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大空に浮かぶ雲が実体として実在するコトは、誰も疑わないだろう。あれは、空気中の水蒸気が冷えて液化して細かい水滴になり、あるいはさらに凍結して氷の粒になったものである。「雲は実在する。その正体は細かい水滴や氷の粒が集まったものである。」…で終了しても良いのだが、それだけでは論考に取り上げる意義がない。(笑)上述の命題を意地悪く読むと、「雲の正体は細かい水滴や氷の粒であり、雲そのものは実在しない。雲が実在するかのように感じるのは錯覚なのだ。」とか言うヒトもいるかも知れない。普段地上に暮らす
「神」という概念は、言うまでもなく、多義的である。前節では「神様は実在しない」てな話をしたが、もちろん、天皇陛下を神と崇める方々にとっては、神様は実在するであろう。しかしこのような議論には大した意義はない。人間として実在する生け神様と、アニミズムにおける自然の万物に宿る神様と、西洋哲学的な世界の起源となる神様では、それぞれ神の定義が異なる。すなわち定義の異なる対象に、同じ「神」という言葉を当てはめているだけである。ここでそれぞれの立場の神を持ち出して、実在の有無に関する議論を戦わせるの
■高校1年生レベルフランクリン・D・ルーズベルト大統領のfourfreedomsが、TheEconomist紙の最新のポッドキャストで話題になっていました。1941に行った演説の中で紹介されたものですが、1.Freedomofspeech2.Freedomofworship3.Freedomfromwant4.Freedomfromfear以上の4つからなるとされます。日本人はFreedomの意味は何かと、コ
なんてことない。「意味」の多義性のこと。「言葉の多義性とは一つの言葉に複数の意味があること。」と、僕は定義づけるけど、この定義に則って意味の多義性と書くと、滑稽にみえてきますね。つまり、「意味の多義性とは一つの意味に複数の意味があること」になっちゃいます。笑っちゃいますね。「捻りを捻って元通り」で、表題をさらに面白くしただけです。さて、本来の「意味」は「言葉の持っている本質的的な概念」としておきます。それ以外は瞬時には思いつかないのでごめんちゃい。
ひとつの言葉にも。様々な意味が包容されている。それが、言葉の使い方の難しさの一因でもあり、誤解の原因にもなる。よく使う言葉。「すみません」は、謝罪にも、感謝にも、また両者の意味をこめて使われる。本を読んでも、SNSを読んでいても、その言葉の意味の取り方に疑問がわくことは日常茶飯事。対面で会話している時は、語調に表情やら手振りや会釈などの身体表現も加わるので間違えにくくははある。元々、多義性のある言葉はたくさある。例えば「魂」。霊魂と同様の意味もあれば、「向
新聞の俳句欄へ自分の俳句を投稿した読者がその俳句について解釈を添えて投稿することがありますか?元々言葉とは多義的なもので討論番組でパネラーがテレビでした発言を見ている視聴者が、そのパネラーの思った通りの解釈をして見てくれるとは限りません俳句はそれを読んだ人間は自分の中でその俳句を自分なりに解釈して評価してしまえばその俳句を書いた人自身の解釈を普通はすることができないはずですそれがたまたま何かの機会で俳句を書いた人が自分のその俳句に関する考え方を述べたときに自分の解釈と違う
■高校1年生レベル助動詞ほど、コンテクストに応じて意味が異なるものになる度合いが激しいものもないので、助動詞はコンテクストを最も意識した考え方が求められます。しかし、残念なことながら、日本国内で出版されている英語の本は、助動詞に関しては、コンテクストを最も軽視した内容になっています。そのことが理解できる、代表的な例をいくつか紹介しましょう。(1)Shewillhaveleftheroffice.(2)Sheshouldhavevisitedth
■社会人、超難関大学の難易度レベル第11パラグラフBuildingacleanerandsaferenergysystemisanepic,riskyanddauntingtask.Butwheneverresolveflags,askyourself:wouldyouratherrelyonMrPutin’sRussia?第1文Buildingacleanerandsaferenergysystemis
