ブログ記事9件
ホテルの窓から見た町・本光寺5:53小松温泉(モニュメント)【公式】アパホテル〈小松グランド〉2023年10月6日(金)リニューアルオープン(アパ直なら最安値)宿泊予約ビジネスホテル(apahotel.com)宿泊したホテルは人工温泉だけれど、かつてここにも源泉が有ったとのこと。♨本光寺謡曲「満仲」(観世流では「仲光」)多田満仲は一子美女丸を僧にするために中山寺に預けていますが、学問をせずに武勇ばかり好むので仲光に命じて殺
文武両道神社仏閣・パワースポット10…多田神社@東京都多田神社【権現様】-東京都神社庁(tokyo-jinjacho.or.jp)多田神社|多田満仲公をお祀りしている神社(tadajinja.tokyo)【多田神社(東京都中野区)】アクセス・営業時間・料金情報-じゃらんnet(jalan.net)
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今回は、奈良街道にある犬墓地区です。奈良街道探検は、終了したはずだけど、奈良街道沿いの地区なので探検になってます。愛犬を連れたお大師様もこんにちは。犬墓大師堂です。犬墓大師堂は、第88番札所「大窪寺」から第1番札所「霊山寺」へ向かう途中にあります青年空海さんが、虚空蔵求問持法会得した後立ち寄ったんだね。愛犬が猪を追い払ったが、猪にやられた話しがあったんですね。村の名前は犬墓村になったとのことですが、
高野山金剛峯寺の奥の院があまりにも広大で、だらだらと続いてしまっています…。ということで、そろそろ切り上げたいのですが、まだまだ著名人の墓所があります。カステラくんたちが立ち寄ったのは石田三成の墓所。五輪塔の一番下、地輪に「逆修」と彫られているので、生前に自らの供養のために造立されたのでしょう。天正18年は1590年、豊臣秀吉によって小田原北条氏が滅ぼされ、天下統一された年です。こちらは、「徳川四天王」本田忠勝の墓所。こぢんまりしていて、いいですね1599
来住城(小野市来住町小字沖ノ西)別名:来住構居・沖之城『播州古城軍記』等によると、来住城主は清和源氏多田満仲の後裔が当地方に下向し、代々来住氏を名乗っていたようである。『赤松家播備作城記』では、来住城創築は正和二年(1313)、来住安芸守惟友によるとし、代々安芸守を世襲したとある。歴代の来住城主系譜は文献により大きく異なり、実際のところ不明である。歴代城主中最も有名なのは天正年間(1573~1592)、別所氏に従った景政および嫡子三郎景利であったが、両人共、三木合戦時に三木城へ籠城、天正八年
こんにちは!椿誠司です。昨日は、方南町駅の近くにある多田神社に伺いました。御祭神は、源満仲公[多田満仲公](みなもとみつなかこう)[ただみつなかこう]です。正面の一之鳥居と二ノ鳥居をくぐり、狛犬さんにご挨拶。そして、正面の拝殿でご参拝をします。続いて、拝殿右側にある榛名神社・御嶽神社・阿夫利神社でご参拝。最後に多田稲荷神社でご参拝をしました。こちらの神社は、何度か伺っている場所の氏神様で、今までお世話
私の人間関係に関する悩みの根源が両親との関係にある、ということは、20代の頃からわかっていたのですが、心理学を学んでも一向に問題解決には結びつかず、スピリチュアルの世界に足を踏み入れてやっと、先祖のカルマから由来するものだということがわかりました。去年、真照さんに相談に乗っていただきまして、先祖のカルマというのが源氏と平氏の抗争によるものだということがわかって先祖供養したのですが。先日、先祖供養の過程ではわからなかった先祖のカルマの一つに気がつきました。というのは、去年の秋ぐらいからずっと
「源頼朝」は「みなもとのよりとも」って「の」が入るのに、「北条政子」は「ほうじょう、まさこ」で「の」が入らない。なんで?これ、姓には「の」がつく、苗字にはつかない、という「教科書的大原則」については、私もたびたびひつこく述べていますが、、「じゃあ、これはなんで「の」が入るの?こっちは入らないの?」という、大原則にあてはまらない例を、いつくか挙げてみます。昔の子供の流行りコトバに「ただのまんじゅう、ぶしのはじめ」ってのがあります。漢字で書けば「多田の満仲、武士の初め」です。清和源氏の祖先
「ご朱印」中国観音霊場第10番札所:大宝山千光寺平成18年分(2006年)12枚目:(通算227枚目)参拝日:平成18年(2006年)4月22日中国観音霊場第10番札所「大宝山千光寺」観光尾道・散策の中心縁結びの寺宗派:真言宗本尊:千手観世音菩薩創建:大同元年(806年)開基:中興/多田満仲ご詠歌:みなひとのころものうらのたまわそもほとけともなるたからなるらむ住所:広島県尾道市東土堂町15-1代表的寺宝:本尊・千手観世音菩薩(伝聖徳太子作)、
元箱根精進池周辺の石仏・石塔群の中にある多田満仲のものと伝えられる安山岩の宝篋印塔。刻銘によると、1296年(永仁4年)、大和国の石工大蔵安氏によって造立されました。石工心阿の追刻によると、1300年(正安2年)には極楽寺の忍性が供養の導師を勤めていることが判明しています。心阿は大蔵安氏の子で、安氏が宝篋印塔製作の途上で死去したため、心阿がその跡を受け継いで完成させたのだといいます。この宝篋印塔は関西形式から関東形式に移行する最初の塔であるともいわれています。
