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腎機能の低下は人工透析→死亡というコースだと思う。今も人工透析を暮らしながら、楽しい生活をしているものもいるだろう。ただ、腎機能の低下を抑え込まないと行きつく先は死亡だ。だからこそ、腎機能の低下を抑え込むための記事が必要である。偉そうなことを言っているが私は多臓器不全の頃に大きく腎機能が低下した。項番18CRE、項番19eGFRが腎機能の指標である。CRE12.45やeGFR3.9などは相当の異常値だ。(eGFR15未満は人工透析対象だという、それが3
中日ドラゴンズの木下投手の劇症型心筋炎の論文。モデルナ1回接種後8日目で心筋炎を起こして、28日目には進行性の多臓器不全で亡くなった🙏藤田医科大学は論文書いただけで放置しているのかな?副反応疑い報告でなぜα判定にならないのか?をPMDAに問い正すべきなのでは?https://t.co/AR9zV4ynlDpic.twitter.com/PlI1OsLfEH—Stray(@K9FCR)December7,2025
障がい者作品展に支援学校からも子どもたちの作品を出品していたので見に行ってきました。会場の外ではふるさとまつり。たくさんの作品の中に息子のを発見。先生と一緒に作った作品です。家で作っていた日のことが思い出されて、先生が仕上げてくれているのでものすごくきれいにできていて他の作品とは違うのですが。でもその作品には間違いなく息子の生きた形跡が残っているのを私は知っています。お立ち台。お借りしました。ドングリが落ちていたから一緒に。
寝たきりになった息子をはじめに受け入れてくれた訪問看護ステーションにご挨拶にいってきました。昔話しから近況まで色々とお話ししました。葬儀の時に飾っていた花は参列者にお渡ししたのですがその花が2週間以上経っても長持ちしているのだそうです。毎朝、きーくんって声をかけよんのよ〜。声かけが効いているのかもしれませんね。うれしいです。朝日。
年賀状。まだ続けている我が家。今年の年末は喪中はがきを準備することになったのですが。息子のことを書くのに、よくいただく喪中はがきは何か違う。ということで息子らしい、かわいらしいものをと準備してみました。漂う蓮に乗りこれまで自由に行けなかったところを見て回っているイメージ。蓮にガクあったっけ?と後になりあれ?と思うところもありますがこれでよしとしました。調べたら喪中はがきは縦書きがよろしいんだと…なので縦の半分に仕込む感じ。本当はこの周りの蓮にもたくさんの命が乗
私の母ですが息子のかかりつけ病院で無事に胆石を取ることができました。手術前の先生からの説明でCTを見せてもらう時にこういった画像は見たことがありますか?と聞かれてはい、息子がこちらでお世話になってましたのでよく見てました。分かります、大丈夫です。と答えました。病院は違うけど、何度も見たCTの画像。エコーでも胆嚢や肝臓周りはよく見ていたから嫌でもどこがどこなのか覚えます。家族構成の話をするのに、とうしても息子の話が出てきて、逆に先生を恐縮させて申し訳ない気持ち。息
気持ちを奮い立たせまだ我が子が倒れてから日の浅いママさんからメッセージをいただきました。一昨年辺りから様々な事が必然的に起こり、今度は私が精一杯お返しをする番だったり時を経て改めて家族で絆を深める時期でもあったり。お年頃になった子どもたちに、時代背景を考えたり…特にSNSでも電波を通じても過敏に人の気持ちを受け取りやすく、なかなか記事かを書けなかった事もあります。だけど…少しずつまた再開しなきゃと輝空に背中を押されています⭐
みんなだいすきげんきでいてねたのしいとおもうことたくさんたくさんたのしんでひとをおもうことはじぶんをおもうことおはようおやすみなさいごめんなさいありがとうだいすきだよことばにするととてもあったかいなにげなくつたえたことばがときをへてじぶんにかえってきたあったかいみんなだいすきとってもとってもだいすきです
