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皆様シワッスダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったダス!でも昨夜はあの伝説の斬られ役・福本清三さんがゴッツイこと出とられたので清三さんばっかり探しとったダス☆やくざの用心棒という最もハマっとる役だったダスな☆何度も「先生!」「先生!」と叫んでしもたダスwその後は一人ライブ頑張っとったダス🎸ピロピロ♪朝が来たダス!アマタツ~!いつもの日課をこなすダス!☕🎸🍎朝玄関に見たことない昆虫がおってワシの興味をそそってもたダス!朝はちょっと雨が降っとったのでバラの水やりは自然に任すダス!
長野県佐久市にある新海三社神社境内にある古墳を今日はアップします。※新海三社神社については昨日のブログを確認して下さい↑左奥に新海神社東御陵古墳、手前が新海神社5号墳新海三社神社にある三重塔から山を登ってすぐ。↑新海神社5号墳、石室の一部が残っているようです。↑内部の様子この内部の様子を撮っている最中、近くで「ガサガサ」と音が熊のニュースが毎日のように流れていた11月19日。一瞬熊が出たのかと思いビックリしましたが、近くに人がいたんですよふっ
昨日は長野県佐久市平尾大社近くにある矢口古墳群3号墳をアップしました。今日は平尾大社と、矢口古墳群の残り2基をアップします。↑まずは平尾大社、一の鳥居から「大社」って?と定義を確認したくなりますけど↑この鳥居から急な階段を登っていきます。↑こちらが平尾大社の拝殿↑平尾大社本殿が佐久市の有形文化財になっています。この地の領主だった平尾氏の本願によって天正3年(1575年)に建て替えられたのが本殿。↑拝殿と本殿↑本殿を
皆様おはようシワッスダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったんダスが帰宅した時間が遅かったので途中からしか見れんかったダス。。。何やったのかは分からんダスが黄門様ご一行は捕らえられてしもたダス。どのような問題があったのかはよう分からんかったダスが印籠ビームで解決したようダスwおお、ウルトラセブンと大西結花さんが出とられたダス☆で、肝心のあの伝説の斬られ役・福本清三さんを探せゲームの方ダスが今回は村人でチョイと出とられたのと下っ端役人の二役をやっておられたダス☆朝が来たダス!
①キジ山古墳彷徨い登山編昨日の雨天から、少し暑い晴天へ予報通りのお天気に、浮かれヒゲ爺は山遊び徘徊へと、キジ山裏登山口へやって参りました。ェヘヘヘ(^_-)キジ山徘徊MAP高山学園の脇にP・登り口はbackです。此処がキジ山への裏登山口です。急登三昧の怪しい登り口です。松の巨木の倒木を足掛かりに、スタコラと彷徨い登っていきます。久し振りに
10月27日に訪れた千葉県の古墳、続きです。全国Q地図より(赤い文字はふっき~が加筆)全国Q地図|各種地形図・地理空間情報の統合閲覧サイト↑昨日・一昨日とアップした、かわらめき古墳群から北西へ700メートルほどの場所にある上勝田瀧向(かみかつたたきむかい)古墳群を目指します。3基からなる古墳群です。↑上勝田瀧向古墳群は左手、小道の先にあるはず!おそらく古墳マニアの諸先輩方も未訪問のはず。そのため、現存しているのか?果たして見つけられるのか?不安いっぱい・・・・ではな
④多米第二林道プラブラ徘徊戻り編(埋塚1号古墳へ訪問)岩盤が続く三輪第二林道をフラブラと徘徊戻り、巨岩が屯仕手いる場所を抜けると、樹間から蒲郡のラグーナベイコートが見え、ヒゲ爺もカーブミラーの前で小躍り。(^O^)獅子岩がヒゲ爺を見下ろして居ます。左側は岩盤壁となっています。荒々しい巨岩が続いています。油断成らない巨岩が屯仕手
弁天社古墳から北へ300mほど進むと見えてくるのが、茅原大墓古墳です。新しく説明板が設置されています。この説明板に基づいて、ますはこの古墳の概要から。茅原大墓古墳は、前方部が短い「帆立貝形前方後円墳」です。全長は約86m、後円部径は約71mを呈します。出土した埴輪から、築造年代は古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)とされています。奈良盆地東南部においては、4世紀末頃にはこの茅原大墓古墳以外に首長墳が見られなくなることから、古墳時代ヤマト政権内部の勢力
