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玲瓏之太刀は、ただ剣を上げてただ下すだけになります。その1手に勝ちが生じても、負けたとしてもただその結果を受け入れれば、玲瓏之太刀が生じます。遊行寺での稽古。武好会https://bukokai.jimdofree.com/稽古日時毎週土曜日15:00-17:00(亀井神社)第三日曜日9:00-11:00(遊行寺)稽古場所亀井神社(藤沢市亀井野554.)六会日大前駅から徒歩7~8分。駐車場・駐輪場あり。遊行寺(藤沢市西富1-8-1)遊行
玲瓏之太刀を含め、心を主軸とする剣技には「勝敗離脱」と言う考え方があります。これを理解するための1例をあげます。「遥か未来の日本人よ。我々が知らぬこの戦いの後の日本は誇り高き国であろうか?」この文章は、特攻隊員である22歳の青年が書き残した遺書から抜粋しました。この部分だけを私の解釈で説明すると日本が勝ったとしたら、驕ってはいないだろうか?日本が負けたとしたら、卑屈になっていないか?日本は勝っても負けても、誇り高き国であろうか?目先の勝敗など、
昔、甲野先生のご著書で、夕雲流の「あいぬけ」を知ったその後、数十年、この「あいぬけ」について愚考をめぐらしたのだが、凡愚なるがゆえに、緒さえ見いだせないブドウ修行のお粗末あれ、甲野先生のご解説に初めて触れたそうなんだろうか、きっとそうだ
2026年2月の稽古予定日2月7日(土)亀井神社15:00-17:002月14日(土)亀井神社15:00-17:002月15日(日)遊行寺骨董市10:00-12:002月21日(土)亀井神社15:00-17:002月28日(土)亀井神社15:00-17:00稽古場所亀井神社(神奈川県藤沢市亀井野554.)六会日大前駅から徒歩7~8分。駐車場・駐輪場あり。六会小学校となり。遊行寺(神奈川県藤沢市西富1-8-1)遊行寺骨董市「つづら屋」ブース隣
先の投稿で、武道の定義について触れました。今回は武道とか国家に関わる実話を紹介したいと思います。国家の為、と言う意味は「戦って死ね」と言う事ではありません。その先を理解し,、それを本心とすることが武道の本質となります。
武道・・・?いざ武道の定義の説明を求められても的確に答えられる人は稀です。例えば「武道とは、心身を鍛え技を磨き強くなることだ!」という答えがあった場合。「では、武道とスポーツと格闘技の違いは何か?」と聞かれると曖昧な答えしか返せなくなることがあります。「武道には精神性がある!」「じゃあスポーツや格闘技には精神性はないのか?」そんな事はありません。スポーツマンシップと言う精神もあり格闘技も体も心も鍛えます。よくある「剣道は武道なのか?スポーツなのか?」この答
無住心の理解~リンゴを例に~世の中には“唯一無二”とそうではない事があります。まずリンゴを英訳した場合はappleであり、これ以外の答えはありません。appppleやapllleなどは正しい答えではありません。これは絶対であり、唯一無二になります。では、リンゴを食べた感想を聞いた時。ある人は「甘酸っぱくて美味しい。」別の人は「酸味が強くて不味い。」他にも「また食べたい。」「二度と食べたくない。」「食材として使いたい。」などあります。これらを1つの
ドラクエに「ラーの鏡」と呼ばれるアイテムがあります。ラーの鏡は真実を写す鏡で、魔法などで何かに変化した相手を暴く効果があります。さて武好会で言う八寸の延金。この八寸の延金はお相手が「水月」「気」「畜生心」などの場合は非常に有効に作用します。半面、無住心、八面玲瓏と言った状態(近い状態を含む)のお相手には、何ら作用が現れません。八寸の延金を畜生心の術理として切り捨てるのか?あるいは真実を判定するための手法として有効に活用をするかは全て自分の判断と責任で良いかと思いま
クマの駆除で、”言いがかり”で猟銃免許をはく奪されたハンターがおりました。彼の行為は「善」であったように思えますが、悪法でも法は法、と言う悪しき慣習で、親方日の丸が善人を犯罪者に仕立て上げました。某ハンター漫画のセリフ「批判は全てハンター協会がかぶれということですな」その因果でしょうか??最近ニュースに上がるクマ被害にハンターが出動をしなくなりました。ここまでは、普通のお話です。私個人はハンターが、日の丸の下に傅(かしず)く必要は無いと思っております。傅
出前で届いた料理を頂いた後に、その汚れた食器を洗うべきか?それとも洗わないべきか?そんな意見の遣り取りを見ました。では「心の剣(無住心)」の立場から回答をすれば「食器を洗うかどうかは、大きな問題ではない。」大切な事は、お金を払っているとはいえ食材となった命、食事を提供していただいた事などへの「感謝」があるかどうかになります。感謝の意で食器を洗う事も正しいし、反対に、寿司桶のような繊細な器は水でささーっと流す程度で、綺麗には洗わないことも正しい選択になります。
