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おはようございます、たけちです。2026年・令和8年8月8日土曜日みなさん、いかがお過ごしですか?たけちは、今日はお盆休みに入ります。毎年、恒例ですが、今から広島市に行きます。今回は改修工事が終わった大和ミュージアムに行こうかな?ちょっと、楽しみです😊さて、今回は沖縄県の100名城のひとつでもあり、世界遺産でもある中城城について紹介します。『沖縄残城回収記前編』おはようございます、たけちです。2026年・令和8年8月1日土曜日みなさん、いかがお過ごしになり
早起きして、本宮山へ出陣⚔️先日、購入したFUJILITE7を履いて感じたことは、軽い、ソフト、走りやすい😊ランシューで走っている感覚を求めている人にお勧めかも☝️岩場やガレ場よりもザレ場や林道、ロードで発揮するタイプだと思う🤔👟ラグは低く、柔らかいけどグリップ力はある💪問題は耐久性かな?🤔久しぶりに周回コース走ったけど倒木もあり道に迷って何度かロスト!雨山城址で手袋を置き忘れさらに、誰も通ってないから蜘蛛の巣が顔面に絡みついて「うわぁー」と叫んでしまった😅
おはようございます、たけちです。2026年・令和8年8月2日日曜日みなさん、いかがお過ごしになりますか?筑後市近郊は今日も明日も暑さは絶好調!筑後市の隣、久留米市では明日3日40°予報ついに酷暑到来か?地震に酷暑、大丈夫か、日本?大丈夫か、九州!色々考えても仕方がないので、前向きに直向きに頑張るしかありません。さて、今日は昨日からのつづき沖縄残城回収記後編です。『沖縄残城回収記前編』おはようございます、たけちです。2026年・令和8年8月1日土曜日みな
泉北ニュータウン考察小谷鼎城について小谷城(こたにじょう/小谷鼎城関連)は、泉北ニュータウン(特に竹城台周辺)の歴史的背景を理解する上で重要な中世の城址です。ja.wikipedia.org小谷城の概要場所:現在の堺市南区豊田周辺(泉北ニュータウン内)。標高約80m程度の小山で、「城」というより自然の地形を活かした小さな山城的な存在。machitto.jp歴史的文脈:鎌倉時代中期頃に自然のまま城として利用されたのが始まりとされ、堺市(泉北地域)で最も古い城址の一つ。小谷
98枚!レンズを交換して撮影開始!ただこのレンズ妙にピンクになるんだよな~^^;最近ここの田んぼは水を張っていないのが残念(´・ω・`)城址の桜は周りの木が邪魔してて綺麗に見えないのが勿体ないな~。よし!満足したのでバイクへ戻っていたがその途中にあった桜。で、バイクへ戻ると炎天下の気温計は34度(≧▽≦)時刻はお昼前か。では移動!すぐそばにある小奴可研修センターのしだれ桜へ。よく見ると8~9部咲な感じ。さて車が入って来たので場所を移動!こっちは8部咲位かな?さ
こんにちは〜毎日、猛暑で干からびそーです🥵💦水分、ミネラル補給、しっかりとですね。このくっそ暑い中、山城にいきたいなぁ、とホントは、去年から小谷城趾に〜、って思っていたんですが熊🐻注意⚠️の看板があるとか。。。えっ?!自然が多い観光でも、遊歩道を歩いていると、周りにだーれも居ない…、って頻繁にあるから、それこそ、ガチな山城登りは、この時期、暑いと登る人、そーとう少なそう😨なので、ロープウェイ🚡で行ける八幡山城址に変更した!現存天守閣に登るの
基本情報場所:千葉県佐倉市下志津電話:開館:休館:無休料金:無料特記:北側及び南側に無料駐車場有佐倉里山自然公園散策マップについて□佐倉里山自然公園とは・・・?佐倉里山自然公園※は、本市の西部に位置し、志津・ユーカリが丘地域と臼井・千代田地域に囲まれており、その大きさは、約73.8haで、東京ドーム約15個分に相当します。本市は印旛沼低地と印旛沼の南部に広がる下総台地で構成され、台地面は小河川や水路、降雨などの浸食によって削られた大小の谷津が形成され、複雑か
絡手口(からめてぐち)側に大きな駐車場があり、そこから入って坂道をズンズン登ると本陣に着きます。ここ箕輪城とその周辺で、武者の幽霊と、白装束の女性幽霊が目撃されたとされ、心霊スポットとなりました。そして、その手の敏感な方が行くと、頭痛などの体調不良になるとされています。心霊風写真は、最後から2枚目です。写真は、当時の城門や石垣を、一部ですが再現させたものです。なお、箕輪城は、群馬県高崎市のはずれの丘の上にあります。1566年、武田勢により、箕輪城は落城しま
徳川家康の生母緒川城址傳通院於大出生地令和8年7月11日(土)かつての緒川城は、尾張国知多郡小河(現在の東浦町緒川)に位置していました。場所・愛知県知多郡東浦町緒川古城
