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こんなことを書くとまた嫌われてしまうんでしょう。自分の中では当然の結果です。チケット、Get‼(…韻を踏んだ……)。しかも、20日、21日両日です。勿論一人では無理です。友達が少ない僕ですが、数少ない友達で日曜日が休みなⅠ君や、家族を動員。一人暮らしですが、一応家族はいます。秘策がありました!なるほど!そりゃそうだ!というものです。が、教えません‼来年以降、これを読んだ方に同じ方法をされたら、取れる確率が下がりますから…何を言われようとも自分が大事!何とで
バネットを購入したので、交通安全を祈願しようと諏訪大社の前宮へやってきた。残念ながらワンコは境内へ入れない。夫がお守りを買ってきてくれた。そのあと、宮の横を上がって鎌倉道遊歩道をお散歩することに。こちらが全道程。春の陽気の暖かさ。雪は日陰にちょっぴり残っている。小さな川が流れる町並みっていいよね。鎌倉道の最初のあたり。山林のなかは木々のおかげで涼しい。雪も結構残っている。でもシャーベット状。今日もシーラスのお腹
・みやこ町歴史民俗博物館へ。民俗的なもの文化的なものに特段興味あって、・あれば立寄りますが、こちらは200円で入れて展示品も充実しておりお勧め。・鬼面の神事だったり、お祭りの映像だったり、この地域独特な風習に基づく・ところは興味深いなと思いました。生立八幡宮神幸祭は5月の3日間で行われ・るとのこと。タイミングが合えば行ってみたいなと。山笠15m重量3.5トン。・中津大神宮へ。中津城址の公園地内にある神社、こちらでも夏に祇園祭が・行われているそう。厄払い・商売繫盛など各種祈願に対応。豊
にほんブログ村土塁や石垣などの遺構が残っていると古の想いを馳せてテンションがあがる城址マニアの私…街中の城址だと遺構なんぞ残ってないんだけど…高台にあれば…ああ、お屋敷があったんだろうな川が流れていれば、堀の役割をしてたんだろうな…と勝手に妄想してテンションのあがるそんな私が、御器所西城址(尾陽神社)に行けば井上陽水じゃないけど「東へ西へ」にも行ってみたい!はい、行ってきました…御器所東城址もう住宅地になっていて尾陽神社となっている御器所西城址以上
以前行って来た城池公園と韮山城址韮山中学校の隣に、あって懐かしい場所です。城池公園登って行きます韮山高校最近は、駐車場も整備されて多くの人が来ます。韮山には、先祖代々仕えて来た方もいて、昔ながらの街です。
2月4日(水)中村豊郎著『砕けて後は、もとの土くれ相模国豪族・三浦一族鎮魂譜』創英社/三省堂書店2015年3月31日発行著者は企業の社長等を歴任し、共立女子大学の教授を務めた方です。ただし、専門は農学であり日本中世史の研究者ではなく、また小説家でもありません。表題が三浦道寸義同の辞世の句の一部なので、三浦氏滅亡の物語かと思いきや、一族の平安時代からの歴史(通史)が綴られていました。(三浦一族鎮魂譜とありますけどね)「討つ者も討たるる者も土器よ砕けて後はも
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第5回の紀行で、荒子観音寺、利家の甲冑が出てきましたね。名古屋市の南西部、荒子城址。若くして織田家に仕えた利家。しかし、信長の家臣を斬ったことにより織田家から追放。復帰を許されたのは信長が美濃攻略に乗り出した頃でした。利家が深く信仰し、本堂の再建に力を入れたという荒子観音寺。ここには利家の物と伝わる甲冑が納められています。伝・前田利家甲冑。
今治城は、現在の愛媛県今治市にある藤堂高虎によって築城された城で別名吹揚城ともいう。1602年(慶弔7年)に築城を開始し、約6年後に完成し、当時は海水を引いた堀や、船入があり、日本三大水城の一つとなった。日本百名城。1635年(寛永12年)より松平久松氏が城主となる。現在、江戸時代から残っているのは本丸、二の丸郭の石垣と内堀。模擬天守、鉄御門、多聞櫓5棟、石垣、東隅櫓、山里櫓、武具櫓は昭和以降に建てられたもの。御金櫓前の塀御金櫓から見た模擬天守閣御金櫓今治城址石碑裏高麗門付近から
①四十九院跡へ徘徊登山編(2/4立春)四十九院徘徊MAP上天気の中、宇利城址方向へと徘徊の歩を進める。風は少し吹いているが、暖かさを感じる心地よさの中を、四十九院登り口へと「未だかなぁ~」と進みます。(^_-)県道81号信号左角Pへ駐め、左手へ徘徊です。冬の赤い実はナンテンか橋を越えて左へ、宇利城址案内板が立っています。宇利川沿いをフラ徘フラ徊です。宇利城址への案内看板が見えて来ました。以前に比べると、かなり厳重に電気柵が張り巡ら