ネタバレ注意!「ドールハウス(長澤まさみさん主演)」のネタを知りたくない人はスルーしてください。ドールハウス自体は「怖い」と言う感想は無く”ただただ悲しい(哀しい)”と言う印象が強く残りました。さて、ドールハウスで気が付いたことは現代社会の風刺をしていると言う事です。つまりドールハウス=現代社会。現代社会、あるいは伝統武道の落とし穴として「一番大切なもの(事)に気が付かない。」要は針ヶ谷夕雲先生
無住心を理解するために必要な事は、何かのカッコイイ言葉やそれに準じたステキな説明の暗記ではありません。今回はアナキン版のスターウォーズ(EP1~3)から無住心を説明いたします。この作品のジェダイ、あるいはジェダイ集団は“自分たちの教義を絶対的なもの”としてそれを他者に押し付けています。彼らの行いを簡単に書くと「俺(俺たち)がこう思うから、こうあるべき。」です。“銀河への平和”とか“自然とフォースの一体”のような格好の良い素敵な言葉を並べています。しかし、銀
針ヶ谷夕雲先生は、心の師匠である白虎禅師より「流儀でも流派でもなく、しいて言えば無住心剣術とでも言わんかな。」という術理(と言って良いか?)の説明を受けています。無住心とは、軽い言葉で言えば「何かの執着などが無い状態」でしょうか。ここで太陽の話。太陽は光を象徴した存在です。つまり善か?悪か?と聞かれれば善と答えてしまいがちな存在です。もし24時間365日、常に太陽が照り付けていたらどうなるでしょうか?ヒトは太陽光をエネルギーに変えて生き延びるでしょう。家畜や
名画を残そうと思えば”良い絵の具”と”良い筆”は必要でしょうか。しかし、最高級の筆で、最高級の絵の具を使用しても”泥まみれの段ボール”の上には名画は生まれません。心の剣を上記の例えるなら必要な物は良い筆でも無ければ素晴らしい絵の具でもありません。必要なものは粗末であっても「汚れの無いキャンパス」であり、キャンパスに汚れが無ければ粗末な筆と、最低ランクの絵の具であっても名画は生まれます。
フォースとは何か?映画の中で設定された能力です。脚本家がフォースの概念を作り出すために参考にした技術(考え方)は何か?日本の武術にある気、流れ、無念無想など。これらの伝説?と、1970年代にブームになっていた「超能力」を組み合わせて作り出されました。*スターウォーズが日本で公開されたのは1977年。つまりフォースのモデルは、日本の武術の”目には見えない精神”の考え方となります。アナキン版以降のスターウォーズは「フォース=念力」の印象が強くなります。しか
夕雲先生の言う畜生心の教えには“俺がこう思うからこうあるべき”と言う悪心について論じられています。抜粋するならば「自己を向上に思い見誤り、他人を目八分に見落とし・・・・」自分は優れており、他人は劣っているから周りが自分に合わせれば、自分の正しさが証明できる、と言う自己顕示欲に過ぎません。そして他人は簡単には従ってくれません。従わない=負け。負けを恐れそれが怒りを呼び、憎しみが生まれ、その憎しみが自分自身を苦しめる事になります。参考:Fearisthepa
テーマ「覚悟の教えとは?(夕雲流剣術書解説)」夕雲流剣術書をサラッと読んだだけでは「覚悟」の意味が通じません。現代の、現代人の言う覚悟と大坂夏の陣より以前の覚悟には感覚的なズレがあります。現代人は、どうしても先の大戦の「カミカゼ特攻」のイメージが強く、なんと言うか死への押し付けのような感覚があります。夕雲流剣術書を私の言葉で注訳を付ければ「誰だって死にたいと思う者はいない。多くの者は長命長寿を望む。だけど士(サムライ)は、その特性から戦場などで他の者よりも死
針ヶ谷夕雲先生は「畜生心」が、その妨げになることを説いております。畜生心の例として努力ではなく、「何かの設定」で一番になろうとする人がいます。畜生心は他人の指摘で直すものではなく自分自身の気が付きで直すものです。そこに気が付いた人は、例外なく、心の剣の理解に達しています。
遅くなりました。稽古予定日です。4月5日(土)要問合せ(時間変更)4月12日(土)15:00-17:00要予約4月19日(土)10:00~(各線大和駅徒歩1-2分)4月19日(土)15:00-17:004月26日(土)15:00-17:00
「心の剣の稽古は“デュエルバトル”ではない。」身近にある剣術の代表と言えば剣道です。剣道には多くの目的があることは理解しております。ただ中学/高校の剣道部では、「試合で勝つこと(≠スポーツ)」が求められているように感じます。そのイメージから心の剣術も「1vs1の戦いにおける優劣の決定」を求めてしまう方も少なからず存在します。また「ただ剣を上げて、ただ下すだけ」と言う単純な動作であることから「対心の剣」が模索されやすく、心の剣が未熟な場合には「対“対心の剣”
アルマーニのスーツに、ジバンシーのネクタイ・・・これらで着飾るだけでは無住心の理解はできません。このようなお話をしましょう。ホームレス。決して身ぎれいとは言えませんし、むしろ汚いとすら感じる事があります。あるホームレスが1枚の食パンを貰いました。すぐ近くに別のホームレスが居り、そのホームレスも空腹に耐えていました。それを見て、食パンを半分に千切り、その半分をそのホームレスに与えました。そう、自身が飢えているにも関わらずです。彼の外見は汚いと言っても過言
