ブログ記事19件
◆火吹く人たちの神~15今回は「多氏」が登場します。非常に厄介な氏族。日本最初の「皇別氏族」であり、日本古代に多大な影響を与えた氏族。「古事記」編纂の大任を務めた太安万侶は後裔。なのですが…いかんせん出自を含めてベールに包まれており、多くの研究者たちを悩ませてきました。「多氏」に触れる時は慎重にならざるを得ませんが、あくまでも現在の主題は「伊福部氏」、多少気軽に触れていこうと思います。過去記事一覧を作成しました!↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一
ご訪問くださり、ありがとうございます。とっても嬉しいです。10月29日(日)鏡作坐天照御魂神社かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ(奈良県磯城郡田原本町八尾816)へお参りしました。天照大神が天の岩戸に隠れた際、八咫鏡をつくったと伝わる石凝姥命など三神が祀られています。古くから鏡づくりの神として信仰を集めてきました。美の神として技術向上を願う美容師や鏡業界の関係者の参拝が多いそうです。境内には、朱塗りで三間社春日造の本殿や摂社の天照大神社などが立っています。また、鋳鏡を洗い清め
屋就神命神社(やつきかみのみことじんじゃ)大和国十市郡奈良県橿原市大垣町屋就40(P無、いつも社前道路に寄せて停めています)■延喜式神名帳屋就神命神社の比定社■旧社格無格社■祭神屋就神命(ヤツキノカミノミコト)往古は多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)の境内社であったと考えられている社。その400~500mほど西方に鎮座。多神社はかつて神戸42万㎡を誇ったという広大な社、現在も一の鳥居は東方600~700m先にあります。◎式内社であるもののご祭神は出自不明、文献にも現れ
上/御霊神社本宮左下/御霊神社(五條市岡町)右下/多坐弥志理都比古神社*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものも)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)10/12【恐る恐る…靴ずれケアし…祟り神を…】八幡神社(五條市近内町)御霊神社(五條市岡町)御霊神社(五條市中之町)八坂神社(五條市畑田町)(御霊神社合祀)☆他戸親王墓☆井上内親王宇智陵御霊神社本宮*・猿田彦神社(五條市霊安寺町)丹生川神社御霊神社(五條市牧町)
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は奈良県磯城郡田原本町多の多坐弥志理都比古神社です。御神祭は神武天皇、神八井耳命、神沼河耳命、姫御神、太安万侶。社伝によりますと、神武天皇の皇子、神八井耳命が当地を訪れて「…我、天神地祇を祀る…」と言った事が多坐弥志理都比古神社の始まりとされております。延喜式神名帳では「大和国十市郡多坐彌志理都比古神社二座」と記され、名神大社に列せられております。古くは春日宮と称しており、現在の社領地は約1万㎡余を有しておりますが、大和志料によると天文2
多坐彌志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、社伝には、神武天皇の皇子神八井耳命がこの里に来られ、「我、天神地祇を祀る」という由緒をもっているとのこと。また、平安時代の、延喜式神名帳(927年)に「多坐彌志理都比古神社二座並名神大月次、相嘗、新嘗」二坐ともに祈雨神祭・名神祭、皇子神に姫皇子命神社・小杜神命神社・皇子神命神社・屋就神命神社とあり、大和で屈指の大社であったとされ、一般には多神社(おおじんじゃ)と呼ばれている。当神社は、神八井耳命を始祖とする
9月27日仕事オフで遠出したかったのですが昼から雨予報だったので近場で行ったことのない神社を探しました。というわけでたどり着いたのが多坐弥志理都比古神社多坐弥志理都比古神社-Wikipedia寺川沿いの下ツ道を走って新ノ口を超えて少し行くと西側に大きな一の鳥居が出てきます。西に折れて500mほど進むと神社に到着。二の鳥居奥の本殿は改修中のようでした。神武天皇の皇子である神八井耳命が多氏の始祖となるのですね。弟の神沼河耳命が第二代天皇である綏靖天皇。神八井耳
