国府多賀城駅の北口から自由通路を通って南口に降りると、東北歴史博物館の北の入り口になります(^-^)建物の北側を通って今やっている特別展は9月15日までで、次は10月11日からのようです北側の入り口から建物には入らず(^-^)移築された古民家の前を通って建物の東側へ桜並木を抜けると博物館の南側に出ますこちらが正面の入り口建物の入り口までけっこうあります入り口に
8月15日多賀城跡に行きました(^o^)再建なった南門これが目玉です前に来たときは、無かったヨ遥かに政庁跡を望みます国宝多賀城碑芭蕉翁礼賛碑南門を反対側から見るbyXperia1Ⅵ
多賀城に来ましたタイミング良く東北歴史博物館で世界遺産縄文‼️縄文好きの私は嬉や。つくづく人類はどこに向かっているのか、と思います。自然と共に生き、丁寧に暮らし、障害のある人、怪我した人など、弱い立場の人たちも一緒に生きた跡がある縄文。今が進化しているのか、精神的に成熟したのか、大いに疑問を感じます。さて、お次は駅に戻り、反対側へ。多賀城は724年に創建され、陸奥国府と鎮守府が置かれた古代国家による東北支配の要衝。平城宮跡、大宰府跡、多賀城跡が日本三大史跡だそう
こんにちは。いつもご訪問ありがとうございます。美味しいもの、スイーツが好きな仙台在住アラフィフおひとり様。推し活はさだまさしさんです♡時々21.6/27.8℃誕生花赤いバーベナ花言葉:一致協力朝起きて先ずすることはカーテンを開けて窓を開け、室内の換気をすることですが今朝は寒かった今週はまた梅雨の逆戻りなので、お天気が不安定ですね。体調を崩されることのないよう、ご自愛されてお過ごし下さいね。『【ケヤキカフェ】お友だちとスペシャルメニューで楽しいひと時!』
まだ6月中旬なのに猛暑🥵日傘なしでは歩けない😂水分プラス塩分と糖分バッグ内に必須ボディペーパーに携帯扇風機これも急きょ忍ばせるあと日焼け止めハンカチだけでなく汗拭き用ハンドタオル😅夏は地味に持ち物が増えるのよー💦でも熱中症予防だから仕方ないと割り切らないとね😅……先日の仙台旅多賀城跡を散策してたら隣に位置するあやめ園に辿り着くちょうど良い感じに花が咲いていてラッキー色とりどりなあやめなんとも言えない独特の色
こんばんは今日もありがとうございます。宮城県の多賀城市多賀城門がライトアップされていました。多賀城跡では、あやめまつりが開催されています。夕方、今日ははれてきれいだろうなあと見に行きました。美しい色を眺めていると穏やかな気分になります。撮影はs_delion.pon氏のものを借用しました。雨上がりの晴れた夕暮れ夕日で見るあやめがとてもきれいだと個人的に思っていました。そうしたら、先日読んでいた随筆に同じようにあやめや杜若の美しさが描
6月13日(金),多賀城跡あやめ園(宮城県多賀城市市川字立石,字田屋場)に行って来ました。ハナショウブ(花菖蒲。アヤメ科アヤメ属ノハナショウブの栽培種)が見頃を迎えつつあります。「第35回多賀城跡あやめまつり」は6月14日(土)から20日(金)まで多賀城跡あやめ園で開催されます。JR東北本線・国府多賀城駅(宮城県多賀城市浮島一丁目)です。多賀城跡あやめ園です。
※2025年4月25日訪問※南門と同じく再建されたのが、南門に付随する【築地塀】です今回の復元では門の両脇約10mほどの部分が復元されています築地塀の高さは約5m程東北地方の中心として発展した国府多賀城にふさわしい、堂々たる威容を示していますね近くには【多賀城南門】と書かれた案内板が設置されており、案内板の写真には発掘調査時の築地塀跡の写真が掲載されていますので参考にされて下さいね✨令和6(2024)年に創建1300年を迎えた多賀城多賀城市の新たなシンボルとして、再建された南門と築
※2025年4月25日訪問※再建工事が進められていた《国指定史跡多賀城跡》の【外郭南門】の一般公開が始まったとの事で見学に行って来ました✨多賀城の創建から1300年に合わせて去年復元された「南門」の公開が始まり、25日記念の式典が開かれました。多賀城は、陸奥国の国府が置かれるなどかつて東北の政治や文化の中心として栄え、「南門」はその正門にあたります。高さ14メートル余り、幅33メートル余りで、去年復元され、これまで期間限定で公開されていました。大型連休を前に、25日から「南門」の
前回の続きです歯科指導の後、縫合した部分(胸からへそ下まで切開した)を縫合していたホチキスの針を半分抜き(半分は残す)、その後異常がなく退院となりました。ホチキスの針を抜く際(抜糸ではなく抜鉤というらしい)麻酔も何もなく抜いてゆくのですが痛みはありませんでした。退院手続き後、管理栄養士の先生から退院後の食事の注意点などを指導していただきました。(一番気になるのはお酒の事4月中は呑まないほうが良いとのこと)8日間の入院でしたが、主治医の先生は毎日回診「先生休まないんですか
