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志賀直哉の短編集。様々な短編が収められていて、特に夕暮れの景色や雪景色の何気ない日常を捉えた穏やかな話が多いが、とりわけ印象的なのは「流行感冒」という毛色の違う作品である。幼い子どもを病気で亡くした父親の「私」は娘の左枝子を過保護に病気から守ろうとする。コロナ禍では世界中でウィルスに対して警戒していたものだが、それぞれの人生における経験や生活のために、あまりにも軽く受け止めた人もいれば、過敏になってしまった人もあったことだろう。主人公の「私」は娘をすべての病気から守ろうとするあまり家族の中で「
お宿はしののめ荘。こじんまりしてて、昔ながらの旅館。女性グループ多かったー。食事は全部、お部屋食です。なのでのんびり食べれる♪朝食もカニ足のみそ汁でした!https://www.sinonomesou.com/城崎温泉旅館しののめ荘-www.sinonomesou.com友達に頼まれてた城崎温泉でしか買えない!!!本いろいろ↓タオルで出来た表紙の本やカニの足の表紙↓有名な小説家が書いてますよー。そして上の本のシリーズ第1段が志賀直哉の「城の崎にて」。これに
カルディでコーヒー豆が半額だったのでつい2袋げっと今日の読書志賀直哉の短編集子供の頃一番感動した本は?っていわれて「城の崎にて」をあげてた。大人になって読み返してみてもグッとくる。夏目漱石が「志賀直哉は天然で書いてるからマネしようとしても無理だよ」って門下生に言ってた。小説の神様志賀直哉。「清兵衛とひょうたん」「小僧の神様」「家守」「城の崎にて」と有名どころが入ってます。とりあえずイモリとヤモリは見かけたら大切してあげようと思った。今日の名言イチロー
志賀直哉といえば短編小説の名手であり、まるで角の取れた河原の石のような癖のない文体は、却って志賀直哉の癖というものではないかと思う。あくまで私自身の解釈なのであてにもならないものであるが、その一種のシンプルな文体はヘミングウェイを彷彿させるものがある。そして、同氏の数ある名短篇小説のうちでも、「城の崎にて」は是非一読しておきたい作品である。この「城の崎にて」は、作者が列車事故の療養先として滞在した城崎温泉における体験を、自らの生死観と照らし合わせる随筆とも私小説とも取れ、しかも主に
NHKBSプレミアムで放送された『文豪温泉〜名作の陰に名湯あり〜』。夏目漱石、川端康成、そして志賀直哉・・・文豪たちが愛した温泉地を巡り、名作誕生の秘密や知られざる文豪と温泉の関係に迫る!ということで、生き物の死を見つめることで、生への自問を繰り返し生まれた不朽の名作「城の崎にて」を執筆した志賀直哉ゆかりの温泉地として城崎温泉が紹介されました。直哉が属した白樺派をはじめ多くの文人墨客に愛された“文学のまち”城崎温泉で、お気に入りの本を片手に文学碑を巡りながらの温泉街散策もおすすめです。
曽野綾子さんの「結婚は、賭け」の中で、志賀直哉さんの「雨蛙」のくだりが出てきた。俄然、志賀直哉さんの「雨蛙」を読んでみたくなり、図書館へ。志賀直哉。昔、国語で、「暗夜行路」や「城の崎にて」という著書についての勉強はしたけれど、読んだ記憶がない…。さて、写真の本を読み進めているけれど、これがなんと面白いことか…!!志賀直哉さん、すごい。「城の崎にて」、とても好きな感じだ。いや、今読み進めている話全て、好きだ。もう人生半分くらいまで来たけれど、心躍る本に出会えるなんて、幸せ過
