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>晴彩(はるさい)さん違いますよ。サヨクかウヨクか無関係な[天鑑]そして[天啓]の海を守る…[天漢]=theLocalGalaxy[古事記]ベースの愛あってのハナシですから。近代国家であるフランス🇫🇷の人間観のほうに[反省]を促すことでhttps://franoma.info/理系センスのロシア人は自然権を守りWHOを許さない広島の精神病院グループホームで70代がPTSD解離殺人|翠雨PTSD予防&治療研究所franoma.infoという事が理解できるでしょう。コ
「神戸ニニンガ日誌」(第3,008号)〇麻原彰晃らの死刑執行から5年。オウム幹部に殺された坂本弁護士の先輩・岡田尚氏は「死刑反対と言いながら触れなくなった」と言い「自分は卑怯だと思った」〇坂本弁護士一家は1989年にオウムの6名(村井秀夫、早川紀代秀、岡﨑一明、新実智光、中川智正、端本悟)により殺害された。妻と1歳の子にも手をかけた。〇岡田氏は殺害される二日前に坂本弁護士と食事を共にしていた。「人権弁護士」として死刑反対を公言していたが、5年後の遺体発見時検察に「処罰感情」を聞
地下鉄サリン事件発生から26年となりました。事件を風化させないことは重要と言えますが、私は地下鉄サリン事件そのものよりも、むしろそれ以前のマスコミの教団に対する扱いをよく検証し風化させないことの方が何倍にも増して重要と考えます。それはこのブログの開設動機でもあり、適切な対応であったなら坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)の段階でオウム真理教の疑惑が晴れてはいないことが周知でき、教団への警戒心が維持され、その後の教団の勢力拡大は防げたと考えるからです。即ち事件の回顧も重要ですが、事件が起
金平って日本国籍なの?帰化してるの?(金田、星、星田、新井、木村(キム)、....)将棋の渡辺の件も語り継ごう!(千田もねww)
前回麻原の新曲〝進軍〞についての記事を書いたが、自分達が被害者であることを(犯人と疑われた時のことを見越して)装った歌詞を作ったにも関わらず、全く疑いがかかることはなく、(教団にとっては)嬉しい誤算として無関係な人に冤罪を着せる報道をマスコミがして下さったおかげをもって、安心して盛大に教団の祭典〝雄叫び祭〞が開催できる運びとなった。「即ちテレビ局様は、1989年11月の坂本弁護士一家殺害事件の時にも、教団の疑惑を晴らし知名度を飛躍的に高めることに協力して下さり、さらに今回松本サリン事件の隠蔽
現在のアレフ(aleph)によくある勧誘の手法は、オウム真理教の後継団体であることを隠して誘い込み、抜けられなくなるほどの関係を構築した後にその素性を明かすという〝こざかしいやり方〞をしているようだが、私(筆者)が在家信徒の時は、「堂々とオウム真理教であると宣言しなさい」と言われていた時期があった。それができるようになったのはなぜか?絶大なるアシストがあったからである。これまで私(筆者)の記事を読んで下さった方々には察しがついたのではないかと思う。その通り、テレ
オウム真理教脱会後の私(筆者)の心中それまでは、これこそが真理であり、仏陀のような人になる素晴らしい道であると思っていたことが、実は裏では未曾有の凶悪犯罪が行われ、多くの人々に被害をもたらしていたことは、非常に残念であり、その衝撃は言葉には尽くせない。良いことと思ってしたことのすべてが裏目に出た結果となってしまった悲しみと、実行犯ではなくとも道義的責任を問われる立場となったのであるから、脱会はしたものの心の中はしばらくは整理がつかない状態であった。自分にできることと言えば、今後一切
ツイートシェアブックマーク30年前の今日、坂本弁護士と家族が殺害されました。ご冥福を祈ります事件は1989年、今から30年前の11月4日未明に発生した。午前3時頃、横浜市磯子区のアパート2階に、6人の男たちが忍び込み、就寝中の坂本堤弁護士(当時33)一家に襲いかかった。「子どもだけは……」妻の都子さん(同29)が、長男龍彦ちゃん(同1)の命乞いをしたり、犯人の指を咬んだりして抵抗したが、抑え込まれた。3人は首を絞められたり、口を押さえられたりして窒息死した。https://ne
私(筆者)のブログの原点をリブログします。《リンク》教団の増殖を招いたテレビ局の報道姿勢様々な立場の人達に及ぼした悪影響今日、麻原彰晃が来ます!