昨日は石巻を出発すると、寄り道をしながら西に向かっていましたが、昨晩からは2泊同宿なので宿の話はまとめて後日。そして、本日はもともと七ヶ浜町からスタートする予定でしたが、前日に行ってしまったので、家族会議の結果、急きょ利府に行く事にしてみます。そして、駅から10分ほど歩いて、本日最初の目的地利府町役場町民交流館です。早速中に入ります。すると次の瞬間!色んなものがお出迎えでした。所用を済ませると、お次はバス。ちなみに、町民バスに乗ることが出来て100円で済みましたが、次の目的
すこんばんは本日は、地元でお散歩、多賀城跡です。奈良時代にあった政庁跡ですが今は殆どが跡地となっています。復元された、門を初めて間近にみました。政庁跡地は、広いエリアが跡地として残っていてこの時期はとくに新緑が美しくてお天気に誘われてきてみました。キュウリグサがきれいに咲く草原新緑の柔らかい色と春のいいにおい気持ち良い風ちょっと強い日差しターシャ・テューダーさんが輝きの季節と呼ぶ初夏の感じを思い出します。鳥が楽しそうに鳴きか
先週の25日にオープンしたばかりの「多賀城跡ガイダンス施設」に行ってきました。平屋のさほど大きくない建物です周囲に看板は無く、入り口の上に「多賀城跡ガイダンス施設」と書いてあるだけです知らない人は素通りしてしまいそうです(^-^)中に入ると、正面に「古代多賀城へようこそ」右側に「多賀城跡インフォメーション」左側に古代の服装がお出迎え(^-^)彼の視線の先には事務室があります(^-^)奥の部屋に入ると、ここにも古代人二人が見つめる先には大型スクリーンに
2025.4.25読売「為替目標日本に求めず(ベッセント)米財務長官」記事の詳細に関しては読売新聞本文をご覧ください。2025.4.25読売「3万5000円台回復(日経平均株価)」終値は170円52銭高の3万5039円15銭だった。記事の詳細に関しては読売新聞本文をご覧ください。2025.4.25読売「みずほ信託銀専門ノウハウ販売へ相続や事業承継」今年
2日間降り続いた雨があがったので、曇り空ですが散歩に出かけました。早咲きの桜が咲き始めていました(^-^)多賀城外郭南門が建つ丘の上から東の方を見ると、左側にあやめ園、中央に南門から続く築地塀跡の土手、芝生広場写真の左上の方には東北歴史博物館が見えます。一般に開放されて自由にみられるようになった外郭南門門の中から南を見ると線路と高速道路が見えます門の北側にまわって北の方を見ると政庁跡に続く大路跡、右下の方に多賀城碑この小屋ではなく、中の石碑が
皆様、こんにチキンタツタ☀️☀️☀️☀️☀️ブログネタが大渋滞を起こしておりアップが進捗してないがご容赦願いたし(原因は城🏯ブログだよね~)さてさて4月〜のスケジュールに追加あるので遅ればせながらアップしますゾ(本来なら18日にアップやってん)【月曜日】10時30分〜11時15分オリジナル・ケア⭐K西船橋になります。(New)👀16時10分〜16時55分オリジナル・ケア⭐K市川になります。20時45分〜21時30分オリジナルエアロ⭐⭐⭐K下総中山
小高い丘の上に立つ国宝・多賀城碑のところまでたどり着けば、すでに国特別史跡・多賀城跡を一望できるわけですが、ちとそのことは後回し、小出しにしてしまいましたなあ。2024年で創建1300年となった多賀城跡、建物の一部を復元したりすることを含め、史跡一体の整備事業が進んでおると見えましたが、ほぼほぼ完成間際と思われたのがこちらの外郭南門でありますよ。見た目には「完成してるんじゃね?」と思うものの、訪ねた2024年11月末には未だ周囲に巡らした囲いが取り払われておらず、これを潜り抜ける
多賀城について自由研究。発掘のきっかけ1658~72(万治・寛文)年頃:多賀城碑が土中より掘り起こされる。1677(延宝5)年:遺跡として記録に現われる(『仙台領古城書立之覚』)。江戸時代末頃に政庁跡の正殿付近が恐れ多いところとして耕作されずに残されており、住民は城内の石碑や礎石が持ち出されないように注意していた。保存運動の始まり1876(明治9)年:天皇東北視察をきっかけとして、地元の住民が524坪の畑地を献上した。それは正殿跡を含む政庁地区の約7分の1にあたる
多賀城碑から道路を渡ると、多賀城跡の南大路が続いています。横の丘には官衙主屋が復元されて、同時代の法隆寺食堂を参考にしたとのことです。南大路の石段の上には政庁跡があり、奈良時代から平安時代にかけて陸奥の鎮守府が置かれ古代の東北の拠点でした。帰りは南大路を進んで、国府多賀城駅に戻りました。https://www.thm.pref.miyagi.jp/kenkyusyo/guidance_seityou.html多賀城跡散策マップ/政庁跡-宮城県多賀城跡調査研究所政庁跡の案内www.