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太安万侶(おおのやすまろ)今回は古事記ゆかりの人びで、太安万侶です。前回も紹介しましたが、天武天皇の命より稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に編纂に掛かりました。まずは、太安万侶墓から・・・1979年に奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見されて、中から火葬された骨や真珠・木片に貼り付けられた銅板の墓誌などが出土したそうです。これにより太安万侶は実在の人物と証明されたそうです。レンタカーで奈良市郊外の道を走ると標識が・・あいにくの雨。。。標識か
大和神社、歯定神社の続きです家に戻らないといけない時間が近づいてきたので早道を選択して家路を急いだ。が、携帯に案内してもらった道がダダ混みで自力で違う道を模索しながら走ることになった。「あ、なんかここら辺で神社あった様な氣するわ」と夫が言った。昔仕事で行ったついでにお詣りした神社あった氣がするらしい。1度は通り過ぎたもののやっぱり氣になりその神社へUターン。綺麗な梅多坐弥志理都⽐古神社(多神社)ご祭神神武天皇神⼋井⽿命(かむやいみ
屋就神命神社(やつきかみのみことじんじゃ)大和国十市郡奈良県橿原市大垣町屋就40(P無、いつも社前道路に寄せて停めています)■延喜式神名帳屋就神命神社の比定社■旧社格無格社■祭神屋就神命(ヤツキノカミノミコト)往古は多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)の境内社であったと考えられている社。その400~500mほど西方に鎮座。多神社はかつて神戸42万㎡を誇ったという広大な社、現在も一の鳥居は東方600~700m先にあります。◎式内社であるもののご祭神は出自不明、文献にも現れ
昨日、客先で4時間ミーティングそして、夕方は広いイベント会場視察と、通気性が悪い服装にパンプス👠で汗だくで歩き回り💦結果、ヒールで10000歩👣。たった約7kmでも足がこむら返しになってます〜😅💦先週の三輪山登拝の日は、約23000歩、14kmでしたが逆に爽快で全く身体に痛みもなかったことを思うと、、靴って、本当に大事だなぁ🙏と改めて思いました🙇♀️さて、三輪山をあとにし、立ち寄ったのは、卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳へ位置関係はこんな感じ全長272mの前方後円
こんにちはめちゃんこお久しぶりの更新となってしまいましたそれにしても、、、暑いですねクラクラしそうな暑さに耐え切れず、ネットフィリックス三昧の夏です(笑))「サンクチュアリ」面白かったなぁ続編あるのかなさてさて先日、「天上の虹」をやっと読了しました天上の虹全11巻セット(講談社漫画文庫)Amazon(アマゾン)第41代天皇である持統天皇を主人公としたお話なんですけど、とっても面白かったです鵜野讃
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は奈良県磯城郡田原本町多の多坐弥志理都比古神社です。御神祭は神武天皇、神八井耳命、神沼河耳命、姫御神、太安万侶。社伝によりますと、神武天皇の皇子、神八井耳命が当地を訪れて「…我、天神地祇を祀る…」と言った事が多坐弥志理都比古神社の始まりとされております。延喜式神名帳では「大和国十市郡多坐彌志理都比古神社二座」と記され、名神大社に列せられております。古くは春日宮と称しており、現在の社領地は約1万㎡余を有しておりますが、大和志料によると天文2
4月16日、寮美千子氏主宰の「勾玉天龍座」による第10回奉納朗読劇「呪いの銅鏡イワレビコとナガスネヒコ」が、田原本町の多神社の春の例大祭「おおれんぞ」で奉納上演されました。ここ数年はほぼ毎年観に行ってまして、今回は、自分が古代史上最も支持する人物の1人であるナガスネヒコが取り上げられるとのことで、ぜひとも観たいと思っていました。※緑の文は脚本とは違う私的な考えです。寮美千子HARMONIA作家、寮美千子(りょうみちこ)の公式ホームページ。仕事紹介、講演会ほか催しの案内など。r
4月16日(日)、寮美千子さん主宰「勾玉天龍座」による多神社の春の例大祭「おおれんぞ」での奉納朗読劇。ほぼ毎年見に行っています。今回の主役はナガスネヒコ。古代史上で自分が最も支持する人物の1人です。ナガスネヒコと初代帝神武のやりとりが、被征服者側の視点で描かれます。勾玉天龍座2023朗読劇古事記REMIX「呪いの銅鏡イワレビコとナガスネヒコ」@多神社田原本の多神社の春の例大祭「おおれんぞ」にて、勾玉天龍座が朗読劇を奉納上演します。申込不要。どなたでもごらんになれます。...www.