方南町から西へ進んで、中野区に入りました。北へ進路を変えた神田川を再度渡ります。完璧な護岸工事が施され、中央線のように真っ直ぐな流れが続きます。治水は人間の暮らしにとって大切な事なので、川の風情が感じられないというのは我儘なのでしょうね。自然界の循環で言うと、土に含まれる栄養分が海に行き渡らないという欠点もあります。宝福寺の参道にやって来ました。参道入口には、立派な庚申塔が建てられています。立体感溢れる青面金剛ですね。南台という住所が示す通り、高台にある宝福寺
その昔、メンコのウラに書いてあるようなコドモの流行りコトバに、「ただのまんじゅう、ぶしのはじめ」ってのがあります。漢字で書けば「多田の満仲、武士の初め」です。。清和源氏の祖先、経基王(源経基)の子・源満仲(みなもとのみつなか)が、攝津の多田庄を領地にして「ただのまんじゅう」と通称されたわけで、彼が「武士」という存在の元祖的な存在だ、てことですな。そんな歴史の教養がなんでメンコのウラに書いてあるのか、たぶん「ただのまんじゅう」が「タダ(無料)の饅頭」みたいでおもしれえや、ってことだと思いますが
JR北陸本線田村駅から東へ600m程滋賀文教短大の前のお寺に来ました寺院名;一簣山多田幸寺宗派;臨済宗妙心寺派御本尊;薬師如来所在地;滋賀県長浜市田村町338TEL;0749-62-1577多田幸寺は天禄元年(970)平安時代中期の武将多田源氏の祖源氏発展のきっかけをつかんだ多田満仲の三男、源賢法師が開山多田満仲が開創した天台宗のお寺ですが承久3年(1221)承久の乱で堂宇が焼失し建武年間(1334-133
6月17日(月)、午後に新宿で予定があるため、午前中、近くの中野区の神社を巡ります中野区の神社はこれが初めてです東京メトロ丸の内線・方南町駅2番出口(東口)より徒歩7分の、多田神社です表参道の鳥居と社号碑。⬇️⬇️⬇️一の鳥居は神明鳥居です。参道の先に石段、二の鳥居、拝殿までが見渡せます。⬇️⬇️⬇️⬆️⬆️⬆️参道を進み、石段を登ります。二の鳥居をくぐる手前の踊り場に、手水舎⬇️⬇️⬇️⬆️⬆️⬆️水盤に水はなく、水栓からも水は出ませんでした蛇口をひねれば出
多田神社(中野区)の御朱印です。御祭神・多田満仲公創建・平安時代
⚔️⚔️⚔️⚔️⚔️Nulbarich『摂津國』。。『川西市』。。「多田神社」【所在地】兵庫県川西市多田院多田所町1-1兵庫県川西市の「多田神社」は源氏ゆかりの神様です。『摂津守』としてこの地に居城を持ち、多田満中とも称した源満仲が御祭神です。『清和源氏発祥の地』であるだけに多数の文化財があり、広さ1万6000坪という神域そのものが国指定の史跡となっています。神社の前身は天禄元年(970)に創建された『多田院』ですが、幾度となく大修復を繰り返し、現存の建物は徳
2017年4月1日の福山・尾道レポの続き。「千光寺公園」「千光寺」の続き。千光寺公園・千光寺(その1)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12351624946.html更に進むと、「千光寺」に到着です。「千光寺」の由緒書き。開基は平安時代の始め大同元年(806)。後の源氏の名将多田満仲の中興と伝えています。境内中央の巨岩「玉の岩」は、昔この岩の頂に如意宝珠があって夜毎に海上を照らしていたので、この地を「玉の浦」と呼ぶそ
さあ、本日3回目です。今回は、箱根の行ったところを紹介します↑これは、箱根関所の入り口です。↑箱根関所の全景です。↑箱根の山の道路を通っていると見える、曾我兄弟と虎御前の墓です。曾我兄弟の仇討ちという日本三大仇討ちのひとつを起こした人です。↑これは、八百比丘尼という人魚の墓とされているものです。八百比丘尼は800年もいきたという、伝説があります。↑これは、多田満仲の墓です。この墓は、約2,3mあって、源頼朝の先祖です。↑お玉ヶ池という池です。昔
ここは兵庫県尼崎市にある近松の里。バイクを停めて、年配の方が将棋をうつ近松公園を抜けると公園からこの神社へと辿りつく。なんかタスキしてる狛犬。正面の鳥居のほうもやはり。。詳細は分からず。。ここは多田源氏の祖、多田満仲(通称まんじゅうさん)が勧請した神社。当時は牛頭天王や妙見さん、諏訪大明神や愛宕権現(もちろん八幡さんも)を祭る神仏習合の神社だったらしい。伝承によると、この岩から空へ矢を放ったところ、その矢が九
多田神社は兵庫県の川西市中国山地の山中にある石の鳥居をくぐり猪名川を渡ると小高い丘があって登ると南大門本当に立派な大門をくぐるとこれ見よがしと清和源氏の系図が飾ってあります清和源氏の系図↑ここは清和源氏発祥の地なのだ!と主張しています手水舎も大変りっぱなものです手水舎社務所には源氏の笹竜胆の紋です社務所拝殿は超豪華!拝殿檜皮葺(ひわだぶき)で大変立派この奥に五社の本殿がある御祭神源満