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こんにちは!1ヶ月弱、更新をサボってしまいました💦長かった休暇も終わりかけ、乗船が近づいて来ました。昨日乗船用のスーツケースを発送し、家の中が広くなりました!さて、乗船が近づくとやらなければならないのが、YouTubeのダウンロードです。船内にはWi-Fiがあるのですが、ラインのメッセージが精一杯な程の微弱なモノなので、YouTubeを観ることなど叶いません・・・Twitterは割とサクサク見れるので、乗船中に呟いてる方も多いです。Instagramは写真がメインで重いので、見れませ
こんにちは。今日の東京は曇ってて寒かったです。さて今回は、船内のお風呂事情についてお話しします。外航貨物船では、1人1部屋でそれぞれの部屋にシャワー・トイレがあります。ビジネスホテルのようですが、節水のためバスタブはありません・・・唯一、船長室のみバスタブがありますが、あまり使わない人が多いようです。↑大揺れの後の居室です。手前の開いてるドアの中にシャワー・トイレがあります。シャワー室とトイレはペラペラのカーテンで仕切られているのですが、上手く水の向きを調節しないとトイレが水浸し
こんにちは!今回は、外航船員の生命線である「私物注文」のお話を書きたいと思います。前回の記事で書いた通り、乗船時には大きいサイズのスーツケースを1〜2個持って行く人が多いです。(実際には家から港まで送って、身軽な状態で乗船します)『乗船準備!スーツケースを空港に送りました』しばらく更新が滞っておりました・・・乗船が近付き、生活用品・お菓子が満載されたスーツケースを空港に送りました。↑とても重いスーツケース(30kg)を2つ。…ameblo.jpそして、、その中にはもちろんある程度の
こんにちは。そう言えば、2月頭にLNG船に乗ることになりました!ドックと言う船の修理工場に入る船のため、どんなことをするんだろうとドキドキします💓【日本の造船業】世界シェア1位から3位に転落した理由1970年代、日本の造船業界は世界シェアのおよそ半分を握っていました。しかし今では、中国、韓国に抜かれ世界第3位です。何があったのでしょうか?diamond.jp↑このように海水を抜いて、船底まで見えるようになります。前の船に3ヶ月乗り、今回の休暇はちょうど3ヶ月だったので、感覚が狂いそうで
ながーい休暇と、なかなか決まらなかった求職活動を経て、久々に乗船しました。初めての太平洋横断、パナマ運河通峡、アメリカ入国なので、引継ぎや準備で、バタバタと忙しい思いをしています。9か月経って帰ってきたら、また更新します。やっぱり海はいいなぁ。
新しい会社に移籍し、何度か出社したり、持ち帰った書類や図面をチェックしたりして、次の船の準備をする日々が続いていました。しかし、やはり本船上の状況を知りたいと思っていたら、丁度自分が次に乗る船の積み地と同じニューオーリンズから来て千葉に入港する船があるとの事で、海務、工務の両監督とともに訪船しました。自分は、3年半乗船した内航船以来、10隻の大型商船に乗り組みましたが、これまで同じ造船所で作られた船に乗ったことがありませんでした。それが、今度の会社の船は、2010年から2011年に
何カ所か面接を受けるものの、どこの会社も陸上勤務前提で長く働いてほしいと言われ、心苦しいが断り続けていた自分。10月に入り、ようやく海上職のみで雇ってもいいと言ってくれる会社が現れたので、面接を受けに行く。面接を受けるというより、乗船する船はもう決まっていると言われ、ほっと一安心。帰りは、プラプラと歩いて日の出桟橋に立ち寄る。東京都観光汽船の「御座船安宅丸」が停泊していました。3年ぶりに、クレーン付きの貨物船。乗船する船は、北米から日本へ主に穀物を運んでいるそうです
以前書いた記事では、画像の大きさがわからず小さいまま掲載していました。いまだに乗る船が決まらず、毎日暇していたので、すべての画像を大きくしてみました。西回り世界二周(一周だとかっこいいけど、二周だとなんか間抜け(笑))した船や、自動車運搬船、材木運搬船、内航セメント船など、今まで小さかった画像を大きくしたので、みなさんぜひお楽しみください。
