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2025年10月1日5:59「きょうは大丈夫や。」3日ぶり。6:003日経つと太陽の公転でこの時期かなり南側(右側)に移動します。途中に二上山がありますので、その調整のため見る位置は北側(左側)に移動していきます。6:18「あれれ、変なところから出てきた。」3日ぶりで目測を誤る。6:19丘陵の樹木で思うように横移動できません。6:23二上山の見える範囲で横移動。6:26なんとか真ん中近くに来ました。太陽の方が右移動してくれました。6:05石川
今日は神社参拝の話です神社仏閣は昔から好きでしたが、観光目的で行く場合がほとんどで、昔はわざわざ神社参拝をするようなタイプではありませんでした本格的に神社参拝を始めたのは「神社参拝をしたほうがいい」というメッセージが浮かんだからですまた、神社参拝の前にほぼ2年間、毎日のように近くの縁が深いお寺に通い、ご利益目的の邪な気持ちで参拝することが無くなったと思っていましたしかし、神社参拝やパワースポットを訪れた当初は、どこかでご利益を期待をしてしまう気持ちがあったように思います神社仏閣参拝にお
西方院から次の壺井八幡宮へ向かいますその間には源氏三代墓があってお参りしてから向かう事に通法寺跡長久4年(1043)源頼義が仁海谷で千手観音像をみつけ、館の南に精舎を建立し通法寺と号したのがはじまりと伝えられていますその後永徳年間(1381から84)には堂が雨露のため朽ち、かなり興廃したようで…江戸時代になって元禄13年(1700)、徳川綱吉が諸堂宇を再建しかし再建された通法寺も明治6年(1873)になって、門、鐘楼以外は取り壊されました現在、境内は国指定史になり、桜の名所とし
2025年の初めての活動です。市役所で新たにビーバー隊に入隊となる2名の入隊式が行われました。2名とも初々しくて微笑ましいかったです。それから壺井八幡宮へ初参りです。今年1年間の活動の安全祈願をしました。昨年植樹した梅の木と一緒に記念撮影です。1年間でかなり大きくなっていて蕾もたくさんついていました。それから車で駒ヶ谷公園へ移動して焼き餅と豚汁を頂きました。お腹いっぱいになったところで、2チームに分かれて体を動かすゲームで競争をしました。キ
こんにちは、びはーら西松庵のイマイです。前回の紅葉狩りで行けなかった方々もおられたため、2回目の紅葉狩りに行ってきました!前回とは違った光景で、もみじの葉っぱがたくさん落ちていましたが、薄紅色の絨毯が敷かれた道を参拝してきました。集合写真もパシャリ📷御神木の前でも!今日は天気も良く、そこまで寒くなかったので、ベンチでお茶をしてきました。今日は良い外出日和でした。
こんにちは、びはーら西松庵のイマイです。寒い日が続くようになり、木々が色付いてきた頃を見計らい、紅葉狩りに行ってきました!目的地は「壺井八幡宮」です。とっても綺麗で、ご利用者の皆様にも喜んでいただけました。少し寒かったですが、温かいお茶でティータイムをしました。見頃でしたよ。
こんにちは秋のお彼岸の三連休、いかがお過ごしですかもうそろそろと・・この暑さは収まり、秋がやって来そうな気配ですねこの夏は暑さに負けて、近場の寺社をウロウロとしておりました暑いけど・・寺社参りは行きたいのです笑いつもよく行く大好きな寺社ばかりですが、今回はダイジェストでお届けしまぁすまずは、葛井寺の千日まいりへ8月9日の「千日まいり」は一年で一番の功徳日四万六千日分のお参りと同じ功徳が授かり、その功徳は一生分と言われ
大祁於賀美神社(おおけおかみじんじゃ・たけおかみじんじゃ・おおおかみじんじゃ)河内国石川郡大阪府羽曳野市大黒496(P無し、アクセスは下部写真参照)■延喜式神名帳大祁於賀美神社の論社■旧社格村社■祭神高龗神近鉄「駒ケ谷駅」西側の住宅密集地内、「小黒(おぐろ)」集落の奥まった丘の上に鎮座する社。東側すぐを「石川」が流れています。◎創建由緒等はまったく伝わっていないようです。社頭案内によると、かつては北側すぐにある大黒寺という仏教施設の、東方にある小丘に鎮座していたとしていま