☆太安万侶墓伝承地(田原本町多)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町多古事記編纂に携わったとして知られる太安万侶。その伝承墓が田原本町「多」にあります。5m程度の小円墳。田の中にあり、耕作者が代々大切に守ってきたようです。ところが奈良市此瀬町より、銅製墓誌、遺骨とともに太安万侶墓が発見され、そちらが確実なものとなりました。太安万侶は多氏の末裔で、壬申の乱で活躍した多品治(オホノホムジ)の子。多氏の総氏神は多坐弥志理都比古神社(多神社)であり、かつての神域内に太安万侶を祀るという小杜
左/熊野本宮大社の大斎原右/天空の里「果無集落」(熊野参詣道小辺路)*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものも)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)3/2【ご来賓の方と】☆天空の里「果無集落」熊野本宮大社・産田社・大斎原*3/4【忌部氏ブーム到来か!?】石園坐多久豆玉神社今里神社◎天太玉命神社祈年祭参列3/8【暖かくなり腰痛緩和?】天高市神社多坐弥志理都比古神社・屋就神命神社・姫皇子命神社・小社神社・
橿原で所用。多神社近くを通り、ここから三輪山が良く見えたな~と思ったもので。拝殿のそばから。多神社は、三輪山頂からほぼ真西に位置します。
天満神社(橿原市太田市町)大和国十市郡奈良県橿原市太田市町225(社前向かいに停めて差し支えないかと思います)■延喜式神名帳目原坐高御魂神社二座並大月次新嘗の比定社■旧社格村社■祭神菅原道真高御魂神神産日神所在不明になっていた式内大社目原坐高御魂神社の比定社。すぐ近くを流れる「目原川」(「大和川」支流の「寺川」のそのまた支流)があること、社前に「真目丘」」という小丘があったという伝承が残っていることなどから。式内社の目原坐高御魂神社に関しては、「日神と月神、対
多神社に行った、地元では大きな規模だ。太安万侶の出身地でもある多地区にある。YouTubehttps://youtu.be/xpOxBBld4bo多神社祭神は、神武天皇、神武天皇の息子2人、神武天皇皇后何故、神武天皇なのだろうか、首を傾げた。大きな鳥居の向こうに拝殿があった。広い境内だ印象的だった。拝殿の北側には、社があった。古代の祭祀は、社を巡回する形だった。太安万侶を祀る小社神社がある。1979年1月の発見された墓誌が資料館にあった
重ね煮と発酵食で命を支える。奈良の「発酵ばあちゃん」、竹村享子(きょうこ)です。田原本町の発酵と寺社巡りの続きです。前回は町中の嶋田味噌さんと、田原本町の今の町並みを形成した平野家の菩提寺を見学。車で10分ほど東に向い、壬申の乱で大海人皇子軍を勝利に導いた古代伝承が息づく村屋神社を回って、すぐ近くのマルト醤油さんへ。詳しくはこちら→新春田原本発酵と寺社巡り|野菜の力を活かす陰陽調和の重ね煮料理と、発酵食で健康家族(ameblo.jp)マルト醤油さんでの、目にも口
(大和国山邊郡大和神社)◆椎根津彦命(倭宿禰)考~1この記事はこれまで当ブログ内で行ってきた一般的な神名紹介記事とは異なり、個人的思量を綴る記事とします。一般的な「椎根津彦」の紹介記事は→こちらの記事にて日頃より、あまりに根拠薄弱な論文や研究書等をこき下ろしていますが…例えば…関裕二氏など…。(最近は多少勉強もなされているようですが)自身のこととなるとまた別問題で、世間にはまったく影響力の無い…1記事につき100件程度の閲覧に終わるようにしているし…これでお金儲けをし