■大神神社に来たからには、寄らなければいけない場所があります。菊田信子さんで有名な、三輪坐恵比須神社です!主祭神はいわずとしれた八重事代主命。えべっさんといえば商売繁盛で有名ですが、こちらは日本最初市場を名乗る最強の商売の神様でしょう。せっかく三輪まで来たら、ぜひ足を運びたい場所の一つです。さて、続いてやってきたのは。多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)。通称多神社です。ここ周辺が、日本最古の皇別氏族とされる「多」「太」「大」「意富」「飯富
さてさて…………【多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)】の前の道路を挟んで南側に神社があるきっかけは、この石碑からだ太安萬侶の記念碑がある確かに、この位置から赤い鳥居がかすかに見えるぞっ【太安萬侶(おおのやすまろ)】【小社神社(こもりじんじゃ)】奈良県磯城郡田原本町多木ノ下272【多坐弥志理都比古神社】の境外摂社のひとつであるという【多坐弥志理都比古神社】本殿から、およそ200m南に、【子社神社】が見えてきた創建の詳細は不詳だという【子社神社】の読みは「ヲ
小杜神社(こもりじんじゃ)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字多字木ノ下272(Pあるが入口不明、多神社に停めて付近散策がオススメ)■延喜式神名帳小社神命神社■旧社格村社■祭神太朝臣安萬呂多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)の社前道路を挟んで向かいに鎮座、往古は多神社の境内の中だったと考えられています。◎「古事記1300年記念事業」で社殿も美しく建て替えられ、付近もきれいに整備されました。殺風景な感じもしますが、大和の古社のこと、いずれ荒れ果ててしまうのでしょうか。◎
姫皇子命神社(ひめみこのみことじんじゃ)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字多字里ノ東459(P無、多神社に停めて付近散策がオススメ)■延喜式神名帳姫皇子命神社の比定社■旧社格村社■祭神姫皇子命多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)から東へおよそ200mほど、田の畦道を進んだ先に鎮座する社。多神社の境内(かつての)摂社。◎多神社の南にある皇子神命神社とは、社名を鑑みて対になっているとされています。若宮社とも呼ばれ、多神社に対しての若宮であると考えられています。◎「多神社
神武天皇陵のすぐ北にあるのが、第2代・綏靖(すいぜい)天皇の陵墓とされる『桃花鳥田丘上陵(つきだのおかえのみささぎ)』です。神武天皇陵とおなじく綏靖天皇陵も中世以降ながらく所在不明だったのですが、明治11年(1878年)に治定されたといいます。それまで、ここは「塚山」や「塚根山」という遺跡だったそうです。神武天皇陵とおなじくこちらも、古墳かどうかさえ疑わしいものだったようですが近年の調査では、古墳である可能性が高いとされるようですね。比定地は
高家春日神社境内より「二上山」を。手前は「畝傍山」、奥左手は「岩橋山」を挟み、「大和葛城山」。◆「二上山」慕情【~5弥生人と二上山(1)】これまで火山活動により「二上山」が誕生したとされる中新世(およそ1万4000年前に終息)から、旧石器時代、縄文時代にかけてつらつらと綴ってきました。今回は弥生時代を。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~旧石器人や縄文人は「二上山」で採れたサヌカイト製の打製石器(一部に磨製石器)を使用していたことを記しました。弥生人も使っていたのです
【市尾墓山古墳】を出発したココロは、次の目的地に到着した………到着したのは………【多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)】奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569一般には【多神社(おおじんじゃ)】と呼ばれている。久しぶりの参拝となる。神社の前の道路を挟んだ向かいには、こんな石碑があった『古事記献上1300年記念』とある。以前はなかったようなそうですここには、『古事記』を編纂した太安万侶が祀られているのだ『延喜式神名帳』にも【大和国十市郡多坐禰志理都比古