2014年7月1日、ラプラタ川を1日遡上した場所にある、アルゼンチンのサンロレンソを出港。サンロレンソは川港で浅い為、満タンに荷物を積む事が出来ないので、2日程南に下った、同じアルゼンチンのバイアブランカと言う港でさらに荷物を積む予定であった。しかし、北米、ロシアの穀物が不作で、沢山の船が南米に集中しており、バイアブランカではかなりの沖待ちが予想されるとの事で、北にあるネコチェアという港に変更と連絡が来た。錨地に着いて、貨物倉に入って清掃作業をしていると、キャプテンより「次の揚げ地、マレー
2014年6月28日アルゼンチン、サンロレンソの錨地にて。貨物待ちの長期停泊により、船の食料庫は空に...。しかし、入国審査、貨物倉検査などが無事に終わり、船内はほっとした雰囲気に包まれていた。6月29日8時45分入港作業開始の電話がかかってくる。9時30分錨を上げて、岸壁へ移動開始。前の船が離れるのを待って、穀物積荷岸壁に着岸。右側のオレンジの船が、積み荷の終わった前船です。荷役中に一等航海士がしなければならないもっとも重要な仕事は、荷物を何トン揚げたり積んだりしたかを計算
2014年6月4日、インドからの1か月余りの航海を終え、ウルグアイのモンテビデオ沖、リカラダ錨地に錨を下ろす。荷物のトウモロコシを積むのは、ここからラプラタ川を1日半遡上した所にある、アルゼンチンのサンロレンソという街だ(マップにあるロサリオの少し北)。用船者から、1週間ほど停泊との情報が来ていたが、長期になる事も考慮して、食料はシンガポールで大量に積んであった。黄昏時の錨地。南米は空気が澄んでいるので、空がとても美しい。最初は「きれいだなぁ」と眺めていたのだが、1週間停泊の予定が、日
2014年2月7日に川崎を出港し、翌8日神戸沖に入港。岸壁に移動するのは、10日との事なので、比較的のんびりと過ごす。10日朝、神戸の灘浜にある昭和産業岸壁に移動。本船と陸とを繋ぐロープの下を、はしけが通れるようにとの事で、ロープのエンドを陸にある小屋の屋根に持っていく(赤丸の中)。200トン吊りクレーン船がいきなり接舷したので、何かと思ったら、穀物をかき集めるため5トンのブルドーザーを船内に吊りいれるとの事であった。穀物を吸い上げるアンローダーと呼ばれる機械。通称「象の鼻」と言われ
15日間、毎日朝から晩まで貨物倉の掃除をし続け、乗組員全員疲労困憊の状態で、2014年1月9日、アメリカ、ワシントン州のカラマに入港。2年前の10月にこの少し上流で小麦を積んだが、船の安定性をめぐって、代理店、貨物検査人とすったもんだがあったところだ。http://ameblo.jp/a815k1/entry-11411115548.htmlその時の様子はこちらに...。ここの岸壁には、積み荷施設が無いので、どうやら貨物倉の検査のみをするようだ。貨物検査人による、貨物倉の検査。浮いた
11月22日、インドネシアのタンジュンバラで石炭を満載して出港。出港して最初の仕事は、甲板を海水で流すデッキウォッシュ。石炭のカスで、ドロドロだったのがすっきり。島の近くを通ると、たまに漁船が寄ってくる。「海賊か!」と緊張するが、魚売りであった。「魚いらんかね~?」と言っているようだ。セレベス海に沈む夕陽。のんびりとした時間が過ぎていく。12月1日、韓国のプサンで燃料を積み、翌2日に隠岐諸島近くに錨を打って停泊。なんでも、2週間ほどここにいるようだ。水深73mと深いので、完全
2013年11月14日、香港を出港し、石炭積み荷のため、インドネシアのTanjungBaraに向かう。写真は、貨物倉の水洗い。前の荷物が穀物できれいなので、ざっと海水で洗い流し、清水でリンスするだけ、と思っていたら床に錆が出てしまい、それを除去するのに結構苦労した。航海中の楽しみ、食事。これは朝食だが、フィリピン人が作ったとは思えないほど思いっきり和食。味も良くて、毎食楽しみ。早めに着いたので、沖合80キロほどで漂流させて時間を潰す。空がきれい。積み荷の順番を待つため、湾内へ移
