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1月12日の御朱印巡りの続きです。平塚神社に行った後『2024.1.12③北区平塚神社(お正月限定御朱印)』1月12日の御朱印巡りの続きです。無量寺に行った後『2024.1.12②北区佛寶山無量寺(御府内59)』1月12日の御朱印巡りの続きです。白金氷川神…ameblo.jpその近くにあります御府内八十八ヶ所の第47番札所・城官寺に行ってきました。平塚山城官寺真言宗豊山派創建は不明だが、当初は安楽寺という浄土宗寺院だった徳川家光の病の平癒を祈願して信頼を得た山
城官寺に来ています。平塚山と書かれた扁額には、内閣総理大臣田中角栄と記されています。今年は、オリンピックが開かれている中国との国交が樹立してから50周年に当たります。50年前の1972年、首相として初めて北京に赴き、周恩来と握手をしたのが田中角栄です。日中の国交が樹立したということは、逆にそれまで国交のあった台湾(中華民国)と断交したということでもあります。日本統治下での恩恵に感謝し、日本を好きな哈日族(ハーリージュー)の多い台湾とは国交が無く、南京大虐殺を史実にしようとし、日常
滝野川公園でおにぎりランチを済ませ、本郷通りから蝉坂へ入ります。蝉坂へ入ってすぐの路地を東へ歩いていくと、道辻に上中里庚申堂があります。提灯が吊るされた立派な堂宇です。側面には安政期の絵地図もあります。手入れが行き届いていて、綺麗な庚申堂です。ちなみにJRの線路の向こう側にも、同じ名前の庚申堂があります。こちらは崖上で、向こうは崖下です。よく見ると三面八臂な青面金剛像。頭の上にとぐろを巻いた蛇がいます。三猿は腕の形が菱形に簡略化されていますが、全ての要素が揃ったオールスターバ
こんにちは、マダムnoraです。お忙しい中お立ち寄りいただき有難うございます💕初めましての方はこちらでご挨拶御府内八十八ヶ所🙏四十七番札所・城官寺さまくまモンとピカチュウ…かな。コロンとしていてとて可愛かったので思わず写真では上手く分かりませんよねぇゴメンなさい箱の中に差し替えの御朱印を入れてくださっています。日付は自分で書き足せるようにペンと筆ペンがご用意されていました。セルフサービス御朱印とでも言いましょうか。分かりやすくまとめてくださっています。準備万端
河内源氏・・・貞純親王流の清和源氏から出た一流で、「武の家」としての源氏の代表的家系。源満仲の第三子で河内国石川・古市地方に本拠地を有した頼信を祖とする。頼信は平忠常の乱を鎮定、その嫡子頼義、嫡孫義家はそれぞれ前九年・後三年の両役で武名を高め、この源家三代によって「武の家」の評価が定まった。この三代が河内国石川郡に住んでいたので、河内源氏という。6月末のことですが、上中里と呼ばれるところに行ってきました。上中里駅を降りて、すぐのところに蝉坂という坂があります。
真言宗豊山派平塚山安楽院城官寺は創建時期は不明ですが諸国巡礼をしていた安楽寺(多分太宰府天満宮にあったお寺)の僧がこの寺に宿泊した際、阿弥陀如来像を奉納したことにより安楽院と称したそうです。また江戸時代には平塚神社の別当寺を務めていました。山門田中角栄の筆による山門の扁額「平塚山」境内地蔵尊石仏宝篋印塔石燈籠本堂ご本尊:阿弥陀如来水盤山川城官貞久の墓山川貞久は慶応年間に徳川幕府に仕えた検校で平塚神社の社殿を建てなおして再興したりこの城官寺を別当寺として社領を管理したりして
JR京浜東北線「上中里」駅下車直ぐの「平塚山城官寺」です。お隣の平塚神社(豊島氏の平塚城跡)の神宮寺でもあります。源義家が豊島氏に与えた守り本尊「十一面観音像」を安置しています。寛永年間、「山川城官」という人物が家光の病気平癒を祈念して寺の再建を実施したと後日に家光本人が聴き、感激したとも伝承されています。此方が「平塚神社」です。昼でもなお、鬱蒼としています。(青
3/31、有給休暇消化で会社を休み、江戸御府内八十八ヶ所めぐり第三弾をしました。現地までは乗り物を使わず歩いて行き、御朱印ももらわず、手水も使わず、お賽銭も置いてこず、ただ境内の写真を撮ってくるだけなら、大丈夫なはずと…。今回は、東京の北の方へ行きました。やたらと長いので、お読みくださらなくてよいですよ!第56番与楽寺宝珠山与楽寺、駅からハイキングで来たことがあります。本尊の地蔵菩薩像は弘法大師空海の作だそうですが、賊除け地蔵の伝承があります。ある夜、盗賊が与楽寺に
