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ご無沙汰しております!meeeecoです。ひっさしぶりに書きます!笑ここ数ヶ月、何回かブログ書こうかな〜と思いましたし、ネタがないわけでもなかったんですが、どうしても心の底から「書きたい!」と思った時でないと書きたくないという謎ポリシーがブログ開設以来私の中にありまして、長らくROMりがちであります(言葉遣いが古いかしら笑)まぁ、一つ一つの記事に魂を込めているといえばいいでしょうか(。+・`ω・´)キリッ(大したものはない)最近はアメンバーや読者申請してくださる方も
七海ちゃんとしての初仕事も終えて、卒業論文のデータ入力に追われておりました。笑(七海ちゃんの時は裸眼にしてんだけどやっぱカラコン入れようかな)ちびっこたちと一緒にたくさんお写真撮っていただいたよ♡(載せられないけど)次の機会はお声かけさせて頂いてご了承いただければツイッターなどにも載せたいです♪(西村の携帯で撮ってもらいなと言われたので次回からは携帯を携帯する事を誓います!笑)みんなの楽しい思い出になってたらいいな☺️好きって気持ちが「なりたい」につながると思うので、海や船を好きにな
こんにちまきゅ先日「アイドル航海士3代目海月七海」オーディションに行ってきましたよっ(^ω^)2次審査を通過した15名のファイナリストの中からグランプリと準グランプリと3位を決定しますな、なんとエントリーNo.150音順なので仕方ないトップバッターはとっても緊張しました会場は広く、沢山の審査員の方がいらっしゃってドキドキ、、オーディションは本当慣れないなぁでもあやきを今よりも沢山の方に知ってもらえるチャンスだと思うので頑張りましたっ特技披露では歌を歌ったよ人前で歌うのっ
こんばんは!西村彩有里です!あーんど海月七海です!本日はオーディションでありました。J-CREWプロジェクト、第3回アイドル航海士オーディションでグランプリをいただき、第3代海月七海ちゃんになることができました!作業作業と言っていたのは今日のための準備でした✨自己PRであいうえお作文やったの✨(この並びうになの今気づいた笑)作るのにそんなに時間はかからなかったけど考えるのに時間がかかりました(笑)不器用だしうまく出来なかった(>_<)でも頑張ってよかった!これから1年間、「
2014年7月1日、ラプラタ川を1日遡上した場所にある、アルゼンチンのサンロレンソを出港。サンロレンソは川港で浅い為、満タンに荷物を積む事が出来ないので、2日程南に下った、同じアルゼンチンのバイアブランカと言う港でさらに荷物を積む予定であった。しかし、北米、ロシアの穀物が不作で、沢山の船が南米に集中しており、バイアブランカではかなりの沖待ちが予想されるとの事で、北にあるネコチェアという港に変更と連絡が来た。錨地に着いて、貨物倉に入って清掃作業をしていると、キャプテンより「次の揚げ地、マレー
2014年6月28日アルゼンチン、サンロレンソの錨地にて。貨物待ちの長期停泊により、船の食料庫は空に...。しかし、入国審査、貨物倉検査などが無事に終わり、船内はほっとした雰囲気に包まれていた。6月29日8時45分入港作業開始の電話がかかってくる。9時30分錨を上げて、岸壁へ移動開始。前の船が離れるのを待って、穀物積荷岸壁に着岸。右側のオレンジの船が、積み荷の終わった前船です。荷役中に一等航海士がしなければならないもっとも重要な仕事は、荷物を何トン揚げたり積んだりしたかを計算
2014年6月4日、インドからの1か月余りの航海を終え、ウルグアイのモンテビデオ沖、リカラダ錨地に錨を下ろす。荷物のトウモロコシを積むのは、ここからラプラタ川を1日半遡上した所にある、アルゼンチンのサンロレンソという街だ(マップにあるロサリオの少し北)。用船者から、1週間ほど停泊との情報が来ていたが、長期になる事も考慮して、食料はシンガポールで大量に積んであった。黄昏時の錨地。南米は空気が澄んでいるので、空がとても美しい。最初は「きれいだなぁ」と眺めていたのだが、1週間停泊の予定が、日