乗船してから、前任の一等航海士より引き継ぎを受ける。出港まで3日あるので、じっくりと話しを聞く事が出来た。積み荷は、ニューオーリンズで積んだトウモロコシ。乗船後、すぐに行われる退船操練(避難訓練)。非常時には、この小さなボートに乗って逃げるので、出港前に確認。これは、非常操舵操練。舵が故障して、操舵室から操作できなくなったときは、舵の上にある油圧モーターを直接操作して舵を動かす事が出来る。これも、乗船後すぐにやっておけば、非常時に慌てずに対処する事が出来る。11月11日、泉州を出
再骨折から3ケ月、体も大分復活してきて、どこか乗れる船は無いかと、内航船でアルバイトしてみようとか考えたりしていたが、2013年10月に入って以前出向で行っていた船会社から、そろそろ船に乗らないかと声がかかった。しばらく友人とも会えなくなるので、神田の「みますや」という居酒屋で飲み会。何でも、昭和初期に建てられた現存する東京最古の居酒屋とかで、店内はノスタルジックな感じ。しかし、建物とは逆に、お客さんは皆活気があってにぎやか、まさに「酒場」という雰囲気で楽しかった。乗船前研修を受けに広島
2013年1月27日、五島列島の福江島沖を通過。ロスアンジェルスに着く一ヶ月後まで、携帯での電話が出来ないので、家に電話。衛星電話は使えるが、1秒近い間があるのでやっぱり携帯の方が話しやすい。26日23時に出港し、その直後の朝4時から当直をとっていたのでさすがに眠かったが、昼寝をして大分回復したので、デッキに出てゴルフの練習をする。プラスチックボールに、ひもをつけて打つが、強い風と船体の動揺があるので、なかなか難しい。甲板部の作業は、アメリカでの厳しい本船搭載クレーンのチェックに備えた
2013年1月24日02時、寒いだけで何も面白くなかったインチョン出港。出港まで、積荷をチェックしていたので、キャプテンが朝の当直をとってくれた。ここぞとばかりに朝酒を飲む。一等航海士最大の楽しみ。1月25日午後、プサン到着。渥美次郎の「プサン港へ帰れ」が、頭の中をぐるぐる回る。結構清潔な港だが、積荷を固定する人夫の道具がお粗末で、電動工具がしょっちゅうショートしてしまう。そのたびに、船内にあるブレーカーを戻さねばならず、なかなか貨物の固定がはかどらない。これは、蛾の検査中。ア
2013年1月9日、10日間に渡って停泊したウルサンを出港。一日の短い航海で、北朝鮮に近いインチョンに入港。4年前に、材木運搬船で来た懐かしい景色。湾内にある、火力発電所。この丘のふもとには、海鮮料理屋街があるよ、と材木運搬船のキャプテンは言っていた。この後ろが港になっていて、潮の干満差が大きいので、水門で仕切ってある。しかし、我々が向かったのは、仕切の外の寂しい所。潮の干満差が大きいので、ロープが切れたりたるんだりしないように、四六時中点検し続けなければならない。おまけに北朝鮮
2012年12月28日、韓国一港目のダンジン出港。暮れも押し迫った12月30日、二港目のウルサンに到着。夜明けと共に入港する。両岸に橋をかけるようだ。この橋を見て、韓国人の検査人が「日本と違って、なかなかできないし、出来ても落ちますよ」と怖い事を言っていた(汗)。これから積む貨物が、岸壁にスタンバイしてあった。積み始めた4番ハッチ。これからどんどん上に積んでいくのだが、中々荷物が決まらないらしい。日本の場合、入港前に「プランナー」と呼ばれる人が、どこに何をどれだけ積むのか決めてお
韓国最初の港はDangjin。インチョンの南。12月25日零時01分に入港して錨を打つように、との指示が韓国側用船者よりあり、12月24日23時30分に投錨作業開始。雪が叩きつける中、鼻水垂らして最高のイブの夜。今年も船上のメリークリスマス(涙)。ものすごく寒い中、ダンジン入港。海水が、すぐに凍ってしまうほどの寒さ。ロープから垂れた海水もすぐにつららになってしまう。街は遠く、何もないさびしい港でした。入港作業が続いたので、着岸後クリスマスパーティーをする。小豚の丸焼き、チャー
半年ほどの休暇が終わり、2012年12月より陸上勤務。毎日、オフィスに行き、管理船から送られてくる、積荷や航海状況などをチェックする。クリスマス、正月と、家でゆっくりできるかなぁ、と甘い考えでいたら、ある朝となりの船舶管理部門から「乗船勤務不能だって」とか「リベリア免許だもんなぁ」などという会話が聞こえてきた。なんでも、フィリピン人一等航海士が、怪我をしてしまい下船せざるを得なくなったとの事。やがて部長が「ちょっと」と言って自分を連れて会議室へ。覚悟はしていたが、ピンチヒッターで乗船し
