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私は走りたくないのです。青信号がチカチカしたら待つ信号🚥のない横断歩道で待ってくれる車は🚗正直ありがた迷惑小走りで渡らなきゃってなるから。走れば胸が苦しいし腫れた肝臓が痛むからそんな話を腎臓内科の先生にすれば申し訳なさそうに言われた『申し訳ない。これだけ嚢胞があったらそうだよね。この病気は対処療法しかないから何もしてあげられない』多発性嚢胞腎の影響で多発性肝嚢胞になり鳩尾を中心に凸凹に固くなっている鏡で見てもわかるほどに。もう、ピタリとしたTシャツも着られない
妊婦のようなお腹になり、苦しくてたまらず、腰痛もひどく生活に苦労しておりました。娘が中学生になるまで待とうと思っておりましたが、5・6年生で受けるよりは、と決意し、肝一部切除と開窓術を受けました。結論としてお腹はだいぶ小さくなり、体重で4キロほど減りました。腰痛が軽減されました。また洋服が着られるようになりました。詳細はまた別途アップします。
今日は2ヶ月ぶりの通院日でした念のため朝食抜きで行きました採血は15分位の待ち私の血管は細くていつも小児用のキットで採血してくれます毎回何度か血管に針をさしてやっと採血出来るのですが、今日は事前に腕を温めたからか、1度で成功看護師さん泣かせの血管です診察は予約時刻の40分後くらいに呼ばれました膵臓の腫瘍マーカーca19-9は今回61.7(前回101.1)でした前回より少し下がり、久しぶりの2桁台になりました☺️でも基準値の37以下よりは依然高い状況です今回の採血結果で肝臓
多発性嚢胞腎が見つかったのが16歳。「腎臓が大きくなってきたなぁ」と思い始めたのが30歳の頃。そして、前回書いた腎盂腎炎にかかった34歳頃から徐々に腎機能は低下し始めます。定期診察の時にはCTや血液検査、尿検査。CTには16歳の時には3個ほどだった嚢胞が無数に増え、肝臓にもたくさんの嚢胞ができて腎臓と肝臓がお腹の中を埋め尽くすほど大きくなっていました。いつの間にかタンパク質や塩分を控えるように食事制限と栄養指導が始まり、医師からは水分をとにかくたくさん摂るように言われました。腎機能を
心不全で入院した頃は、集中治療室ではスマホは使用禁止でした。突然の入院で、会社に連絡するまもなく集中治療室に運ばれたので、看護師さんにお願いして、会社に休む連絡だけさせて頂きました。スマホが使えないとやる事も無く、TVを眺める日々。ですが、普段見ることのない平日昼間のTVは、どこの局も同じ内容を放送しているように感じて、つまらなくて、毎日夕方に再放送されていた「相棒」と、その時ちょうど開催中だった大相撲を観ることだけが楽しみでした。(ここから、すっかり相撲ファンに。)もちろんベッドの上か
今日から書き始めますアメブロの使い方が今ひとつ理解できてないのですが…とにかく第一歩を踏み出さないと何も始まらない❗️というわけでよろしくお願いします。
こんばんは更新をしたいなと思いながらも…なかなかできていません💦体調の方はあまりよくはなく、日々なんとか、やっとこ過ごしています。とりあえず、倦怠感がひどいですたまに…じゃなく毎日、嫌になります…この体4月の後半から『クラッシュ』が起きているのですが、それくらいの時期からなんと!!!!!いよいよお腹が出始めてきました今現在は…急にですよ???臨月くらいのお腹ですこれは多発性肝嚢胞からくるものです。慢性疲労症候群のクラッシュとは関係ないと思います。35歳の時、多
心療内科の先生と話し合いました。『もう少し頑張れる』『せっかくここまで頑張ったのに』と呟く私に『もう充分がんばりました』『もうがんばらなくていいですよ』と先生。最終的に言われました。『身体まで壊してしまう前にもう休みましょう』適応障害ってなんなのかいろいろ調べてもよくわからない。わからないけれど症状は思い当たる事ばかり。いろんな病気の症状も相まって自分でも何がなんだかよくわかりません。