2013年5月2日、インド、ビシャカパトナム出港。次は、ブラジルで穀物を積め、との指示が用船者より来ていたので、これから南米到着までの一か月間は、毎日貨物倉の掃除作業だ。ソマリア沖の海賊は、大きな漁船を改造した母船に、小型の高速艇を搭載し、インド洋のかなり広い範囲で暴れ回っている。そのため、赤い線で囲ったエリアが危険区域と設定されていて、そこに立ちいって万一襲われたとしても、保険が出ないので、大回りしてそのエリアを避ける。貨物倉の掃除作業。まずは掃き掃除だが、7つある貨物倉(大体25m
インド、ビシャカパトナムの港は、外港と内港に分かれている。内港は浅い為、外港である程度荷物を揚げて船足を軽くしてからシフトする。2013年4月27日02時40分、シフト開始。これは、入口にあるヒンドゥ教の寺院。狭い港の入り口を抜けると、中で少し広くなっている所がある。ここで船を回して、バックで岸壁まで入っていく。両岸共に船が止まっていて、かなり狭い。この中を後進で入っていくのは、容易な作業ではない。途中、何度か船が曲がって、他の船に接近してしまい、ひやひやした。3時35分、岸壁
2014年4月18日、色々な物資を補給し、忙しかったシンガポールを出港。揚げ地のインド、ビシャカパトナムに向かう。船は、常に塩っ気のある環境にあるので、放っておくとすぐに錆てきてしまう。それを防ぐために、定期的に錆びた所は錆を落とし、きれいにペンキを塗っておく。塗装が終わっても、すぐに別の場所が錆びてくるのでイタチごっこだが、メンテナンスは重要な作業だ。荷主さんに買っていただいた、高圧洗浄ガンのテスト。高さ20mの貨物倉を、きれいに掃除するためには、かなりの圧力が必要。ホースの接続
次の港で、個人的に必要な物を頼みたいときは「プライベートオーダー」という事をします。キャプテンが、食料品業者などを代理店に紹介してもらい、メールでカタログを送付してもらいます。複数の業者から、価格が適正な所を選んで、カタログを食堂などに置いておき、乗組員がそれぞれ自分の必要な物を注文して、入港後受け取るというシステムです。今回、オーストラリアからインドまで行く途中に、シンガポールで燃料や潤滑油、食料、掃除道具などを積み込むので、一緒に自分もビールやウイスキー、ワインなどを頼みました。4月
グレートバリアリーフ通過後、ヘリにて下船する水先案内人(ヘリの大きな音が出ます、ご注意ください)。オーストラリアにある巨大サンゴ礁「グレートバリアリーフ」を通過するためには、水先案内人を乗せなくてはなりません。陸地から遠く離れたサンゴ礁で、水先人が乗下船するのには、ヘリコプターを使います。乗り物全般が大好きな自分は、大喜びですが、規則により消火設備や風見の為ののぼり、甲板を上り下りする為の手摺りや階段などを設置しないといけないので、乗組員は大忙しです。2013年3月14日、ダリンプルベイ
広島から、オーストラリアのダリンプルベイまでの概略図。日本出港直後は、まだちょっと時化ていましたが、赤道に近付くにつれ海が穏やかになり、とても快適な航海になってきました。日本を出て一週間後、ビスマルク海北端にある、パプアニューギニアのカニエット諸島に接近しました。カニエット諸島の海図で、サエ島とカニエット島で構成されています。これがサエ島。こっちがカニエット島。ビスマルク海に夕陽が沈む。細野晴臣の「TROPICALDANDY」というアルバムが好きで、航海中も良く聞いているんですが
博多で全ての荷物を揚げたのち、定期修理、点検のために広島県にある造船所に向かう。2014年2月20日、造船所修繕岸壁着。着いた次の日から、造船所で持っているホテルに宿泊。夜の当直が無いので、とても快適だ。フェリーに乗って尾道に行ってみました。瀬戸の花嫁の歌が、ぐるぐる頭の中を回る。日曜日は「ポニョの冒険」で一躍有名になった鞆の浦に来てみました。映画の公開前も、結構にぎわっていましたが、益々人が増えたよう。鞆の浦で食べた、鯛めし定食。とても上品な味で、おいしかった。夜は、福山駅
2014年2月7日に川崎を出港し、翌8日神戸沖に入港。岸壁に移動するのは、10日との事なので、比較的のんびりと過ごす。10日朝、神戸の灘浜にある昭和産業岸壁に移動。本船と陸とを繋ぐロープの下を、はしけが通れるようにとの事で、ロープのエンドを陸にある小屋の屋根に持っていく(赤丸の中)。200トン吊りクレーン船がいきなり接舷したので、何かと思ったら、穀物をかき集めるため5トンのブルドーザーを船内に吊りいれるとの事であった。穀物を吸い上げるアンローダーと呼ばれる機械。通称「象の鼻」と言われ
