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皆さんのお盆の帰省ブログを読みながら我が家はほぼ引きこもりの連休でした後半、台風も来てましたしね娘は連休前になると何故か体調崩す事が多くて‥この数ヶ月は鼻風邪すら引かずあれだけ世間ではヘルパンギーナが流行りまくってたのに未だかからずですですが、久々に喉痛→発熱→咳鼻水→耳痛とお盆休み中ずっと体調不良耳痛は初めてのことでお盆休み明けに激混み覚悟で初めて耳鼻科へお世話になりました普段、風邪の時は小児科へ行っており耳を診てもらう機会がなかったのです。
この3ヶ月間に二人には色々見つかりました。始めにわかったのは兄に多指症今後の予定は大きくなってから色々検査をする予定1歳頃に形成外科に弟に両耳の難聴。聴覚スクリーニングで右耳が引っ掛かり。再検査すると、結局、両耳の難聴。伝音性難聴と診断させました。6ヶ月頃に補聴器を付ける予定です。二人共に声帯の病気。全身麻酔を使い、詳しく検査した結果、声帯外転障害という先天性の障害。体重が増えないと全身麻酔も使えないから検査をするまでに時間がかかり、やっとわかりました。
おはようございます😃今日も、読んでいただきましてありがとうございます😊66歳になります65歳のおたんこナースのままでいっちゃいますそして、今日は阪神淡路大震災の日昨年、大切なご家族を亡くした方、今年は、笑顔で過ごせますように🍀🙏がんや難病、その他の病気と闘っている方、身体もこころも前向きに免疫力をアップさせて病気をやっつけることができますように🍀🙏今日の松山のお天気は、曇り☁️時々晴れ☀️朝は、1度日中は、8度雨の確率は、10%とのことです。寒波がまたやってくるよ
というわけで声門下狭窄の治療を求めて行ってきました。都内にある国立の小児病院。建物の大きさと敷地の広さにビックリ。看板前で写真撮影したり、気分はお上りさん。初診手続きの時間に余裕をもって到着し、実際の診察に呼ばれたのは予約時間から1時間後…。待ちくたびれたはるさんの「まだー?」を何十回聞いたことか。診察では、まずDr.がはるさんにいろいろ質問。ただアイスブレイクしているだけじゃなくて、同時に声質チェックしてるはず。カニューレを指で塞いで苦しくないこ
ブログ…予想通り三日坊主私の悪い癖である。なんでも中途半端親になった以上、子供のためにはそんなんじゃダメだよね。マイペースであることはきっと変わらないけど、ここからは振り返りと記録として過去から書いてみよう。書こうと思ったきっかけは…生まれてきた娘の『声帯外転障害』という病。今は症状も落ち着いてだいぶ回復したので心の余裕もできました。告知を受けた時、先生からは『9割の方は成長と共に良くなります』と言っていただいてたけど不安で仕方なかった。だって、初めての子供。
産後2.3日後。赤ちゃんは新生児科の先生に診てもらいながら耳鼻科の先生にも診てもらった。泣けない原因がわからないと。不整脈わ相変わらずある。管がいっぱいついた子を母子同室した。アラームがなるとすぐナースが来る可愛いけど心配すぎる産後4日目NICUが空いたとのこで入院することにいつまでかは詳しくわからない母乳は出るから通ってあげることしかできなくて…。ただ産後の身体はボロボロNICUが遠く感じる。自分が悪いんじゃないかと責める私は無事に退院することにただ、赤ちゃんは
唐突ですが、ダンナが入院してしまいました。胆石症で、手術が必要。順調にいって、退院は2週間後といわれています。いっそ娘の病院と同じところが良かったけれど、ベッドの関係で別々の病院になってしまいました…。(-_-;)親類縁者が一人もいないこの土地で、だいぶピンチな状態な気がする。娘→医ケア児退院に向けての調整中だった。2週間後に退院にむけて親が泊まり込み予定だった。車で30分弱の病院A息子→保育園児送り迎え必要車で
気管切開術後1週間となりました。娘はすこぶる元気です。そして、ここ最近面会にいくたびに言われることがあります。「吸引やってみますか?🙂」ついに来た…。乗り越えないといけない壁。親と医療者しかやっちゃいけなくて社会的問題も多くて、でもやらないといけないあの行為…。くりくりくりっと回すだけに見えるけど、普通に生きていたら絶対触れちゃいけない部分だと思うと、怖い。見てるだけでもいいよと言われたので、見つめること2日…。人がやってると簡単そうに見えるけど、あれは熟練者がやってるからで
特別児童扶養手当に、謎の年齢制限を設けられた話を、主治医にしたら詳しくソーシャルワーカーさんに確認してくれて、書類を出してみようという事になりました。追加で「「障害児福祉手当」も申請できるよN(NICU)でもやったことあるよ。何か言われたら医者が言ってた!っていっていいよ」と教えていただいたので、書類だけでももらってこようと再度役所チャレンジ!役所3歳からしか申請できませんは…?厚生労働省のページ見せつつ、ここに、20歳以下とありますが、その3歳以上って基準はどこからきたんですか?