夫が地元の朝市に行ってみたいというので朝から漁港まで行ってきました。係留されている漁船に大体3羽ずつくらいアオサギ?かながとまっている。おこぼれちょーだい!でしょうか。お魚は安いけど発泡スチロールいっぱいの魚をさばいたり食べたりするのは無理。ということで見学で終わり。朝ごはんにたこ焼き。カリカリで少し酸化した油の香りがお祭り感があって懐かしい感じでした。漁港から帰る途中にそういえば…と私の母に電話。実は朝市に向かう途中母から着信が入っていました。でも土曜日だし姉も
息子のかかりつけ病院へのご挨拶。病院からレンタルしていた栄養ポンプとお菓子を持って伺いました。本当に本当にいまだに息子がいなくなったことを実感できずにいる。え!まだ!って自分でも思う。いつも通っていた病院に着いた時、もしかしたらここにいるかもしれない、って本気で心の隅っこで思いました。息子はここにレスパイト入院していて、病室で看護師さんのお世話を受けながらいつものように横になっている。と。でもいなかった。ご挨拶する前から泣いてしまった。いつも3人で来ていた場所だから
来年2/6映画『ほどなくお別れです。』が公開されますね。予告を見ただけであの日が鮮明に蘇ります。私もあの時、絶望と哀しみの中でも輝空が見えた気がしました。病院に運ばれた日も…輝空が笑いながら皆を眺めていた姿…時に次女に入り葬儀を楽しむ姿…長女に入りお通屋を抜けお友達の家にクッキーを焼きに行った姿…そして告別式。葬儀場のスタッフに誰かがのり移ったかのように化粧室に向かう私を必死に追いかけ探し回り「後追い」なさるかと心配で❗️と言いながら輝空の零れ落ちたお
息子が在籍した支援学校の学習発表会でした。低学年グループでの発表。「どうぞのいす」という絵本を元にしてみんなのがんばっていることを発表しました。息子は冒頭で最初にイスの上にキーボードを置いていくという役柄で登場。キーボードが縄跳びや、やる気スイッチ、バランスタイルなどに変わりながら最後は「パンどろぼうの」絵本に。映像で息子2年生の写真を流していただいて。享年8年きすけさんと過ごした日々を忘れませんというメッセージをいただきました。廊下に飾られた息子と先生の作品。最後
今週予定されている学習発表会。息子最後の出演の機会ですので画像での出演ですが保護者として観覧する予定です。当日は息子の工作も展示してもらえるようになり、いくつか持参することになりました。葬儀にもたくさんの先生方が参列くださりそのお礼もさせていただきました。学校に着いたら事務長さんがやってきて、学級費の返金があるとのことで手続き。もう一つ学校への死亡届。「死亡」って字のパンチ力。学年の先生方も生徒たちの見送りを終えて会いにきてくださいました。そして中等部の男の子が
じっと家にいることができないでいる私と夫。私の姉と母を連れて鳥栖のアウトレットモールまで。自宅から姉の家に向かう途中、またてんとう虫が飛んできた。今日も一緒に出かけるかい?高速にのって息子の写真を取り出す。ふと気づいたら前を走る車のナンバーが息子の誕生日。今日も一緒だね。大丈夫?今日は病院の看護師さんに会いに行ってない?木々が色づいていました。わかりにくいけど。立派な水門。帰り着く頃にはほっそい三日月。まだ泣けないんだな。夢でもいいから会いたいよ。
珍頃騒ぎの直前の時期の2019年に家内が救急車で搬送され、ICUで生死を彷徨った。診断書には、多臓器不全と書かれていたけど、原因は不明(原因が見つからなかったと医師から説明を受けた)。お陰様で完治して今は元気に過ごしている。そんな時期に枠珍の話が出て来た。普通は、かなりの月日を経て枠珍はリリースされる認識なので、流石に接種する気にならないから家族には様子見するよう伝えた。(皆聞いてくれた)仕事面は忙しい立場に無かったことも幸いして、社内での接種に関する話は、スルーさせてもらった。テレビは
