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城郭名:高雄城(たかおじょう)住所:京都府右京区梅ケ畑高雄町城主:細川国慶など利用年:建武三年(1336)?ー天文22(1553)3/27?駐車場:嵐山高雄パークウェイを使用可能ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー和気清麻呂をルーツとし、鎌倉期に荒法師文覚によって再興された神護寺。今では紅葉で有名な観光スポットですが、この裏山に城郭があることはあまり知られていません。神護寺の裏山には、中世の両細川の乱で利用されたと思われる中世城郭「高雄城」が鎮座しています。
城郭名:余野本城(よのほんじょう)住所:大阪府豊能郡豊能町余野城主:余野頼幸・余野国綱利用年:明応二年(1493)ー天正十二(1584)駐車場:なし(豊能町役場Pを利用)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー最近は大阪北部の城を調べているのですが、この地域は摂丹の境目だったからか、クオリティの高い城がたくさんあります。その中でも、個人的にNo.1と感じるのが、この余野本城です。アクセス城郭ブログで気になるのは、どこに車を止めるのか、どこから登
城郭名:中尾城(なかおじょう)住所:京都市左京区浄土寺大山町城主:足利義晴・足利義藤(義輝)利用年:天文十八年(1549)ー天文十九(1550)駐車場:なし(銀閣寺拝観駐車場が使用可能だが、バスの利用を推奨)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー構造編中尾城は、東側のA群とB群(大山出城)の2つの部分に区別されるとされます。なお、両城の中間地点には土塁が存在しますが、現状は定かではありません全体の概念図※地理院タ
城郭名:中尾城(なかおじょう)住所:京都市左京区浄土寺大山町城主:足利義晴・足利義藤(義輝)利用年:天文十八年(1549)ー天文十九(1550)駐車場:なし(銀閣寺拝観駐車場が使用可能だが、バスの利用を推奨)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー観光客でにぎわう慈照銀閣寺、ここは、如意ヶ岳への登山ルートになっており、多くの人が登山道に入っていきます。しかし、この脇道に、足利義晴・義輝親子ゆかりの城「中尾城」があることは、あまり知
城郭名:三城城(みしろじょう)住所:長崎県大村市三城町城主:大村純忠利用年:永禄七年(1564)ー慶長3年(1598)駐車場:富松神社の駐車場を利用可能ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー最近、足を伸ばして長崎の城に訪問しました。長崎は地形上、小勢力が群雄割拠した土地ということもあり、小規模な城館が多く、特徴があって面白いです。そんな中でも比較的大きな勢力を持ったのが、大村氏です。特に、戦国後期の当主大村純忠は、キリシタン大名として有名です。そ
関西に住み始めて、よく電車を利用するようになったのですが、いくつか読めない名前の駅があります。その中でもトップクラスなのは、「柴島」しばじま?かと思ったら、くにじま。なぜ、こうなったのか調べてみたら、平安時代は「国島、茎島」と呼ばれていたのが転化したらしい……地名を調べていたら、ここには城があったことも発見しました。三好長慶が台頭するきっかけになった、江口の戦いに関係する城跡らしい。ということで、今回は江口の戦いと、その関連城
先日、Yahooニュースのこんな記事を見つけました。“近畿の水瓶”琵琶湖で渇水普段見えない湖底の城跡が出現知事「さらに低下で生活に大きな影響」(読売テレビ)-Yahoo!ニュース滋賀県の琵琶湖の水位が下がっていて、15日、標準的な水位よりマイナス60cmとなりました。例年と比べて秋の降水量が少なく、普段は湖に沈んでいる城跡の石垣などが姿を現すなど、渇水がおきています。news.yahoo.co.jp琵琶湖の水位が、平常値のマイナス60cmを超え、渇水の前兆があるとのこ
