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【昭和の日】旧「みどりの日」が2007年から変更されて「昭和の日」に。趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日。「みどりの日」は5月4日に移動した。【畳の日】畳の原料となるい草が緑色であることから旧「みどりの日」であったこの日に。全国畳産業振興会が、この日と9月24日(清掃の日)の両日を記念日として制定。【曲水の宴(きょくすいのうたげ)】京都・城南宮で、平安装束姿の男女が神苑内の小川のほとりに座って、川上から朱の杯が流れ着くまでに和歌を詠み、
松尾大社の節分祭の次は、壬生寺の節分会(せつぶんえ)に行きました。素焼きの炮烙(ほうらく)に次々と「厄除大念仏」の文字が入っていきます。この裏側に家名、年齢、性別、お願い事を墨書きして奉納します。納めた炮烙は、「ほうらく割」で知られる壬生狂言の序盤で割られます。炮烙を奉納すると、今年の災厄から免れて招福を得るとの謂れがあります。こちらの炮烙に書きました。今年からは参拝証をいただけるようになりました。干支が描かれた参拝証は、12年間授与されます。放生池の龍神像。水掛地藏さんの裏
令和6年2月3日(土)吉田神社から壬生寺に向かう。京大正門前バス停⇒206系統に乗車⇒東山二条で203号系統に乗換⇒壬生寺前バス停で下車⇒徒歩5分程。四条通りがかなり渋滞していた。壬生寺に向かう参道はかなり混雑していた。吉田神社より賑わっていた。いつも通りの屋台や出店、和菓子店が軒をつなれる。壬生寺は京都市中京区壬生にある律宗の大本山の寺院である。本尊は地蔵菩薩である。延命地蔵菩薩と呼ばれている。京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。塔頭の中院(本尊・十一面観音
冬の京滋の旅の後半2月2日・3日は京都に滞在、京都の寺社は節分の行事で賑わってました。京都には「四方参り」という節分のお参りの風習があります。御所の四方の鬼門を護る寺社があり、吉田神社(東北)→八坂神社(東南)→壬生寺(西南)→北野天満宮(西北)を順番にお詣りします。節分の夜、邪気(鬼)が表鬼門の吉田神社に現れ、吉田神社で追われた鬼が八坂神社から壬生寺へと逃げて、最後に北野天満宮の福部社の中に閉じ込められるという伝承があります。ということで、京都の節分の寺社巡りのスタートは、最初に鬼
京都の壬生寺の無言劇、100円書斎Love。壬生狂言解説昔、京都で節分の四方参りをしてみたときに、壬生寺で壬生狂言を見たんだけど、その時に買ったまま、読まずに置いといたのをようやく読んだよ。壬生狂言は「壬生さんのカンデンデン」と言われるんだけど、カンカンという鐘のリズムでゆったりとした動きのパントマイムみたいな動きで演じる無言劇。正直・・・見てて退屈でした。今より若かったしね。覚えているのは炮烙割りのシーンだけかも。願いを書いた素焼きの大皿を何百枚もドンガラガッシ
はい、万城目学さんの新刊です今年の18冊目の読了本ですただ、ちょっとだけ経緯がありまして、実は11月4日に京都大学で万城目さんの講演会があり聴いてきましたサインもいただいてきましたが、せっかく京大までいくのならまだ行ったことのない近くの重森三玲庭園美術館に行って、その後タクシーをとばして、神泉苑へ壬生狂言を見に行ってきました神泉苑に着いてしばらく経ったころ、京王杯2歳Sにモレイラ騎手騎乗のミルテンベルクが出走する時間でしたが、レースが終わった頃に携帯を覗いてがっ
