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源氏と平家の最後の戦いとなった壇ノ浦の古戦場跡と赤間神社。赤間神社は、壇ノ浦の戦いに敗れ、幼くして入水した安徳天皇をお祀りする神社です。平家物語の冒頭、祇園精舎の鐘の声・・を思い出します。
安徳天皇を描きました。神話ワンドロで描いたイラストです。お題が「こども」だったので安徳天皇にしました。安徳天皇といえば、源平合戦の最後の戦い「壇ノ浦の戦い」で平家が破れ、祖母に抱かれて三種の神器と共に僅か8歳で海に入水した伝承が有名です。安徳天皇って歴史上の人物だし歴史創作では??そんなツッコミが入りそうですが。安徳天皇は、山口県下関市にある神社「赤間(あかま)神宮」の御祭神です。というわけでこのイラストは平安時代の安徳天皇ではなく、御祭神の安徳天皇を創作し
【食育クイズ:Vol.1643】「京都府」の「大原、寂光院」おさらいクイズ!平家滅亡となった壇ノ浦の合戦で生き残り、出家して寂光院に隠棲した女性とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
門司城を調べるシリーズ。ついに豊前志が到着しました。これは昭和44年度版。実際に本を手に入れると、事前にネット記事で調べていたことがかなり要約された内容であったり、間違いであったりすることがあります。この『豊前志』なる書籍は、文久3年に渡辺重春なる人物が作成した豊前国の歴史本。その後、明治、昭和初期と再販されている本のようです。元々を言うと、元明天皇の時代(奈良時代とかの人よ)に郷土の編纂事業が行われたそうなんですが、この時に豊前国のものがなかったために作成されたのだとか。で、驚いた
おはようございます、沙久良ですこの寒暖差で風邪をひいたのか、軽く咳き込む事がありました、寝て起きたら治っていました。思えば、昨年春の久々にかかった普通の風邪がコロナ禍ですっかり免疫なくしてしんどかったのですが、その普通の風邪のお陰で、風邪の免疫が再びできたのか、昔の様にしょっちゅう風邪をひかなくなりました日々老化は感じますが、それに反して意外と体調は人並みになっている、そう感じる今日この頃です今日も昨年7月の関門海峡不思議ネタですイズクエほどしっかりは書きませんが、またお楽しみく
みなさま、こんばんは🌛いつもお読みくださり、ありがとうございます😊いいね、コメントなど、とても励みになっております❤❤❤🙇♀️🙇♀️🙇♀️朝起きて、誰とも喋らず出勤。家に帰って、レッスンして、後は翌朝まで誰とも喋らない。旦那さんいない日々。ちょっと寂しい〜😢一人旅中ならひとりで平気なのに😆😆さて。5月5日、こどもの日に、久しぶりに長散歩しました😊人道の関門トンネルを歩いて渡り。2時間ほど歩いて長府をウロウロして。帰り道は海岸沿いを歩いて。人道の関門トンネル、下関側
和布刈神社は、北九州市門司区に鎮座する神社です。九州最北端の神社で関門海峡に面しています。壇ノ浦の戦いが行われた海峡です。海の中に浮かぶ石灯籠が印象的です。創建は仲哀天皇9年(西暦200年)神功皇后が三韓征伐の後に創建したと伝えられています。御祭神は天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」神社のすぐ上を関門橋が通っています。
☆blogひまわりの笑顔☆へおいでいただき、ありがとうございます。グリーフセラピスト&心理学講師の荒川淳子です。歴史旅2日目【吉野ヶ里から太宰府・門司港へ】宿泊ホテルは高校生野球部の合宿とか、朝食は混むかなぁ?と時間をずらせる予定でしたが、朝食会場30分後にはロビーでミーティングをしていました。身体の大きな高校生が圧縮されたように詰め詰めでした😆出発時には向かいのコンビニの食べ物を詰め込んで戻ってきていました。たくさん食べて試合を頑張るのね⚾予定通り出発したのはいいけれ
地元の緩い武者行列でもUWFのテーマをかけるとカッコよくなる説。youtube.com動画。別件で門司港に行っていたのですが、門司港レトロで武者行列をやっていたので見に行きました。そして、撮影会にも参加。こんな歴史上の強者と写真が撮れるとは、武術好きには堪らないイベント。不満を言えば、知名度的に那須与一も見たかったかなと。ただ、あの那須与一が扇を撃ち抜く話は、檀ノ浦ではないですからね、仕方がない。よい記念になりました。
私が子供の頃、週末にドライブに連れて行ってもらうことが多くありましたが、印象に残っているのが平家の落人村があったとされる福島へのドライブでした。ただし、中学生になっても京都への修学旅行で現代的な街並みを見てガッカリした外国人みたいなマインドを持っていたので、当時小学生だった私はどこにも平家の落人を見つけられずがっかりした馬鹿な子供だったんですけれど。それでも平家の落人村が福島にあったんだ、ということだけは記憶に残りました。地名などは全然覚えていなかったのですが、すっかり忘れていたので検索するとす