色々やる事があってゆっくり車中泊旅に行けない。金曜日夜から土曜日午前中なら行きやすいかな~ってことで、近場の道の駅へ。大阪の道の駅でわが家より北に有るのは能勢くりの郷だけで他は全て大阪市より南にある。その中から「しらとりの郷・羽曳野」に出発。大阪市を抜けるのに時間がかかり到着時刻は21時。到着してすぐにセッティングして宴会開始。餃子が焦げて煙臭い。(^.^;映画観ながらまったりして就寝。朝、結構冷えてます。構内の看板で近くに源氏三代の墓が有ることを知り、早速出発。「壺井八幡宮
毎年恒例の壺井八幡宮へ新年の初参りに行きました。今回は緑の募金活動時に皆様から募金して頂いたお金で梅の木の植樹をさせて頂きました。午後からは古市駅前にて能登半島地震の募金活動を行いました。集まった金額も多めで、街の皆様の関心が高い印象を受けました。集まった募金は日本赤十字社に送金させて頂いております。今年も無事に充実した活動になることを願っております。次回のカブ隊は1/28京都水族館見学を予定しています。2/11と2/18はボーイスカウト体験会を実施しますので皆さま是非ご
「どうする家康」は見ていますか?先週「本能寺の変」からいよいよ今週は神君伊賀越えでどうのルートを歩くのかと楽しみにしていました。なるほど💡家康一行はルートを分かれたという設定にしたのですね。家康は「小川城」に泊まって→伊賀に入り「百道丹波城」でしたね✌️色々と資料を見ていますが、私は「大和越え説」はあり得るのでは無いかと思ってきています。堺からは「竹内街道」という推古天皇と聖徳太子が作った最古の国道と言われているルートを通って「大和」へ入ったのでは無いかな?「ならら」
昨日気づいたんですが、浦和レッズの2ndのレプリカ販売していてもう売り切れていました。残念です。もう一つ金峯山寺のホームページでこれを見つけて応募しています。この時期に休めるかが問題なんです。叡福寺の後に壷井八幡宮に参拝しています。またナビ通りに行ったら偉い細い道から行っています。〒583-0844大阪府羽曳野市壺井605−2河内源氏の氏神さまです。立派御朱印です。
明けましておめでとうございます🎍⛩🐰🎌🎍本年もよろしくお願い致します。元旦は初詣⛩に壺井八幡宮へ行って来ました。前々から気になっていたので、ふらりと寄せて頂きました急な階段を登った先の右手にはかなりの樹齢と思われる御神木がありました。先人の方々のご冥福をお祈りいたしました。🙏😌そして、その先の拝殿へ↓入口の急な階段です。拝殿かな❓わりと俳句が読まれていて、良かったです争いが無くなれば良いのに。。。という詩です。月が綺麗だったので、パチリと。白いくっきりとしたお月様でした境
さてさて…………【観智院】を出発したココロは、てくてく歩き次の目的地を目指した…………おお〜〜〜〜っ来た〜〜〜〜っ到着したのは……………【六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)】京都府京都市南区壬生川通八条角祭神は、鎌倉幕府を開いた源頼朝より遡ること8代前、清和源氏始祖の源経基(みなもとのつねもと)。【多田神社】(兵庫県川西市)、【壺井八幡宮】(大阪府羽曳野市)とともに『源氏三神社』のひとつとされる。社伝では、境内は源経基の邸宅「八条亭」の跡地であるといい、応和元年(961年)に経
22.11/27sun.13:52-16:45近鉄上ノ太子駅から北口を右踏切渡らず線路沿いに南阪奈道路高架下、踏切を渡って右側に住宅、線路沿いを行くと太平塚古墳、開口部は下に下りて円墳直径30m築造7世紀末(古墳時代末期)?土砂流入で、開口部は狭い線路沿いを東へ踏切を渡って細道から南河内グリーンロードトンネルに左折観光農園販売所を過ぎ信号機の辻を右折飛鳥新池の堤へ左折フェンスの囲みへ急階段を上る観音塚古墳規模約12m円墳か、方墳築造7世紀末(古