2020年10月21日磯城郡田原本町姫皇子命神社祭神:姫皇子命式内社多坐弥志理都比古神社の境外摂社、多神社の四皇子神(小杜神命神社、皇子神命神社、姫皇子命神社、屋就神命神社)の一社。グーグル地図には、多神社と多観音堂の間になっていて、行くと田圃しかない。農作業のお爺さんに尋ねると、西の集落の端だと教えてくださいました。(先程、確認するとグーグル地図も正確な位置になっていました)小学生低学年の女の子が二人境内で遊んでいました。神社で遊ぶ子供も見かけなくなりました。お詣りしていると
2020年10月21日磯城郡田原本町皇子神命神社祭神:皇子神命式内社多坐弥志理都比古神社の境外摂社江戸時代の『大和志』には「若宮と称すと」あるが、多神社の四皇子の一社といわれている。(奈良県史神社より)
■過去記事一覧◎~1…序◎~2…「二上山」の誕生◎~3…旧石器人の宝物「サヌカイト」◎~4…縄文人と「二上山」◎~5…弥生人と「二上山」(1)多坐弥志理都比古神社と「三輪山」「二上山」◎~6…弥生人と「二上山」(2)「太陽の道」◎~7…古墳時代と「二上山」(1)「屯鶴峯」と凝灰岩◎~8…古墳時代と「二上山」(2)大和国内から国外へ、渡来人◎~9…王族の魂と「二上山」(1)「磯長谷」◎~10…「二上山」の神々◎~11…王族
皇子神命神社(みこのかみのみことじんじゃ)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字多字三ノ宮ノ内245(P無、多神社に停めて付近散策がオススメ)■延喜式神名帳皇子神命神社の比定社■旧社格村社■祭神皇子神命(スメミコノカミノミコト)多坐弥志理都比古神社の真南、小社神社の西に鎮座する摂社。多神社からは200mほど。近くに姫皇子命神社があり、対になっているようです。また、若宮とも呼ばれているようでこれは多坐弥志理都比古神社に対しての若宮と考えて良さそうです。かつては三ノ宮神社と称され
◎秋分の日の出&日の入り~日祀りの聖地より~(令和二年9/22)秋分の日という一年の特別な日、その日の出&日の入りを「日祀りの聖地」で迎える…そんな企画を敢行しました。場所は日の出→多坐弥志理都比古神社日の入り→檜原神社大和国内では最上級の聖地。そもそもは知人がどうしてもこのような地で、日の出&日の入りを迎えたいが、そのオススメの場所をという相談を受けたのが始まり。・私の仕事終わりは朝の5時前後(日によってかなり差異あり)、・前日はもちろん徹夜・到着するのは
三ノ宮神社(田原本町松本)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字松本394(P有るも閉じられている、駐車は下部写真参照)■延喜式神名帳皇子神命神社の論社■旧社格村社■祭神皇子神命式内社皇子神命神社(みこのかみのみことじんじゃ)の論社に挙げられる社。地理的なもの、創建由緒等に関するもの、式内論社に挙げられる経緯は、「松本」地区について歴史を記した案内板を撮影した、下部写真の通り。◎皇子神命神社は、かつては圧倒的な権勢を誇った多坐弥志理都比古神社の境外社。多坐弥志理都比古神社
竹田神社大和国十市郡奈良県橿原市東竹田町495(p無し、鳥居前に垂直に路駐か)■延喜式神名帳竹田神社の比定社■旧社格村社■祭神天香久山命橿原市の東端、「寺川」沿いに鎮座する社。多坐弥志理都比古神社の「別宮」が目原坐高御魂神社(比定社は天満神社)であり、当社は「若宮」とされています。◎天火明神の五世孫とされる竹田川辺連一族が、当地に居を構え氏神とした神社とされます。「五郡神社記」には、当地にある緑の竹が大きく美しいので(一族の)武田押命がお箸の竹にと供したところ、仁徳天皇は喜
多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)大和国十市郡奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569(境内P有)■延喜式神名帳多坐彌志理都比古神社二座並名神大月次相嘗新嘗の比定社■旧社格県社■祭神神倭磐余彦尊神八井耳命神沼河耳命(綏靖天皇)姫御神(玉依姫命)太安万侶古事記の編纂者、太安万侶を輩出した多氏が祖神であるカムヤイミミ神と、さらにカムヌナカワミミ神を祀った神社だとされています。◎カムヤイミミ神は弟カムヌナカワミミ神に皇位を譲り、自らは神祇を祀っ