壬生狂言堂では、年三回、節分、春、秋に壬生狂言が公開されます。壬生寺は、京都の裏鬼門に当たる場所に位置し、厄除け開運を祈願する節分会は950年余の歴史があります。十数年前、節分のときに狂言を見に行きました。重要無形民族文化財・壬生狂言は、鎌倉時代に中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のために行った法要が始まりと言われ、現在まで受け継がれています。2017年京の冬の旅特別公開では狂言堂内の様子や面を見ることができました。
壬生寺は、唐招提寺を総本山とすり律宗大本山。991年快賢僧都が創建しました。本尊は延命地蔵菩薩をはじめ、境内に多くの地蔵を祀ってあり地蔵信仰の寺としても有名です。江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠地である屯所が壬生村の八木邸(壬生寺の北側)に置かれました。屯所が西本願寺に移転してからも壬生寺境内は引き続いて新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われました。その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚があります。
今日も先日寿司が割引になっていたスーパーで太巻きがまた割引になっていたのでそれを買って今日の昼食に仕事を終えて帰ってくると、優美抜けに国立文楽劇場友の会の会報が届いていました。今年の特別企画公演は「壬生狂言」。京都に6年も住んでいたのに、観たことがありません。午後2時開演ということで何とか行くことができるか。さて今日の夕食は近くのスーパーで北海道特集をしていて、そのちらし寿司です。
自分の記事にリブログするのも、恥ずかしい限りだが。。。八木さんの事を書いておこうと思うと、唐突過ぎて神泉苑を引っ張ってくるより他なかった。一日中アナウンスのマイクの前に座っているアルバイトだったが、狂言の始まり毎に説明を入れるのが主な仕事だった。その時は私が神戸から来ていると言う事を耳にされたのか「僕も神戸ですよ」な感じで話が始まったものかその頃、東寺にあった大学から来たと言うと「すごいとはあの五重塔、あの塔の事を『すごい!』と言うんやで。。。」
今日も暑い一日、丹波口で降りて、五条通の北側で所用です。用事済ませたら、ちょっと北の方に歩いて行ってみ。高校の横に広い公園。猛暑の中でも、気持ちがいい小道です。壬生寺に着きました。学業成就の一夜天神さん。お地蔵さんのお寺で有名。泣く子も眠る、夜啼き地蔵さんです。十一面観音さんと歯薬師さんを祀る、中院です。清水寺から移された、弁天堂。水掛地蔵さんがおわします。広い境内に、ぎらぎらとお日さんが照りつけます。うちらも、もうばて気味やで
【昭和の日】旧「みどりの日」が2007年から変更されて「昭和の日」に。趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日。「みどりの日」は5月4日に移動。【畳の日】畳の原料となるい草が緑色であることから旧「みどりの日」であったこの日に。【曲水の宴(きょくすいのうたげ)】京都・城南宮で、平安装束姿の男女が神苑内の小川のほとりに座って、川上から朱の杯が流れ着くまでに和歌を詠み、その杯の酒を飲み干すという雅やかな行事。※2023年は事前予約制【羊肉の日】
節分。松尾大社にお詣りした後、壬生寺の節分会(せつぶんえ)に行きました。厄除ほうらく。素焼きの焙烙(ほうらく)に、家族の年齢や願い事を書いて奉納します。奉納された焙烙は、壬生狂言の演目の中で山積みされた状態のまま舞台から落とされます。焙烙が割れることで、厄が落ちて福徳を得られるとされています。季節を分ける、と書いて節分。翌日の立春は春が立つ、と書き、春が始まることを意味します。少しずつ日が長くなり、ちらほらと梅のたよりも届いています。新しい季節、皆さまにもたくさんの福が訪れます