(´-`).。oO2026.1.28この日は…赤穂市「有年山200.9m」「放亀山120m」へ…登山口に近づくと立派な看板やのぼりが迎えてくれました「有年山城」は、垣根涼介の本「涅槃」(宇喜多直家の物語です)で要所として登場した城で小説を思い浮かべながら登りましたこの時も「垣根涼介」ブーム『岡山市「岡山城(烏城)」』(´-`).。oO2024.9.1この日は岡山へ〜令和の大改修後、初めての「岡山城」でした。石垣を見上げながら〜積み方も様々ですね。時代によるのか…中の段
横須賀市怒田城址のヤマグワの木別れた枝が再び合着しています。このような木を連理木(れんりぎ)と呼びます絡み合うように合着していますが、このような現象は「縁結び」「夫婦円満」などの縁起のよい木とされて居ますここにはヤマグワが多いのですが、何本かの連理木を見ることができます。↑は3本の枝が合わさっていますこちらは古い幹の上に新しい幹が合着こちらに至っては数本の枝が複雑に絡み合っています株立した幹同士雁字搦めになっています。自然が織りなす不思議な造形美は何だか底知れないパワーを感じてしまい
攻城日:2020年2月24日↑南西側からの本丸遠景↑亀山城は、岡山県岡山市東区にある城跡デス♪↑広域マップ↑城跡は、JR山陽本線上道駅の北東およそ1.7kmにあり、現在は神社や宅地、学校などになっています。↑本丸西側道路沿いの標柱↑亀山城と言うと、京都府亀岡市や三重県亀山市にあるヤツが有名ですが、こちらは岡山県岡山市にある亀山城🏯亀岡市観光協会ホームページ明智光秀~1人でも多くの人に知ってもらいたい~|明智光秀|ぶらり亀岡亀岡市観光協会明智光秀~1人でも多くの人に知って
いやね、、、早いもんで2月に突入ですね。なかなかね、コチラも写真に写ってくれなくなって来てまして更新頻度が低くなってしまってますけどねー。まずね、今日のそうまさんはバレーボールのクラブチームの活動にて我が旧・教室にある町おこしのイベントに参戦してまいりました。我が旧・教室のある町はいわゆる『城下町』でして、城址跡も公園になってまして。その城の周りをランで誰がいちばん速く走るか?みたいな。しかしながら『城址』ですから小高い山にある訳です。周りの風景でもお分かりの通り、下から一気に上まで駆け上
昨夜のブラタモリは、「せんべろの町赤羽はどうできたか」だった。せんべろとは、千円でベロベロに酔えるという意味だ。赤羽駅の東口側に飲み屋街があるのは何となく知っていたが、行ったことは無い。西口側にある稲付城址も番組に登場したので、今回は以前行ったときに書いたブログを手直しして掲載する。赤羽駅西口を出てすぐ、台地に木が茂っているのが見えた。たぶんそこだろうと見当をつけて歩く。石段の脇に稲付城跡の石碑があった。太田道灌が築いた砦の跡らしい。死後に寺になった。散策の初めに、いきなり石段
所在地〒919-1205福井県三方郡美浜町佐田特徴国吉城を攻めた朝倉氏の陣城で、北東麓から入山すると城址はすぐ。主郭を巡る大規模な二重の空堀が完存し、整備されていないがかなり自由に散策できる。感想何の変哲もない森の中に、立派な遺構が残っていて驚く。雑木を間伐し、厚く堆積した落葉を取り除けば、すぐ「高
所在地〒919-1301福井県三方上中郡若狭町気山特徴三方湖畔の山上に残る山城跡で、高速の側道終点から自然の斜面を登る。尾根の害獣ネットを潜り、さらに登ると城址で、主郭の虎口や奥には空堀が残る。感想主郭の切岸には石垣の石材が散乱し空堀も大規模だが、全く整備されていない。登城道は無いし、害獣ネットが非常に邪魔。
松本市の東側に流れる薄川上流の金華橋に登り口がある林城址考古学調査や遊歩道の整備が進められているその昔小笠原氏の拠点だった進捗状況を確認していたらハラガヘッタ~夕飯塩尻市広丘にあるハルピンみそ拉麺雷蔵一本角煮たれ味噌拉麺超ウマでした
所在地〒919-1314福井県三方上中郡若狭町能登野特徴八幡川北側の丘陵に築かれた山城で、通行止めの道を進み害獣柵を開けて向かう。城址の南側から先人の踏み跡を登ったが、急坂で滑り易く断念した。
所在地〒919-1325福井県三方上中郡若狭町岩屋特徴円成寺背後の山上に残る武田氏関連の山城で、北東麓から祠まで参道を登る。さらに登ると城址で、連郭式の遺構が残るが、残存度合いは低い。感想遺構は風化が進んで自然地形に戻りつつある。