ども!お久しぶり?です。春月でス_(:⁍」)_✨✨✨お城巡りと神社巡りがしたくて、松阪市まで行ってきました➿(*^◯^*)✨✨✨色々プチハプニングもあったけど、がもちゃんが迎えてくれたのか全てラッキー✌️✨✨✨に過ごせたので、がもちゃんありがとう!!!!!!👈がもちゃんゆーなwwwww笑さて。蒲生氏郷。我が地元でもお話が残ってまして、、、良い話かとゆーと。良い話じゃなくて(⌒-⌒;)💦💦爆www地元ではヒーローと言うより、怖いヤツ。て認識されてるwwww
こんにちは!今回は宇治市の槙島城を歩いたので、その内容を紹介します。槙島城は、現状は宅地化して当時の姿は全く残っていませんが、「信長公記」で元亀4年(1573)に信長に反抗した当時の将軍、足利義昭が立てこもった城として有名です。では、その歴史と、現地の姿を実際に見ていきましょう!(なお、この城は住宅地のため駐車場などはありません。付近のコインパーキングを借りるか、公共交通機関を利用するのがよいでしょう)城郭略史文献初出は文明元(1469年)槙島氏の館で、応仁の乱の
お城目当てではないのですが、関東にたまたま行く機会があったので、まだ訪れたことのない続百名城の「忍城」に行ってみました。天下に名をとどろかせた水城忍城は15世紀末に成田氏により築かれた城で、永正六年(1509)の連歌師宗長の記録では、「水郷なり……」と記載されており、湿地帯に浮かぶ小島をつなげ合わせたようなビチャビチャの城だったようです。忍城を一躍有名にしたのは、やはり石田三成による水攻めでしょう。この時、石田三成は近くのさきたま古墳群「丸墓山古墳」に陣取っ
正保国絵図をもとに、膳所城の城下町を歩いていきます。今回は北側、大津口門~北大手門までを紹介します。大津口門~北大手門へ北の玄関、大津口門大津市街地から約1kmほど歩くと膳所城の城域に至ります。ここは大津口門で、道路のクランクから当時の道筋を見て取ることができます。大津側からは、南に1折れし、東にもう1折れして城内に入っていきます。当時、西側は琵琶湖に接しており、今よりは風景がよかったのだと思います。由緒は鎌倉、石坐神社大津口門をくぐり、東海道を東へ
膳所城を、国立公文書所蔵の「正保国絵図」で歩いていきます。今回は、南側の勢多口総門~南大手門までの紹介となります。勢多口総門~南大手門まで膳所城の南の入り口、勢多口総門京都の入り口、瀬田の唐橋から東海道を約4kmほど歩くと膳所城の城域に入ります。膳所城は、街道を取り込んだ城となっていました。その南限を守るのが勢多口総門です。現在は石碑だけが残りますが、突然道路が左にに折れるように設計されていることがわかります。勢多口総門跡(民家の玄関付近に、石碑がある)
ご訪問いただきありがとうございます白凡広場の城郭を楽しんだあとは一旦ホテルに戻ります。行きと違う道壁画がありました。明洞周辺の壁画を予定から省いたので思わぬところで壁画見れて嬉しい💕ここにも城郭が!桜秋ここ鉄腕ダッシュに出てこなかった?ケーブルカー立体的なのも時々見かけるけど同じものはほぼないオーダーなのかな壁画が街の景色に馴染んでいるのも韓国ならではのセンスで好き💕ホテルに荷物を置いて南大門を通ってバスで向かったのは鐘路過去に何回もフラれた場所に行きます♪
10月も3日目ですね、カレンダーをめくったら、ロスになりました、マークです。☛城郭巡りロス🏯現在、日本100名城をトロトロと巡り中ですが、4月1日を最後に・・・ただ来週末には、1.2か所巡れるかもしれないという微妙な中ですが、カレンダーを見て耐えています笑さて、昼間の暑さがもう少し続きそうですが、今日は中々身体が暑くて💦正直そんな現場ではないのですが、控室に戻って見てみたら・・・エアコンはそれなりの設定だったようですが、ま、体調はいいので良しとします。健康と運動健
キャンプ沼にどんどんハマってしまうあつです!どーも、こんばんは!いいものがいろいろあるからねぇ♪さて、日付が変わりそうな勢いですが昨日はイオンモール明和にて、FM三重「あつとえりかとみんなのラジオ」公開録音でした!たくさんの方にお集まり頂き、本当にありがとうございました~!今回は、ステージ横に「桑名・伊賀・亀山・津・松阪・玉城・鳥羽城郭巡り」のPRブースが登場し、津市、松阪市、玉城町の観光協会から角谷さん、大野さん、中西さんが来ら