本日は安徳天皇の祭日です。第八十一代安徳天皇は平安時代末期の天皇です。御名は言仁(ときひと)。治承二年(1178年)生。御父は高倉天皇、御母は平清盛の娘徳子(高倉平中宮)。後白河天皇の皇孫です。御在位、治承四年(1180年)から寿永四年(1185年)。高倉天皇の第一皇子として誕生された言仁親王は、生後間もなく親王宣下を受け立太子されました。そして満一歳二ヵ月で高倉天皇の譲位を受けて即位されます。外祖父の地位を確保し、平氏一門の政治的基盤を確固たるものにするという平清盛の願
今日は、古くから函館市・東雲町を見守っている、函館水天宮を紹介します。<所在地>函館市東雲町13番2号<例祭日>7月5日<祭神>・安徳天皇(あんとくてんのう)・天御中主(あめのみなかぬしのかみ)・高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)・二位尼時子(にいのあまときこ)<由来>箱館の開拓者、高田屋嘉兵衛が兵庫において、航海を生業とする際。久留米の水天宮(福岡県久留米市)より航海の守護神として分祀を願い出
寿永4年3月24日午の刻西暦に変換すると1185年4月25日12時頃現在の山口県下関市で源平合戦ラストの壇ノ浦の戦いが終結今から約840年前の戦いで平氏が負けて滅亡した。源氏[源範頼・源義経・他]VS平氏[平宗盛・平知盛・他]有名な資料は吾妻鏡、平家物語、源平盛衰記ですね。満6歳で崩御した安徳天皇おばあちゃんに「どこに行くの?」60歳の祖母二位尼平時子さんに「極楽浄土という波の下の都ですよ」と一緒に壇ノ浦に身投げした話は凄い話ですし、生き残った建礼門院平徳
📅2018年4月24日森田童子(もりた・どうじ)【ミュージシャン】66歳没#森田童子#ぼくたちの失敗#ラスト・ワルツpic.twitter.com/30pjqEg4oF—命日bot(@meinichi_bot1)April23,2024〔午前8:00·2024年4月24日〕📅1992年4月25日尾崎豊(おざき・ゆたか)【ミュージシャン】戒名『頌弦院智心碩豊居士』26歳没#尾崎豊#15の夜#十七歳の地図#尾崎裕哉pic.twitter.com/46YhTNPal
📅〔JR福知山線脱線事故から19年事故後入社の社員7割近くに|NHK|鉄道〕〔JR福知山線脱線事故-Wikipedia〕JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅-尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した。2005年、平成17年4月25日JR福知山線脱線事故09:18、福知山線塚口駅-尼崎駅
https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005310043_00000
「波の下にも都がございますよ」アラビア語訳・ヘブライ語訳『平家物語』壇ノ浦の戦いのこといつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!本日は明治時代ー1984年まで安徳天皇と平家一門の霊を慰めるかつての先帝祭があった日です。旧暦3月24日を太陽暦の1か月後の4月23日に改めました。先帝祭-Wikipediaja.wikipedia.org
関門海峡の海底には、「関門トンネル人道」という海底トンネルがあります!企画を聞いた時、地味でつまらなそうと思ったけど当日、県境をまたぐ瞬間、テンションが爆上がり‼️写真撮りまくり‼️何で境界線って心が躍るんだろう😂「関門トンネル人道」概要歩行者と自転車が通行可能自転車は降りて歩くこと通行料金は歩行者0円自転車20円エレベーターで約50m降下片道約800m当家は福岡→山口入り(レンタカーは近隣の無料駐車場に駐車)山口県側のエレベーターを登ると…目
昨日ご紹介したトロッコ列車「潮風号」を降りた後は、関門海峡を歩いて渡れるトンネルを目指します(˘◡˘)関門海峡めかり駅の駅前広場前に「関門トンネル人道入口」の表示が出ていますので、矢印の方向へ向かいましょう。観潮遊歩道と名付けられた、海沿いの遊歩道を歩きます。やがて関門橋の袂まで来たところで・・・階段を登ると、目の前にトンネルの入り口がありました!(°◡°)海底へ潜るエレベーターが2基。さっそくエレベーターにイン
「碇知盛(いかりとももり)」(錨知盛)「碇知盛(いかりとももり)」とは「壇ノ浦の戦い」で平家が滅亡する際の一場面を、歌舞伎や浄瑠璃で上演される際の通称です。「碇」は船の「錘(おもり)」、「知盛」は戦で総大将をつとめた「平知盛(たいらのとももり)」のことを指します。平知盛平安時代末期の「壇ノ浦の戦い」で、源氏と激しい戦いを繰り広げていた平家ですが、もはや勝ち目のないことを悟り、入水による滅びの道を選びます。知盛は、一人
もう一度壇ノ浦へ行こうと思ったこといつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!本日は源平合戦(治承・寿永の乱)で有名な壇ノ浦の戦いの日で平氏が滅亡(実際は生き残りもいますが)したとされる日です。来年で満840年になります。今から10年以上前のこと、壇ノ浦古戦場と赤間神宮に行きました。狙っていったわけではないのですが、秋季例大祭の日でした。特
