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訪問日:2024/5/2GWの家族旅行で宿泊した宍道湖近くの某ホテル6階廊下から見える松江城天守、窓を開けれないのが残念です。夕食を済ませた後の散歩のついでに、寄ってみました。2年振りの訪問です。先ず松江開府の祖、堀尾吉晴公が出迎えてくれます。二の丸跡に咲くヒトツバタコの花、別名ナンジャモンジャ、雪が降り積もった様に見えます。開花時期は5月上旬から中旬にかけてです。中国、朝鮮半島、日本では木曽川流域の一部と対馬にしか分布していない珍しい木です。松江城のものは戦前、朝鮮半島で植林に携わって
2024/4/6第17代堀尾吉晴公松江武者行列今年も松江武者行列に行きました去年とはまた違ってて始まる前から興味津々綺麗な衣装を見たり演舞見たり初めて鼕も見たしお福わけでどじょう掬いまんじゅうもいただきました火縄銃もあったけど去年初めて見た時に音にビックリしすぎて懲りたので少しだけ見て早々に退散遠くから音だけ聞きましたそして1日が終わりいつもなら帰るの寂しくてグズグズするけど今回はそうでもなく「また帰って来る
3月26日(火)天気予報では、回復に向かうのは夕方とか、雨の状況をみて行程表では出雲大社でしたが、松江城を先に行くことに決定!雨でも城の中なら、出雲大社に行くときは少しは止んでるかも・・・というのが理由。行程表より30分遅れで出発!!国宝松江城10:00到着記念の1枚向かい側に建つ堀尾吉晴公像堀尾吉晴公は、豊臣秀吉と徳川家康と二人の天下人に任えた人物。*黒田官兵衛とどのような接点があったのか知りたい*現在の松江市の礎を築いた
天海(127)「私はこの国の大老であるぞ。太閤殿下は私に伏見で政務を行えと直々に遺言しておるではないか。私が了解しておれば、それは即ち公儀であろう。何の不足があるか。」と家康は反論した。「しかしながら、公儀と申せばやはり豊臣家の宿老である奉行に話を通すのが筋であろう。」と吉晴が言うと、「何、宿老だと。五奉行がいつ宿老となった。大老である私が何故、配下も同然の奉行如きに報告せねばならぬのだ。」と家康は言い放ったのである。吉晴はこれ以上の詰問は困難と判断した。「
天海(126)このような三成の措置を聞きつけた家康は、その日のうちに伏見の薩摩邸を訪れたのである。家康は、多くの人々を集めると島津家の朝鮮の役での戦勝を褒め称え、名馬と名刀を贈ったのであった。この話題は忽ち伏見城下に流布し、多くの人々が島津家の功績を讃えたのである。無論、これは三成に対する当てつけであった。1月7日、家康は忠恒を呼んで大規模な宴会を開いた。さらに1月9日には、利家らとともに島津家五万石の加増を正式に決め、忠恒を右近衛権少将に任じたのである。このような
北条氏は豊臣軍の兵糧不足から長期戦を想定していたようですなんせ総勢22万人の大軍ですからそのように考えてもおかしくはないと思いますしかし小田原征伐の前哨戦となる山中城攻めを秀吉は重要視して戦い慣れた池田輝政や徳川家康・豊臣秀次・山内一豊・中村一氏一柳直末・堀尾吉晴と言う精鋭たちを投入して天下統一を決定づけた戦いとなったのでした
出雲・国宝松江城へ。7年前来たときはトントンと天守に登り、制覇したような気に。天守最上階から宍道湖を眺望してご満悦だった。今回は反省して天守に登らず、城内を巡った。松江城、まずはこの石垣に圧倒され、息を飲む。大手口前の馬溜から、二の丸上之段を支える高石垣!太鼓櫓からの長く伸びる城壁、圧巻!私はこれをうまく撮れず。広報紙から写真をお借りしました、うーん、すごい!私はこんなんしか撮れず。しかも逆光…。今回もまた、いいのが撮れず。ここは意外と良く撮れた。太鼓櫓下あたり
いらっしゃいませ。Beathaのブログへようこそ。シェアできないので、リンクを貼っておきます。@888uhatsura888onInstagram:"福徳稲荷大明神Fukutokuinaridaimyojin松江神社Matsueshrine松江城が国宝になる決め手となった祈祷札が発見された神社ご祭神は、松江開府の祖堀尾吉晴、松江藩主松平直政・松平治郷(不昧公)、徳川家康#松江神社#本殿#拝殿#松江城#島根#徳川家康#
拙者、忍者の月照で御座る。先週に引き続き、本日も松江城ワンコ大使のはなちゃんに逢えましたぞ。やっぱり人気のはなちゃん相変わらず、お客人を癒しておりますの。そして、本日は我らが大殿、堀尾吉晴公も御出陣。あれ、はなちゃん、ぷいっておねがいですから、こちらをよかったところで、はなちゃんのご主人様よりお聞きしたのですが、かの有名な芸人さまよりかような手提げ袋をいただいたどのことはなちゃんが描いてあるしかも、相当個性的な