■大神神社に来たからには、寄らなければいけない場所があります。菊田信子さんで有名な、三輪坐恵比須神社です!主祭神はいわずとしれた八重事代主命。えべっさんといえば商売繁盛で有名ですが、こちらは日本最初市場を名乗る最強の商売の神様でしょう。せっかく三輪まで来たら、ぜひ足を運びたい場所の一つです。さて、続いてやってきたのは。多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)。通称多神社です。ここ周辺が、日本最古の皇別氏族とされる「多」「太」「大」「意富」「飯富
近鉄B橿原線田原本駅(B36)←笠縫駅(B37)→新ノ口駅(B38)2021年12月19日(日)に訪問した、近鉄B橿原線笠縫駅の画像をUPします。相対式ホーム2面2線の地上駅です。多神社の最寄り駅です。2番ホーム側の出入口です。1番ホーム側の出入口です。2番ホーム側の改札口です。1番ホーム側の改札口です。笠縫駅の1番のりばの駅名標です。駅ナンバーは、「B37」です。笠縫駅の2番のりばの駅名標です。笠縫駅の1番のりばの鳥居型駅名標です。以上です。近鉄B橿原線田原
2021年11月16日この日は………『田原本古代ツアー⑤〜小社神社〜』さてさて…………【多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)】の前の道路を挟んで南側に神社があるきっかけは、この石碑からだ太安萬侶の記念碑がある確…ameblo.jp先月10月30日に、Sさんたちとの『田原本古代ツアー』で、初参拝した【小社神社(こもりじんじゃ)】際に知った、『太安萬侶の墓』を調査する事とした………はい「墓マイラ―」ココロの参上ですこちらは、太安萬侶を祀る【小社神社】その南には、立派
さてさて…………【多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)】の前の道路を挟んで南側に神社があるきっかけは、この石碑からだ太安萬侶の記念碑がある確かに、この位置から赤い鳥居がかすかに見えるぞっ【太安萬侶(おおのやすまろ)】【小社神社(こもりじんじゃ)】奈良県磯城郡田原本町多木ノ下272【多坐弥志理都比古神社】の境外摂社のひとつであるという【多坐弥志理都比古神社】本殿から、およそ200m南に、【子社神社】が見えてきた創建の詳細は不詳だという【子社神社】の読みは「ヲ
さてさて…………【唐古・鍵遺跡】を出発して、我々が次なる目的地に到着した………『柳生の里ツア⑪ー〜賣田神社〜』さてさて、【元石清水八幡宮】を後にした我々が次に到着したのは………【賣田神社(めたじんじゃ)】奈良県大和郡山市稗田町319番地ココロは、もう何度も参拝させてい…ameblo.jp以前、Sさんとも参拝したこともある【賣田神社(めたじんじゃ)】は、『古事記』編纂に関わった稗田阿礼を祀る神社だ【太安萬侶(おおのやすまろ)】記憶力に優れていた稗田阿礼。そして、それを基に和銅5年(71
多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)多神社(おおじんじゃ)と呼ばれているそうです御祭神神倭磐余彦尊(神武天皇)神八井耳命(神武天皇皇子)神沼河耳命(綏靖天皇)姫御神(玉依姫命)太安万侶元伊勢めぐり、笠縫邑で参拝しましたが神社には、特に案内板等はありませんでた。にほんブログ村
2021年10月奈良葛城界隈ぶらり旅、葛城一言主神社に続いて多坐弥志理都比古神社(多神社)に行ってきました御祭神は神武天皇、神八井耳命、神淳名川耳命(綏靖天皇)、姫御神。神八井耳命は多氏の祖とされ、神武天皇の長男ですが、弟の神淳名川耳命に皇位を譲って身を引いたのだそうです。多氏と言えば、古事記を編纂した太安万侶。と言うことで、近くに太安万侶の碑もありました。竃神社八幡神社住吉神社、春日神社、石上神社熊野神社、不明不明小社神社、御祭神は太安万侶。太安万侶碑皇子神命神社、御祭
