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起立性調節障害の薬を飲み始めて数日が経ったまだ、体が薬に慣れていないのもあり体調が安定しない部活顧問のT先生にも行けたり行けなかったりになるかもと連絡しておいた実際、行けたり行けなかったりだった起立性調節障害は比較的夏は調子がイマイチといわれているそれでも夜は調子が上がりやすいので塾の夏期講習はがんばっていたでも週1は頭痛やら腹痛やらで最初の1コマを欠席して次のコマから参加するといった感じで過ごしていた頭痛もダルさも目眩もお腹壊しやすいのも寒がりも朝起きれず
入院当日。2回目で同じ病院ということもあり、落ち着いていました。執刀医は違う先生ですけど。整形外科って部位で担当医が違うのです。だから、娘は手を診る先生と足を診る先生が別でした。しかも、外来の曜日も経過観察周期も違うので、別々に予約を取って通院していました。さて、入院手続きを済ませ、病棟へ。新型コロナがあり、面会も自由にできない時期がありましたが、この時は、感染症法5類に移行した後だったので、制限が緩やかになっていたので良かったです。娘はずっと血液型を気にしていた。今は、出生時に検
Nコンと結婚パーティーが終わり、娘は数日後に手術を控えていた。娘は、多発性外骨腫という疾患がある。簡単にいうと骨のいろんな所に骨軟骨腫、コブみたいのができる疾患だ。保育園の年少の終わり頃に左手首の異常に気がついてから定期通院でずっとチェックをしている。コブができた場所によっては悪さをする可能性があるからだ。左手首に関しては、尺骨の成長線(正式名称は骨端線)付近にコブができてしまい、尺骨が伸びず、橈骨と尺骨の長さが違うため、手を水平に支えることができず、小指側に傾いてしまった。その結果、
こんにちは今日は持病の多発性外骨腫の内容です。今朝長女の右肋骨付近に外骨腫らしきものを発見してしまいました多発性外骨腫は関節付近にできることが多いのですが、肋骨!?💦💦同じ病気の私でもびっくりです🖐️4月に大学病院の定期検診があるのを待つのがいいのか、前倒しで診てもらった方がいいのか悩みます、、急激に大きくなるようだったら悪性化の可能性が高いので絶対病院なんですけど、いつもの良性の外骨腫なら経過観察でってなるから判断に迷うんですよね😣肋骨付近に前からあった?急にできたのだったらヤ
今日は初めての投稿なので、ブログを始めた理由をお伝えしたいと思います。かなり長文になり、病気のことでネガティブな内容になるので気を付けてください。多発性外骨腫とは良性の骨の腫瘍ができる病気です。腫瘍のことを外骨腫っていうらしくて、それがいっぱいできるから多発性外骨腫初めて聞いたときは骸骨💀?って思いました笑私がこの病気がわかったのが小学校2年生です。歩いている時に足の痺れを感じレントゲンで発覚しました。先生からは骨が神経を触るからしびれたり、動きが悪くなる、成長が止まるまで定期検診
私も小さい頃からハンディ者だったのよね。21歳の頃に手術するまで、ずっと左足にハンディがあったんだよね。それまでは、どうやったらば痛み無く歩けるか?の工夫の毎日じゃったよ。ハンディのある左腕よりも左足の事でひどく悩んでいたよ。ほぼ生まれつきに左腕と左足にハンディを抱えていた私。あの頃は、本当に人生を悲観しながらも明るく振る舞ったりしていた...。高いテンションとかなり低いテンションの共存する私は病前からだったはず。いろいろ寝る前のクスリが無くなると思い出すことも出てくるね?ま、
外骨腫ってなに?骨軟骨腫(外骨腫)について、いまだに世の中には知られていませんがついに平成29年4月1日からの障害者総合支援法の対象疾病に「多発性軟骨性外骨腫症」が追加されました。害者総合支援法の対象疾病一覧とうとう!という感じです。ここまで到達するのに本当に長い年月がかかりました。かれこれ35年程です・・・相談しても判る人がおらず、医師も断片的な情報しか仰りませんでした。骨軟骨腫について|メディカルノート(medicalnote.jp)私が症状に気
ご覧いただきありがとうございます♪男女女男の4人子育て中アラフォーのユウキです😊低収入、田舎暮らし♪キャンプ好き⛺️贅沢ではないけど明るい家庭を…頑張りすぎない節約を自分なりに頑張っていきます!節約&貯金のための記録用ブログです💴4人の子供達との日常も書いていきます♪ご興味のある方はフォローお待ちしてます🤗こんにちは!タイトルの【外骨腫】ついて、色々情報や体験談が欲しいです今日のブログは詳しい方や経験者以外の方にとっては「?」な内容だと思います。すみません…外骨腫、良性の腫瘍
宝くじ公式サイトのキャンペーンの年末ジャンボ5枚が20000名に当たるっぽいやつに当選しました🎯ここで運を使ってどうするてか、応募した記憶がなくてメール見た時、詐欺かと思いましたこの度、息子が巣立ちましたぴよぴよ素敵な家を買い←電車好きで電車が見えるとこ結婚はまだだけど彼女と一緒に暮らしています二人ともとっても幸せそうですこんなにめでたいことなのにあたしはひどい空の巣症候群(;∀;)子離れできてると思ったけどぜんぜん出来てなかったここ数日は、何してても泣いてた
