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Ⅰ人間存在としての救い<個人>「はい」と言われている存在2・二面性をもつ人間エレミアは「最も深く神の心を見た」人です。エレミアは旧約のパウロであり、パウロは新約のエレミアである。パウロに示された「十字架における神」は、エレミアにとっては「痛みにおける神」でした。(15)エレミアの嘆きや糾弾は他を責める思いから来たものでしたが、外に原因を見るのではなく、「人は自分の罪ゆえに死ぬ」(エレ31,30)と、内に悪を見て行くようになりました。罪は人間の責任、本来あるべき姿
Ⅰ人間存在としての救い<個人>「はい」と言われている存在2・二面性をもつ人間預言者エレミアはこう訴えました。「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、わたしはあなたと争い裁きについて論じたい。なぜ、神に逆らう者の道は栄え欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか」(エレ12,1)エレミアは、信じれば救われ、信じなければ罰が下るといった伝統的信仰観(報復信仰)と現実との矛盾に直面しました。なぜ、正しい者が苦しむのか。迫害され、苦難に満ちた人生を送り、自分が
Ⅰ人間存在としての救い<個人>「はい」と言われている存在2・二面性をもつ人間「はい」と応える人間―「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラ2,20)成聖の恩恵、神のものになるということです。パウロは始めからパウロであったのではありません。そこで信仰者パウロという観点から辿っていきたい。拠るべき規範、基準が疑う余地のないほどはっきりとしているわけではなく、迷いながら求め、求めて、確信に至り、神に応えていく信仰の