鹿島から千葉へ移動。二日ほどのんびり錨を打って停泊したのち、2014年2月4日千葉共同サイロへ着桟。タグボート「大成丸」「あさひ」「おおとり」の3隻に押してもらう。「この冬一番の寒さ」とラジオで言っていたのだが、カムチャッカ、オホーツクを通ってきた身にはそれ程寒さを感じなかった。ほんと船乗りは、季節感の無くなる商売だ。家に帰り、久々の日本食。近所の寿司屋から出前を取り晩酌する。のんびり風呂に入れるのも嬉しい。二日ほど千葉に停泊し、次は川崎。東京湾水先案内人とキャプテン。手前に
3日間に渡る小麦の積み荷を終え、2014年1月15日21時45分、アメリカ、オレゴン州ポートランドを出港する。行きの航海は、2週間に渡って正月返上で貨物倉の掃除を続け、あげくの果てに不合格になり、手直しを強いられてくたくたになったもんだが、帰りは特に急いでやらなければならないことも無く、のんびりとした航海になるはずだ。冬の北太平洋だが、出港してすぐは高気圧に覆われていて穏やかだった。アメリカ大陸から、朝日が登る。ゆったりとしたうねりの中を航海する、貨物船の操舵室からの映像。アメリカ沿岸
15日間、毎日朝から晩まで貨物倉の掃除をし続け、乗組員全員疲労困憊の状態で、2014年1月9日、アメリカ、ワシントン州のカラマに入港。2年前の10月にこの少し上流で小麦を積んだが、船の安定性をめぐって、代理店、貨物検査人とすったもんだがあったところだ。http://ameblo.jp/a815k1/entry-11411115548.htmlその時の様子はこちらに...。ここの岸壁には、積み荷施設が無いので、どうやら貨物倉の検査のみをするようだ。貨物検査人による、貨物倉の検査。浮いた
2013年12月25日、クリスマスに敦賀を出港、アメリカのポートランドに向かう。福井から輪島までの日本海図。内航船に乗っている時に、何度も通った海域なので懐かしい。日本海フェリー、近海郵船のRORO船と、すれ違う船も馴染みがあるので、しばし甲板員時代に戻ったような感覚。この海図を見ていると、いつも尾小屋鉄道の廃線跡がある場所に目が行ってしまう。船乗りになりたくて、サラリーマンを辞め、何のあてもなく警戒船や屋形船のアルバイトで食いつないでいた頃。ふっと時間が出来たので、子供の頃に読んだ
11月22日、インドネシアのタンジュンバラで石炭を満載して出港。出港して最初の仕事は、甲板を海水で流すデッキウォッシュ。石炭のカスで、ドロドロだったのがすっきり。島の近くを通ると、たまに漁船が寄ってくる。「海賊か!」と緊張するが、魚売りであった。「魚いらんかね~?」と言っているようだ。セレベス海に沈む夕陽。のんびりとした時間が過ぎていく。12月1日、韓国のプサンで燃料を積み、翌2日に隠岐諸島近くに錨を打って停泊。なんでも、2週間ほどここにいるようだ。水深73mと深いので、完全
2013年11月14日、香港を出港し、石炭積み荷のため、インドネシアのTanjungBaraに向かう。写真は、貨物倉の水洗い。前の荷物が穀物できれいなので、ざっと海水で洗い流し、清水でリンスするだけ、と思っていたら床に錆が出てしまい、それを除去するのに結構苦労した。航海中の楽しみ、食事。これは朝食だが、フィリピン人が作ったとは思えないほど思いっきり和食。味も良くて、毎食楽しみ。早めに着いたので、沖合80キロほどで漂流させて時間を潰す。空がきれい。積み荷の順番を待つため、湾内へ移
乗船してから、前任の一等航海士より引き継ぎを受ける。出港まで3日あるので、じっくりと話しを聞く事が出来た。積み荷は、ニューオーリンズで積んだトウモロコシ。乗船後、すぐに行われる退船操練(避難訓練)。非常時には、この小さなボートに乗って逃げるので、出港前に確認。これは、非常操舵操練。舵が故障して、操舵室から操作できなくなったときは、舵の上にある油圧モーターを直接操作して舵を動かす事が出来る。これも、乗船後すぐにやっておけば、非常時に慌てずに対処する事が出来る。11月11日、泉州を出