こんにちは。今日も来て下さり有難うございます。壺井(つぼい)八幡宮に参拝しました。(大阪府羽曳野市)こちらは初めてです。河内源氏発祥の地だそうです。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した、源頼朝公。その、ご先祖様が、祀ってあるとの事で、参拝に、訪れました。運転はあまりしませんが、、奈良から、関屋トンネル、水越トンネル(2km程)を抜けると、もう大阪でした・・千早赤阪村そこから羽曳野までは、遠くなかったです。。壺井八幡宮です。(手前が拝殿、奥が本殿です)(
こんにちはNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も、いよいよ佳境に入ってきました小栗旬さん演じる北条義時がだんだんダークになってきて・・・この先、どうなって行くのでしょう先日、NHKで放送されていた「鎌倉殿の13人」の役者さん達のトークショーによると・・北条義時の最期は、誰も想像できないであろ・・という、終わり方なのだそうです三谷幸喜さん曰く、、「小栗君、頼んだよ」っと笑さてさて先日、鎌倉殿のご先祖さまゆか
壺井八幡宮河内国古市郡大阪府羽曳野市壺井605-2(一の鳥居脇にP有り)■延喜式神名帳飛鳥戸神社名神大月次新嘗の論社大祁於賀美神社の論社■祭神誉田別尊仲哀天皇神功皇后[配祀]玉織姫武内宿禰[摂社壺井権現社]源頼信・頼義・義家・義綱・義光河内源氏の本貫地に建つ社。南方すぐに源頼信・頼義・義家・義綱・義光の墓があり、社家も八幡太郎義家の六男、義時の子孫。武家らしくとても勇壮な造りに。◎前九年の役にて戦勝した源頼義が凱旋、私邸の横に社殿を設けたのが始まりとのこ
22.03/22tue.14:55-17:25近鉄上ノ太子駅から北へ道なりに右にカーブ四つ辻、ワイン工場を左折広域農道を渡って、まもなく左に見える観音塚古墳円墳or方墳一辺12m程横口式石槨に前室、羨道を持つ築造飛鳥時代(ほぼ7世紀)1981年に国史跡に指定されている代表的な横口式石槨の古墳精巧に加工した切石で構成された前室、羨道は必見戻って、往路に見えていた、飛鳥戸神社往路との二又分岐を右に地元に愛され、御輿を担いだ祭りに出会ったことも…以前の手狭な印
壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)大阪府羽曳野市主祭神誉田別尊神功皇后仲哀天皇社格等旧村社創建康平7年(1064年)康平7年(1064年)5月15日、前九年の役に勝利して凱旋した源頼義が、河内源氏の氏寺・通法寺の北側で、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営し、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)を勧請したのが当社の始まりである。この時、地名を香呂峰から壺井と改め、壺井八幡宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした。また頼義は
源頼義は、清和源氏の一流で河内源氏の祖・源頼信の嫡男。988年(永延2年)、河内国古市郡壺井村で誕生。1028年(長元元年)、関東で平忠常が反乱を起こすと、追討使には平直方が起用されますが、反乱を一向に鎮圧することができなかったため、1030年(長元3年)、源頼信が起用されます。頼信と頼義の父子が翌1031年(長元3年)の春に出陣すると、忠常は、これまでの戦いで疲弊していた事もあって頼信に降伏します。忠常が降伏したのは、かつて頼信の家臣だったからとも伝えられています。1036年(長元9