城崎温泉♨️に来ました。とりあえずクラフトビール🍺🍻をぐび川のビールヴァイツェンフルーティなサッパリした感じもちろん温泉卵♨️🥚を食べながらです。美味しい旅館に入ったあと浴衣に着替えて外湯巡り、通り雨が来る☔️通知が携帯に来たから、ちょい呑み出来る酒屋に避難空のビールピルスナー🍻少し変わった味がするが軽くて飲みやすい黒ビールはビアケン勉強するまでは苦手だったけど飲めるようになって来た黒のビールスタウト🍺まぁ美味しかった、コクと苦味がある感じお腹いっぱい温泉♨️ビール🍺幸
皆様こんばんわ。お騒がせしましたが、ついについに判明しました。志賀直哉の『出来事』大正2年に発刊された短編小説でした。志賀直哉、宮城県石巻出身で、小説の神様と呼ばれた方です。まず、どうやってわかったか?ですが、昨日、自分で、ブログしながら、国語の教科書掲載かな?と思い、教科書を検索調査しました。教科書掲載回数の御三家は夏目漱石、芥川龍之介、中島敦でした。作品でいうと、こころ、羅生門、山月記でした。各社とも各年、掲載回数が断然多い
映画「ボクと空と麦畑」を観た。“麦畑”と聞くと、ブランコに乗った裕木奈江が思い浮かぶのは、私だけなのだろうか。私にも経験がある、カーテン遊びを見て懐かしかったが、叱り付けてカーテン遊びを止めさせ、履いていたジーンズの裾を、長靴の中に押し込んでやったのが、息子との最後の思い出になったのかと考えると、水死した少年の母親が不憫に思えて、それにしても少年時代というのは、
12月、1月に読んだ本です。次回の部活で返却する本(★印)は持って行きます。その他の本は読みたいと思ったらLINEでリクエストください。予約も可能です!城の崎にて、注釈・城の崎にて志賀直哉“小説の神様”と呼ばれる作家志賀直哉が、1907年、城崎逗留の記憶を記した短編「城の崎にて」。1903年、東京で山手線にはねられ怪我をした志賀直哉が、治療のため訪れた城崎で小さな生きものの命に見た自然感を記した物語です。城崎へかえる湊かなえ2016年山本周五郎賞受賞の作家、湊かなえの
ン十年ぶりに読み返した志賀直哉の小説。中学か高校の授業で『城の崎にて』を習ったはず。志賀直哉が事故に遭い、城崎温泉で療養している時の話し。イモリを脅かしてやろうと石を投げて、うっかり殺してしまう…という。私が長い間、頭の中で描いていた風景は(何故か宿の庭で)食事をとっていて、その途中に、ふと池を見てイモリを見つけた…。と思っていたのです。しかも、何を食べたかもインプットされており…。『城の崎にて』には食事シーンなどなく、いったい何の小説と混同してしまっていたのか…。療養先の宿で
県民割の情報を知らず、大阪の友人から教えてもらって慌てて地元の友人と蟹を食べに行って来ました。日帰りバス旅行は予約いっぱい、JRのかにカニ日帰りエクスプレスでどうにか予約ができて、日曜に日帰りで出かけて来ました。城崎温泉は予約が取れず、城崎温泉から少し先の竹野で蟹を食べて、帰りに城崎温泉に寄って帰ってくるという流れ。朝8時ごろから三宮を出発。出発する時はまずまずのお天気だったのですが、次第に、雪、あられ、みぞれ、雨、曇り、晴れが順番に繰り返すという不安定な天気。11時過ぎに
諸寺巡礼⑤新薬師寺奈良県奈良市新薬師寺一場所と外観(志賀直哉旧居から)奈良市の中でも高畑という地域を訪ねたのは、志賀直哉旧居を見るためだった。市内循環のバスを降りて、目的地、『暗夜行路』の幾分かの生誕の家には辿りついた。これといった難もなかった。しかし、門の辺りで、海外から来たらしい欧州のある国の言語を話しているらしい青年達に通せんぼされる形になった。男女四人ほどの一行。入口付近で何枚も写真を撮り、長い間、門をふさいでいた。最後にはこちらから声をかけて横
海の足線の電車に蹴っ飛ばされて怪我をした。その後養生に、一人で天神様の溝の口病院に出掛けた。膝の傷が治らなければ一生膝カックンになりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云われた。二三年生きていれば後は心配はいらない、とにかく要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上、、、我慢できたら、、、五週間位居たいものだと考えて来た。然し