今年のゴールデンウィークは去年の殴られた様なガツンとした辛さよりもじわじわと来るボデーブローの様な辛さでのたうち回っています。お酒の量が増えてしまって気怠い毎日です。でも、飲めば食べられる。飲まなきゃ食べられないし。ちゃんと文太とはお散歩してます。文太は大事だもの。文太が好きないちごやりんごは一緒に食べてます🍓🍎
動脈塞栓術の治療を受けて少しした頃、北関東の、ある県庁所在地の町に突然転勤になりました。当然自宅からの通勤は出来ず、引っ越す事に……縁もゆかりも無い土地だったので、会社の人以外には知人もなく、通勤時間も短かったため時間を持て余していて、本を読んだり、溜まっていたDVDを観たりして過ごしていました。その間にもお腹はどんどん大きくなり、取引先に訪問すると、妊婦さんと間違えられて、私だけコーヒーじゃないドリンクを出して頂いたりしていました。それでも、長年の夢だったマチュピチュへ旅行したり、好奇心
昨日、K女史からGWの連絡先について電話がありました。優しいんだよね。この人は。自分の感情がうまくコントロールできないだけ。私はこの先どうしようか。悩んで悩んで。診断書は書いてもらう。でも、辞めちゃうのはね。違うかもって思い始めてます。辞めざる得ないなら仕方ないけれど。何だかんだ思うけれど良い職場なんだと思っているのです。今日は文太と海を見てきました。おっきな船で観光客がいっぱいです。いろんな人がいていろんな事があってあたりまえですよね。思う通りには行かないの
金曜日。休みました。木曜日のお昼過ぎ呼ばれて『もっとこうしたらいい』とかのアドバイスと不安な所の聴取が30分程。前日から右手中指のカクカクとうまく考えられない脳みそゆで卵状態に辟易しながらの作業でダメダメモード全開だったから落ち込み😭同期に愚痴ったら『気にすることないですよ』って💦だよね!って思っていたけれど金曜日の朝起き上がれなかった。明日、お仕事って思うと心臓がバクバク🫀休職かなぁと思っていたら私は契約社員だから休職ってのはできないらしい。辞めるしかない
先週末は身体が重くて心療内科をキャンセルしたのだけれどどうも、目の具合が気になって鹿児島ではかなり評判が良いらしい病院へ。問診票にいろいろ書かされた。診察は威圧的ではなく優しいのだけれど一方的なかんじ。問診票に書いた事など何一つ、問われることもなく終わり。消化不良の診察でした😣今日は元気なつもりでお仕事へ。でも、なんだろう。この身体の重さ。とらちゃんがいたら『明日は休んだらいいねん』って言うかも知れない。私は休むのが恐い。休んだらもう行けなくなりそ
今週末の心療内科で診断書を書いてもらって休職しよう!と意気込んでいたんです。実は。で、昨日の朝はえっほえっほと頑張って行ったのですが。行けばどうにか過ごせるはずだから。そしたらSVに呼ばれて今月度も施策対象者になったらしく💦なんで私が選ばれるのか?なんで?そんなにワタクシダメ🙅♀️デスカ😳完璧にやる気なくしたと同時に休職するのに迷いが生じ(•́⍛•̀;≡•́⍛•̀;)オロオロ「不安な事はいつでも聞きにおいで」と言われていたのに、1回も行かなかったのがいけなかった
昨夜は夜中から雷と雨ものすごい雷⚡️が何度も何度もそして、その度に文太は起き出し吠えるฅ(`ω´)ฅワオーンそんな事の繰り返しであまり眠れませんでした。今週は新しいスキルの研修weekなのに気が緩むとカクンッと寝そうで必死に眠気と闘うハメに💤💤心療内科の先生に『もう少し粘ってみませんか?』『どうしてもダメだったら診断書は書くので』と言われたお仕事。なんだかんだと言いながらもう少しで半年。半年頑張ったら楽になるからとセンター長にも言われていた。あと少し。あと少しし