最近日々の暦が続いていたので田舎暮らしの様子も書いていきます。一応今のブログジャンルが「田舎暮らし」なので😘私が住んでいるのは大阪府南東部の南河内郡という所です。奈良との県境にあり近くには金剛山や葛城山があります🏔周辺には田んぼ、畑、果樹園寺社仏閣や道の駅、産地直売所などが多いです。基本的に車生活なので興味がある場所へ気の向くままに尋ねております🚘車でいろんな場所に出かける所は結婚前とあまり変わっていません😅結婚後に
大阪市羽曳野市壺井八幡宮。武家の棟梁源氏で知られる河内源氏の総氏神です。第二期増田流療法伝習会東京大阪開講のお知らせ増田流療法伝習会の第2期のご案内をさせていただきます。昨年、第一期の伝習会を実施いたしまして、受講を終了されました方々からたいへんご好評を得ました。一例を上げると痛めた足首を20分で完治させた方辛い骨盤のズレを解消された方いままではとは違って、結果を全員に出された方などがいらっしゃいます。とにかく凄い事が起こっています妊
壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は、河内源氏の発祥の地と伝えられており、京都市の六孫王神社、兵庫県川西市の多田神社と並ぶ源氏三神社の一つである壺井権現社がある。寛仁四年(1020年)に、多田義仲の四男・源頼信は河内守に任ぜられ、この地の香呂峰に館を営み、河内源氏の祖となった。翌年、長子・源頼義が誕生し、河内源氏の二代目となる。長歴二年(1038年)に、頼義の長子・八幡太郎義家が当地に誕生し、続いて次男・加茂次郎義綱、三男・新羅三郎義光、等が誕生し、当地は河内源氏の発祥の地となった。
金剛山🌋へは165回登っています。その道中いつも見ていた看板があります。絵馬GINE👯となった今「いつ行くの?」「いつでしょう」🤔とは言ってられません。絵馬人💃なんで‼️いつも見ていた看板は⛩️壷井八幡宮河内源氏(源頼朝の祖)発祥の地鳥居を入って右に駐車場🚙ちょうどういい石段を上がる。本当ちょうどういい。大阪みどりの百選『壷井八幡宮の楠』百選密かに探します。調べて行くのは❌(自分ルール)く~す~楠で~す~😅ちょうどういい形の
壺井八幡宮御祭神誉田別尊,仲哀天皇,神功皇后令和2年1月26日参拝御朱印『壷井八幡宮』(令和2年正月御朱印)壺井八幡宮大阪府羽曳野市壺井605-2壺井八幡宮ホームページ御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
雨の合間を縫って、今日はなんとかウォーキングが出来ました。昨日までの大雨の影響を避けるために、山越えコースは避けて、街中を歩く、「河内飛鳥コース」のその2にしました。これも、近鉄あみまクラブのてくてくマップのコース。まあ、主に街中を歩くので、旧な雨でも雨やどり出来るのでは?とも思いました。スタートは、前回のゴールの近鉄南大阪線の上ノ太子駅。北口からスタートです。北口は、ちょっと寂れた感じ。でも、北口にはこんな石碑が。ここも竹内街道のようです。そのうち、大阪から奈良までの竹内街
弘川寺の次に向かったのは壷井八幡宮(つぼいはちまんぐう)。こちらは河内源氏の氏神を祀る神社で、源氏三代のお墓も近くにあります。三代とは、源頼信、頼義、そして八幡太郎こと源義家です。神社仏閣を訪れる前にネットで下調べをするのですが実際に訪れてみると想像以上に立派な事が多い。壷井八幡宮も同様で、ここまで立派な神社だとは思いませんでした。氏子の皆さんのお気持ちが伝わってきます。境内には巨大な楠木が!すげ~存在感!!境内の庭園も手入れが行き届いておりこれは「超お見事」
今回の旅の最後の探訪地として訪れた壺井八幡宮。羽曳野市に鎮座する河内源氏の氏神であり、京都市・六孫王神社や兵庫県川西市・多田神社と並ぶ源氏三神社のひとつです。そもそも『源氏』って何?と今更ながら思ったので、調べた事を皆さんにもお話しましょう。平安時代…弘仁6年(815年)。嵯峨天皇(さがてんのう)が自らの皇子・皇女を一挙に臣籍降下(しんせきこうか=皇族がその身分を離れて臣下の籍に降りること)させて、源(みなもと)の姓を賜与(しよ)した事が始まりとされています。平氏に関しては天長2年(8