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12月4日(木)🗻外鎌山・鳥見山ハイキング🚃橿原神宮行き近鉄の新型車両に初めて乗れましたやさしばという大きなスーツケースを持って座れるシートもありました大和朝倉駅スタート綺麗な住宅地を通って登山口🗻外鎌山292.5m二上山や生駒山大和三山が見えて景色サイコー柿休憩をして鳥見山へ大伴皇女墓(おおとものひめこ)鏡王女墓(かがみのおおきみ)舒明天皇陵(じょめいてんのうりょう)神籠石(じんごいし)ち
山頂で出会えたのは人ではなくコゲラとアカタテハのみでした。
3月11日外鎌山ちょっと日が経ってしまいましたが・・・山頂から桜井の材木集積場小学生の時、社会科見学でこの辺りの材木工場見学に来ました。大神神社の鳥居さて山頂はこんな感じです。南北朝時代西阿という人物がここに城を構えていたらしい。
桜井市大和川を見下ろします。仏教伝来の地桜井市金屋あたり海柘榴市(つばいち)は大阪湾から大和川を遡って百済からの使者が仏教を伝えた地。当時は多くの人が行き交う交通の要衝の地であったといいますが今は見る影もありません。海柘榴市跡(つばいちあと)/桜井市(sakurai.lg.jp)第3回海石榴市(つばいち)/奈良県公式ホームページ(pref.nara.jp)望遠で。2019年9月27日仏教伝来の地、金屋を訪れた時の写真と海柘榴市の写真
外鎌山山頂からの眺めこの景色を見られただけで登ってきた甲斐があったというものです。望遠にして二上山と耳成山手前から天香具山畝傍山奥は葛城山。大和三山を見ればこの歌を思い出します。『香具山は畝傍ををしと耳梨と相争いし神代よりかくにあるらし古へも然にあれこそうつせみも妻を争ふらしき』香久山は畝傍ををしと耳梨と相争ひき神代よりかくにあるらし古へも然にあれこそうつせみも妻を争ふらしき/桜井市(sakurai.lg.jp)
3月11日大和朝倉から忍阪、舒明天皇陵、鏡王女墓を通ってようやく外鎌山(とかまやま)への登りです。外鎌山の案内板左手の山道は直登のような感じでしたが、持って行った資料では右手からの回り道でしたので右手の道を進みます。山の中にひっそりと咲く梅が目を惹きました。急な道を少しばかり登ったところで竜谷への分岐(竜谷がどんな集落かは知りませんが・・・)ダラダラと登りが続きます。途中の竹林。30分弱くらいでしょうか。山頂が見えました。
2022年3月11日忍阪から外鎌山へ舒明天皇陵を過ぎ鏡王女墓を通ってさらに100mほど登ったところに大伴皇女墓があります。大伴皇女は欽明天皇の娘大伴皇女墓(桜井市忍阪)-一般社団法人桜井市観光協会公式ホームページ(jimdo.com)推古天皇や用明天皇とは姉妹(兄妹)という関係右手に紅梅の梅が咲いているのが綺麗でした。聞こえるのは風の音と鳥の音。登りでは気づかなかった道の真ん中にイタチが死んでしました。何にやられたのか。
舒明天皇陵から右手の道を進みます。鏡王女万葉歌碑があります。少し進むと鏡王女墓鏡王女-Wikipedia藤原鎌足の正妻とされています。額田王の姉という説も。
忍阪街道から外鎌山を目指します。まず通るのが舒明天皇陵(段ノ塚古墳)舒明天皇-Wikipedia舒明天皇は天智、天武天皇の父。鳥見山方面が見渡せます。段ノ塚古墳-Wikipedia
不明社(桜井市忍阪)大和国城上郡奈良県桜井市忍阪(詳細住所不明、「忍阪街道」の途上、「忍阪538」の南向かい、「神籠石」から東方50mほど)■祭神(不明)桜井市「忍阪(おっさか)」の集落内、「忍阪街道」沿いに小祠のみ鎮座する社。創建由緒から社名、ご祭神に至るまで一切が不明。霊峰とされた「忍阪山(外鎌山)」とは道路を挟んだ向かい。祠の背後は深い山々となっており、山向こうの谷地には「龍谷」や「狛」といった小集落はありますが。山神を祀る社なのでしょうか。「忍阪街道」沿いに鎮座。この奥
ここ数日音羽三山が綺麗に見えるような気がします。少しばかり気温が下がって清々しく感じられるからでしょうか。ここは醍醐池の北側。春は菜の花畑と桜が綺麗ですよね音羽山から北側に目をやると三輪山との間の景色がこんな感じ。ゴルフセンターのネットが景観の邪魔をしています。いつ建てられたのか知りませんがこの建物をなぜ市は許可したんでしょうね。本当に残念です。景観を損なうことは『豊かさの損失』でもあると思うのですが。右手前が鳥見山真ん中手前が外鎌山だと思います。左奥の山は嶽山?嶽山
桜井市忍阪に鎮座する忍坂坐生根神社[おっさかにいますいくねじんじゃ]730年(天平2年)の記録に初出の古社。拝殿下左右の石燈籠には1674年(延宝2年)の銘があります。拝殿石段側石には1758年(宝暦8年)の銘。祭神:少彦名命、天津彦根命■狛犬■鳥居■拝殿一見、本殿のようにも見える社殿です・・・・・内部は空っぽ。実は背後の宮山全体が神体山(神奈備)です。外鎌山(別称:忍坂山、標高292m)より