山口県山口市平清水八幡宮にお参りしました。訪れることがけっこうある神社さんです。山口県最古の神社とも言われています。個人的には疑問符がつきますが、古代からの聖地であることは間違いないと思います。弥生時代の土器片などもでますから、古くから人の営みがあった土地のようです。現在は重文ですが、以前は国宝であったようです。さすがに撮影は控えましたが、この参道脇に、古墳時代の石棺が、むき出しの状態で、安置されています。
群馬県藤岡市にある下戸塚古墳群、続きです。↑とても目立った藤岡市61号古墳、南西側から「61号古墳」←『マッピングぐんま』を参考にしました。『群馬県古墳総覧』だと分布図が古墳のマークがありすぎてゴチャゴチャ。場所はこちら:36.257919,139.091001↑真冬にもう一度見に来てみたい、おそらく藤岡市193号古墳藤岡合同庁舎裏、木立の所が古墳のはずです。↑こちらも草木がボーボーで墳丘が見えない、おそらく観音堂古墳(藤岡市52号古墳
今日からしばらく、群馬県藤岡市にある下戸塚古墳群をアップしていきます。まずは藤岡工業高校の南東側にある古墳から↑藤岡市185号古墳(神流村5号墳)、南西側から草が刈られてキレイにされてますね直径29.9メートル×32メートルの円墳。場所はこちら:36.254656,139.090807↑藤岡市185号古墳(神流村5号墳)、東側から↑墳頂の様子国土地理院の三角点がありました。↑墳丘上、この大きな石が気になって撮影していたら、停めてい
垂箕山古墳2(京都市右京区)2024年7月24日垂箕山古墳は、太秦・垂箕山町にあり、宮内庁管理の形になっていて、これまでに本格的な調査はなされていません。別名、片平大塚古墳は、主軸方向をほぼ東西にとる全長約65mの前方後円墳で、南側くびれ部には造出を有し、南側が平地で台地上にあり、特に前方部が極端に広がる形状をとる点が指摘されます。また墳丘くびれ部の南側にのみ造出を有するほか、墳丘周囲には周濠が巡らされる。埋葬施設は詳らかでないが、明治初期の『御陵墓所在書』には横穴式石室の
今日も愛知県一宮市にある古墳です。訪問日は9月19日。↑住宅地の中にデーンとある富塚古墳、北側から築造当時はかなり遠くからでも見えたのでしょうね場所はこちら:35.332096,136.814821↑富塚古墳の解説板犬山扇状地の末端、自然堤防上に築かれた古墳。直径30メートル、高さ6.6メートル、三段築成の円墳。築造年代は不明。↑東側からまだまだ暑い季節での訪問だったので、草ボーボーです。草ボーボー過ぎなので、墳丘に登るのは断念↑
皆様おはようございますダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったんダスが帰宅した時間が遅かったので最後の方しか見れんかったダス。。。現在の福井県の小浜でのお話だったようダスな☆なんか美空ひばりさんがよう被っとられた鳥の羽をようけ植えたような被り物して踊ってとられたダス♪踊っとったのは黄門様ご一行だったダス~!どのような悪事や問題があったのかは分からんかったダスが印籠ビームで解決したようダス☆仇討ちのお話も混ざっとったようダスな。敵側が優勢で返り討ちに遭うとこだったダスが格さんが扇子か何
蛇塚古墳2(京都市右京区)2024年7月24日太秦面影町の住宅地のど真ん中に高さ5ⅿあまりの墳丘に手入れの行き届いた庭木が植栽され墳頂部に巨石の塊が載っています。道路は墳丘の両サイドに分かれやや小びろい左手に進めば、ございました「史跡蛇塚古墳」の石柱が立ち、墳丘土は一切なく付け根から巨石が積み重なりがまるだしになっています。住宅地のど真ん中で駐車スペースなどもないが、道幅も対向できるくらいはあり、何かあればすぐにどけられそうなので短時間路駐させていただきます。この南東