はじめにこんにちは、shionです。私には、何事もイメージが先行して、物事を決めつけてしまう悪い癖があります。食べものは、それが顕著に表れていて、食わず嫌いなものが多いです。勉強や趣味に関しても、取り組む前から「難しそう」とか「つまらなさそう」といった先入観を盾に、結局、自分の範囲内からなかなか出ようとしません。「どこにどんな出会いがあるか分からないよ!!」といつも自分に言い聞かせるのですが、一歩踏み出す難しさを痛感します......。まずは、苦手だと思い込
小説の神様と言われた志賀直哉さんです。有名な城の崎にての気づき部分です。電車に軽くはねられた主人公と主人公のなんの気なしの投石で死んでしまったイモリとの対比です。小僧の神様・城の崎にて(新潮文庫)Amazon(アマゾン)25〜3,742円※昨年の今日の日めくりから『謹製日めくり参考書の言葉9/12』昔の高校生の参考書ですね。素晴らしい本でした。その序文が感動的でした。そういう参考書も珍しいですよね。新釈現代文(ちくま学芸文庫)Amazon(アマゾン)…ameblo.jp
災害や自動車事故同じ目に遭いながらも生死が分かれるときがある例えば車の運転者と同乗者あるいは相手の車の運転者と同乗者それと歩行者…志賀直哉「城の崎にて」鉄道事故に遭いながらも軽傷で済んだ主人公療養のために訪れた城崎温泉にてさまざまな小動物の生き死のリアルな場面に遭遇し、生と死を分ける“もの”の曖昧さと事故による自分の命運とを重ね合わせ─生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした─本文より私とそれ程の年齢差のない従兄弟が先週の日曜
頭塔を出て、東向いて歩きます。左へ。到着。ふむふむ。玄関。扁額。受付を済ませて2階へ。六畳書斎。見晴らしいいです客間。西行の庵や、鴨長明の方丈をイメージして来てみたら、なんのなんの広大な豪邸ですがな茶室。1階の書斎。違い棚五右衛門風呂洗面所。ワカメちゃん女中室。米軍に接収されたんや台所。コンロがありますねぇ☝️女中がいっぱい☝️食堂。サンルームはぁ大金持ちですなぁ。。サンルームの外の様子。夫人の居間。廊下。直哉の居間。子供たちの寝室。雑
《これまでのお話》ヒプノセラピー:年齢退行-いじめ問題①ヒプノセラピー:年齢退行-いじめ問題②この事件について、私は誰にも話しませんでした。ショックが大きすぎて話せなかったというのもありますが、10歳の子どもが説明するには、事態が複雑すぎました。そして、何よりも、自分が悪いことをしたという意識が先に立ってしまい、𠮟られるのが怖くて言えなかったのです。校内の「安全点検」は、必ず二人一組で回ることになっていたので、一人で回っていたことが知れたら、絶対に叱られると思いました。
少し昔の写真を見つけたのでご紹介。志賀直哉の小説で有名な城崎温泉の朝。アイデア作品なのか、駅前のカニ(?)のオブジェを横目に列車に乗り込みます。橋を渡ってすぐのところにある駅が餘部駅。かつては駅舎の山側奥に“お立ち台”がありまして、そこで何をすると言うと・・・この絶景写真を撮るために存在していました。高さ40m・長さ300mの、真っ赤な鉄骨を11基並べた美的センスにも優れたトレッスル橋の傑作。1912年~2010年まで100年近く現役を保っていましたが、その形状にから強風によ