お城大好きなぱんだ(´Д`)。かねてより行きたいと切望していた静岡県三島市の山中城跡に行って来ました。本日は山中城跡の紹介三回目です。史跡山中城は、小田原に本城を置いた北条氏が永禄年間(1560年代)に小田原防備のために創築した山城です。天正十七年(1589)の豊臣秀吉の小田原征伐に備えて急ぎ西の丸や出丸などの増築が始まり、翌年三月に豊臣軍に包囲され、約十七倍の人数にわずか半日で落城したと伝えられています。ではそんな山中城を見ていきましょう。山中城跡障子堀本日は障子堀からスター
2026年7月調布市と多摩区の城跡巡り2026年5月15日から始まっていた「御城印めぐり」に参加してきました深大寺城跡・枡形城址・小澤城址の3箇所の石碑を写真に撮ってきて、神代植物公園に行くと特別な御城印が貰えるというイベントです1日では周りきれなかったので、2日かけてまわりました枡形城址最寄り駅は、小田急線向ヶ丘遊園駅歩いて15分くらいの、生田緑地内の枡形山展望台に向かいます。休日だからか、家族連れで網を持った虫取り少年達が虫を取りにきてました展望台入り口展望台せっ
事務所近くにあるポストへとハガキを投函しに歩を進めた。100mもない距離を歩くと汗が吹き出して来る。今日はそんな暑さである。歩き出したついでに大上戸川に寄ってみた。先般の雨によって河川敷の草は倒れかけていたのが、また息を吹き返したと言うのか、起き上がっていた。草たちのパワーには恐れ入る感じだ。私の事務所近くにある大上戸川に架かる橋は本堂川橋である。川の名前と橋の名前が異なっている。橋の名前は歴史に由来する。橋の脇にある堤防敷の桜並木、桜の木は沢山の葉をつけ、並木の下は葉桜のトンネルと化してい
所在地〒859-4744長崎県松浦市星鹿町岳崎免特徴星鹿半島に築かれた山城だが、後世の改変により広大な広場になっている。城址まで車道が敷設され、巨大な展望台が建っている。感想3年前に訪問しているが、その時は通行止めだった。浄瑠璃や歌舞伎の演目である苅萱は、ここの城主と息子(石童丸)の物語。
所在地〒849-4251佐賀県伊万里市山代町楠久(本光寺)特徴伊万里湾を望む高台に築かれた城で、寺の裏山の墓地から更に北へ進む。かなり広い削平地や土塁の痕跡が残るが、残存度合いは低い。感想石碑があるだけで城址として整備されていない。
所在地〒859-3702長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷特徴尾張知多を出自とする内海氏の山城で、南麓の墓地から道なき斜面をよじ登る。山頂の主郭や段郭・帯郭などが確認できるが、まったく整備されていない。感想規模も残存度合いも低いし、城址までかなり時間がかかる。西麓に説明板がある。
調布市深大寺城跡と川崎市多摩区2城址で「御城印巡り」枚数限定で配布(みんなの経済新聞ネットワーク)-Yahoo!ニュース調布の深大寺城跡(深大寺元町2)と川崎市多摩区の枡形城址(ますがたじょうし)(枡形6)、小沢城址(菅仙谷1)の石碑を撮影しアンケートに答えると御城印が進呈される企画「戦国の城砦戦(しろとりでいくさnews.yahoo.co.jp金曜日ですね♪HaveawonderfulFridayinthelingeringhydrangeaseason.
帰投途中に寄って見たのは(新穂城址の)蓮の葉っぱ
豊田の水源公園に行ってみましたいつも矢作川沿いを走って横を通っていたんだけど実際に寄っては無かった公園になっていることも知らなかったですよ近くで見るとこんな感じか以前、ダムの下に穴が開いてしまって大修理したんだよね!ダム上から本日はヒマラヤンで来ましたどうってない公園です。もう来ないかも(笑)展望台マニアなので、近くの梟ヶ城址展望台に行きます梟(フクロウ)と読みます読めないよね!ナビを頼りに近くまで来ましたここからは車両は通行不可!大体こうなるよいきなり登りが長い
『下津城址』稲沢市にある下津(おりづ)城址です。尾張守護代織田敏廣(おだとしひろ)の居城で永享4年(1432年)に足利義教(あしかがよしのり)が宿泊したとある。この高くな…ameblo.jp8年前に紹介した下津(おりづ)城址の場所がいつの間にか移設されていた。下津小学校敷地内の南西角を整備して移設された模様。通学路の表紙があったあたりの個人の敷地内に以前は建っていた。市町村が管理する場所なら勝手に撤去されるなどの心配もなさそうだ。
松波城は、鳳珠郡能都町松波にある比高24mの丘城です。訪れたのが5月半ばですので、山城は木々の葉が芽吹き山城訪問としては時期が悪いので、比高の低い整備の整ったところで、奥能登珠洲に近い所を物色しましたら、ありましたね松波城でした。県指定史跡訪城日:2026.5.12晴れ城址へは、能登町市街(町役場)から国249号を北上し、約11km先の松波西交差点を直進し、約700m先の松波中央交差点を左折して200m先で左折して道なりに進むと公園があります。右手
