ブログ記事139件
浅田彰『構造と力記号論を超えて』が中公文庫入りした。朝日新聞に大きな広告が打たれ「大反響発売即重版」の文字が躍る。(中略)なぜか文庫化されない出版界の大物はほかにもある。これは無理と思われた埴谷雄高『死霊』が講談社文芸文庫になった時も驚いた。(岡崎武志「愛書狂」「白水社の本棚2024春」白水社)
←病院からの帰宅直後、すぐにスーパーへやはり自転車で買い物へ。庭のツバキもかなり色付いてきた。色気づいて来た?(03/1318:10)今日は30日に1回の内科医院通いの日。久々自転車を転がして。血液検査の結果はいまいち。毎月の数値の増減(上下)が忙しい。血圧だけ良好。最近甘い物をよく口にする。我慢できん。心が淋しい?先生は検査結果の数値のみを問題視する。でも、一番大きいのは心の問題。精神的落ち込みが甘いものへの逃避となっている。それが結果に表れている。治療は結果だけを扱
きのう黒澤明の最盛期は1940年代後半といったことをかいた。しかしその黒澤明にも瑕疵がある。というのは、GHQの検閲があり、いくら焼跡・闇市を舞台にしても米兵も米国人も映せなかったのである。「ゴジラ−1.0」でも米国兵が出てこないのは不自然だ。近年の朝ドラでは占領軍の苛酷さを描くようになった。このきっかけは江藤淳が1979年に上梓した、占領軍に支配された不自由な言語空間を糾弾した評論にあるとおもう。ただそのころの私は、江藤淳よまずぎらいだったから、内容はよく知らない。例によって左派
1972年(昭和47年)、私は中学3年だった。その年、大型の旅客機がアンデス山脈に墜落した。多くの死者が出た。が、何人かは生き残り、何日か何十日も経って救出された。彼らは死者の肉を食べて命をつないだのである。世界中が衝撃を受け、世界的な論議を呼んだが、当時のローマ教皇は彼らを擁護したという記憶がある…。大岡昇平「野火」をはじめてよんだのは、それから数年後だった。カニバリズムに材を得た小説としてよんだが、まだ思春期の私には難解だった。その後も何度かよみかえしているが、いつも理解にい
大岡昇平「武蔵野夫人」(新潮文庫)をよみかえした。三読め。今回がいちばんおもしろかった。「自然描写を断層からはじめたのは『武蔵野夫人』がはじめてだった。そこが新しかった」とは大岡昇平とおなじ1909年生まれの埴谷雄高の評言である。地形・地勢・地誌にマニアックなのは大岡昇平の際立った作家個性であり、だからこの点で、いまも新しい。そして、大岡昇平は断層を見るようににんげんの心理の深部を解析する。エゴイズムや俗物性に敏感で容赦ないのもそのためである。大岡昇平は、突出した主体とか個性に対
坂本龍一の自伝を読んでいる。坂本龍一は高校のときに埴谷雄高をよく読んでいたとのこと。まず虚空を読み、未来社から出ていた評論集を次々と読んでいったとのこと。ぼくの手元にも埴谷雄高の本が何冊かある。古書店で見つけるとコレクターみたいに買い集めている。他に埴谷雄高ドストエフスキイ全論集という本も持っている。ぼくは埴谷雄高が気になってるけど、一冊最後まで読み通したことがない。近いうちに虚空を読んでみようかな。
←「「没後20年記念特別展純情の画家不染鉄展」|山田書店美術部オンラインストア」「日本画家・不染鉄の展覧会が奈良県立美術館で-郷愁漂う村落風景から幻想的な夜の情景まで約120件-ファッションプレス」参照。向井潤吉など古民家の画家が好きだ。が、それなりに関心は抱いてきたものの、不染鉄はノーマークだった。(11/2208:11)ガブリエル・ガルシア=マルケス著『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(河出文庫)を読み出した。ガルシア=マルケスの翻訳本は大概一度ならず読んで