天皇の杜古墳6(京都市西京区)2024年7月24日真夏の太陽も天中を過ぎ猛暑のピークに達します。早いとこ今日の巡礼を切り上げてお昼にしたいとこです。一旦は車に引き上げて涼しい日陰でwebデータを分析します。発掘調査(1988-1990)により、天皇の森古墳は台地の上に墳丘を盛り上げて造られ、二段築成になっていた。墳墓は、前方部が広がらない「柄鏡式(えかがみしき)」の形態をしている。前方後円墳の形態は時期によってその特徴が変化し、古墳の編年的研究に重要な役割を果たします。前
皆様おはようございますダス!昨夜は水戸黄門の放送が無かったので一人ライブ頑張っとったダス🎸ピロピロ♪朝が来たダス!アマタツ~!いつもの日課をこなすダス!☕🎸🍎バラの水やりもやるダス!💦🌹🌹🌹では占いダス!皆様の今日の運勢はどうダスかね?井上アナとこのワシドギー隊長がお送りしましたダスwアボカドちゃんのチェック!今日はお店の定休日ダス!コーフン物件探しの旅に出るダス~☆でもその前にブタちゃんに挨拶していくダス~🐽キチンと整列できる賢いブタちゃんダスw子ブタちゃん
ヤマト磐余玉穂宮19回目大和軍は八女を攻略したが、磐井を逃がしてしまった。「磐井を探せ」麁鹿火は幾つもの捜索隊を出した。その一方で、麁鹿火は金村と男人に言った。「磐井の墳丘を壊してほしい」九州王権の象徴を打ち壊すことで、この地も大和の支配下にあることを世に知らしめるためである。「わかった」大伴と巨勢の軍勢が磐井の造っている墳丘を破壊した。墳丘の周りにあった石人は腕を打ち折られ、石馬は頭を打ち落とされた。大和軍は九州王権を完全に否定した。数日後、磐井の体が八女に運
皆様方おはようございます。↑前回の古墳見学の続きです。箸墓古墳見学の帰りに纒向石塚古墳を見学。↑後円部裾。墳丘全体。同じく↑墳丘をまわっていきます。↑案内板戦時中に高射砲台として利用されてしまったため墳丘がおおきく改変(又は破壊)されてしまってます。巻向小学校の建設に伴い調査が8回行なわれてきました。第1次調査では約20mの周濠を確認、第3次では周濠と前方部の区画を確認。そして東南に前方部を持つことが分かりました。案内板にも書いてありますが墳丘全長は96mであること
③夜泣き石古墳へお立ち寄り編雨生山断念・泣き寝入りせずに、秋に再度徘徊訪問しましょう。その代わりの寄り道・夜泣き石古墳へ久々にお立ち寄りしましょうか(^-^)相棒が待つPへ戻って来ました。紅葉の時期に来ると、綺麗ですねぇ~。紅葉の時期に、雨生山徘徊に来よう。夜泣き石古墳へお立ち寄りです。手前(左)が10号墳・奥(右)が11号墳です。古墳群も現在残っているのは、此の二基だけです。綺麗に藪草が刈られて、有り難いですねぇ~。夜泣き石がハ
天皇の杜古墳4(京都市西京区)2024年7月24日ここは京都盆地の西縁、桂川右岸の山裾に築造された古墳であり乙訓(おとくに)地域(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市西)に所在する乙訓古墳群現存古墳の北端にあたります。4世紀後半~末の前方後円墳。中世から、文徳天皇(平安時代850年即位の55代天皇)陵と伝承されており、古墳名の「天皇の杜もり」や周辺地名の「御陵」はそれに由来します。現在も墳丘は良好に保たれ、1988-1989年度(S63-H1)に発掘調査を実施。前方部がやや細
8月29日に訪れた埼玉県熊谷市の古墳、続きです。今日アップするのは荒川新扇状地(熊谷扇状地)にある古墳。『埼玉県熊谷市遺跡情報サイト』によると、15基からなる肥塚古墳群。現存は2基のみ??熊谷バイパス沿い、万代書店熊谷店の南側に1基現存しているようなので・・・↑草木でボーボーですが、おそらく肥塚古墳群第2号墳、西側の様子写真を撮ってる場所は13号墳があった箇所。2号墳は直径約30メートル、高さ約1.5メートルの円墳。場所はこちら:36.163389,139.39
天皇の森古墳3(京都市西京区)2024年7月24日これだけの古墳なのに、発掘調査の結果では周濠がないのもちょっと不思議な感じがします。航空写真などを見ると、周濠があったように見えるのだが、1988年~90年にかけて行われた発掘調査では確認されず、墳墓の区域を周囲と区分するために整地された兆域だと考えられています。墳丘に沿って、公園内を歩いてみると、墳丘の中に入ることが出来るようになっています。そこはマニアの悲しい性、こういうのを見ると放っておけない。早速、墳丘を登ってみ