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準備万端、それでは今日のメインイベントとまいりましょう。国宝松江城国宝とあえて記載しているところが素晴らしい。ワクワクしますね。天守が国宝になっているのは、現存12天守の中でも5城のみ。松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城およよ、これで姫路城に行けば、コンプリートだぞ!!!大手門を入って、松江城に攻め込みます。前日の大雪が残っていて、足元はぐちゃぐちゃでした三ノ門跡です。立派な高石垣が見事です。雪はこびりついた感じも哀愁を感じます。いよいよ、天守に入ります。こちらの
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米子鬼太郎空港から、リムジンバスで松江駅へ。島根県の県庁所在地の駅にしては、かなり古い感じの駅でした。高架駅にはなっているものの、駅ビルもないし。島根県はお金ないんだね路線バスも走っていますが、観光客にはこちらの巡回バスが乗りやすくて便利でした。ぐるっと松江レイクライン料金は均一で210円でした。Suicaも使えました。車内はモスグリーンのシートが何ともかわいい。コンパクトなバスでした。平日なので、空いていました。松江城近くのバス停で下りました。う~ん、かわいい~バス停
塩見縄手通のくぐり松小泉八雲旧居跡から少し東へ歩くと保存されている武家屋敷がある。この通りは当時は武家屋敷が並んでいたが、現在はこの屋敷だけが残され、一般公開されている。塩見縄手通と武家屋敷:武家屋敷の前の塩見縄手通は、松江城主の堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から4年かけて造成した城下町の通り。塩見縄手の縄手とは、縄のように一筋にのびた道路のことをいう。塩見の名は、この武家屋敷を一時拝領していた塩見小兵衛が
宍道湖畔で泊まった宿は、接客や食事、露天風呂、風景なども含めほぼ完璧だった。翌早朝には宍道湖の風物詩であるしじみ漁の光景も観られ、朝食のしじみ汁は格別に美味しかった。しじみ汁何もかもが気に入った宿を後にして、松江城へ向かった。松江城に上ることも、今回の旅の楽しみの一つだった。内堀と石垣の上に建つ櫓南の内堀からゆっくりと歩き、
大河ドラマ「どうする家康」は、本日最終回を迎えとうとう終わってしまいました。最初の内は、今までとは違った「家康像」が描かれていて、今一頼りない「家康」を見るに忍びなかったし、それは「松潤」の演技のヘタさかと思っていましたが、回を重ねる毎に、「らしさ」がジワジワと染み出てくるようで見ていても面白くなってきました。後半の「松潤」の「家康」もドッシリ感があって非常に良かったのではないでしょうか。また「北川景子」の「淀君」、迫真に迫る演技も良かったな~ということで「どうする家康」は終わ
大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ次の日曜日で終わりを迎えますね~今年中に「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」というテーマでブログをお届けしようと思っていましたが、つい「お城巡り」に足が向いてしまい「お城紀行」のブログを優先してしまうので、このシリーズは度々中断してしまい、「今年中」どころか「今年度中(2023年度)」に延長しそうです。しかし、暫くの間お付き合いくださいませ。「家康」の歴史を8期間に分けて、「家康」のでき事と併せて所縁ある「お城」を紹介しています
二の丸の東側にある櫓。中櫓時代によって呼ばれ方が違う様で、中櫓東ノ矢蔵御具足櫓と呼ばれていた様なので、おそらく武具が収められていたのでしょう。二の丸の番所跡があったので、もしかしたらその番所に詰めている武士の武具が置いてあったのかもしれませんね。手前と奥の二間作ってありますね。天井も思ったより高いです。当時の日本人は小さいはずなのにこんな高くする意味を考えると、戦いになる可能性もあるので日本刀を振り回せる様にしたと考えるのは普通でしょうね。
予想外の人の多さに、予想外の駐車場満車だった月山富田城。おそらくほとんどの人が山中御殿平までクルマで登ってそこから七曲へ上がるコースなのでしょう。我々以外に麓から登ってくる人を見たのが僅か二名。しかも登山装備でwこちら2021年の写真ですが資料館の模型。全域・北側から全域・西側から七曲と主郭、その麓が山中御殿こちらが山中御殿平から城下写真塀に囲まれた箇所が山中御殿平。山中御殿平から上が城全域の面積で見ると1/3程度なわけでしてつまりはクルマで上がると1/3程