朝いい天気。葬儀でお世話になったお寺さんへお礼参りに行ってきました。お寺さんは隣の町のお寺が立ち並ぶ地域の中にあります。江戸のはじめに城を守るために区画整理され現在の場所に引っ越したのだとか。息子の四十九日は来年の1月5日。自宅で行うか遺骨や位牌を持ってお寺さんで行うかまだ決めていません。お経が書いた本もいただきました。私は祖母が大変信心深く小さい頃からお経を一緒に唱えていましたが、実家とは宗派が違うのでまた一つ経験を積ませていただくことになります。午後からは夫
2022年6月1日生体肝移植2025年11月23日移植後3年5ヵ月23日義母が他界した。95歳だった。先週の土曜日一人でのんびり中国ドラマをみながら至福の時間を過ごしていた時義母と同居している夫から「おふくろがおかしいんだよ、ベッドから起き上がれないんだ」と電話がかかってきた。いきなりドラマの8頭身のイケメン俳優から5頭身夫からの電話に現実に戻されてムッとしてしまった。しかし妻であり嫁であるわたしはその役目をせねばならない。「どんな具合かラインのテレビ電話にしてお
息子の祭壇の前が寝床となった私たち。私は途中で目覚めながらも爆睡。夜中に目が覚めた夫、隣で口を開けてイビキをかく私を見て、ポカンと口を開けた息子がいるって思ったらしい。朝から夫が役所などを回ってくれて、私は家でぼんやり。すると福岡に住んでる甥っ子から連絡。彼女を連れてくるらしい。甥っ子は私の息子に対して、きっと思うところはあったと思うけど、障害だとかそんなことそこまで気にしていなかったと思う。帰ってくるとよく抱っこしてくれていた。葬儀に帰って来れなかったことを謝る甥
葬儀の朝自分の準備をしたり葬儀の打ち合わせをしていたらあまりゆっくり息子といられなかった。この日の予定は、親族と葬儀前に食事をとる「おとき」、親族写真撮影、葬儀、初七日、お別れの会、出棺、火葬。葬儀は通夜ほど人は集まらなかったけど、出棺まで残ってくれる人がほとんどでした。お別れ会で棺桶にお花やお菓子を入れる、棺桶にかけていた支援学校のみんなからのメッセージの布飾り。そして色紙を使った飾り。持って帰ってゆっくり眺めようと思っていたら先生たちがきーくんに持っていってもら
朝のケア中息子が旅立ちました。心拍が落ち始めたらあっという間。苦しまずに眠ったように。いつも通りの様子で逝きました。息子らしく日が登ってから、一通りみんなに会った後に亡くなりました。10時46分でした。執刀医だった先生が、胃瘻やドレーン挿入部、気切口など全て丁寧に綺麗に縫い合わせてくれて、息子はとっても身軽になりました。お別れもたくさんの先生や看護師さんとできました。寂しいし、まだ実感がわかなくて、でも、とても清々しい気持ちです。息子との8年間分家族だけの時間を
夜中〜明け方にかけて血圧がもう一段階下がってきました。自宅にいた頃に80台が出ることもあったので、息子の低血圧がどの程度からなのかは分からないところもあります。だけど、それでも下がったと思われる60台をきってきた。簡易ベッドは出していたけど、横になっていられず息子のベッドの横に椅子を置いて体を息子のベッドに寄り掛からせ体のどこかを触れていないと落ち着かず。夫に状況をLINEしたら、すでに起きていてお雑煮に使う水菜を茹でたり、カマボコを切ったりしてくれていた。おしっこ
病室の窓から見える高崎山。頂上に雲がかかってなんちゃって富士。みたい。息子は朝から再び痙攣が起きたらしく、薬をフラッシュで2回入れたそうな。血圧は一時下がったものの、すぐに70台に戻ってくれた。首周りやお腹の傷周りのケアをしていたら訪問リハビリの先生が面会に来てくれた。前回グレープフルーツのアロマを持って来てくれたのだけど、説明書を渡してなかったからと来てくれたらしい。グレープフルーツは色んな薬で禁忌だから、もちろん息子には使ってなかったけど、気づかいが嬉しかった。