皆様おはようございますダス!昨夜もワシは水戸黄門を見とったダスが帰宅した時間が遅かったので途中からしか見れんかったダス。。。黄門様はソロバン占い師とかいうのをやっとったダスwそれがまたよく当たるんダス☆裏でトンデモ女忍者と飛猿が占いが当たるように頑張っとっただけなんダスがw入浴シーンもあったダス~♨ちなみにみとこうもんにおける由美かおるさんの入浴シーンの回数は204回ということになっとるダス!水戸黄門に関するクイズの問題で出題される可能性が高いので覚えとくと良いダス☆入浴シーンを
天皇の森古墳2(京都市西京区)2024年7月24日その名も天皇の森古墳前交差点には石碑が立っていて、眼前の墳丘がまごうかたなき天皇の森古墳であることを確認できました。山陰道は国道9号線沿いにあり、場所は案外と判り易い。ただ、車で行くなら、9号線沿いの動物病院の南西裏に、一段低く隠れているような位置なので、うっかりしていると通り過ぎてしまう。天皇の杜古墳は、古墳時代前期に築造された京都市内で最大級の数少ない前方後円墳で、当時桂川右岸を支配していた豪族の墳墓と推定されておます。
7月23日に訪れた千葉県東庄町にある四塚古墳群、続きです。↑今日アップするのは南東端と南西端にある古墳?です。↑こちらは南東端の古墳?場所はこちら:35.798439,140.681130↑濃密な草近寄っても墳丘があるのか?全くわかりません。↑南側の様子墳丘が見えませんが、この草の覆われ方から、やはり古墳なのでしょうね。↑四塚古墳群、南西端の古墳?裾があまりにも直線的で、現地では「古墳?」と疑問をもつほど。疑問を
生まれも育ちも奈良県のみくるです。山の辺の道ハイキングや古墳が好きで、天理市によく出かけます。「みくるの森」に、西乗鞍古墳をご紹介する記事を投稿しました。ひまわり畑から見える古墳です。夏は緑が濃くて綺麗なのですが、こんな風に草木が生い茂っていて、道が隠れています。そこで、冬にリベンジして墳丘に登って来ました。綺麗に草刈りをして下さっています。墳丘に登って、後円部から前方部を見ると、くびれ部のなだらかな曲線がよく見えました加えて、前方部には昭和天皇が戦時演習の拠点とした「大元帥陛下
7月に仕事で訪れた滋賀県長浜市。仕事前に近くの古墳をいくつか周りました。暑かったし草や虫さんたちの勢いがすごくサラッと写真を撮るだけの古墳巡りでしたが意外と数回ってたのね、と写真を見返して我ながらビックリ。『夏の古墳巡りは大変!丸岡塚古墳滋賀県長浜市』おはようございます!今日も暑いっ!!どうにもならんけど、ひてまずみんなで声に出して言おうっ!暑いっ!!(笑)さて、7月3連休の滋賀県長浜市での似顔絵。せっかく…ameblo.jp『西塚古墳。滋賀県長浜市』先日似顔絵で訪れた滋賀県
造山古墳の周辺には、小さな古墳が、いくつかあります。造山古墳の「陪塚」のようです。こちら、「第2号古墳」です。一片が30メートルほどの方墳。竪穴式石室と思われる周辺から、円筒埴輪、朝顔型埴輪、盾持人埴輪など、108本が見つかっているそう。道を歩いていると、クリが、たくさん、落ちていました。こちら、クリの木。こちら、第1号古墳(榊山古墳)です。何とも、よく分からないですよね。第1号古墳を、裏側から。直径35メートルの円墳に、小さな前方部がつく「帆立貝型古墳」です
今日から、盆休み。と、言うことで、「造山古墳」に行ってみました。造山古墳は、全長350メートルの前方後円墳で、日本で四番目の大きさの古墳。しかし、行ってみて、少し、拍子抜けをしたところ。墳丘の上に立ってみると、人の手が、多く入っていて、単なる、里山のよう。また、草木が茂り、自由に歩くことが出来る場所も少なく、全体像も見えないので、何だか、古墳に乗っているという気持ちがしない。こちら、「造山古墳ビジターセンター」です。建物の中には、造山古墳に関する資料が置かれていて、自由に、見学をす