オウム真理教の教団活動を停止して名前だけの在家信徒になってから、間もなく2年になろうとしていたが、事態は一向に進展してはいなかった。ところが1991年9月28日(27日の深夜)何気なくテレビを見ていた所、突然「今日、麻原彰晃が来ます!」というセリフが耳に入った。番組のタイトルは〝朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」〞朝まで生テレビ放送前の番宣予告で、司会の田原総一郎氏がそう言ったのであった。開始時間まで数分しかない!私(筆者)は大急ぎでビデオ録画の準備をして、
教団活動停止の決断1989年11月衝撃の情報を耳にした。坂本弁護士一家(当時は)失踪事件に関して、オウム真理教が事件に関与した疑惑が持ち上がったのである。その当時のことを思い返すと、非常に残念だったことと、良かったことがある。残念だったことは言うまでもなく、教団の犯行であると見抜くことができなかったことである。最初にこの情報を知ったのは、私(筆者)の場合は知人との会話からだった。もしテレビ放送で麻原や上祐が追及されている所を見ていたら、違った対応ができたかも知れない。良か
※1991年のオウム真理教がテレビ出演した番組による悪影響1991年のテレビ放送(末尾にリンク有り)でオウム真理教が大々的に報じられた当時、様々な立場の人がいたはずである。それぞれの立場に対する悪影響を考えてみたい。その1教団を知らなかった人達※テレビ放送を見て麻原彰晃に興味をもつ。(知名度の飛躍的な向上達成)※坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)への関与についての疑惑は、〝追及されないなら無関係だろう〞と思い込む。※その中からオウム真理教に入信する人も出てくる。(
1991年テレビが広めたオウム真理教(1)~(4)は読んで頂けただろうか?テレビ局は、殺人犯であるオウム真理教の教祖麻原彰晃及び教団幹部共を、事件への関与の疑惑を一切追及せずに、生放送の番組にゲスト出演させ、大いに自己PRさせ、有名タレントとも共演させた。これらテレビ局が冒した暴挙と言っても言い過ぎではない不祥事を、「警察が犯人を検挙できていなかったせいだ」と言うのは、あまりにも無責任な言い訳である。坂本弁護士一家殺害事件は発生当初は失踪事件として扱われ、現場に残されたプルシャ
オウム真理教の出家信者となったにも関わらず、私が犯罪行為に加担させられることもなく、その後脱会し、苦しい生活ながらも生き長らえていられるのは、この時の判断と対応のためであると今でも思っている。その判断とは何か?〝どちらかわからない時、どちらと決めつけた行動はしない〞ということである。1989年11月4日坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)が発生し、オウム真理教の関与が疑われていることを私が知った直後、当時既に教団の在家信徒だった私は全ての教団活動を停止した。しかし在家信徒は
前章(1)~(4)までは主にテレビ局の報道姿勢を中心に書いてきたが、当然オウム真理教側の策略があってのことである。即ちテレビ局はオウム真理教の洗脳手法にまんまと掛かってしまったと解釈することもできる。時系列を追ってみよう。◉坂本弁護士一家殺害事件前TBSのワイドショー番組にオウム真理教が出演する際、ビデオテープの事前チェックを要求し、坂本弁護士の発言部分に対して抗議。放送しない様要求した。(まず相手を脅し、自分達の要求に従わせる。これも洗脳手法の一つと言える)その後坂本弁護士一
朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」(1991年9月下旬放送)私(筆者)の認識では、この放送がそれまでは坂本弁護士一家殺害事件(当時は失踪事件)への関与の疑惑を追及されていたオウム真理教が、その疑惑を一切追及されることなくテレビ出演を果たした(教団にとって記念すべき)最初のものであると記憶している。以後の番組はそれにならい、疑惑を追及せずに放送したと見ることもできるため、「悪しき前例」を作ってしまった番組と位置づけることができる。一方でオウム真理教にと
皆さんは1989年11月4日に起こった坂本弁護士一家殺害事件を覚えているだろうか?当時は事件直後に死体も証拠も見つからず、殺害事件ではなく失踪事件として扱われた。わずかな手掛かりとして、オウム真理教が製作したプルシャ(このブログのアイコンに使用している物と同型)と呼ばれるバッジが現場に落ちていたことから、オウム真理教が事件に関与したのではないかという疑惑が強まり、テレビや雑誌(主に週刊誌)等で質問や追及を受けていた。教団代表者の麻原や上祐がテレビに出演していたのを、記憶している人も
教団の金庫番「石井久子」同僚に誘われたヨガ道場。気が付けばカルトの最古参幹部。「石井久子」は、なぜカルトに熱中したのか。出所後に教団を離脱するが、一時、精神を病んだらしい。彼女は、オウム神仙の会で最初の出家信者となった。出家信者の財産を収奪し、その管理を任されている。また、教祖「麻原彰晃」の愛人であった。彼女は4人の子(一人は死産)を産んだ。教団は、恋愛禁止が打ち出されていた。カップルで入信すると、上祐史浩などは、彼女を麻原に献上している。この時点で、教祖をペテン師だ
教団を脅迫し1千万せしめる。大悪党「岡崎一明」の呆れた犯罪。彼は、いったい"洗脳"されてはいなかったのか。教団が総選挙に出馬したさなかに3億円を持ち逃げした。さらに、麻原を脅迫して1千万をせしめたという。このようなとんでも信者がいたとは。。店長は、彼の生い立ちを知る前にはそのように考えた。ところが、岡崎一明は、炭鉱労働者だった親に捨てられた経験があるのだ。彼の絵には、その悲惨な経験がトラウマとなって影を差している。-絵画展に応募した作品である-これほどの才能は人殺
ミイラ取りのはずがミイラになった空手に覚えがある「端本悟」の皮肉彼は、"美人出家姉妹"次女との交際を黙認されたイケメンだった。姉妹は「オウムシスターズ」と呼ばれたそうだ。彼は、なぜ「オウム」に入ったのか。それは、先に入信していた高校時代の友人を脱会させるためだった。そのためオウムのセミナーに参加したり、友人の安否を探るため教団に出入りした。ところが、彼自身が絡めとられる事態となった。おそらく、彼も薬物を飲まされたのだろう。早稲田大学法学部在籍中に両親の猛反対を押し切
オウム真理教に"NO"を突き付けた坂本弁護士。坂本弁護士一家の所在は、誰にも分からなかった。失踪後、自宅からオウム真理教の「バッジ」が見つかっている。部屋には、争った跡があった。ところが、警察の腰は重いものだった。相手は正規の宗教法人である。「宗教弾圧」の声も日増しに大きくなった。どうしても本格的捜査に身が引けたのだ。しかもマスコミの捜査かく乱の報道が続いていた。坂本一家の目撃情報も放送されていたのだ。もっとも、それも教団による攪乱であった。この頃に、彼らがとんでも
皆さんに記憶して頂きたいのは、おじさんから見て魅力の欠片もない麻原彰晃という人間がオウム真理教というカルト教団を作り、教団員(信者)に無差別テロをさせたり、都合の悪い人間を殺させていた事実である。麻原彰晃こと松本智津夫出典:M家の実情事件の真相を語らせるために、麻原を生かしておくべきだとの意見も、麻原の弁護団による裁判の引き延ばしに次ぐ引き延ばしの果てに死刑が確定してからこちら何度も耳にした。裁判という制度があり、死刑というものがある以上、指名手配犯が全員逮捕され刑が確