再骨折から3ケ月、体も大分復活してきて、どこか乗れる船は無いかと、内航船でアルバイトしてみようとか考えたりしていたが、2013年10月に入って以前出向で行っていた船会社から、そろそろ船に乗らないかと声がかかった。しばらく友人とも会えなくなるので、神田の「みますや」という居酒屋で飲み会。何でも、昭和初期に建てられた現存する東京最古の居酒屋とかで、店内はノスタルジックな感じ。しかし、建物とは逆に、お客さんは皆活気があってにぎやか、まさに「酒場」という雰囲気で楽しかった。乗船前研修を受けに広島
一番倉で荷崩れが発生し、甲板部総出で増し締め作業を行っていました。午前中の作業を終え、昼食を取り、少し休んで午後も作業を継続しました。一等航海士は、夕方の航海当直に備えて、午後は休息を取ることが望ましいのですが、キャプテンが当直をとってくれるというので、自分は継続して作業にあたる事にしました。そして、午後1時過ぎ、薄暗い貨物倉の中を歩いている時、自分は貨物の後端から、10m下の船底まで転落してしまったのです。ここが落ちたところ。船の前に向かって歩いていたつもりが、貨物の後端に沿って歩い
2013年1月27日、五島列島の福江島沖を通過。ロスアンジェルスに着く一ヶ月後まで、携帯での電話が出来ないので、家に電話。衛星電話は使えるが、1秒近い間があるのでやっぱり携帯の方が話しやすい。26日23時に出港し、その直後の朝4時から当直をとっていたのでさすがに眠かったが、昼寝をして大分回復したので、デッキに出てゴルフの練習をする。プラスチックボールに、ひもをつけて打つが、強い風と船体の動揺があるので、なかなか難しい。甲板部の作業は、アメリカでの厳しい本船搭載クレーンのチェックに備えた
2013年1月24日02時、寒いだけで何も面白くなかったインチョン出港。出港まで、積荷をチェックしていたので、キャプテンが朝の当直をとってくれた。ここぞとばかりに朝酒を飲む。一等航海士最大の楽しみ。1月25日午後、プサン到着。渥美次郎の「プサン港へ帰れ」が、頭の中をぐるぐる回る。結構清潔な港だが、積荷を固定する人夫の道具がお粗末で、電動工具がしょっちゅうショートしてしまう。そのたびに、船内にあるブレーカーを戻さねばならず、なかなか貨物の固定がはかどらない。これは、蛾の検査中。ア
2013年1月9日、10日間に渡って停泊したウルサンを出港。一日の短い航海で、北朝鮮に近いインチョンに入港。4年前に、材木運搬船で来た懐かしい景色。湾内にある、火力発電所。この丘のふもとには、海鮮料理屋街があるよ、と材木運搬船のキャプテンは言っていた。この後ろが港になっていて、潮の干満差が大きいので、水門で仕切ってある。しかし、我々が向かったのは、仕切の外の寂しい所。潮の干満差が大きいので、ロープが切れたりたるんだりしないように、四六時中点検し続けなければならない。おまけに北朝鮮
2012年12月28日、韓国一港目のダンジン出港。暮れも押し迫った12月30日、二港目のウルサンに到着。夜明けと共に入港する。両岸に橋をかけるようだ。この橋を見て、韓国人の検査人が「日本と違って、なかなかできないし、出来ても落ちますよ」と怖い事を言っていた(汗)。これから積む貨物が、岸壁にスタンバイしてあった。積み始めた4番ハッチ。これからどんどん上に積んでいくのだが、中々荷物が決まらないらしい。日本の場合、入港前に「プランナー」と呼ばれる人が、どこに何をどれだけ積むのか決めてお
韓国最初の港はDangjin。インチョンの南。12月25日零時01分に入港して錨を打つように、との指示が韓国側用船者よりあり、12月24日23時30分に投錨作業開始。雪が叩きつける中、鼻水垂らして最高のイブの夜。今年も船上のメリークリスマス(涙)。ものすごく寒い中、ダンジン入港。海水が、すぐに凍ってしまうほどの寒さ。ロープから垂れた海水もすぐにつららになってしまう。街は遠く、何もないさびしい港でした。入港作業が続いたので、着岸後クリスマスパーティーをする。小豚の丸焼き、チャー
半年ほどの休暇が終わり、2012年12月より陸上勤務。毎日、オフィスに行き、管理船から送られてくる、積荷や航海状況などをチェックする。クリスマス、正月と、家でゆっくりできるかなぁ、と甘い考えでいたら、ある朝となりの船舶管理部門から「乗船勤務不能だって」とか「リベリア免許だもんなぁ」などという会話が聞こえてきた。なんでも、フィリピン人一等航海士が、怪我をしてしまい下船せざるを得なくなったとの事。やがて部長が「ちょっと」と言って自分を連れて会議室へ。覚悟はしていたが、ピンチヒッターで乗船し