ブログ記事14件
宗義智は、日本でこそ知名度がいま一つの武将ですが、韓国内で宗義智というと、朝鮮の民衆を七年にわたって苦しめた秀吉の朝鮮出兵(韓国では壬申倭乱といいます)の先兵。悪人で通っています。日本の植民地支配を脱した光復七〇周年(2015年)を記念して制作されたKBS大河ドラマ『懲毖録(ちょうひろく)(壬申倭乱を記録した朝鮮の史書)』でも、朝鮮出兵の手先となった武将として描かれています。義智が文禄元年(1592)四月、岳父の小西行長とともに日本軍の先鋒として釜山鎮城を攻め立てたのは事
「いいね」、「リブログ」、「ペタ」大歓迎です(`ー´)ノ【八重山版】http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html【沖縄本島版】http://www.shimbunonline.com/latest/yaeyamahontoban.htmlバンコク在住のじゅーざです。以下、本題です。大好評?の新シリーズ!!!その名も…奇天烈!大百科・仏国寺もちろん読み方は「きてれつ!
2017/12/10朝鮮日報ソン・スンチョル江原大名誉教授「朝鮮通信使の招請、日本が必要としていた」「朝鮮通信使の記録物が韓日共同申請で世界記録遺産になったことは、両国が本質的に敵対関係ではなく親交の道へ進むべきだという点を示唆しています」(中略)ソン教授は「最近の韓日関係の悪化は、2000年の歴史的経験を無意味なものにしてしまう。歴史にきちんと目を向ける必要がある」と語った。「韓日関係史は侵奪の歴史ではなかったのか」という質問に対し、ソン教授は「朝
「いいね」、「リブログ」、「ペタ」大歓迎です(`ー´)ノ【本ブログでは基本「青い文字・文章」は引用です。ご注意を。】【八重山版】http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html【沖縄本島版】http://www.shimbunonline.com/latest/yaeyamahontoban.html『新聞オンライン』アプリ配信開始!スマートフォン・タブレット端末で閲覧できます!〈iOS版App
2017/3/19朝鮮日報「文禄・慶長の役は日本の勝利」の論理とは「18世紀の初めまで、壬申(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)に関する韓中日の主要な文献は、日本に集中していました。壬申倭乱に関する日本側の記憶と議論が、まさにこのとき形成されたんです。この『戦争文献』は、日本文化に大きな影響を及ぼしました」(中略)金教授は「丙子胡乱(1636-37年の清の侵略)後の朝鮮王朝後期200年は、平和が続いた極めて異例な時期だったが、その時期が現代韓国人
吉木さん岡谷で講演、古事記を語る産経ニュース講演会で吉木さんは「日本人は自らの歴史を知らないと言われることが多い」と切り出し「日本の素晴らしさを伝える古事記を学び自分たちのルーツを知ることが...壬申倭乱、国交正常化…京都に眠る韓日交流史朝鮮日報ソウル市立大学国史学科の教授で東北アジア歴史財団の理事長も務めた著者は、ネーティブレベルの日本語を駆使する知日派の学者だ。著者は、1000年以上...アール・ヌーヴォーの装飾磁器長崎歴史文化博物館アール・ヌーヴォーは、欧米で1
木曜日より韓国に来ておりますこの三日間親子喧嘩も無く、私もストレス無しに楽しく過ごせてる〜すごい〜義母も私のやり方に理解示してくれてるし、私も義母に慣れたしで、今のところは楽しさを感じるほど娘もにこにこして過ごしてる細かい話はまた後で、ということですが昨日からずっと北朝鮮の核実験についての報道ばかりで私なんかは気になってずっとニュースに釘付けになってるんですが、車くんも義家族も、その他の人もみんな、そんなニュースはどこ吹く風。田舎の人だからか?朝から市場は九日市とかで賑わっていて
シンフォレストDVD韓国百景・世界遺産/韓国ハイビジョンアーカイブス3,675円Amazon前ブログ「☆正面からぶち当たって見る韓国☆」が閉鎖されたのでこちらで再開です♪☆流じゅーざがYOUTUBEでニュース解説中☆1)中国前統計局長、愛人と逮捕!?2)中国場当たりの土地規制、消費は減退3)中国人口は15億5千万人(BY公安部)-朝鮮(韓国・北朝鮮)についてはまだ勉強中なので教えてね♪てへっ♪-朝鮮総督府による補修前の仏国寺バンコク在住のじゅーざです