新堂神社大和国十市郡奈良県橿原市西新堂町182(北隣に公民館がありそこに停めました)■祭神伊弉諾命伊弉冊命橿原市の最北「西新堂町」に鎮座する社。北隣は磯城郡田原本町、かつては同じ十市郡でした。村社でありながら創建由緒等に関する資料はまったく見当たりません。「東新堂町」という地名は存在せず、また「新堂町」も橿原市の南西部、関係は無いのかと。仏教施設の西側という地名なのでしょうか。北西400~500mに多坐弥志理都比古神社が鎮座しますが、かつての神域内であったように思います。二の
今回は奈良県の田原本町へ近鉄笠縫駅周辺をまわってきたぁ〰️多坐弥志理都比古神社【おおにますみしりつひこじんじゃ】多神社【おおじんじゃ】神武天皇の皇子神八井耳命がこの里に来られ、…我、天神地祇を祀る…という由緒をもつ。平安時代の『延喜式』にも名がみえる大和でも屈指の大社である。神八井耳命を始祖とする多氏によって祀られ、中世には国民である十市氏によって支えられた。また、本神社の南には、古事記の撰録にあたった太安万侶を祀る小杜神社や皇子神命神社、姫皇子命神社、子部神社、屋就命神社の
《五十音順》【ア行】愛宕社(横大路・上ツ道、桜井市谷)愛宕神社(桜井市大福)天照皇大神宮(橿原市南浦町)天岩戸神社(天香山)天香山神社伊弉諾神社・伊弉冊神社(天香山)市杵島神社(橿原市石原田町)市杵島神社(橿原市新賀町)厳島神社(田原本町小室)稲荷社(安倍晴明出生の地安倍文殊院内)稲荷神社(橿原市上品寺町)稲荷神社(桜井市下り尾)稲荷神社(田原本町八幡町)石寸山口神社植田神社(橿原市出垣内町)畝尾坐健埴安神社畝尾都多本神社恵比須神社(橿原市北八木町)多坐
皆さん、おはようございますわかばです毎日、ホントによく降りますね一体どのくらい青空見てないかなぁさてさて、前回の続きです笠縫神社をあとにしてもう1つ、笠縫邑の候補地に行きました。多神社(おおじんじゃ)こと多坐弥志理都比古神社です(おおにますみしりつびこ)どーん!!これでも、二の鳥居。一の鳥居からは石灯籠がズラリとならぶなかなか立派な神社さんです。御祭神神倭磐余彦尊(神武天皇)神八井耳命(神武天皇の御子、兄)神沼河耳命(神武天皇の御子、弟)
2月10日は、映画を観に郊外型のシネコンへ向かう途中でいつものごとく、適当に走ります。西へ川を越えると、多坐弥志理都比古神社(多神社)がありました。多坐弥志理都比古神社の境外末社だそうです。
8/1【気になる山の方をうろうろと】曽羽神社(市尾)大岩神社(大淀町大岩)卯神社8/5【酷暑であろうと大和の日祀りを】笠縫神社(春日神社)多坐弥志理都比古神社小杜神社皇子神命神社姫皇子命神社屋就神命神社8/7【車と饒速日神と】矢田坐久志玉比古神社登彌神社葛上神社(中町)添御縣坐神社(三碓)住吉神社(お松の宮)8/8【鳥見郷と忍坂とあとちょっぴり】忍坂山口坐神社忍坂坐生根神社玉津島明神(忍坂)☆神籠石素盞嗚神社(慈恩寺)☆脇本遺跡春日神社(脇
5月20日は、母を連れ出し馬見丘陵公園(古墳群です)へ行きましたが「腰が痛い」とあまり歩けずに退散し王寺駅前の創作中華縁さんでランチして帰りました。途中、多(おお)神社(多坐弥志理都比古神社:おおにますみしりつひこじんじゃ)へ珍しく平野にある神社へ参拝です。まろちゃんは、太安万侶のようです。三輪山です。(下の方は麦畑です。)まだ読み終えてはおりませんが『大和の原像知られざる古代太陽の道』小川光三著を読み訪れたくなりました。
多坐弥志理都比古神社って読めますか?私には全く読めませんでした(。-_-。)「おおにますみしりつひこじんじゃ」と読むそうです。通称は多(おお)神社と言うそうです。奈良県も京都も古都ってよく言いますが、奈良県の古都ってレベルが違うようで歴史が古すぎて神社の名前も地名の漢字が読めません(汗)さて、多神社ですが祀られてるのは第一社神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)第二社神八井耳命第三社神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)第四社姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)で、