夜分に失礼いたします、香澄真樹那です。先日、中学校や高校の頃からの同級生の方のFacebookのタイムラインにその方の自宅で季節に合わせた写真を飾っていると言う事で夏の大阪城の写真が飾られている空間の写真が投稿されていました。私も自宅に写真を飾るような余裕のある空間があれば写真を飾ってみたいです。私も城郭建築、それも日本の城郭建築の写真は近年になって風景写真の趣味が再燃してそれに伴って撮影をするようになりましたが、私のお気に入りの城郭建築の写真は大阪城ではなく別の場所になりますが、大阪
夜分に失礼いたします、香澄真樹那です。以前に名古屋にある記念撮影の写真館であるオレンジスタジオ名古屋さんに行きたいと言う旨の記事を書いていました。オレンジスタジオ名古屋さんでの記念撮影、ソロフォトウェディングもそうですが、実際に撮影をして頂くのに2回訪問する必要があると言う事も書いていたと思います。名古屋であるのなら1回の訪問なら日帰りでの訪問で行ってみようとも思いますが、その場合は夫の帰宅時間までに夕食を準備するのがどうしても間に合わないので夕食を外食して頂く為に1000円の食費
資料が殆どなく謎の城です🐈入口なコチラを目標として侵入👍藪に入ると直ぐにこの様な道があります🦮立派な道があり、登って行くと神社(現役)がありますので、そのための道の様です☺️神社の奥に進むと縄張り図には大竪堀がありますが崩落にしか見えませんでした😅コチラの画像はただの登り道🙄神社から主郭までには小さな郭らしき場所もありますがなんとも言えない感じでした😅がこの様な横堀らしき場所がみえたらゴール🐰主郭は広々とした感じで削平はしっかりしてました🦌土塁は低いのと高いのがあります縄張り
夜分に失礼いたします、香澄真樹那です。衣装体験や変身体験の趣味を通じて知り合った方のブログやウェブサイトで名古屋にある記念撮影の写真館のオレンジスタジオ名古屋さんの存在を知って行きたいと思うようになりました。オレンジスタジオ名古屋さんの最寄り駅は地下鉄東山線の一社駅になりますが名古屋市営地下鉄は何度か乗った事がありますので駅に向かうまでは何とかなりますね。過去10年で名古屋に行った事はありますが、衣装体験や変身体験での訪問と言うよりは野球観戦や大相撲名古屋場所の観戦に絡めての訪問の
兵庫県豊岡市にあります🐈「三江誌」によると樋口氏が城主と云われている。詳細は不明だが南北朝期頃のモノと思われ後に戦国期に改修したと思われている縄張り図は「豊岡市の城郭集成Ⅰ」より南の土橋部分クランクしているのが面白い南の土橋を北側からエ~アの竪堀、堀切のどれか5の郭まで段差ごとに薄い堀切と云うか横堀を見受けられるが切岸は低い2の郭にある薄いボコボコは円墳らしい私は破城痕的なモノかと勘違いしてた
鳥取県三朝町山田にあります。城郭大系いや三朝町誌にもその名は記載されてないがこの場所は北に羽衣石城があり南や西には森城、天主ヶ平城、今泉城などに囲まれている重要な位置にあります。今でもここには山田地区から十万寺地区に抜ける道が遊歩道として現存してます。この山田城は南条方の与力武将がいたのではないかと推測されている・・・・三朝スポーツセンターから山田神社を目指して歩きましょうココで軽トラがいる右に行きましょう右斜面を適当に直登しましょう奥の竪
鳥取県三朝町片柴にその城はあります標高160m比高70m鎌倉時代には原田氏が役所を片柴におき天正年間には毛利氏の武将の友田氏が同じく片柴に役所を置いていたのでこの三朝一帯の中心地は片柴にあったのだろう西尾根の端にはかなり高い土塁状になっている(郭、もしくは尾根なのか?)この高まりから下ると平坦な尾根になる。少し本丸よりに進むと薄い堀切がみえる更に本丸よりに進むと箱堀状の堀切がある箱堀の堀切から切岸を直登し本丸を目指し北側を見ると堀切がある