Tetsu龍でございます。大高城とくれば鷲津砦と丸根砦はセットで行っておかないとと云うことで、どうする家康の時に回った。まあ、三つまとめて行ってもそんなに距離はないので。ただ、近年は暑いので、夏場の史跡回りはおすすめしません。城址碑がありので、ここかあ位の感覚で行ってみよう。
昨年十二月十三日、前回記事『瑞浪紀行(4)小里(おり)城跡』岐阜県瑞浪滞在二日目の昨年十二月十三日、ホテルで朝食を済ませた小生は路線バスに乗って郊外へ向かった。この日の最初の目的地としたのは小里(おり)城跡。小里城は、…ameblo.jpで訪問記を綴った小里城跡から瑞浪市外にバスで戻った小生は、徒歩で鶴ヶ城跡に向かった。鶴ヶ城と言えば会津松平氏の居城であった城をまず思い浮かべる人が多いであろう。幕末の会津藩の新政府軍に対する抵抗の拠点として知られ、今年の札幌雪まつりで披露される大雪像
沖縄旅行記続きですなんとなく立てていた予定では美ら海水族館→今帰仁城跡→(古宇利島?)→座喜味城跡→中城城跡という計画だったのですが、沖縄自動車道が工事で片側交互通行になっていたりで行きも帰りも大渋滞で計画変更座喜味城跡は入場時間制限なくフリーだけど中城城跡は17時までだったのでそちらに向かうことにしました16時過ぎに着けるかな?と思ったけど帰り道も大渋滞で到着したら16:50ごろでギリギリ滑り込みカートがあって上まで片道ですが連れて行ってくれました17:30に完全閉場とい
1/16。豊明市の桶狭間古戦場跡と今川義元本陣跡に行ったことは書きました。そのあと、そこから2㎞ほど離れた同じ豊明市の沓掛城址に行きました。城址の南側入り口にあった説明。桶狭間の戦いで、信長は勝利の恩賞として、梁田出羽守(政綱)に沓掛の地と沓掛城を与えた、と書かれていますね。真ん中に広い敷地が本丸跡ということである。左側に井戸がある。当時、井戸があったところのようである
Tetsu龍でございます。昨年は無理して城巡りしないと云うことで、数は回ってないのですが、行くとやはり楽しい。100名城は八割強回ったけれど、なんとなくまだ行けていない処があって。中部地区はこの長篠城が空白地帯でした。昨年の10月、高校時代の倶楽部の設立50周年プレイベントがあって、宿泊先のロッジが新城市……(ノ・ω・)ノオオオォォォ-っつ長篠城に行ける!と満を持して臨んだのですが、当日は雨模様……そんなに酷くはないけど、この手の城は足場が。まずは、城址入口の資料
所在地〒917-0035福井県小浜市口田縄(大光寺から)特徴若狭守護武田氏の被官だった大塩氏の山城で、寺から十数分登ると城址になる。祠のある主郭は広く、周囲には腰郭や帯郭があり、土塁や堀切が確認できる。感想高低差が少なく風化も進んでいるが、手軽に訪問できそこそこ楽しめる。
攻城日:2024年12月9日一年以上前のハナシで恐縮ですがww毎年恒例、晩秋~初冬の信州遠征ホントは未攻略の北西部(大町市の木船城とか)南部(飯田市の辺り)を攻めたいのですが、泊まりの遠征が難しいので、東京から日帰りとなると遠方はなかなか厳しくこの日のメインディッシュは、小布施町の"雁田城"♪"大城"と"小城"なるこのおシロに加えて、更にその稜線上にある"二十端城"と"滝ノ入城"もまとめてやっつける作戦です↑周辺マップ↑4城の位置関係はこんな感
柿田川湧水群⑦ソロ活一人旅泉頭城と戸倉城【歴史好きに刺さる!家康公が愛した(かもしれない)城跡へ】柿田川公園の一部、実は「泉頭城(いずみがしらじょう)」という城跡なんだそうです。🏯かつて後北条氏が築き、その後、徳川家康公が隠居の地として検討していたという驚きの歴史が!もし家康公が駿府城ではなく、この柿田川のほとりで隠居生活を送っていたら……。富士山の湧水に囲まれたこの場所が、日本の政治の拠点になっていたかも?なんて想像すると、ただの公園散策がタイムトラベル歴史ロマンに変わりますね✨
風、微々として緩し花、甘然として綻ぶ草、普遍にして飄々と鳥は、、、微睡の夢に入る..........平和なり初春首里城址おさんぽ編...「琉球王国」。まだ僅か130年ほど前まで、この島は首里城に君臨する国王が統治する王国だった。更に遡ること900年、12世紀島各地に按司と呼ばれる首長が台頭し、グスクを築いて争う荒々しい時代が始まる。数多の小規模なグスクは