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------------------------------「お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった」殺された人は蘇らない。生きている人ができることはなんなのか。明日も生きること。1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書Amazon(アマゾン)
-------------------------2024年「私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。そういう人が生活する町にはできなかった」人生は長い。辛い時はつらくてたまらないですが、時間が癒してくれます。人の優しさが癒してくれます。1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書Amazon(アマゾン)
💁♀️ザ・アキコ・ショー💁♀️spotifyで人気の塩見さん回YouTube第4弾!塩見さんは児童養護施設「のらねこ学館」を運営されています。塩見さんの人生は苦難の連続。しかしその度に苦難を受け入れ、許し、前に進んできました。そんな塩見さんから「許す力」を学びました。
💁♀️ザ・アキコ・ショー💁♀️spotifyで人気の塩見さん回、YouTube第3弾!塩見さんは、愛媛で児童養護施設「のらねこ学館」を運営されています。そんな塩見さんは、なぜ人を助けることに人生を捧げるのでしょうか。人助けの原点に迫る感動インタビューです。ぜひ聴いてみてくださいね♪
💁♀️ザ・アキコ・ショー💁♀️spotifyで人気の塩見さん回、YouTube第2弾!塩見さんはとってもパワフルで明るい方です。波瀾万丈の人生を生きた塩見さんの元気の源は何なのでしょうか🤔たくさん学べて、塩見さんのパワフルさに勇気づけられるインタビューです♪
この度、塩見志満子先生が月刊誌『致知』5月号に掲載されました。特集命いっぱいに生きる全文(9頁)を紹介掲載させて頂きます。誰かのために生きる時、人間の命は輝く対談塩見志満子(のらねこ学かん代表)高橋恵(おせっかい協会会長)共に弊社刊『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』に登場された塩見志満子さんと高橋恵さんの人生は、幼少期から試練の連続だった。しかし、その試練を糧に力強く生きる中で、二人は誰かの幸せのために生きる中にこそ、人生の真の喜び
お知らせのらねこ学かん塩見志満子先生致知出版社にて紹介★彡・:☆彡・:★彡・:☆彡・:★彡・:☆彡のらねこ学かん・塩見志満子の壮絶な人生体験...-致知出版社★彡・:☆彡・:★彡・:☆彡・:★彡・:☆彡のらねこ学かん塩見志満子先生書籍掲載1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書詳細はこちら致知出版:1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書Amazon:1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書7月3
この度、のらねこ学かん塩見志満子先生が、書籍に掲載されました1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書詳細はこちら致知出版:1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書Amazon:1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書7月31日どこまで人を許せるか塩見志満子のらねこ学かん代表『致知』2014年7月号塩見志満子記事全文塩見志満子『致知』7月号掲載[1]知的障がい者たちが週末に集う舘塩見志満子『致知』7月号掲載[
特集自分の花を咲かせる━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━人間一人ひとりはかけがえのない存在ーー二十年以上、学かんの運営を続けてきて、いま感じられることはありますか。塩見娘たちは「お母さん、何かあったらいかんから、もう辞めなさい。もう十分やったよ」と言うんですけど、学かんのあの于らをそのまま放っておくことはできませんし、私白身の修業もまだまだ足りません。ついこの間の日曜日、学かんの子の一人が家族で旅行をしたと言って菓子折を持ってきました。全員に均等に分けようとしたら、自閉症
特集自分の花を咲かせる━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━この子らと一緒に生活できる人になるーー宝物のような我が子をニ人も失うという大変な逆境を、よくぞ乗り越えてこられましたね。塩見でも、この苦しみは抜け出そうと思ってもなかなか抜け出せるものではありませんでした。もう教師は辞めようと思って退職を願い出たこともあります。そうしたら校長先生が「もし、あなたが希望するなら、あなたを必要としているところがあります」と言ってくださったんです。それが養護学校でした。それで四十六歳の時に養護
「のらねこ学かん」には地元・愛媛の仏教詩人・坂村真民氏も訪れていた。玄関前にある「念ずれば花ひらく」の石碑(上)と、館内に掲げられた「すべては光る」の詩━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━この子は心臓麻痺で死んだことにしとこうやそこから学かんの立ち上げまではどのように進むのですか。塩見一つのきっかけとなったのは私が三十八歳の時に、小学二年生の長男を白血病で失ったことです。白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を技く。そう
特集自分の花を咲かせる━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━人間は不可能を可能にできる塩見さんはもともと学校の先生でいらしたのですね。塩見はい。だけど、私は本当は「おまえは先生にはなれん」と言われていた人間なんです。生まれたのは愛媛の農家で、よく生きておられたなと思うほどの貧乏でした。六人きょうだいの四番目で「この貧乏な百姓だけは嫌だ。何としても働いて大学に行きたい」とずっと思っていました。それで高校を卒業する時、担任の先生に「先生のような国語の教師になりたいです」と言うたら、
この度、塩見志満子先生が、月刊誌『致知』7月号(インタビュー③)に掲載されました。全文(5頁)を紹介掲載させて頂きます。塩見志満子(のらねこ学かん代表)「降りかかる逆境と試練が私の人生の花を咲かせた」愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という知的障がい者のための通所施設がある。ここを自費で運営する塩見志満子さんが学かんを立ち上げるまでの人生は、まさに試練に次ぐ試練の連続だった。ハンディのある人たちと関わり、その人生の花を開かせようと、きょうも奔走を続ける塩見さんに聞いた。しおみ・し