気力がないといっているのに、努力不足をなじられるのはしんどい。ドラムやギターを続けるかは保留にする。そもそも目を開けているだけでつらいので他人との約束を守ることが難しい。何年か前にバンドを組んだときも、スタジオの予約が入っていることで自分の症状が悪化しているのだとしか思えなかったから、バンドはやめた。結局、一人でできるギターが一番自分には向いているんじゃないかと思う。今までどおり、読書と勉強を中心にやってたまに気が向いたときにギターに触る程度がいいと思う。バンドというのは共同作業だから、共
埴谷雄高の「死霊」は、日本の文学界における重要な作品の一つです。この小説は、死者と生者の交錯、現実と幻想の交差を通じて、人間の内面の葛藤や哲学的な問いに迫る作品となっています。まず、作品全体を通して感じるのは、埴谷雄高の独特の文体と言葉の使い方です。彼の文章は繊細でありながら、深い哲学的な考察が込められています。特に、死者と生者の交錯がテーマとされているため、その描写は幻想的でありながらも不気味なリアリティを持っています。登場人物たちの心理描写も優れています。特に主人公の葛城の葛藤や
『ことばの食卓』(武田百合子/野中ユリ・画/ちくま文庫/1991.8.22初版)原本1984年12月、作品社刊。私が読んだのは、ちくま文庫版の2013年の第20刷である。武田百合子は独自無類の鮮烈な感覚を持った随筆家として知られているが、その文学的出発は詩にあった。ただし百合子の才能が開花したのは散文作品の『富士日記』。だから、この日常茶飯の平凡な出来事をただ連ねて、玄妙にして不可思議な感興を生む才筆がどこから生まれ来たものか、当初はまったくの謎だったようだ。そのためか、この稀有な文学
『百合子さんは何色武田百合子への旅』(村松友視/筑摩書房/1994.9.5初版)私が読んだのは、95年の第6刷である。後に文庫化もされていたはずだ。どうも読む気を殺ぐようなカマトトみたいな題名がついているが、ずっとこだわっている武田百合子についての本だ。読まないわけにはいかない。作者はプロレスに関する著作で世に出た人物だが、その前身は中央公論社発行の文芸誌「海」の編集者である。そして、この仕事を通じて、作家・武田泰淳、また夫人・百合子を深く知ることとなる。本書は、その武田百合子の没後
『目まいのする散歩』(武田泰淳/中公文庫/1978.5.10初版)原本1976年初版。脳梗塞の予後思わしくない泰淳が、全篇、妻・百合子に口述してなった作。あくまで随筆の体裁をとるが、解説の後藤明生が断言しているように、これは小説と言ってよかろうと思う。泰淳の文章術の一例で、現実の出来事に材を採りながら、悠然たる詩的世界に踏み込んでいく有り様は、表面的には百合子との自動車紀行の形をとる『新・東海道五十三次』と同様だ。のっけに脳梗塞の予後と書いたが、じつはこの時、泰淳は癌にとりつかれており、
『あの頃』(武田百合子/中央公論新社/2017.3.25初版)武田百合子の没年は1993年であるから、没後約四半世紀を経て出た本だ。単行本未収録であったエッセイを集めて、娘の写真家・武田花が刊行した。1か月以上をかけてじっくりと読んだ。読みながら付箋を貼る。私は普段はページの隅を三角に折ってドッグイヤーを作るたちだが、このあまりに美しい本(装丁も内容も)にその仕打ちははばかられ、今回は付箋を持って読んだ。読んでいる間は気持ちに弾みがついているから、どんどんどんどん貼って付箋だらけになる。笑っ
時折、埴谷雄高の『死霊』を紐解く。今は文庫にもなってるよね。困った時の埴谷雄高。前半は筆が突っのめってカッコイイけど、大病したあとの後半は食い足りない。作者死亡で未完みたいになったけど、本来はもっと壮大な大長編小説を想定していた。釈迦とジャイナの対話、全肯定の釈迦が、全否定のジャイナに論争で負ける。勝ったジャイナは、砂となって消える。言葉なんて根拠がなかった。というようなお話。