黒羽城は大関和の生家の北側にあった。城址には何度か訪れたことがあるが、近くに来たので立ち寄ることにした。本丸と西側の土塁。土塁からは眼下に那珂川、遠方に日光・那須連山が見える。本丸南の空堀と馬出郭の土塁。本丸南側の堀。かなり迫力のある深さだ。所々に紫陽花が咲いているのだが。駐車場から本丸に向かう途中の土塁と堀。黒羽城は1575年、大関氏が拠点としたのが始まりで、1590年主家の烏山城主那須氏が小田原参陣せず改易となったが、大関氏、大田原氏は参陣して所領安堵された。江戸時代以降
去年から始まった袖ケ浦公園の菖蒲園がメインの12キロのコースを今年も歩いてきました。今回は、土曜日の参加にしてゆっくりと博物館三昧もできてよかったです。暑さ対策に、使い捨てひんやりタオルを持ってきましたけど、なぜか使いませんでした。AENAで、格安で手に入りました~早めに、長浦に到着したら、スタッフの人が準備をしていましたけど、イオンに行ってちょっとぶらぶらしてから、9時15分ごろ受付していたので、早めにスタートです。このコース、袖ケ浦公園に着くまでが、街中を歩いたり坂道もそこそこある
道の駅ふれあいの里HASUパークに行っただけでは芸がないと、城跡制覇に向けてナビを設定しました。このあたりの城跡は、あちこち見ましたが、木曽三川を渡って養老方面の城跡は、道がわかりにくくて登城できていませんでした。どこでもそうですが、城跡周辺は、道が狭い。大八車が通ればよいくらいの狭さが普通でしたが、今は、自動車がやっと通れる幅は確保されています。最初にナビを設定したのは、駒野城跡。確か、以前、城山は小学校になっていると確認したはず。それでも、現地へ行って
三木城址の高台から三木市街を望みました。手前の美嚢川が城を防御しています。赤い三木市立市民活動センターの建物が見えます。鉄橋は神鉄粟生線です。竹中半兵衛の墓です。墓は秀吉の本陣があった平井山の山麗にあります。6/13は半兵衛の命日で花と線香がありました。三木城址と別所長治の石像と続きます。半兵衛の命日と知って訪れる方が数人いました。6月14日放送のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は「さらば半兵衛」です。(泣)https://youtu.be/RyDAf2xAwLM
泉頭城は現在の静岡県駿東郡清水町で柿田川の水源地泉頭にあった城。弘治年間(1555-1558)の頃、北条氏が周辺の今川氏、武田氏等に対抗するために築城された。天承18年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると北条氏は泉頭城を破壊し、韮山城と山中城へ引上げた。元和元年(1615年)、徳川家康はこの地が気に入り老後の隠居地とすべく隠居所の造営を命ずるも、翌年隠居所は駿府へ変更された。現在、城址の一部は柿田川公園となっている。貴船神社
栃木県の黒羽。紫陽花で有名。本丸への坂を登る。紫陽花はまだほとんどが開花前だった。本丸の空堀にちらほら咲いていた。本丸と馬出郭の間の空堀。再び本丸。黒羽城は那須7党の1つ大関氏の城で、那須宗家と異なり小田原城攻めに間に合ったことで存続を認められ、転封もなく維新を迎えた。戦国末期の山城がそのまま近世大名の城として、明治に至るまでの300年間継続した数少ない城でもある。
一乗谷城址の最後は当時の朝倉氏の反映を示すものとして伝えられている4庭園の痕跡です。それは朝倉館庭園、南陽寺跡庭園、湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園です。朝倉館庭園湯殿跡庭園
比丘尼の丘へササユリ開花確認(6月6日)富幕山でイナモリソウを見た帰りに、比丘尼の丘へササユリの開花状況を確認に行くことに。前回来た時には蕾もほとんど見られなかったですがどうでしょうか?世界桜の園駐車場に着くと1台の車が停まっていました。東屋までの道を登っていきます。以前は、この道の両側に多くのササユリが見られたのですが、やはり残念ながらほとんどありません。このとおりです。以前のような比丘尼の丘に戻って欲しい。やっとササユリが数輪咲いていた。東屋からの中宇利地区の田園風
一乗谷城址訪問したのは4月9日だったので、ちょうど桜の見頃を迎えていました。お城跡の見学でしたが運良く花見も出来ました。アップがズレてしまいましたがご覧ください。ここからはスマホでの画像になります。
450年近く経つ一乗谷の繁栄の痕跡があちこちで見られる朝倉義景の居城であったこの場所をじっくりと見て回りました。戦国時代どちらかというと時代劇や大河ドラマなどでは織田信長や豊臣秀吉の敵として描かれることが多い大名ですが、地元に根付いた足跡を感じ取る場所であることもなんとなく分かる場所でもありました。