もう一度、初めて読んだ時の印象を思い出そうとページを捲ったら、自分の心に留まっていたところがわかりました。ネタバレになりますので、未読の方は注意してください。事故にあい城崎温泉に予後静養に来ていた自分「自分の心には、何かしら、死に対する親しみが起こっていた。」その後蜂の死にあい「静かな感じを与えた」「淋しかった。」「それは如何にも静かだった。」「自分はその静かさに親しみを感じた。」死に対する親しみ→静かさに対する親しみ死というものに対して感じ方が変わってきたのでしょうか。こ
短編集志賀直哉さんの本に評価をつけるのはあまりにもおこがましいですが私にはあまりピンと来ませんでした。三島由紀夫さんや、井上靖さん、川端康成さんの文章の方が好きです。
少し前に読み終えた本村上春樹氏のデビュー作風の歌を聴けと小説の神様と言われた志賀直哉の城の崎にて他の短編集村上春樹、今頃になってデビュー作を読みました(・_・;)今まで読んできた物の不可解とも思えた様々なこと心象風景やそれに対する考え方などがどういう方向からの思考なのか少しだけ理解しやすくなった気がする1冊でしたでも、つぎに村上春樹の小説を読むのはまた少し間を空けます^^志賀直哉の小僧の神様・城の崎にてという短編集には昔読んだこと
はい、90冊終わりましたので、また記念写真を。で、ここでまた文庫以外の本に移ろうかと思ったのですが、キリのいい100冊めが終わってからにしようと決めました。なんせ私の目録は30進法で進んでいくので、キリの良い数字と合致するのが300、600、900、となるのです。世界の”ナベアツ”みたいだな。91.「伊豆の踊子」川端康成短編集三島由紀夫:解説新潮文庫収録作品1.伊豆の踊子2.温泉宿3.抒情歌4.禽獣『雪国』の回に、”こんなもん
※「楽しく読んでるよ~」と声をかけていただくことが多く嬉しいです⤴️直接も嬉しいですが、よければTwitter、Instagram、タイムラインのどれかに「RT」や「いいね」「シェア」もしていただけたら嬉しいです⤴️趣味や考えた事についてダラダラ書く「私言。」(わたくしごと)という随筆🖌️エッセイです😊お客様の暇潰しにと書き始めました😊新規のお客様にも、お店の中が見えにくい(物理的に、雰囲気的に・笑)ので中の人がラフで適当な人だとわかって入りやすくなってくれたら😊って想いと
番外編ブログ志賀直哉『城の崎にて』考武漢ウィルス騒動で暇すぎるので、本棚から文豪と呼ばれる作家たちの本を引っ張り出して読んでいる。その中で、教育者に言わせると、学生が読んで一番「意味がわからない」と言う小説が、小説の神様と呼ばれる志賀直哉の『城の崎にて』なのだそうだ。久々にその『城の崎にて』を読んでみた。九死に一生の怪我の後養生で城崎温泉を訪れた主人公(志賀)は、蜂、鼠、イモリを見て、「死」、死生観に戸惑う。風に揺れる桑の葉を見て、人の在り方を考察する。
こんにちは!毎日寒いね!年末なのになんか天気が悪いし。みんな最近の読書事情はどう?私は三島由紀夫や志賀直哉を読んでるよ。『美しい星』『城之崎にて』とかだね。志賀直哉は漱石に比べるとやはり少し薄っぺらい感じがするよ。心理描写とか、言動とかがね。もう少し掘り下げてみたらどうかな?と私ならアドバイスするよ。まあ志賀直哉の文学史的立ち位置はあまりよくわかってないからそれほど偉そうなことは言えないけどね!じゃあね。年末忙しいと思うけど、読んでくれてありがとう。
2019.7.19に行った志賀直哉『城の崎にて』読書会のもようです。メルマガ読者さんの感想文です。私も書きました。『矛盾と直観のなかの実存』(引用はじめ)「この会の四衆、一時に悉(ことごと)く見る。彼(かしこ)に此土を見ること、亦復是(またまたかく)の如し。」と。この会の四衆とは、阿難等の会衆である。それが今釈尊の神力で浄土を見せられたが、その時、彼土一切の菩薩・声聞・天人も亦此土の人々を見たのである。即ち、こちらが向こうに映り、向こうがこちらに映ったのであ