思うところもあり、武好会としての活動を再開いたします。武好会の想いは読んで字のごとく武道を「好き」になること、「好きである事」が第一となります。稽古としては夕雲流を意識した心の剣の追求になります。基本ルールは①「無理をしない事」②「相手に自分の価値観の押しつけをしない事」武好会https://bukokai.jimdofree.com/
夕雲流剣術書の最初の方に「古の武士は戦場に行く事に対して運と覚悟で臨んだ。」とあります。この言葉は、当時(1700年前後)の剣術道場の事情を説明しなければ、伝えたいことが伝わりません。この頃は、現代の武道と同じく「やれ奥義だ、ほれ免許だ。俺の先祖は何々だ、我が流派の開祖は誰々だ。」このような物がステータスであり、またこの時代の武士もこれを望んで、それらを得て、“さも一流の武士”と思い込む者が多かったからと言う事情があります。だから夕雲先生や一雲先生は「武士は
そんな織田(仮)さんの質問を受けて、無住心剣術の真理谷円四郎義極先生を思い浮かべた。真理谷円四郎義極夕雲流無住心剣術の三代目で江戸時代の剣豪である。伝書では千度不敗の最強の剣術家として知られている。文献は自分の手元から紛失してうろ覚えであるがそれをふと思い出したので、織田さんね、昔の剣術の名人に真理谷円四郎という人がいて、その人は千度試合して、一度も後れを取らなかった人で、しかもその戦い方が、ただ相手に近づきながら剣を引き上げて感じるところにうち下ろすだけというあり得ないほど
無想剣は何かの流儀ではありません。剣の本質の追求です。また一般的な流派との親和性も高い性質があります。例えば、私が以前に経験をしていた英信流。この英信流の技の手順や形を変えることなく、今まで通りの稽古の手順のままに無想剣に向く稽古方法があります。いや、稽古方法と言うよりは5分くらいの説明を聞くだけです。説明の内容も、小学校高学年くらいなら簡単に理解が出来ます。つまりほとんどの人が理解できます。居合型の手順、柄の持ち方、目線、歩法など今まで通りです。
居合の流派名は色々知っているつもりでしたが、知らない名前の流派の伝書を入手しました。「山之井流」流儀の名称は、山の井水を汲む心による理から来ているとの事です。山之井流の伝書の1部分ですが(意訳あり)居合とは無心であることが書かれており、「太刀を抜こうと考えると、なんだか変な感じで術が遅れ、居合は技だと思うと、心が留まるために太刀が上手く抜けない。しかしお相手を敵と思わなければ(=無敵の境地)、自然と手は柄にかかり、何も感じることなく、鞘と刀は離れる。」これ
林崎敬居合とよ荒れr居合道や居合術を修行されている方は「林崎甚助公は、神社にこもり神からの啓示によってその術理を得た。」と言う伝承を聞いたことがあるかと思います。しかし、居合道/居合術を真摯に学んでいる方ほど「そんな嘘、大げさな伝承など信じない。」となるのではないでしょうか?私も以前は「よくある伝説の類」くらいにしか思っておりませんでした。しかし、無想剣の理解が進むと「林崎甚助公が行きついたかどうかまでは分からないけれど、神からの啓示によって自然の勝ちが生じる剣
数値で物事を判断する事はよくあります。ここで、陸上と水泳。お互いに最高の選手を出し合い100Mを走る/泳ぐ、で競ったら?陸上の世界記録が9秒。水泳自由形の世界記録が46秒。この結果を見て「水泳は陸上よりも劣っている。」と思う人は、あまり聞きません。数字は大切ではありますが、数値=正しさとならない事もあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・武好会毎週土曜日15:00-17:00亀井神社(神奈川県藤沢市亀井野554)
相抜けは無住心剣(夕雲流)に伝わる心の状態です。伝承では夕雲師が一雲と3回手合わせをし、3回ともに相抜けに至ったとあります。そこには勝敗が無いと伝わっております。戦場の相抜けには勝敗があります。しかし勝敗はあって、勝敗が無いのです。戦場での相抜けとは、1,負けた際に勝ったお相手を恨まず勝者を賞賛しこの世に未練を残さずに去る。2,勝っても、負けたお相手を賞賛する。自分もいずれそちら側に行く事を添えて負けた相手を送る。つまり、心の勝敗が無いと言う事です
「武道とは何か?」武道と言う言葉が定義付けられたのは明治です。5つの定義があります。1,国家を守る忠誠心(=国家のため)2,礼儀3,正々堂々4,信義5,質実剛健少なくとも大戦後には「国家のため」と言う部分が無くなりました。また礼儀の相手も、戦う相手などではなく「国家」であり、国家のために礼を尽くし、国家のために正々堂々と生き、国家のために信義を重んじ、国家のために贅沢をしない(質実剛健)。このような意味を含んでいます。国家とは元首や政府の