こんにちは、tenです。アメブロ投稿、1818日目です。それでは、今日は、何の日?3月24日は、何の日で、どんな出来事があった日なのか?記念日の由来や、関連する雑学、それに、雑学クイズ、お花、昔話に、郷土の玩具などを、あわせて紹介していきますね。ほんなら、今日のお花!3月24日の、今日のお花[花言葉「嫉妬」《片栗(かたくり)》]ユリ科の多年草で、山野に自生します。春早くに、長い花柄を出して、紅紫色6弁の、美花を開きます。花被片は外曲反転して、下向
2024年3月24日今日は何の日か世界結核デー世界保健機関が1997年に制定。1882年のこの日、ロベルト・コッホ博士が結核菌を発見した。医学の進歩で克服されたかに見えていた結核が、再び猛威を振い始めたことから、結核の撲滅を目指して結核抑圧への協力を世界に呼びかけている。日本では9月24日~30日を「結核予防週間」としている。マネキン記念日1928(昭和3)年のこの日、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で高島屋呉服店が日本初のマ
.素敵なラッピングざますぅ!私も包まれたいざますぅ~♪「動けニャ~♪」ーーーーーーーーーーーーーーー3月24日はグレゴリオ暦で年始から83日目(閏年では84日目)にあたり、年末まであと282日ある。====3月24日の記念日===【世界結核デー(WorldTuberculosisDay)】世界保健機関が1997年に制定。1882年のこの日、ロベルト・コッホ博士が結核菌を発見した。医学の進歩で克服されたかに見えていた結核が、再び猛威を振い始めたことから、結核の撲滅を目指して
妄想は現実にかわるかみなさん、おはようございます関東地方に地震が多いです以下は妄想です①関東地方に大きめの地震が起こる②経済のバブル崩壊、株急降下③岸田グダグダ政権の崩壊④日本保守党への信頼大⑤高市政権の誕生、日本の復活いかがでしょうか?みなさんは何をされますか考えておきましょうアリガトウ「3月24日」の國史を学びましょう「壇ノ浦の合戦」元暦2年(文治元年、1185年)長門国壇ノ浦(山口県下関市)の戦
皆さま、こんにちは昨日は午前中から自動車の運転の練習をしてきましたお恥ずかしながらペーパードライバーなので、まだ一般道路を走るのが怖く自動車学校の空地?!みたいなところを借り数時間車と戦いました。その結果お腹ぺこぺこになってしまい•••、お昼に鰹節が有名なお店に行ってきました鼻息でふわふわ飛んでいきそうなくらい柔らかい鰹節でした🥰•••••cut•••••・1185年(元暦2•寿永4年)3月24日、壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる→平氏追討の源義経軍は、香川の屋島の戦いで勝利します。さ
皆さんこんにちは、司法書士講師の三枝りょうです。世界結核デー、マネキン記念日、連子鯛の日、ホスピタリティ・デー、壇ノ浦の戦いの日、人力車発祥の日です。だそうです。さて、日曜写真館(その1174)です。テイクアウトシリーズ(その28)お弁当お弁当一番西葛西本店です。24時間営業です。ハンバーグ弁当とのり弁当です。当方にしてはめずらしい組み合わせです。卒業式からの相続手続き面談2件でHPがゼロになり、判断がブレました。それでは、今週も、ファイト☆三枝りょう皆さんこんにち
3月24日の歴史源平合戦最後の戦い壇ノ浦の戦い元暦2年/寿永4年3月24日長門国赤間関壇ノ浦で行われた戦武家として栄華を誇った平家一門が滅亡平清盛の4男平知盛物語的には源平の合戦最後の名場面陸の源範頼海の義経に追い詰められた平家一門は入水による自害を選ぶ安徳天皇、二位尼らが入水平氏滅亡の様を見届けた知盛は碇を担いだ見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せんと言い残してたそうですそして知盛入水!!入水した建礼門院は助け上げられ八咫鏡と八
【世界結核デー】1882年(明治15年)3月24日、ベルリンでコッホ博士が結核菌を発見した。【マネキン記念日】1928年(昭和3年)3月24日、高島屋が御大礼記念博覧会で初めてマネキンを登場させた。当時は人形ではなく、生身の人間だった。【ホスピタリティ・デー】1994年(平成6年)に日本ホスピタリティ研究会(現日本ホスピタリティ推進協会)が制定。【壇ノ浦の戦いの日】1185年(元暦2年)のこの日、長州沖の壇ノ浦合戦で源義経が率いる源氏の水軍が平家軍を破った。この合戦により平家一門が
「父のこと2壇ノ浦から銚子まで」僕が小学校三年の頃だったと思います。僕は、自分の苗字のことで友達からからかわれていました。「向後」と言う苗字を「後ろ向きだ」とか、囃し立てられたいたのです。ある日、僕は、日本間で横になってタバコを吹かしている父に、なんで向後と言う苗字なのかと尋ねました。父は、僕の様子から、何事か察したのかもしれません。僕の問いにはすぐに答えず、ハイライトに火をつけ、気持ちよさげに一服した後、僕にとって一生忘れることがないであろう大切な話を語り始めました。「