京都の節分会(節分祭)としては吉田神社や廬山寺などが有名ですが、壬生寺もその一つで、この時期に初めて訪れてみました。壬生狂言「節分」が演じられ、厄除けに「炮烙(ほうらく)」を奉納することで知られています。壬生寺の正門前で、既に多くの露店が並んでいました。御本尊は延命地蔵菩薩で、厄除・開運の寺として信仰を集めています。本堂への参道の途中に、炮烙のお皿が所狭しと積み上げられ、販売(500円)されていました。本堂本堂にお詣りを済ませた後、水掛地蔵、弁財天にも
表門を入ってすぐ右手にあるのが、一夜天神堂です。嘉永5年(1852)に再建。「一夜天神」の名はその昔、天神・菅原道真が流罪になった時に、この壬生の地を訪れ一夜をあかしたという故事に由来しています。天神様なので、合格祈願にご利益がありますが、特に遠くに離れた人の健康祈願にもご利益があるそうです。その隣には阿弥陀堂がありますが、節分会のためかシートで覆われていました。阿弥陀堂の手前に夜泣き地蔵というお地蔵様があります。お顔ははっきりしませんが、以前は壬生寺の塔頭、中院に祀
令和5年2月3日(金)元祇園梛神社を出て壬生寺に向かう。壬生寺に向かう参道は人通りが多くなっている。10時00分頃壬生寺に到着する。壬生寺は991年に園城寺(三井寺)の快賢僧都によって創建された律宗の寺院で、本尊は延命地蔵菩薩である。古来より厄除け・開運の寺として信仰を集めている。2月の厄除け節分会は900年もの歴史をもつ行事となっている。また、幕末に活躍した新選組ゆかりの寺としても知られている。境内の壬生塚には隊士の墓塔が祀られている。〈壬生寺〉壬生寺山門。一夜天神堂。本
ブログ更新5531回目「壬生寺」節分会900年余もの永い伝統京の裏鬼門で厄除け開運壬生狂言は重要無形民俗文化財所長散策ぶらり~お散歩旅です。京都の年中行事の一つに数えられる、壬生寺の厄除け「節分会(せつぶんえ)」は、白河天皇の発願によって始められたと伝えられ、900年余もの永い伝統を持つものです。当寺は各社寺の中でも、京都の裏鬼門(南西)に位置し、京都の節分鬼門詣りの一端を往古より担っています。ご本尊は「延命地蔵菩薩(重要文化財)」であり、お地蔵さまの誓願である庶民大衆の除災
京都の壬生寺へ本当は、2月3日に行きたかったのですが、仕事で行けなかったので、今日行ってきました。いつもは正面の門から入るのですが、今日は道を間違えて北門からです。すると、入ってすぐに今まで気づいていなかった石仏が並んでいるのを発見!正門はこちらです。律宗・壬生寺は正暦2年(991)快賢僧都によって創建されました。本尊は延命地蔵菩薩(重要文化財)であり、古来よりの地蔵信仰とともに、厄除・開運の寺として庶民の信仰を集め、2月の厄除け節分会は、約900年
京都二条城近くのサロン紬堺光子(さかいあきこ)ですブログにご訪問頂き、ありがとうございます(*^_^*)昨日、私は壬生寺にお参りしてきました。壬生寺は節分祭や新撰組で有名ですが、ご本尊は延命地蔵菩薩さま。厄除け・開運のお寺としても有名です。今年はコロナ禍以前同様に沢山の出店で、参拝する方もたくさんで賑わっていました。珍しい歯薬師如来さま水を掛けながら参拝すると、願いを一つ叶え
壬生狂言ChangeTalk,ChangeLife."喋りを変えたければ生き方を変えろ!"「喋りは生き方が9割」「FreeTalkEntertainment~喋りはもっと自由で心から楽しむもの」「人見知りとは克服するものではなくまず話を聞く人の姿勢を改めるべきもの」22世紀の「広辞苑」から"人見知り"の項目をなくす話をしっかり伝えられる人と聴く人を増やす人一般社団法人日本フリートーク協会代表理事ライフスキルトークカレッジ学長のターキーですこんにち
あちこち節分祭でにぎわってそうですね👹手持ちの画像吉田神社はないのですが、壬生寺の画像はありました節分ではなくて新選組特集になってしまいました~