昨日の朝方は雨が残っていたけれど10時過ぎには道路も乾いた。さあ!行くぞ🐶と文太の散歩。5分くらい歩いたところで目眩。気持ち悪くなる😥文太に引っ張ってもらってなんとか散歩🐾𓏸𓈒(ง˙˘˙)วして文太の足を拭いたらベッドへ。その後は楽になって近くのスーパーにはゆっくり行けた😊今朝は頑張れそうなので慣れない髪型と格闘して定番のサンドイッチを作りました。月末には市立病院でCT検査。土曜日に行った消化器内科の先生から「サムスカの相談があるかも」と言われちょっと憂鬱。
転院先の大学病院は、元々子宮筋腫の摘出手術(腹腔鏡下)を受けた病院でした。その時も、どうしても腹腔鏡下手術を、と希望してネットで探しまくりました。子宮筋腫の時も、いつも外来は混んでいましたが、嚢胞で通っていた時もやっぱり大混雑でした。嚢胞の外来は2ヶ月に一度、先生の診察があり、どんどん大きくなるお腹を診て頂いていましたが、やはり経過観察。利尿剤を頂いていました。そんなある日のこと、先生から動脈塞栓術に、興味ありますか?とのお話詳しく聞いたところ、動脈塞栓術の治療をしたからといって急激にお
2015年3月に、初めて嚢胞を積極的に診察して下さる大学病院の先生に会えました。この先生には今も定期的に診察して頂いています。嚢胞の専門外来、本来は嚢胞腎をメインに診察されているのですが、肝嚢胞も診て下さるとの事でお願いすることになりました。これは私の勝手な印象なのですが、今まで通院していた大学病院では、嚢胞について専門的に担当されている先生が居られず、一度系列の病院で開窓術の腹腔鏡下手術をして下さった以降、腹水について利尿剤の処方をして下さるだけで経過観察、という状態だったので、嚢胞を研
今はセカンドオピニオンとか、転院とか割と一般的なのかも知れないけど、私が転院した頃は、なのか?私が、なのか?主治医の先生に他の病院への紹介状を書いてもらうのって、結構勇気を振り絞って、な感じでした。で、ゴニョゴニョと先生に「他の病院で診察してもらいたい」と言いましたが、先生はセカンドオピニオン希望と理解されたようで、紹介状を書いていただいた病院の初診受付で、「紹介状にはセカンドオピニオンと書いてあります」「いえいえ、転院のつもりで来ています」的な押し問答の末、ようやく希望していた嚢胞専門の先生
手術後は、元々通っていた大学病院の外来に戻り、通院を続けていました。主治医の先生には肝切除も考えたけど、同じような症例が発表されていたけど、大量の出血と術後の経過も良くないみたいだから、私には肝切除はしない方針と聞き、通院しては利尿剤を処方して頂く日々が続いていました。そんなある日、いつも通り外来に行ったら先生から「今年の3月末で定年退職する事になった」と言われました。私はこの先生に絶大なる信頼を寄せていたので、「じゃあ私も先生が次に行かれる病院に転院します」と言ったのですが、「次に行く病
多発性肝嚢胞の開窓術の後、腹水がなかなか治まらず、2週間位お腹からたくさんの管とパックをぶら下げてました。痛みはほとんど感じなかったのですが、毎日午後〜夕方になると38℃を超える発熱ロキソニンを飲む繰り返しでした。腹水が治まり、お腹の管が取れてからも発熱が続き、ある意味元気なんだけど退院出来ない状態が続き、ペットのに会いたくて会いたくて、家族に病院にクルマで来る時に載せてきて欲しいと頼んだほどです。(もちろん連れてきてはくれませんでした)途中個室に移され、差額料金が気になって「早く大部屋
手術前日は、特にやることも無く病院でボーッとしていたのですが、何とケータイが反応しない!!当時はガラケーだったのですが、ケータイが無いと家族とも連絡取れないと言うことで、主治医の先生に外出許可をもらって、近くのケータイショップへ。無事に交換して頂きました。そして、家族に対する説明。頼みの母は膝のお皿の骨折で動けなかったし父は、自分の弟(私の叔父)の胃がんの手術当日でダメ、仕方なく静岡に住んでいる弟に頼み込んで都内の病院まで来てもらったところ、父も叔父の無事を確認後、説明を聴いておきたい
