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道明寺天満宮道明寺の国宝•十一面観音像の特別拝観に行った後、お隣の道明寺天満宮に参拝しました道明寺天満宮は、元々は、かつてこの地を治めていた土師はじ氏の氏神を祀る、土師はじ神社という名の神社でした神門道明寺天満宮は丘の上にあるため、階段を上ります神門の屋根の上の獅子たちこの地に住んででいた土師(はじ氏は、窯ではにわや土師器(はじき)を焼いていた古墳造りのプロ集団でしたその由緒は古墳時代から始まり、上の写真↑の石碑の書き出しには日本書紀の文字が読めます詳しくはこち
このところ、浅草について自分の憶測をいろいろ書いています(^。^)その中で「浅草神社」を取り上げました。その「浅草神社」の由来です。628年、漁師の兄弟・檜前浜成(ひのくまのはまなり)と、武成(たけなり)は、宮戸川で漁をしていたが、魚は一匹も獲れず、網にかかったのは人形(ひとがた)の尊像だった。その尊像は、何度海に投げ入れても網にかかったため、兄弟が、当時の文化人土師真中知(はじのまなかち)に見せたところ、「これは、聖観
藤原氏による背乗りと「象徴の簒奪」のプロセス彼らの戦略は、旧王朝の聖なる音や神を消すのではなく、「名前を少しだけ変えて自分たちの祖神として上書きする」という極めて巧妙なものです。❒豊受大神(オシリス)の簒奪豊受大神は「豊(ホウ/オシリス)」のエネルギーを宿す神ですが、それを藤原氏(伊勢神宮の外宮管理などを通じて)が自らの体系に組み込んだのは、旧王朝の「生命の源泉」を独占するためでしょう。❒鶴紋:鶴(つる)エジプトのトト神が模される「トキ(アイビス)」の日本版代替、あるいは「霊鳥」の象
こんばんは🤗昨日の続きを書いていきますねヽ(=´▽`=)ノ✨✨こちらが土師八幡宮です(*´∀`*)ノ✨狛犬ウォークの皆さんとはここで一旦お別れでしたので誰も写っていません(ヾノ・∀・`)立派な拝殿ですね~(人´∀`).☆.。.:*・゚✨由緒沿革は…………………………説明板がありましたのでこちらから(≧∇≦)ノ✨(注)慶長年間(1596〜1615年)私見のところにちょっと追記を(^~^;)ゞ天延三年(975年)奉納土師宮の銘を記した唐冠(とうかん(注))が社宝であるこ
アテルイとモレの塚がある公園のすぐ隣に神社がありますので参拝してきました。珍しい漢字?片埜神社(かたのじんじゃ)鬼の面があるところで大阪城の鬼門の神社だそう。御祭神建速須佐之男命菅原道真公事代主大神他九柱由緒「社伝では、11代垂仁天皇の御世、出雲の野見宿禰命が当地方を拝領した折、建速須佐之男大神をこの地にお祀りして土師氏の鎮守としたのが草創で、29代欽明天皇の御世に「片野神社」の社号を賜って交野郡の産土社となった。」野見宿禰命は、当
以下、『江談抄』(『新日本文学体系32』、岩波書店、1997年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第3(5)清和天皇の先身は僧為[た]る事また命[おほ]せられて云はく、「清和太上天皇[だじやうてんわう]、先身は僧たり。件の僧、内供奉[ないぐぶ]十禅師[じふぜんじ]を望む。深草天皇〔*〕は補せしめんと欲[おも]ひたまふ。しかるに善男[よしを]奏してもつて停[とど]む。件の僧、悪心を発[おこ]し法華経三千部を読み奉る。願[ぐわん]に云はく、「千部の功力[くりき