新たな航海の始まりです。今回乗船したのは「パナマックス」と言って、パナマ運河を通航できる最大サイズの貨物船です。主に、日本の火力発電所向けに、インドネシアやオーストラリアから石炭を運びます。やっとクレーンの無い船に乗れた(クレーンが無いと、メンテナンス事項が減るので楽になる)。前の船で、貨物倉内を点検中に10mほど転落し、大けがを負いました。しかし、懸命のリハビリを経て、海上職に復帰することができました。いま、自分が船に乗れるのは、支えてくれた家族や、友人のおかげと感謝しています。
2012年2月19日、2週間のフィリピン停泊を終え、揚げ地の中国目指して出航。フィリピン近海は、太陽が明るくて気分いい。しかし、フィリピンの北、バリンタン海峡で急に波が高くなる。点検のためデッキを歩いていたら、大波を頭からかぶってしまった。2月29日午後、中国嵐山(ランシャン)に到着。沢山のクレーンが並んでいる。12時25分、どんづまりの11番岸壁に着桟。3年前に材木船で訪れた時より、港がさっぱりしたような印象がある。気分転換に上陸してびっくり、港の後ろの街はすべてがれきになって
2012年2月6日、フィリピンのパラワン島にあるナラという村の沖に到着。ここで2週間ほどかけてニッケル鉱を積む。ニッケル鉱というくらいだから、銀色でピカピカしているのかと思ったら...思いっきり「泥」肝心のニッケルは0.6%ほどしか含まれておらず、半分くらいが鉄鉱石、残りが土だという。岸壁が整備されていないので、我々の船は沖で停泊したまま。荷物は小さい船で持ってくる。ただの泥と言っても水分の含有量が多く、あまりに水分が多いと貨物倉内で液状化して片方に寄ってしまい、転覆沈没の危険があ
2012年1月22日夜、中国、連雲港の錨地より、揚げ荷岸壁に移動する。しかし、油圧配管のバルブの一つが閉まらなくなり、貨物倉の蓋を開ける事が出来なくなってしまった。大慌てで、予備の移動式油圧モーターを持ってきて、なんとか2時間がかりで全ての貨物倉を開け、官吏により荷物に異常がないことの確認を受けてから揚げ荷開始。1月23日が旧暦の新年との事で花火が上がる。他に、荷役監督の人が「新年好(シンネンハオ)!新年好!」と言いながら、お菓子や小さなみかん、老酒などを持ってきてくれる。こちらも、サ
2011年12月11日、ニューオーリンズでの緊張した積み荷、パナマ運河を制限喫水1cm手前でギリギリ通過、と両方ともに無事クリアー。ほっとした気分でパナマ運河太平洋錨地を出港、一か月の長期航海で中国を目指す。12月24日、クリスマスイブ。アメリカで、ツリーを買う予算をねん出できなく、クリスマスの気分が出ないので、甲板長に製作を命じる。器用な乗組員がいるもので、見事なツリーができた。しかも、ティッシュペーパーで(笑)しかし、イブの朝、操機員(エンジンルームで機関士の手伝いをする人)の一
ニューオーリンズを、前の喫水11m91cm、後ろの喫水12mちょうどで出港。水の重さが1.000だったので、これで燃料を消費し2cm浮き上がり、水の重さが0.9985のパナマ運河に到着すれば船が沈んで、12m02cmになる計算。パナマ運河制限喫水の12m04cmまで2cmほどの余裕があるが、これはあくまで計算であってこの通り行くとは限らない。この予測を誤って、例えば制限喫水を越えてしまい、燃料を他の船に移してからでないと入港できなくなったり、逆に出港できなくなったりという船は枚挙にいとまが
2011年11月22日、パナマ運河を荷物を積まずに通過、いよいよニューオーリンズ~中国航海の始まりだ。皆さんアルキメデスの原理というのをご存知でしょうか?アルキメデスが、お風呂に入った時にあふれたお湯を見て思いついたと言われるもので「水に浮いている物体が押しのけている水の質量は、その物体の質量に等しい」というものです。船が今何トンあるかというのは、水に沈んでいる部分(喫水といいます)を測って求めます。このように船体の前、真中、後ろそれぞれ左右計6か所に船の深さが書いてあります。この沈ん