小杜神社(こもりじんじゃ)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字多字木ノ下272(Pあるが入口不明、多神社に停めて付近散策がオススメ)■延喜式神名帳小社神命神社■旧社格村社■祭神太朝臣安萬呂多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)の社前道路を挟んで向かいに鎮座、往古は多神社の境内の中だったと考えられています。◎「古事記1300年記念事業」で社殿も美しく建て替えられ、付近もきれいに整備されました。殺風景な感じもしますが、大和の古社のこと、いずれ荒れ果ててしまうのでしょうか。◎
姫皇子命神社(ひめみこのみことじんじゃ)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字多字里ノ東459(P無、多神社に停めて付近散策がオススメ)■延喜式神名帳姫皇子命神社の比定社■旧社格村社■祭神姫皇子命多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)から東へおよそ200mほど、田の畦道を進んだ先に鎮座する社。多神社の境内(かつての)摂社。◎多神社の南にある皇子神命神社とは、社名を鑑みて対になっているとされています。若宮社とも呼ばれ、多神社に対しての若宮であると考えられています。◎「多神社
こんにちは。ありさんです欽天四化紫微斗数での鑑定をしていますこのブログは、発見したこと、日々の日常のお話奈良での出来事を書いていますお読みいただけましたらありがたいです。キンドル本について購入いただいたり、お祝いのお言葉たくさんいただいてありがとうございました前に紹介させていただいた青龍さんの放送の影響が強くて生き方も考えたりするのですが私、神社参拝とか本当にしていなくて(命無正曜だけでなく福無正曜でもある)「一之宮神社」
これから参拝する4つの神社は、多坐弥志理都比古(たにいますみしりつひこ)神社と摂末社です。多坐弥志理都比古神社と境外の摂末社ですので、位置関係を先に示しておきます。笠縫駅多坐弥志理都比古神社||||姫皇子命神社||||||||==========小杜神社||皇子神命神社||近鉄橿原線:笠
【市尾墓山古墳】を出発したココロは、次の目的地に到着した………到着したのは………【多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)】奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569一般には【多神社(おおじんじゃ)】と呼ばれている。久しぶりの参拝となる。神社の前の道路を挟んだ向かいには、こんな石碑があった『古事記献上1300年記念』とある。以前はなかったようなそうですここには、『古事記』を編纂した太安万侶が祀られているのだ『延喜式神名帳』にも【大和国十市郡多坐禰志理都比古
新作紙しばいの制作記録です昨年12月、奈良県芸術文化オンライン支援事業の採択がおりまして、動画制作の打ち合わせがはじまりました3月15日までの実施が条件だったので、タイトなスケジュールになるとは思いつつも、新作紙しばいで撮影をすることにしました。ロケ班など撮影のスケジュールなどを決めて行くと並行して、紙芝居の制作をはじめましたその1で書いたように、まずはラフ画(ラフすぎる画笑)描き始めまして、年が明けて具体的な制作がスタートこれは小さな手のひらサイズの用紙です。うなて氏に
暦は今日から七十二候の『桃始笑(ももはじめてわらう)』に入りましたね。『桃始笑』七十二候のなかでいちばん好きな名称ですさて、さて、今日は動画公開のおしらせですこのたび奈良県文化芸術活動のオンライン発信支援事業で動画を制作し、YouTubeチャンネルで動画を公開いたしましたこちらをクリックで↓↓観ることがができます音玉紙しばいショ[書]ウ『こころ行脚〜多めぐり編〜』奈良県芸術文化活動のオンライン発信支援事業音玉紙しばいショ[書]ウ『こころ行脚~多めぐり編~』奈良県芸術文化活動の