■社会人、超難関大学の難易度レベル東京大学の問題文として与えられている部分はすべて紹介したことになるのですが、一通り読み終えた上で、振り返ってみると得られる理解について話をしたいと思います。入試問題で点数をもぎ取る以上の関心を持っていない方は、今回は無視してください。Oneyear,astheschoollibrarysupervisor,Iwasinanelementaryschoollibrarythathad
水は、人間が生きるために必須のものであり、ダイヤモンドよりも遥かに必要性が高い。それにも拘らず、ダイヤモンドの方が水より遥かに高価であるのは、価値論における謎であったらしい。経済学の分野では、これを説明するための理屈が色々とひねくり出されていたようだ。それはそれで話としては面白い。しかし、これはそんなに難しい問題なのだろうか?例えば、砂漠の真ん中に置き去りにされて死にかけている人であれば、一杯の水のためにポケットの中のダイヤモンドを残らず差し出すだろう。こんなものはケースバイケースで変
「コミュニケーションとしての愛」と「一方通行としての愛」この区分は、「愛」という質感が認識される、その形式が異なっている。質感の様態は形式とは異なり、その個別の対象に応じて様々であると思われる。「家族愛」と「性愛」と「動物愛」は、その対象に応じて異なる質感なのだろう。しかしその多義性は、「愛」という語の前に付く接頭辞、すなわち対象によって規定されている。こういった応用的なバリエーションは「意味」においては本質的なことだ。一方、冒頭のように、質感が認識される形式の差異に由来する多義性は、
「覚えておくがいい、〇〇子よ。忘却こそ神が人間に与えた最大の復讐なのだ。ワハハハハ!」みたいなセリフが、昔に読んだ少女マンガにあった。「悪魔(デイモス)の花嫁」かなんかだったと思う。(笑)先に「愛の反対は無関心?」について論じたのだが(結局、よく分からなかったのだが:笑)、「忘却」は「無関心」の究極とも言えるだろう。「無関心」とは、対象を認識しているものの、そこに何らの価値も与えていない状態である。気は付いているが興味がない、という感じだろうか。なかなかの冷たい態度であるとも言える。(
少し日が空いたので、ネタを忘れかけている。(-。-;ここまでは、「愛」を「肯定的な価値評価」という漠然としたニュアンスで議論してきた。これに対して、「無関心」というのは、対象を認識してはいるが、その対象に心動かされるコトがない状態、有り体に言うと「価値評価」がゼロでプラスにもマイナスにも振れない状態であると言える。「プラスの価値評価=愛」という大雑把な定義が可能であれば、「無関心」とはその「愛」が存在しない状態であるので、これは「存在の有無」という意味での対立項であると言える。もちろん
「愛」と「憎悪」は対照関係にある相貌ではなく、異なる感情であると考えられる。同じ1人の人間に対し、愛情とそこから導かれた憎悪という、相反するアンビバレンツな想いを抱いた時、その感情の対象となる人間は、多義的な存在として捉えられている。また、多義性が出てきてしまった。私は多義性という解釈を安易に用い過ぎだろうか?しかし、対象の意味を分割して多義的に捉えるというのは、人間の認識にとって本質的なことである。「違いが分かる」的な表現を聞いたことは誰にでもあるだろう。コーヒーの味の違いが分かる
「愛の反対は憎悪である」ここにおいて語られる「愛」とはどのようなことを指すのだろう?素朴な意味で語られる「愛」が、プラスの価値評価であることを疑う人はいないだろう。好きな人好きな食べ物好きな動物好きな音楽好きな本いずれもプラスの価値評価であり、こういった感情に対して人は「愛」という言葉を使う。そして、そこには「大きさ」の感覚がある。これに対して、この感情がマイナスにひっくり返った時、人はそれを「憎悪」とか「嫌悪」と呼ぶ。そこにもやはり「大きさ」の感覚がある。この