「人生」静かに(864)★哲学する!レヴィーストロース・東洋における歴史「時は移り、所変われど、人類の営みは変わることなし」このように考えると「千年前のAさんが・・・」「百年前のBさんが・・・」「十年前のCさんが・・・」といちいち個別に詳細な記録を残したって、仕方が無い。それに西洋のように真面目に全ての出来事を年表に残していったら、いつしかその年表は「人間が一生かかっても読み切れない量」になってしまうだろう。時間は無限に続くのだから当然である。仮に人類の歴史が百万年続いたとして、誰も読み
糸島に残る、「土師氏」の姓。聖徳太子の弟。同じ父と母をもつ来目皇子。聖徳太子の命を受けて、2万5千の兵を率いて筑紫に来た。出陣しようと準備していた野北の浜。が、病に倒れてしまう。翌603年に来目皇子は死去し、父、用明天皇は慟哭する。亡骸は仮埋葬。土師一族である土師猪手により今の山口県、周防にて殯おこなわれる。この役目を果たした土師氏。そののちに来目皇子の甥が関わる事件、「山背大兄王襲撃事件」に関係することとなった。そして、そのとき、山
垂仁天皇陵(宝来山古墳・奈良市尼ヶ辻町字西池)に参拝https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9D%A5%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3墳丘長227-240メートルほど物部活目(イクメ)王、物部王朝の二代目天皇但し、父、崇神天皇(物部印恵王)は第二次物部東征前に九州で没しています。豊玉姫(卑弥呼)、豊来入彦、豊来入姫(台与)らとともに東征。但し、豊玉姫(卑弥呼・天照大神)は安芸の宮島
2025-11-01誉田八幡宮を出て歩きます東高野街道トコトコ〜古墳めぐりが出来るくらい沢山あるんだね〜と、ここでまろん、コースアウトしますトコトコ`道明寺天満宮天満宮といえば、菅原道真くんそのご先祖様は埴輪とかを作っていた土師氏土師氏から菅原姓になったあと、菅原道真クンのオバさんがこちらに住んでいたんだね〜ご挨拶します尻尾がスゴイ菊花展土師氏の神社かな土師社鳥居くぐったらすぐにありましたご挨拶します出まーす手水発見ツノが無くなってる
令和7年11月1日(土)葛井寺から道明寺天満宮に向かう。09:40葛井寺を出発↓09:47藤井寺駅↓(準急橿原神宮前行に乗車)09:51道明寺駅に到着↓(徒歩)10:00頃道明寺天満宮に到着〈近鉄南大阪線道明寺駅〉道明寺駅。大阪夏の陣、道明寺合戦記念碑がある。道明寺商店街。商店街を通り抜けて行く。〈道明寺天満宮〉神門。菊花展が開催されていた。境内。右側は駐車場。そこそこの台数が止めらる。由緒書き。社務所。天寿殿。披露宴会場でもある。参道。鳥居
こちらは、天久宮や聖現寺から北へ200程進んだ天久墓地の中にあります。地域の人たちには、「カーミヌヤー洞窟」とも呼ばれていて、元伊勢ならぬ、「元天久宮」とも言われ、1734年(尚敬22年)に、こちらから聖現寺辺りに、「天久宮」が遷宮された記録が残っているそうです。意外と古い歴史を持つ拝所のようで、太古の昔は、崖下に海が広がる岩座(岬:フェーリン)であったため、周辺には貝塚や古代人の遺跡がいくつかあったようです。そのため、古い岩座(フルフェーリン)と呼ばれるようになったそうです。
石津太神社(いわつたじんじゃ)和泉国大鳥郡堺市西区浜寺石津町中4-12-7(社前の公園に停めてもいいのではないかと思われます)■延喜式神名帳石津太神社の論社■旧社格村社■祭神蛭子命八重事代主命天穂日命[配祀]天照大神(靭大神宮)[合祀]建御名方富命「石津川」河口右岸、大鳥郡石津郷に鎮座する社。「石津浜」まではわずか500mほど。そのさらに500mほど先には石津神社が鎮座します。社前には「紀州街道」が走ります。石津神社を「上石津社」、当社を「下石津社」と区分けする