職場の人が言ってたけども『癌で死んだら三百万円が支払われる保険を掛けていた父が癌に掛かってく死んだけども、診断書の死因は多臓器不全だったので保険金がおりなかった』と。そりゃ、だいたい多臓器不全で死ぬだろう。癌そのものでは死なんわな。と保険屋さんの悪辣さに感心させられたものだ。—イワトオ(@iwatooooo)2025年11月15日Xよりこんなの詐欺じゃん😅💦
痙攣の薬を入れてから血圧が100をこえることはなくなりました。これまでからするとむしろ低いくらいでずっと推移してます。タイミングによっては酸素が上がりにくかったりして状況的にそれが普通くらいなんだと思います。栄養は胃に入れてないのに排便が3度あったのには驚きました。出すものないのに出るのもきついな、痛いよね、便が血混じりで余計にかわいそうになります。おしっこは連日300ほど出ていましたが、さすがに勢いが衰えてきたかな。お昼過ぎには姉が面会に来ました。お土産はガンダ
無事に朝が来て嬉しい。滞在施設にいたけど夫から連絡がない、ということは変わらないということ。コンビニに寄って、コーヒーとサンドイッチ、息子のためのデザートを買って病室へ。デザートは紅茶のシュークリーム。新製品だった。看護師さんが、それ美味しいですよ!とお墨付き。紅茶のよい香りのクリーム。これなら息子も香りを感じたはず。ケアを済ませてエコーを受ける。腹水などは変わらないけど、肝臓のむくみがとれてきたっぽい。心臓はまだ元気に動いている。きーくんの強さが見える。と先生
夜は私が付き添いの日。30分ごとの血圧測定から目が離せません。家で時々聞いていたように、スマホでラジオを。0時からはジェットストリーム。これまでは体をさわったりするとその刺激で体を震わせてしまうことがあったけど、何もなくとも体を震わせることがふえてきました。朝、血圧の数字が68に、信じられないないと思って、何度か測定ボタンを押す。何度か計り直すとまた上がってきた。滞在施設からやってきた夫と、息子の首周りや、お腹の傷周りのケアを。看護師さんも来て、おしりもきれい
ある所で電話ボックスを💡発見受話器を取り聴こえてこないかな…輝空の声。ママ、ママ輝空だよっていつも誰よりも先に電話に出てくれたよね⭐️本当に天国に続く電話があったらいいのにな…
できないかもと思っていた外への散歩バギーに乗ってできました!午前中は先生たちが別の処置で忙しく午後、夕方近くのお散歩となりました。嬉しい反面、経管栄養から入れていた栄養はストップ。末梢部の点滴は外れました。必要最低限の栄養と輸液だけ。いまだに希望を捨てきれずにいた私。外しちゃうの?え?良くなるかもしれないのに?と思ってしまっていた。でも実際むくみがすごすぎて。お腹はカチカチ。おまたもむくんで埋もれてしまっている。この状態を続けろというのも酷。解放してあげたい。そ
すでに地球はティッピングポイントを踏んでいます。異常気象による猛暑は年々ひどくなっています。ヨーロッパは北海道と同じくらいの緯度なので、夏の最高気温はパリなんかではやはり25℃くらいのハズだったのに近年では40℃を超える日もあるようです。日本より異常です。我が家は、子供たちの汗腺発達など地の人間力を作るために基本的にはエアコンを使わない子育てをしてきました。なので、自分たちも「夏は網戸、冬はコタツ」で暮らしてきてそれで暮らすことにも慣れてきました。
1歳男児がHib+PCV+MR+水痘ワクチンで敗血症性ショックにより死亡している。また驚くべきことに種痘ワクチンで1歳女児が多臓器不全で死亡。インフルエンザワクチンでギラン・バレー症候群、HPVワクチンでの健康被害も毎回認定されている。この事実を接種前に説明すべきだ。…—肛門科女医みのり先生(@koumonka_doctor)2025年11月11日