記憶の古さでは、幼稚園での豆まきそして学生時代から吉田神社の節分祭は何度か行った京都大学の正門そば露店が並ぶ今年も800とか、凄い数全国の神様を祀る社にお参り追儺式で👹さんが出てきます豪華商品がゲットできる福豆を求めます~そして壬生寺こちらでは、壬生狂言が奉納されますやはり、露店出ます吉田神社~壬生寺へ連絡バスもありましたね🚌廬山寺も有名です👹とても寒かった思い出の節分今年も見送り😖💦家族での節分では人参を頭に付けた👹夫に豆を思いっきりぶつけてましたね。(笑)
森日和onInstagram:"【厄除け炮烙奉納✨】節分の行事✨今日は壬生寺の厄除け炮烙奉納を紹介いたします🥰毎年2月2日から4日に壬生寺では「壬生寺節分厄除大法会」が執り行われます参拝者は、炮烙(ほうらく素焼きのお皿)に名前や住所、数え年を墨で書き、厄除けを祈願して奉納します🥰奉納した炮烙は、4月21日から29日に行われる壬生狂言の「炮烙割」内ですべて割られます🥰この炮烙を奉納すると、その年の災厄を免れて福徳を得ることができると伝わっています🥰"5Likes,0Comment
「大念佛狂言の世界」との、新春特別公演に行きました。京都の三大念佛狂言から、嵯峨と千本ゑんま堂、そこに若狭・小浜から、和久里壬生狂言が加わります。まずは、かーんでんでん、かんでんでんと、嵯峨大念佛狂言の始まり始まり。約45分の大曲、「愛宕詣」です。いそいそと働く、茶店の女中。やって来た母娘が、お茶を飲んでくつろいでいる。そこに、旦那と供の者。いつもながら、極端にデフォルメされた面が、表情豊か。剽軽なやり取りのあと、カワラケ投げ。会場の都合で、紙製のカワラケを投げ
凍えました10月の三連休は、本当に寒かったですね。慌てて衣替えをしました。その三連休に壬生寺で秋の壬生狂言が行われました。壬生寺は、新選組の訓練場としても有名でこの辺りには、新選組関連のお店も多く並び「誠」の旗があちこちでたなびいています。前に鑑賞したのは確かコロナ禍前だったので、3年以上ぶりかな。そして秋に鑑賞するのは初めてです。12時半開場、13時から17時半頃まで行われます。演目は全部で6つ。最初の炮烙割
壬生狂言の観覧券が御朱印になっていました。
先日、京都・壬生寺に行ってきた。春の特別公開にあわせ「壬生狂言」が行われていた。平成19年に、知人である友禅作家のあだち幸さんが本堂の障壁画と襖絵を奉納され、それを観に行って以来、この時期には壬生寺によく参拝させていただく。この壬生寺は、お地蔵さんの寺院として有名である。我われには、やはり「新選組」のゆかりのあるお寺として印象が深い。そして、もう一つは「壬生狂言」。毎年、この時期と秋の2回開催されている。このGWに本堂の「延命地蔵尊」参拝と、あだち幸さんの襖絵を拝見しそれに併せ狂言を鑑賞さ
長らくブログを留守にしておりました。ナスターシャです。みなさまにはお元気で、お過ごしでしたでしょうか。(*‘∀‘)昨年の7月以来、更新が止まっていましたが、このブログを始めたのが2013年のゴールデンウイークの5月3日だったことを、ふと思い出し、そうか10年目になるのか~と。初心に返って、また復活できたらと思い、久々にやってきました。そして、デザインや、ブログタイトルも、一新してみました。コロナ禍もあって、あまり外出しなくなったことや、コンサートに行け
新型コロナウイルス感染症防止のため、イベント中止や日程変更があります。【昭和の日】旧「みどりの日」が2007年から変更されて「昭和の日」に。趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日。これにより「みどりの日」は5月4日に移動した。【畳の日】畳の原料となるい草が緑色であることから旧「みどりの日」であったこの日に。【曲水の宴(きょくすいのうたげ)】京都・城南宮で、平安装束姿の男女が神苑内の小川のほとりに座って、川上から朱の杯が流れ着くまでに和歌を