気管切開をしたことによって、なにか使えるものがあるんじゃないかと思って役所にいってみました。いろんな人のブログで、自分から動かないとなにも助けなんてないということは既に覚悟完了。役所の傾向と対策をしっかり頭にいれて、レッツトライ!まずはお世話になっている保健師さんに現状を報告してきました。言っておくことによって、何かの布石になるかもしれないというのが目的。やんわりと、市内にいる気切の子の情報、話ぶりからどれくらいのこどもがいるかなど、こちらも情報収集させてもらいました。次に、障害福
CPAPで圧をかけ続けて二週間。効果を見てもらったところ、やる前からほぼ変わらず、声帯が閉じたままで、成長とともに吸い込みが強くなり苦しくなるのではないかと指摘を受けました。気管切開…。今はそれが最適解であろうということのようです。決断というよりも、消去法ですが進むこととなりました。ずーっと先を考えると、もはや普通の道ではないと思えます。オーダーメイドの道を行くんだな。気管切開でダウン症…。そんな人たちはどんな生活をしているんだろう。どれくらいいるんだろう。
CPAPか、気管切開か。どちらにしても、期間としては軽く5年はこの状態になるようです。気管切開になれば、経管栄養、夜間酸素、たん吸引CPAPであれば、経管栄養、人口呼吸器とのつながれと外出時の携行。予防的処置とのことだけど、声帯が広がらなければずっとかもしれない。医療的ケア児になってしまう。軽く調べただけでも、将来の受け入れ先が限りなくないという現実があるみたい。24時間看護の生活。母親の犠牲で成り立つ生活。黒い事を言うと生きる意味がないと思っている。そこまでして、生かし
娘は完全付き添いの手を離れての入院となりました。声帯外転障害と診断されてから、ミルクを飲める状態なのに、息をするのを楽にするためという理由で注入ミルクになり、CPAPという、空気の圧をかける治療をしています。この治療、2ヶ月を過ぎた娘には遅いらしいです。東京女子医大の先生が言うには、1ヶ月から治療開始していればまだ改善できたかもしれないけれど、2ヶ月では声帯が固定されてしまうので、遅いとのこと。NICUに入院してたころから、舌の落ち込みにしては、泣くときも声がかすれていたし、喘鳴は寝
退院一週間のフォロー外来で、喘鳴が大きくなってると指摘を受けた娘。東京女子医大の先生が診てくれるとのことで、気管ファイバーを受けるために再び病院にやってきました。結果。声帯外転障害と、診断がおりました。娘の見た目だけで分かる部分は、喘鳴(泣いてるときも安静時も)哺乳不良ぎみ→息子のときとは明らかに違う弱さだけど、ダウン症だからかと思ってた。先生がいうには、泣いてるときの顔色が悪いと。家にいるときは、蛍光灯の光のせいと皆にいわれてたけど、そんな気がしなかった私が正解だったというこ