兄弟姉妹に障害者を持つ「きょうだい児」私は最近まで「きょうだい児」という言葉を知らなかった。なにせ障害当事者ですから。「きょうだい児」にも色んな苦労・心労はあるみたいですがどうだろ、障害当事者としての苦しみの方が大きいのではと実感的に思うのだけど。あるblogで、知的障害者の妹を兄姉が疎ましく思っている事を長々と書いてあるのを読んで、心の底から悲しみと怒りがふつふつと沸いたことがありました。甘やかした母が自立させないまま、死んだのが悪いとそこに書かれ
母はまったく母性が欠けていた。なのに、子供はたくさん産んだ。3人以上の子供を連れた人を見ると、蔑んだようにいつも言う言葉があった。『こんなに産んでどうすんの!』自分自身は何人も何人も何人も子供を産んで産みっぱなしで家事育児をしないから、上の姉たちが仕事を終えて全ての家事育児をしたそうだ。姉たちも怒っていた、育児もしないのにどうして産むの?って。母は私が施設に入る時、見送りに来なかった。入ってからも面会に来たのは片手で数を数えられるほど。母は、父を苦しめるために食
バカな父は、これまたバカな母と喧嘩ばかりしていた。物心ついた時から、父と母が喧嘩する姿しか知らない。皆が和気あいあい、なんて父が一番嫌っていたこと。皆が仲良く、これも父が嫌っていたこと。人を尊重する、慮る、大切にする、父の辞書には載っていない言葉。本が大好きで辞書は何冊も持っていたのに、きっとこれらの言葉は省かれていたに違いない。昔は50半ばで定年が普通で、父も57才で定年だった。それまで社宅だったので、終の棲家を一人で探し家族の誰にも相談ひとつせず
施設に入れられて何年か過ぎた日、何の治療をするワケでもないのにこんな所にいつまでも居たくないと親に手紙を送った。何度も何度も手紙を書いていたら、父親が施設の医者と話しをする気になったのか、面会に来てくれた。担当の医者と面談した後、父親は私にこう言った。手術をすれば、正座が無理なので座敷に座ることが出来ない。だから家を洋間にしなくてはいけない、その費用は120万かかるから足は治せない。そう聞いた時、こう思った。私がショックを受けないために作り話をしている。治せない
「動物園」の中に置いて行かれた日の事を思い返すといまだに涙が出てしまう。7才になったばかりの私は、毛布にくるまって泣くばかり。家族と引き裂かれてひとりぼっちの私。不安だらけで辛くってただメソメソ泣いていた。あの時の自分をいまの自分で抱きしめてやりたい。大丈夫とは言えないけれど、優しく抱きしめてやりたい。可哀相で可哀相で・・・未成年の子供たちの施設は、子供特有の残酷さがあり関わる職員たちの意識の低さが私には辛過ぎた。本能剥
1回目の東京オリンピックがあった昭和39年(1964)。ある日、父親に連れられて汽車に乗った。駅のホームで見送る姉たち、号泣しながら手を振っていた。私は行きたくないとただ泣いた。不安だらけの私を乗せて、汽車は北へと何時間も走り、見知らぬ薄暗い駅に着いた。あの時の光景は56年経った今でも覚えている。薄暗い駅、古いコンクリート、不安になるだけだった灰色の世界。この先の私の人生を象徴していたのでしょう。骨軟骨腫はあっても、その頃は普通に生活出来たのに治療法なんて無い病気
私が持って生まれた難病は『骨軟骨腫』身体のあらゆる関節部分で、成長期に正常な骨からまるで火山の溶岩のように流れ出てしまった軟骨でコブを作ってしまう。場所によっては身体機能が損なわれて二次的な障害が生じてしまいます。当然治癒など望めず、出来ることは出っ張った骨を削る手術のみ。私は全身に出ているので、身体のアライメントが狂ってしまい年齢が高くなるほど困った症状に悩まされています。難病情報センターのホームページには次のように書かれています。https://www
三人目ちゃんの治験の検査入院。主人と勤務をやりくりしながら1泊付き添い入院でした。あいかわらず、針を刺すのも動じず、今回は2、3時間おきの採血だったので、ルートを確保すればあとは定期的に先生がきて血を抜きます。だから暇💦💦💦💦しかし、さすがに大学病院の小児病棟。飽きさせない工夫がいろいろあって、なんとかもちました💦💦入院中はおりこうさんだったのに、さぁ!帰ろう!となったらグズグズで、帰りが大変でした😣💦次の受診は2か月後。の前に、さかまつげの手術があり、またまた大学病院通い💧頑
週末遊びまくった一人目くん。今日は足が痛くて行けません💧いつもそう、さっきまで足が痛くても、治ったら、後先考えず、全力で遊ぶ、全力で部活する。そして痛くなって、動けない😥加減ってものを知りません。前に一人目くん言ってました。どうせ、手術してもまた痛くなるやろって。だから、痛くないときを全力で楽しんでるのかもしれませんが。。端から見たら、昨日まで、さっきまで痛がってたやん!って思われますよね。しかし、私も、経験上、急に痛くなって、治まる。これが日常茶飯事。これが多発性外骨腫の症状