「意味」という言葉は多義的である。それを前節では一旦2つに分けた。1つ目は言葉のニュアンスとしての「意味」、すなわち、その言葉が指示する対象によって、我々が喚起され、体験する質感である。2つ目は、先の質感に伴う価値評価としての「意味」である。例えば、「リンゴ」の意味は、第一義的には「赤くて丸くて歯応えのしっかりした甘い果実」というところだろうか。これは1つ目の「言葉のニュアンスとしての意味」に該当する。さらに、世の中にはリンゴが好きな人、割と好きな人、あまり好きでない人、嫌いな人などがい
昨日は久しぶりに太陽が顔をみせてくれた。夕方散歩に出た時、夏至から大分経ったが、この時期本来ならこんなにも明るいのだと少し嬉しかった。でも、晴れると暑い。毎年、初蟬を聞く公園の森の走り根の間に蟬の穴が幾つかあった。耳を澄ましてみたが、鳴き声は無い。来週は梅雨が明けそうだ。今日も編集途中の「野火歳時記」から引く。抜け道のある筈のなき蟬の穴伊藤恭子作者は抜け道を探しているのか、蟬の穴に抜け道が無いといっているのか。何方でもいいと思う。普通に読めば後者だろう。前者の読みは深読みかもしれな
こんばんは、AYAです。今日は退勤後、娘の学童にお迎えに行き、娘のヘアカットに行きました。とっても素敵なところで、お安くてありがたい限りです。さて…最近考えていることについて、今日は書きます。昔国語の?教科書に載っていた「ルビンの壺」の絵、ご存知ですか?中心の部分が壺に見えるけれど、視点を変えると左右から人が向き合っているように見える、という有名な多義図形の絵です。ものだけでなく、出来事、人など、世の中に存在するものは、1つの意味だけでなく、異
ギアツの重んじた考え方であるが・人は自ら紡ぎ出した意味の織物の上に支えられた動物である・文化とはそのような織物であり、その分析は意味を求める解釈科学である・文化パターンは意味のある象徴の体系であるという言葉を都市組織分析において改めて噛みしめてみる。通勤、住宅、家族といった、いまでは当たり前になった考え方は、戦後のものだ。それまでは行商が盛んで、職住混在の都市と建物、非血縁を含む同居世帯が普通だった。こうした考え方の転換の背景には、市民的連帯の分断といった政治的な意図があり、用
LOUVREルーヴル美術館展L'artduportraitdanslescollectionsduLouvre肖像芸術ー人は人をどう表現してきたかTheartofportraitintheLouvrecollections国立新美術館*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ルーヴル美術館のハイライトは☆代表作110点の肖像作品の展示☆ルーヴル美術館が誇る肖画画の
(ヒメコウライシバ)言の身上。こいつ、まあた変なことを言い出したな……そう思われたかもしれませんね。いひ。(^m^)『しんじょう』と読むと、なんじゃそりゃという感じですが、『みのうえ』と読むと、ぐっと雰囲気が変わるかと。見合いや結婚に当たって、相手やその両親に提示する身上書は、最近は釣り書きと呼ばれることの方が多いかもしれませんね。自分の身分続柄が真っ当で、後ろ暗いところがないことを示すものですから、堅苦しくはありますがポジティブなものかと。でも、それを『みのうえ』と読みなす
今日友人とのグループラインでそれぞれの今年の漢字一文字を表しあった私はぱっと浮かんだのが充実の「充」家族との時間、仕事、ライフワーク、遊び全てにおいて、様々な面でとても充たされた、充たすことができた一年だった。そして話した3人それぞれが全く違う漢字だったので、とても面白く、また納得できた。自分の持つ抽象的・具体的なイメージを漢字一文字にする面白さ漢字一文字が持つ多義性うーん、漢字も面白いなー。あの人は、この人は、どんな字を思い浮かべるのだろうか??気になる人がいっぱい!来年
実際の特徴の1部分を誇張して、他の部分を簡略すること。例えば、トラとか蛇とか実際は怖かったり、気持ち悪いものが、こういった処理がなされることにより可愛く見えたりする。意見集約の場面とかで、多少の違いを吸収するために共通部分を強くアピールして方向付け出来てしまう人って凄いと思う。僕は大同小異の「小異」の部分が気になってしまい、後々、何でこんな些細なこと気にして、こんな機会を失っているんだろうって後悔したことがある。許容範囲を超えていたのなら納得だけど。器が小さかった。自分と異なるところに