2022年12月16日没後35年清原啓子銅版画展(佐倉市立美術館)清原啓子という作家は全く知らなかった。FBの美術愛好家グループでこの展覧会を知り、興味を覚えたので行ってみた。打ちのめされた。あまりに精緻で繊細な点と線。師匠深澤幸雄の言葉を引用する。「清原啓子の銅版画を見る人は、その驚くべき精緻と、異様なまでの描写への執念に、先ず眼を見張るに違いない。正に万余の線が引かれ、万余の点が打たれ、およそ他に類をみない密度をみせている。だが白日の下、浜辺の砂物を一つひとつづつ
スーパーでサーモンハラスというのを買った。明日の昼はこれを焼いて食べる。頭痛と悪寒がする。寒い。若者には若者の生き方があると思う。というのは、今後の人生の計画の立て方が、年齢によって違ってくる。ぼくはもう中年といっていい年齢だし、今後の人生の時間がたくさんあるという年齢でもない。登っていく生き方よりも、下っていく生き方をしていく段階にあると思う。最近読書を疎かにしている。読書から離れていると不安になる。そう、そこから出て、また、そこへ帰ってゆく一つの観念ですね。医者が患者
←ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス下テクノロジーとサピエンスの未来』(柴田裕之訳河出文庫)「世界的ベストセラー『サピエンス全史』に続いて著者が放つ「衝撃の未来」。カズオ・イシグロ、ビル・ゲイツ、ダニエル・カーネマンが絶賛する面白さと深い考察。」ポール・オースターはファンとも云える作家。帰郷した2008年春から図書館通いして読み漁った(フリーターだった)。2011年春からは職にありつき、本は買って読むように。オースターも新刊はもとより、既読本も敢えて買って読み返して
これらは「死」ではない、このように慌(あわただ)しい無造作な死が「死」と云えるだろうか、と。それに較べれば、お前の死はもっと重々しく、一つの纏まりのある世界として、とにかく、静かな屋根の下でゆっくり営まれたのだ。僕は今でもお前があの土地の静かな屋根の下で、「死」を視詰めながら憩っているのではないかと思える。あそこでは時間もう永遠に停止したままゆっくり流れている……。強い印象を残した原民喜「夢と人生」断続的に25年、最後の2年は頻繁にメール交換していた友人の訃報が届き、今頃苦痛から解放されて憩
この項は四年以上も前に書いたっきり放置していたら、いつのまにか平成令和と時代を跨ぐ長期大作となってしまいまして、埴谷雄高の「死霊」も真っ青と言った有様ですが、正直なところ僕は「死霊」は二十年以上前に第一巻を本屋で買って来て、鼻息荒く読み始めたものの一向に理解が進みませんで、ものの十頁も読んだ所で酔っ払って電車の中かなんかに置き忘れて以来、未来永劫読む気が起きないと言うのが偽らざる現状ではありますが、サムライミの「死霊のはらわた」「死霊のはらわた2」そして「キャプテン・スーパーマーケット」の三部作
「死霊」制作中にこぼれおちたイメージの数々をまとめたという、詩を論文のように書いた短篇闇のなかの黒い馬|カーリル(calil.jp)対談集には、ひとつの話にいくつものイメージがあり、実際にそれを小説にしてみたら臨場感がなくてやめたものがたくさんあるとあった。悪戦苦闘厳選されたイメージたちがここにあるってことだなあ。どんな夢かというと、こんな夢。実際に見た夢について書いたのじゃないんよ。大ざっぱにいえば、どういう夢は、どういうふうにしたらみられるかということが書いてあるんで
日本ミステリ界の三大奇書。(『匣の中の失楽』も合わせて四大奇書と言われることもあります)読むと精神が崩壊する等々。私が目を覚ました時、記憶を失っていた。隣の部屋からは女性の声で『お兄様』と呼びかける声。ここはどこで、私は誰で、どうして、こんな場所に閉じ込められているのか……。そこから始まるのは奇書にふさわしい物語。『ドグラ・マグラ』夢野久作著初めて読んだときに思ったのが、ミステリの概念とは?記憶を失った私が閉じ込められているのは精神病院で隣