手術を受ける病院での診察から帰宅後、母と2人で外食に出掛けました。帰りにイオンで買い物をして、駐車場を歩いていた時、母が車止めにつまづいて転倒、顔と膝を思い切り打ってしまいましたすぐに病院に連れて行って、診察してもらったところ、膝のお皿が割れてるとのこと……。松葉杖を借りて、母の不自由な日々が始まりました。母の介護は父に頼み、仕事に出掛けていました。そして、次の日。会社にから営業に出かけて打ち合わせの最中に、東日本大震災が発生しました。お客様は鉄道関連の会社だったので、打ち合わせは中
通院していた大学病院では、様々な理由でなかなか手術まで進まずに、利尿剤を飲み続けて経過観察をしていましたが、2011年のある日突然、主治医である教授からケータイに電話を頂きました。先生曰く、「系列の病院の先生にあなたの話をしたら、腹腔鏡下で手術したいと言ってくれてるけど、どうする?退院したら、また継続して私が診ますよ」と。いきなりの、知らない病院での手術に不安があったのですが、「信頼出来る腕のいい先生だし、手術の日は私も立ち会うよ」と教授に言っていただいたので、思い切ってそちらの病院で手術を
急に肌寒くなりました。能登半島を襲った線状降水帯による被害。去年と今年の大地震で地盤が崩れているところへもうこれ以上どうすれば。。石川県民として悲しさしかありません。かける言葉も見つからず、できることも、したいと思っても行動に制限がある身では募金ぐらいしか力になれることがなくとても歯痒いです。さて、もうすぐ手術室へ向かいます。人生初の手術です😳昨日はなかなか寝付けなかったので夜中の1時までホームページを作り直していました。ようやく処方されたお薬が効いて
私の会社では、福利厚生がポイント制になっていて、希望すれば毎年人間ドックを自己負担無く受けられますので、毎年、極力同じ病院での人間ドックを受診しています。ある年の人間ドックの超音波検査で肝臓に嚢胞がある事が指摘されました。その時は、まだ経過観察、でしたが、だんだんと嚢胞の数も大きさも増えていき、ついに「要精密検査」となったため、子供の頃からずっとお世話になっていた近所のクリニックを受診し、最寄りの大学病院(子宮筋腫の動脈塞栓術を受けた病院)へ紹介されました。ここの大学病院の肝胆膵外科の教授
今まで皆さんのブログを拝見して、励まされたり温かな気持ちになってましたがようやく自分もそろそろ書こうかな、という気持ちになってきました。生体肝移植を受けてから間もなく2年なので少しずつ記憶も薄れてきていますが、発症からの事を少しずつ、のんびりと書いていきます。よろしくお願いします
朝から何度も心臓をギュッとされる感じ長くは続かないけれどギュッギュが何度か続く。疲れなのかな。ここのところあまりそういう発作はなかったのだけれど。朝夕の寒暖の差は身体に厳しい😥体調不良を言い出せばキリがないけれど今は病院には行けない。何かあってもどうしようもないから。文太を1人にはできない。何事もなくなるように静かに発作が消えていくのを待ちましょう。とらちゃん見守ってね。何事もないように守ってね。
体調が悪いです。冠攣縮姓狭心症のせいなのか多発性嚢胞腎のせいなのか嚢胞で肥大してしまった肝臓のせいなのかそれとも橋本病のせいなのか。お天気が悪いのもあるのかしらね。喉も痛いし、口の中も腫れぼったい。5月になってからまたもや夜中に目が覚めて眠れずぼーっとテレビを見たりして。昨夜は夜中の頭痛で目が覚めて久しぶりに頭痛薬を飲みました。体調が悪いといろいろと考えがちになります。良くないです。良いことなんて思いつきもしないけれどせめて悪いことは考え
昨年昨日は2回目の手術後の4ヶ月検診でした。3ヶ月振りの病院です。この3ヶ月は体調も良く本格的に仕事復帰もしてフルで働いてました。忙しい時期もあったけど体は疲れても体調が悪くなることはなかった。もうほぼ通常に戻っていると思われます。食欲も戻ってあっという間に病気前の体重に戻りました術後の経過は順調で血液検査CT検査とも良好でした。主治医「どうですか?調子は。」私「調子は良いです」主治医「前回手術した肝嚢胞も大きくなってなく安定しています。」私「食欲も