次は59番仏宝山無量寺旧古河庭園の近く47番平塚山城官寺上中里駅の近くこれで今日は4ヶ所、北区終わりました。56番与楽寺から59番無量寺までは歩いて30分ぐらいでした。59番無量寺お墓参りの人達が何人も来てました。ことぶき地蔵山門本堂鐘楼寺内にお茶処がありました。4ヶ所目、無量寺から3、4分で着きました。途中、平塚亭の側を通ったのですがお休みでお団子は買えませんでした。47番平塚山城官寺ここは手水舎でしょうか?くまモンとピカチュウが。ペット
拙宅地方、桜が満開です昨日は朝イチ車で城址公園の桜を見に行き昼からは近くの公園公園で花見昼間から呑んだくれて怠惰な1日でも、青空と桜🌸幸せな1日でしたよ------------------------------さて、御朱印巡りの記事もやっと3月参拝まで到達です3/9ぶらりさんぽ上中里・駒込・日暮里19,700歩北区上中里城官寺■御府内八十八ヶ所第47番札所■平塚山安楽院城官寺■宗派/真言宗豊山派■御本尊/阿弥陀如来-------------
平塚山城官寺じょうかんじ■真言宗豊山派■御本尊:阿弥陀如来■東京都北区上中里1-42-8■札所:御府内八十八箇所第47番、豊島八十八箇所第47番、上野王子駒込辺三十三箇所観音霊場第6番筑紫の安楽寺の僧侶が本尊の阿弥陀如来を奉安して安楽院という浄土宗の寺院を創建したのが始まりとされます。江戸時代に幕府に検校として仕えていた山川貞久(城官)が、徳川家光が病で倒れた際に当寺に隣接する平塚神社に快癒を祈願しました。それが叶ったので神社を再建し、別当寺として安楽院を再興しました。
【所在地】東京都北区上中里1-42-8【正式名】平塚山城官寺【宗派】真言宗豊山派【御本尊】阿弥陀如来【HP】http://jokanji.jp/【電話】03-3910-3343HPによれば、『昔、筑紫の安楽寺の僧侶が諸国巡礼の途中、当寺に宿泊し、訳あって本尊の阿弥陀如来像を奉納したため、安楽院と称しました。当時の宗派は浄土宗でした。』とあり、その後、社領修理を行った際に現在の宗派となったとも書かれています。当寺は平塚
10月26日とても良い天気でした涼しくなったので外歩きにはよい季節ですJRの上中里駅へ初めて降りました駅前は何もなく寂しい感じでした(住んでる方すみません)立派な山門と扁額の平塚山の文字は城官寺三百年を記念して当時の内閣総理大臣田中角栄氏の筆によるものだそうで帰りに山門を掃除してらしたご婦人がおしゃってました庫裡にて御朱印をいただきました本日は葬儀があるそうで本堂は参拝出来ませんでしたお供物のゼリーをいただきました
秋の空ですね〜♪でも9月は残暑が厳しいなんて予報も耳にしてしまいどうなることやらです…ともかく今が楽しければそれで良し٩(ˊᗜˋ*)و8月28日観蔵院と成就院にお参りしたところでお昼になったのでランチをしながら移動をしました京浜東北線の小さな駅、上中里を降り平塚神社沿いを進みますGWに伺ったときはご葬儀の真っ最中であえなく退散した『城官寺』です住宅街の中に立派な山門この日は静かですね。心が踊ります♪『平塚山安楽院城官寺』と号する真言宗豊山派のお寺です。創建年
バロック音楽とはそういうものなのでしょうが、同じ曲でも、演奏者によって、全く違う曲のようになってしまうので、入蔵のように音楽にあまり明るくない者は戸惑います。昨日、新イタリア合奏団のコンサートに行きました。本当に音色は素晴しいです。そして、とってもイタリアっぽい(^o^)演奏は文句なしです。だから本当に楽しみました。アンコールの4曲(!)とも良かったです。会場内に急病人が出て、演奏中にその搬送があったにも関わらず、とてもいいコンサートでした。入蔵はエンリコ・モリコーネと
東京都北区の城官寺に行ってきました。
東京都北区というところ、私はあまり馴染みがありません、要するに、東京都の中で北の方にあるからそう名付けららたんでしょうね。調べたら、昭和22年に滝野川区・王子区が合併して成立したとありました、それ以前は滝野川と王子にわかれてたんですね。JR京浜東北線上中里駅にやってきました。まあ、小さい駅なんですが、京浜東北線の快速電車も停車するんですね。この駅から2軒の寺を回ることにしています。駅から平塚神社を右に見ながら、ゆるやかな坂を上がって行くと、左手に見えてきます
昨日の続きです。旧古河庭園を出て、平塚神社へ行きました。ここが古河庭園の西門口です。上中里駅の南に平塚神社があります。平塚神社の説明板です。平塚神社石碑です。「平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」によれば、平安時代に豊嶋郡の郡衙があった場所に、豊島近義が平塚城を築城したと伝えられます。後三年の役の後の河内への帰国時に、源義家、義光、義綱の兄弟がこの館に逗留します。手厚いもてなしに感謝した義家は、使っていた鎧と守り本尊の十一面観音を下賜しました。近義は義家が没した