※浜松城の変遷Ⅰ案内板今川(室町)時代~徳川(戦国)時代…旧引間城を取り込み要塞化していく過程がわかります浜松城に行きました!2️⃣続100名城No.148続きです①浜松城の変遷Ⅰ浜松城は、15世紀に今川家によって築かれ、「引間城」と呼ばれ、東海道の要衝に築かれていました。大河ドラマ「どうする家康」に、チョイ役で登場していましたが、当時の城主は今川家家臣の飯尾連龍という武将でした。連龍は、三河で独立した松平元康(家康
※浜松城復興天守…寸法天守台に合ってませんよ!それはそれで珍しいですが・・・浜松城に行きました!1️⃣続100名城No.148浜松大河ドラマ館に行ったあと、浜松城に行きました😄①浜松城天守現在の浜松城天守は、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造3層3階で建てられた模擬天守です😀福井県にある丸岡城をモデルに造られたようですが、あまり似てないような気が…します😔それより、既存の天守台と寸法が合ってません!当時の予
一昨日…身体が全く動かん。いつも普通に出来ている事が出来ん。普段は指摘されない様な低次元の指摘をされる。間違いなく今年一の不調。夏あたりにも凄い不調の日があったけどあんなのは可愛いもんだった。おかげでワタクシのプライドはズタズタのボロ雑巾でございますだ。この屈辱、晴らさでおくべきか……なんだけど来週~再来週の二週間またしても貸切で占拠されるわけですよ。この屈辱に二週間も耐えねばならぬのかッ!?では続・月山富田城。前回は断念した七曲へ初挑戦。頂上まで20分とな。現在
今回から四日目。早朝の松江城本日は昨年の米子城でスルーしてしまった飯山を巡る予定…『西国乃旅路-其ノ弐拾伍-願わくば我に七易八楽を与えたまえ』天気予報からの死の宣告通り、2月21日、22日道内全域へ暴風クソ雪が強襲。交通機関は再び壊滅。■今週の惨事交通機関壊滅五連休再さて、続きと行きまし…ameblo.jp…なのですが、個人的にはこちらの方が無念でしてね…中村家のお家騒動よりも山陰の覇権争いだろうということで本日は別行動。再びやって来ました月山富田城!単独行動にな
出世城と言われている浜松城徳川家康は29歳〜45歳までの17年間を過ごした地1570年織田•徳川vs浅井•朝倉姉川の戦い(29歳)1573年織田•徳川vs武田信玄三方ヶ原の戦い(31歳)1575年織田•徳川vs武田勝頼長篠•設楽ケ原の戦い(34歳)1579年正室築山殿を殺害嫡男信康自刃(38歳)1582年本能寺の変伊賀越え1584年織田信雄•徳川vs羽柴秀吉小牧•長久手の戦い(43歳)浜松在城の17年間は、天下人になる為の試練
出雲そばを食べに出雲国へ出陣しました。弾丸で。弾丸は弾丸でも戻ってくる弾丸です。あたりまえです。島根県松江市殿町出雲・松江城(まつえじょう)別名:千鳥城松江城を攻めるのは二度目です。以前攻めたときはまだ国宝指定されておらぬ時期で、A号機とB号機がいてゆるゆると攻城できなかったので、今回単騎発進にて国宝となった松江城(天守)をゆるゆると攻城させてもらいます。「慶長16年(1611)堀尾吉晴とその孫忠晴によって築かれ・・」と書かれてるが、初代藩主である吉晴の次男(長男か
10月9日(月)は朝からぐずぐずの天気だったが、小牧周辺の尾張三十三観音霊場へ。ご報告だけ、みたいな感じですが、まず桂林寺・・・実に立派なお寺で、曹洞宗らしく、かちっとした雰囲気。境内の砂利にも枯山水(砂紋というらしい)が、きちんと手入れされてる。裏の霊園も清掃が行き届いている。そしてこの貼り紙・・・狐が出る雰囲気じゃないのだが、こういうの、なんかうらやましい。※でもウンチは困るわねwwwこの辺の住所は大口町堀尾跡という。何の堀尾かと思えば「堀尾金助の母」の堀尾であった。
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、途中中断もありましたが、本日は第52回目で、木造現存の国宝「松江城」(島根県松江市殿町)の「天守」をお届けします。初回は、「プロローグ」ということで「天守」についてのエピソード等をお話をし、2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載してきました。『<北から南へ「天守」シリーズ>プロローグ』本日から、『北から南へ「天守」シ
出雲大社を後にして宍道湖畔を走り松江に向かいます。途中、道の駅。宍道湖畔にある秋鹿なぎさ公園。広さは日本の湖第7位。淡水と海水が混じる汽水湖ですが、食糧増産のためにダムで水を堰き止め淡水化する計画がありました。でも当初の目的の食糧増産が時代にそぐわなくなり、淡水になるとしじみも生息できなくなります。結局、計画は中止に。おかげでシジミは守られました。ちょうど踏切の音がし、一畑電車北松江線が。通りかかったところを撮れました。