懲毖錄(징비록)というのは、朝鮮時代、総監督級だった柳成龍が壬申倭乱(文禄、慶長の役)について書いた本。国宝第132号今、この懲毖錄が、ドラマになってます。沙也加が現れて、投降する場面にほんブログ村
長々と、壬申倭乱と降倭将軍について書いてきましたが、私がなぜ、こんなことに興味を持ったかというと、言葉の変化のせいなんです。日本語の格助詞{が}に匹敵する韓国語は{이(イ)/가(ガ)}の二つがあります。これは、少し韓国語を勉強した人なら知ってますよね~~ところが、この{가(ガ)}が現れたのは、壬申倭乱の直後からなんです。その前は、韓国語の格助詞は{이(イ)}だけしかありませんでした。例)부쳬=부쳐이(釈迦が)壬申倭乱直後から10年くらい
「日本軍と戦った日本軍がいた」何年か前に、NHKがドキュメンタリーで文禄・慶長の役を扱い、沙也可について紹介したプログラムのタイトルがあります。文禄・慶長の役は、兵力の面から考えたら日本側が有利だったのに、なぜ敗戦したか?その理由のひとつを降倭だと考えています。これは、私なりに思いついたことを書いたもの。<鉄砲・鳥銃と李瞬臣(이순신)>朝鮮に鉄砲が伝わったのは、最初は壬申倭乱の3
降倭とは、日本(倭)を裏切って、朝鮮に帰化した者をこう呼ぶ(降倭将軍、降倭兵)順倭とは、逆に、朝鮮を裏切って(又は連れて行かれて)、日本に帰化した者。降倭将軍は、実は沙也可(金忠善)ひとりではないんです。宣祖実録(宣祖は壬申倭乱の時の王。この王様の代の記録)によると降倭として、はっきり名前が明らかにされてるだけでも40人以上。(正式な記録)代表的な人物に孫時老(손시로=まごときろう)=慶長の役で功を上げる。金誠仁(김성인)=咸博金氏(함박김씨
さて、降倭将軍のことが詳しく記載されている書物に「慕夏党文集」というのがある私は読んでないので、詳しくは書けませんが、ネットの情報によると、こういう内容が書かれているらしい。「慕夏党文集(モハダンムンチp=모하당문집)」筆者は金忠善(キムチュンソン=김충선;1571~1642)筆者、金忠善は、日本の侍で、名は沙也可という。加藤清正の部下で、壬申倭乱の時に、3000人の軍隊を連れて釜山城に来
日本で、文禄の役(1952)、慶長の役(1957)と呼ばれる戦争は韓国ではそれぞれ、壬申倭乱(임진왜란)丁酉再乱(정유재란)と呼ばれる。わかり易く言えば、豊臣秀吉による「朝鮮出兵」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9朝鮮側で有名な人物として、李瞬臣(イスンシン=이순신)https://ameblo.jp/candy211jp/
朱論介(チュ・ノンゲ=주논개)1574~1593http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1077521&mobile&categoryId=200001080朝鮮時代の妓生(キセン=芸者のようなもの)と言われてるが、朝鮮の慶尚道の管理職;崔慶會(최경회=チェキョンフェ)の後妻である。1952年、壬申倭乱が起こり、晋州が大激戦地になった。1953年、晋州城が陥落した時、城で宴会が行われ、その時、論介(논개)は日本の将軍の接待をしながら、
慶尚南道晋州市にある、晋州城(チンジュソン=진주성)http://www.cha.go.kr/korea/heritage/search/Culresult_Db_View.jsp?mc=NS_04_03_01&VdkVgwKey=13,01180000,38晋州城は、晋州の歴史と文化が集約された、晋州の聖地だ。三国時代には巨列城、統一新羅時代には万興山城、高麗時代には石築城、朝鮮時代以降は晋州城と呼ばれ土城だったのは、高麗のウ王5年(1379)に、晋州の大工、金仲光が建設した。
まだまだあります。日本語韓国語格助詞「が」は韓国語では「이(イ)、叉は가(ガ)」が前にくる単語によって変わりますだけど、以前は韓国語の格助詞は「이(イ)」だけしかなかったとのこと。では「가(ガ)」は一体いつから使われるようになったのか????壬申倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)が終わってから、突然現れたそうです。なぜ「가(ガ)」が現れたのかは・・・・・・・わからないとのこと・・・・・・・もしかして・・・助詞の「へ」と「에」語尾の「ですか?」「ますか?」と「입니까?」「합니까?