石津神社和泉国大鳥郡大阪府堺市堺区石津町1-15-21(境内に駐車可)■延喜式神名帳石津太神社の論社■旧社格村社■祭神八重事代主命大己貴命天穂日命[相殿]誉田別神伊邪那美神白山比賣神水分神高野神高龗神「石津川」河口右岸、大鳥郡石津郷に鎮座する社。「石津浜」までは1kmほど、その中ほどに石津太神社(現在記事改訂作業中、リンクには飛びません)が鎮座します。当社を「上石津社」、石津太神社を「下石津社」と区分けすることも。◎「石津」という地名は「和泉国大鳥神社流記
[大和国城上郡]相撲神社「角力」が行われた試合会場とされ、野見宿禰を祀る。■表記*紀…野見宿禰*記…(記載無し)*「播磨国風土記」…土師弩美宿禰(ハジノノミノスクネ)*「新撰姓氏録」…野見宿禰*「出雲国造伝統略」等に記載の襲髄命(カネスネノミコト)と同神とする説有り■概要天照大神の第2子とされる天穂日命の14世孫、土師氏の祖とされる神。紀には史上初めての天覧相撲を行ったこと、陵墓へ殉死者を埋める慣習をあらため代わりに埴輪を立てることを進言したこと、この2点が
土生神社(岸和田市土生町)(はぶじんじゃ)和泉国和泉郡大阪府岸和田市土生町7-8-15(鳥居の北側に3台程度の駐車場有り)■旧社格村社■祭神菅原道真公[配祀]武甕槌命經津主命天児屋根命比咩大神品陀別命かつての掃守郷(かにもりごう)土生村(はぶむら)、現在の岸和田市土生町に鎮座する社。周辺は住宅等の密集地。境内は豊かな社叢に覆われています。「土生(はぶ)」はかつての「埴生(はにふ)」が略されたものと思われます。◎創建は平安時代後期であるものの、社伝に於いて始源は垂
こんばんは!前回の続きで、道明寺天満宮の次は、すぐ近くの道明寺ヘ行きました。道明寺天満宮は神社で道明寺はお寺ですよ。その昔は、同じところにありましたが、明治の神仏分離により天満宮と分離移転しました。門の前にある梅の木ですが、これも白と紅が混じっています。枝ごとに白と紅が別れることが多いのですが、希に一輪で白と紅が混ざることもあります。同じ枝からですが、白と紅がありますね。道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる土師(はじ)氏の根拠地であった。大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚
こんばんは!前回の続きで、道明寺天満宮の梅園に入ります。あれ、この梅は白と紅が混じってますね。「思いのまま」でしょうか?人間の思い通りにならないで、梅の思いのまま咲くので、そのような名前が付いたそうですよ。ここにあるのは、修羅といい、巨石など荷物を運ぶために使用されたものです。昭和53年、当社氏地内の三つ山から修羅が大小二つ原型を保って出土しました。この出土地は菅原道真公のご先祖の領地であり、この修羅を使っての土木技術戻って全て土師氏一族のものであったと思われます。ここにある修羅は
一つ前の記事の続きです。『土師ノ里①道明寺天満宮〜道明寺』実家の方のお彼岸のお墓参りで近くまで来たので、せっかくなので道明寺天満宮の梅まつりに行ってきましたちょうど9割咲きくらいで見頃でした〜他にも散策してきたのでご…ameblo.jp道明寺周辺は世界遺産に指定された百舌鳥・古市古墳群の古市古墳群の中心地でもあります。墳墓造営を任された土師氏の窯跡周辺なので当然といえば当然でしょうか。まず古市古墳群で一番大きい応神天皇陵です。全国の古墳では仁徳天皇陵(大仙古墳)に次ぐニ番目に大きい古墳で
