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人口調査記念日(1月29日記念日)1872年(明治5年)のこの日、明治政府による日本初の全国戸籍調査が行われた。この戸籍調査は前年1871年(明治4年)の戸籍法に基づいて実施され、1872年(明治5年)に編製された。この戸籍は編製年の干支「壬申」から「壬申戸籍」と呼ばれる。当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人だった。2015年(平成27年)の国勢調査による日本の総人口は1億2709万4745人で、9000万人以上増えたことになる。日本の戸籍
1872年(明治5年)1月29日、日本初の全国戸籍調査が行われました。この戸籍は編製中の干支から「壬申戸籍」と呼ばれ、これによって当時の日本の人口は3311万人と集計されました。ちなみに、江戸時代は、戸籍薄的な帳藩として、お寺の檀家制度を背景に人別帳(宗門人改帳)が作成されました。2020年(令和2年)に実施された令和2年国勢調査では、日本の人口が1億2622万7千人となっており、2015年(平成27年)調査から約87万人減少してします。
645年「大化の改新」が日本の戸籍制度の始まりとされているそうです。【ブログテーマ】日頃の情報収集ツールは?スマホ。残念ながらついに私も第一報をスマホで知って、次にテレビで確認、という手順が普通になって来ていると▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
『歴史研究第717号』(戎光祥出版)が届きました。私は「永倉新八こと杉村義衛の新史料見つかる」を寄稿しています。出版自体は今月末のようです。
( ̄_ ̄;)「アライアンスは……」明治5年編制の「壬申戸籍」を閲覧すれば、明確な出自が調べられました。成りすましは、すぐにバレます。その他、身分・家業・宗旨である寺・氏神・犯罪歴・田畑の面積などが記載されています。しかしながら、1968年に人権上の理由で閲覧禁止になりました。非公開になり、本人でも閲覧できません。pic.twitter.com/OHCJo3HimM—ぼくちゃん(@djR61A2bmS4AOP0)November29,2023アライアンスは、これを
戸籍のことならこの1冊(はじめの一歩)Amazon(アマゾン)1,104〜4,850円相続実務に役立つ“戸籍"の読み方・調べ方【第二次改訂版】Amazon(アマゾン)2,251〜7,415円初任者のための戸籍実務の手引きAmazon(アマゾン)1,750〜7,300円第3版戸籍の重箱―初任者のための戸籍実務のレシピ―Amazon(アマゾン)2,749〜8,360円相続人確定のための戸籍の見方・揃え方Amazon(アマゾン)1,681〜4,750円一人でできるは
葬儀屋時代にお客様と打ち合わせをする際、私は故人様の死亡診断書をお預かりし、それを役所に届けて火葬許可証を取得していました。この届け出によって住民票の除票手続きと同時に行われるのが、戸籍の抹消。その戸籍制度・・・実は現在施行しているのは、世界で日本と台湾だけなのだそうな。(形式的には支那にも残ってはいますが。)古くは大和朝廷の時代にも一部直轄領で実施され、大化の改新以降敷かれた律令制下でも『庚午年籍(こうごねんじゃく)』という戸籍(へのふみた)が作成され、6年毎に更新されたとか。
橋下徹氏、カルロス・ゴーン氏のレバノン入国に「明治発祥の壬申戸籍システムにしがみついている結果」https://gunosy.com/articles/a99Wn?s=s
安政5年5月13日、「安政の大獄」が始まった年に11才で得度した直次郎は名を「慈含」と改めました。日霑上人に就いて文久3年まで6年間宗学を学びます。その頃の日本は黒船の来航により尊王、攘夷、勤皇、左幕とケンケンガクガクの論争になり、250年間太平の世だった江戸時代も上へ下への大騒ぎになります。笑っちゃうのは“いざ鎌倉”であるべき武士たちは長い間武芸を忘れ、茶の湯などを嗜んでいたため、肝心の鎧の付け方もままならないというありさまです。大江戸博物館に行った時、「鎧装束の付け方」なる