たに:時間の秩序や空間の秩序を縦横に変換させていますね、ですからそれを読む読者自身、現実から切り離されて、作品に翻弄されていくような気持ちになるのはとくに最初の三分の一ぐらいのところで強いですね。時間の食い違いを自覚していないある精神病患者にとって、普通の心理として起こったことをそのまま書いていると。形而上性がささえる世界でも珍しい探偵小説だと谷川健一と埴谷雄高がドグラマグラについて大絶賛@1969年の対談はに:そういう点で優れた推理小説の骨格をもっていると同時に、「胎児の夢」が背後から作
au通信障害の件、お手紙とか物流にも影響が出ている。携帯電話がなかった時代の自分にとっての「最後の固定電話請求書」を残しているのだけど、ほとんど電話しなかったから2,000円弱だった。今は、丸一日携帯が不通になるだけで不安になるなあ。ってまだ不通なんだけどさて、岡本太郎も戦後作家の「夜の会」だったか「あさっての会」だったかと交流があり、作家達にいろいろあだ名を付けていた。花田清輝「ハナハダキオッテル」梅崎春生「ウメエサケシンジョ」野間宏「ノロマヒドシ」埴谷雄高「ナニヲユウタカ」
やる気が底をつき、身動きもできず、一歩も前へ出発できない時均衡が破れるような、何か気分の変化があると、あっさり転がる。手っ取り早いのは人と会話して気持ちを揺さぶることかなあ。でも今日はこれだ(7月2日12時00分現在)au携帯電話サービスがご利用しづらい状況について(kddi.com)仕方ないから対談集で疑似対話です。ところどころ内容がわからなくても、大丈夫1948年の対談がわらった、酔っ払ってぐちゃぐちゃ。ところどころ(騒音)とあるのは、文芸評論家の33才寺田透が荒れてるの
政治は空想家のお喋りであってはならない。願望の通用する世界でないことを教えてくれたのは、『死霊』の作者である埴谷雄高であった。それはある意味では、政治の本質を突いている。埴谷がレーニン主義に屈服した経験があるのは、烏合の衆では革命は成就しないことに気づいたからである。だからこそ、前衛党を容認せざるを得なかったのである。それは同時に、人間的な感情に押し流されることのない、リアリストの視点でもあった。政治とは非情であり、権力の争奪である冷酷な現実を見抜いていたのだ。敵は敵であり、あくまでも抹殺
にほんブログ村僕が会津に戻ってきたときに、誰を目標にしたかというと、同じ法政大学を出た佐藤民宝であった。たまたま本箱を整理していて、いくら探しても見つからなかった、彼の『死の人間的了解』が出てきた。佐藤は文学の世界に若いころから足を踏み入れ、栗林種一、埴谷雄高、平野謙らの近代文学派のグループに属しながら、当時法政で教鞭を執っていた三木清を師と仰ぎ、その門弟であった藤原定、安藤鶴夫、池島重信、桝田啓三郎らとの交流もあった。このうち桝田はキルコゲール研究では、日本の代表する哲学者であった。僕
にほんブログ村埴谷雄高の「『魔法の森』の啓示」(『兜と冥府』に収録)は、今のロシアがソビエトと変わらないことを教えてくれる。ソビェトの支配下にあった東欧を歴訪したことのある埴谷は、ポーランドではワルシャワゲットーの蜂起に際して、ソビェト軍に見殺しにされた悲哀の記念碑の前に立った。ハンガリーのブタペストでは、レーニン・ブールヴァールを歩いていて、建物の情報に、1956年だれだれ死亡、と彫られた方形に囲まれたプラーク(額)を目にした。ソビェトに侵攻されたハンガリー事件で殺された人たちの名前である
OldYearReflections(Part2)Asidefromayearfullofgoodtalks,andperfectingmyat-homecafeskills(Imasteredcafelatte,Viennacoffee,andpizzatoast😉),thisyearwasfullofreading.MyhomemadeViennacoffee😊.Cheerstotheoldyear,c