毎週土曜日の20:00から「城飲み諸説あり」と云うズームで城仲間とワイワイ言いながらお城の話をしてます。そこで今回のテーマが「春」だったので「春」と云えば田植えの準備期間だよねと云うのを春と云えば桜だよねーと云うニュアンスで今回、この城を紹介しました。福島県須賀川市馬場前馬場前館なんの情報もないとただの田畑にしか見えませんただコチラの馬場前館は航空写真などで上空から見ると解りやすいいですこの写真では堀が解りやすいと思いますココも掘が
先週末に昨年の10月末頃から秘密裏に計画されていたオフ会を実施しました🐈事の始まりはワタシが備前勝山城の縄張りが出羽次年子館や美濃篠脇城に似ているよね🤔⁉️と発言したトコロ、似ているねと反応があり、見て(行って)みたいと言われたので、それならば有漢常山城や篠向城も行きますか?と聞いたら他にもワタシも行きたーいと数人押し寄せて来たのでオフ会を開催となりました❗備前勝山城櫓台下のU字になってる部分この部分は次年子館にも虎口部分にあります備前勝山城側面は竪堀が並んでます🦌続いては移動して
諏訪城は兵庫県朝来市にあります。歴史的詳細は詳しくは解りませんが3つの説があり①1180年代に釘貫氏の居館②南北朝期の「夜久野合戦」で功を上げた山名氏の家臣、中路氏の居館③徳川幕府初期に因幡の湖山から来た小山氏の居館そんな居館跡に行ってきましたまずはこの防獣ゲートを開けて侵入中は意外にも綺麗でちゃんとした道があり、途中から竪堀の1つかもしくは後世に城に入る為に壊したのか解りませんんがいとも簡単に城内に入れます竪堀(登城路)の途中にはこの
今回は備中高丸城と云う事ですが備中杉山城の出丸と言われてますが山を縦走して別の頂に行くので別の城としました🐈先ずは備中杉山城の主郭の少し手前に分岐点があり北尾根.高丸コースを選びそれに従って突き進みます🐕展望台的な場所この展望台的な場所の下に道があります🐴が天然石を使った石塁の上を歩くコースと石塁の横を歩くコースがあります🐈石塁を越えると大堀切があります🐕恐らくココまでが備中杉山城ではないかと思われます🐈立派な豆腐岩😍❗4つ割り岩十文字に割れています🐈この辺りに看板があり
鳥取県東伯郡北栄町にあります🐈伯耆民談記によると伯耆山田氏累代の居城である堤城の北よりにあるとされています🐕北条川コチラも屋敷の堀として運用されてたかもしれませんね🐰宅地となっている堤屋敷ですが住所は字が堤屋敷と正にそのまんまである🐴また集落の道は堀であったと推測される道に対して宅地は高さがあり、正に高低差を感じさせられます🐻舗装された道の隙間を見ると堀が見える気がしませんか😅コチラの御宅には土塁が見られます🐈実は堤屋敷の最大の見どころかも❗土塁のある御宅のすぐ横には小高い丘
築城年代は定かではないが安芸郡山合戦に出てくる宮崎長尾の戦いの中に登場する城で郡山城の毛利氏を攻める尼子方の陣城で伯耆南条氏、伯耆小鴨氏、出雲高橋氏、安芸吉川氏が着陣してました🐈なお、この城は安芸高田市歴史民俗博物館所属の秋本哲治さんに案内して頂きました🐕宮崎城の堀切同じく宮崎城の堀切宮崎城と甲田城の中間点で1番低い場所に当たるが何故か尾根を細くくりぬいてあった🐈この部分は現地であーでもないこーでもないと盛り上がった☺️甲田城の虎口甲田城の堀切☺️同じく甲田城の堀切🐴横から🐈
今回紹介するのは鳥取城ですが普通の鳥取城ではありません😅通常、鳥取城の山の上丸(主郭)に登る時は二ノ丸から天球丸を経由する中坂ルートを使われます🐈もしくは太閤ヶ平からの縦走が一般的でしょう☺️少しマニアックになったら西坂ルート(旧大手)を試してみると云うのがありますが今回はどれにも該当しない北坂ルートと云うのがあります😉また、この北坂ルートは城サイトを調べてみたが記載されてるサイト(ブログも)がみつかりませんでしたのでもしかしたら城サイト(ブログ)史上初かも😏では北坂ルート(途中から)
埼玉県比企郡滑川町国営武蔵丘陵森林公園の中にある中世山城ですが詳しい詳細は不明😥色々な説はあるが決定打はありません🤔鳥取県民のワタシからしたら驚きの連続でしたね😅おいおい、公園なのに駐車料金がいるのかよ😥更に😱⁉️入園料が要るのか🤔❗駐車料金と入園のダブル搾取かよ💢なのになんで流行ってんだ😂緑にみんな餓えてるのかな😇からのスタート🐻山田城を経由して更に北上すると梅林(花木園)が見えて来ますがこの一帯が山崎城らしいこのこんもりしたトコロが郭らしき場所でした登ってみると藪々