毎日新聞は2019年02月20日に、全国的な日本初の戸籍として、1872年から編製された「壬申戸籍」とみられる文書が、インターネットのオークションに出品され、法務省が急きょ回収する事態になったと報告した。https://time-az.com/main/detail/67592「壬申戸籍」は、明治04年(1871年)の太政官布告第170号戸籍法によって、明治05年に編成された日本で最初の全国的戸籍のことで、明治5年の干支が壬申(みずのえさる)だったので「壬申戸籍」と呼ばれ、「華
博文でひも解く金沢県立金沢文庫で特別展タウンニュース神奈川県立金沢文庫(金沢町142)で明治150年特別展「伊藤博文と金沢」が3月10日(日)まで開催されている。初代内閣総理大臣の伊藤博文は、金沢の地で...「壬申戸籍」か、ヤフオク出品=一時落札、身分記載で閲覧禁止-専門家「悪用恐れも」時事通信身分や犯罪歴の記載があり、現在は閲覧禁止となっている明治時代の「壬申(じんしん)戸籍」とみられる文書が、インターネットオークションサイト「ヤフオク!廃校舎残す意義、高森南小児童ら学
今日はタウン情報の日だそうです。タウン情報全国ネットワークが制定で、1973年(昭和48年)、初めての地域情報誌「ながの情報」が発行されたそうです。タウン情報は何で調べる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようタウン情報は何で調べる?ですけど、タウン情報は基本的に調べません。おそらく美味しい(食事の)店とか面白い興行があるとかそういう類ですね。そういったものは興味がありませんので、タウン情報は根本的に縁がありません。ただ、地域のローカル情報は(ネタと
戸籍シリーズですが、好評なので、ドンドン書いて行きますね!全国一律の最初の戸籍江戸時代から明治になり、新しくできた政府は近代的な国家を作る必要がありました。その基本である徴税や徴兵のためにはまず正確な人口を調べる必要がありました。そこで明治になってすぐの明治5年2月1日に戸籍法が施行され始めて全国一律の戸籍が創られました。編成された年の干支から壬申戸籍と呼ばれています。未だ日本の中央集権化が安定しない中、この戸籍により明治6年に全国的な徴兵制度を敷くことが可能となりました。戸籍
この古ぼけた冊子の表紙には、「明治五壬申年二月○○戸籍」とあり、当地区の住人の住所氏名生年月日などが記載されている。現在の戸籍と違うのは、士農工商などの身分、菩提寺、財産情報なども書かれている点だ。蔵にはこのような戸籍関係の古い書類が数十冊あるが、どう処分すればよいのか、悩ましい。
「おまえのおばあちゃんはなあ」「大分のお寺の出で」という話は、幾度となく聞いていたのですが・・・・「おまえのおじいちゃんはなぁ」祖父情報はほとんどなかったように思います。父が他界して実家の片付け中に、古い戸籍が出てきました。なんだか身分が記載されています。調べてみると、昭和22年以前はこうだったよう。貴重なもの?程度に思いつつ内容を目で追っていくと「あれ?」何度読み直しても「あれれ?」違うのです。私が父か
1872年(明治5年)(明治5年式戸籍)ウィキさんより・・・「前年制定の戸籍法に基づいて、日本で初めての本格的な戸籍制度が開始された。この年の干支が壬申(みずのえさる)であることから、この制度によってできた戸籍を壬申戸籍(じんしんこせき)と呼ぶ。戸籍の編成単位は「戸」、本籍は住所地であり、身分とともに住所の登録を行ったことから、現在の住民票の役割も担っていた。なおこの戸籍は、「新平民」や「元えた」などの同和関係の旧身分(穢多、非人)や、病歴、犯罪歴などの記載があることから、現在は各地方
※※※情報処理技術者さんへ※※※http://www.allocate.co.jp/blog/?p=606HPさんより・・・※※※コメントは受け付けていません。※※※らっしい。。。俺ん家の家紋らしい。丸に隅立て四つ目まるにすみだてよつめ家紋ベイビー!んっかっか!(おみゃーん、・・・)エヘッ・・・(おみゃーん、既に酔っ払いだぎゃ!)エヘッ・・・、そだよー。(おみゃーん、何で、添付写真送るぎゃ?)えー、そ、それはねー、酔っ払った父ちゃんが持って来ちゃったんだ。ゴニョゴニョ