上八角下方墳!一見、前方後円墳のよう。古墳の世界は奥が深い。予想だにしなかった形状が、まだまだ存在・・・・・・・7世紀中期建造された終末期古墳。国内最初の八角墳としても貴重。■復元予想図現況はこんな感じ。■道標舒明天皇陵從是左一町。忍坂街道を東へ入ります。■神籠石[じんごいし]ちご石。高さ2.5m、幅1.5m、厚さ1m。加工されています。背後から上に建つ火の見やぐらは、1960年(昭和35年)生根神社より移設。
大伴皇女押坂内墓[おおとものひめみこおさかのうちのはか]は、桜井市忍阪にあります。■道標大伴皇女押坂内墓は直進。右は外鎌山山頂へ。遠くに拝所が見えてきました。石段の前にスロープ状の参道。大伴皇女[おおとものひめみこ]は欽明天皇皇女。■石標大伴皇女押阪内墓。■制札欽明天皇皇女大伴皇女押坂内墓■拝所■神明鳥居陵形:円墳径15m、高さ3m。
忍坂街道から東へ入ると、奥の谷と呼ばれる地があります。まさに、王家の谷と呼ぶに相応しい風景。鏡女王(生年不詳-683)は、額田王の姉、天智天皇の妃、中臣鎌足の正室。万葉集初期の歌人として知られています。鏡王女、鏡姫王とも記され、かがみのおおきみ、かがみのひめみこ等と読まれます。墓域南西端。桜井市忍阪字女塚。■拝所■石標鏡女王忍阪墓。忍阪墓[おっさかぼ]、押坂墓[おしさかぼ]、鏡皇女陵などと呼ばれています。■制札談山保存會は
奈良県ウォーキング協会スタッフで行って来ました。近鉄大和朝倉駅からJR/近鉄桜井駅までの14kmのコース。雨の予報だったため人数はスタッフ合わせて40名ほど。ストレッチ体操のあとスタートしたのですが、私にとって苦手な山へ。外鎌山に行ったのですが、やっぱりしんどかった(;´Д`)ハァハァ山頂から望む風景。のぼってきた甲斐がありました。ただ後は下り。下りも苦手なぷいさん。下りきったとき足はガクガクでした。石位寺へ。こちらでトイレ休憩。暑すぎます。お昼ご飯はため池にて。そこからは写真はなし。
☆神籠石(じんごいし・ちごいし)大和国城上郡奈良県桜井市忍坂781(国道166号から東側に古い集落を通り抜ける道、「忍阪街道」の三つ辻に共用P有り)神武東征のみぎり、この地で八十阜(ヤソタケル)を討つ際に隠れて盾としたという伝承が残る巨石。地元では「ちごいし」と呼ばれているようです。高さは2.5mほど。上部に鐘が据えられており、残念ながら仏教の影響を受けてしまったようです。この大きさから考えて盾にできたのは1~2人くらい。大群の八十阜軍を討つにはあまりにも小さ過ぎるかと。あくまで伝
奈良県桜井市の外鎌山に登ってきました。(山頂からの眺め→こちら)絶景を満喫したあとは、山を降りるのみ!※※※別ルートの入り口を示すプレート。行けるンか?と思いつつも、好奇心のおもむくまま突撃することに。登りの時は、まがりなりにも階段などもありましたが、こちらは基本、けもの道っぽい。一瞬「忍風カムイ外伝」の主題歌が脳裏をよぎりましたが、急勾配だし、時おり道に迷ったかも感に襲われたりしていたので、ドキドキして鼻唄を歌う余裕はありませんでした。ちなみに要
奈良県桜井市の外鎌山に登ってきました。(登りの記事→こちら)以前にこの山のことを調べたところ、景色が良いとのことで、いつかいつかと思ってました。話に違わぬこの景色。誰もない山頂のベンチに腰掛け、お弁当を食べながら、おおいに絶景を満喫しました\(^-^)/※※※画面右側、西北。ズームあれこれ探してみました。東からのびる山裾は三輪山。大神神社のご神体でもあります。その奥にみえる、こんもりとしてるのが箸墓古墳。被葬者は果たして!?ちょっと左に目を転じると、
この日の2週前、「奈良学文化講座」のウォークガイドで、三輪山と外鎌山の間、初瀬谷を歩きました。以前から外鎌山が気になっていたので、ウォークガイドの続きの気分で、外鎌山に行ってきました。外鎌山は標高292.38mの山です。今回は登り。途中、古墳を移設した公園にも寄りましたが、それはまた別の記事にしたいと思います。麓の住宅街から山頂まで、登山ルートが整備されています。とはいえ、イザ山に入ると、道は狭く、急勾配です。この時点で正午過ぎ。運動不足には応えます(>o<)折々道標が励まし
今年も頑張って初日の出の撮影に挑戦してきました。年始早々バタバタで一向に写真の整理も手つかずですが、もう「え、今ごろこのネタ!?」な時期になってきたので、サクッと行きたいと思います(^o^;)今回の撮影地は桜井市、「仏教伝来の地」碑のそばの馬井手橋の上。今回は、昨年後半にちょっとマイブームだった外鎌山からの初日の出を狙ってみました。※※※日の出の光が、初瀬川を照らして綺麗なのではないか?と思ってきたのですが、果たして!?左(北方)から、雲が。その雲に照り映え
JR東海主催の「奈良学文化講座」、チラシを入手したので申込んでみたら運良く当選。当日はまず近鉄・JR桜井駅前のまほろばセンターホールで、橿原考古学研究所の所長・菅谷文則先生の講演を聴講しました。講演のテーマは「邪馬台国は古墳時代か-崇神天皇から景行天皇までの宮との関係について-」※※※昼からはウォークガイド「交通の要所、初瀬谷に築かれた王宮を歩く」です。案内してくださったのは、橿考研の若い先生です。集合は大和朝倉駅です。南出口からは、二上山と耳成山が見え