実家の方のお彼岸のお墓参りで近くまで来たので、せっかくなので道明寺天満宮の梅まつりに行ってきましたちょうど9割咲きくらいで見頃でした〜他にも散策してきたのでご紹介させてください。道明寺天満宮の梅まつり、ポスターでは12日までですが、梅の開花が遅れたので18日まで延長されています。本殿の裏に梅林があって、真ん中に橋が架けてあり、橋の上からの眺めがとてもきれいです。(梅林入場300円、普段は無料)金曜日はとても気持ちよく晴れていて、梅林の水彩画を描かれている方がたくさんいらっしゃいました。道
[出雲国]神魂神社■表記*紀…天穂日命*記…天之菩卑能命、天菩比神、天菩比命*「先代旧事本紀」…天穂日命・神狭日神(カムサヒノカミ)*「新撰姓氏録」…天穂日命*「出雲国風土記」…天乃夫比命*「出雲国造神賀詞」…天穂比命*野城大神(ノギノオオカミ、能義神)と同神とする説がある■概要◎天照大神とスサノオ神との誓約(うけひ)により生まれたとされる五男三女神(八王子神)の一柱。五男(紀の一書第三は全六男)のうちの第二子(ただし紀の一書第二は第二子としてい
おかげさまでありがとうございます✨11月23日㊗️新嘗祭🌾🌾🌾であり勤労感謝の日横浜のナディア様で鑑定させて頂きます。2024年のふりかえり、そして自分の解説書を携えてこのタイミングで来年へ生かしていきませんか?ネオ♦︎宇宙のいとなみカードと算命学でお待ちしております。11/23算命学セッション・ネオ♦︎宇宙のいとなみカードリーディング|横浜|ナディア|地球雑貨と癒しの空間開催日2024年11月23日カテゴリー:アリエル,セレスティア,その他のセッショe-nadi
道明寺天満宮河内国志紀郡大阪府藤井寺市道明寺1-16-40(境内東南角から進入し境内に大きなP有り)■旧社格郷社■祭神菅原道真天穂日命覚寿尼世界遺産登録の「百舌鳥古市古墳群」の築造等を担った、土師氏の氏神として創建された社。かまた菅原道真の遺品を蔵する貴重な社としても知られます。◎「大和川」に合流する直前の「石川」西側畔、丘陵斜面に鎮座。かつては「土師神社」と称されていました。紀の記述を史実とするなら、土師氏は大和国葛下郡「當麻邑」から、山を越えて当地へ移住したものと思われ
☆埴輪の窯元復元(道明寺天満宮内)河内国志紀郡大阪府藤井寺市道明寺1-16-40(道明寺天満宮内)(道明寺天満宮境内東南角から進入し、境内に大きなP有り)道明寺天満宮(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)神域内の神門外側に設けられた史跡。道明寺天満宮はかつて「土師神社」と称され、野見宿禰が「土師」姓を賜るとともに当地を与えられ、遠祖天穂日命を奉斎したと伝わります。野見宿禰は埴輪を発明したと紀に記されます。垂仁天皇三十二年、皇后日葉酢媛が薨じた際に、その御陵に生きた人を埋め
令和6年11月10日(日)観心寺から道明寺天満宮に向かう。河内長野駅前で昼食を済ませる。11:47近鉄河内長野駅を出発する。ギリギリ間に合う。↓長野線⇒古市駅で南大阪線に入る。12:08道明寺駅に到着する。↓徒歩4分程。12:12道明寺天満宮に到着する。駅チカの神社である。小規模ながら商店街があり小規模の食品スーパーもある。名前の通り、菅原道真公縁の神社である。〈道明寺天満宮〉神門。石段は少しだけ。土師窯跡の石碑がある。参道。注連柱。由緒書き。手水舎。鳥
浅草散策の続きです。今回は二天門から紹介しましょう。↑1648年に造営されていますから六角堂ほど古くはないけれど明暦の大火や関東大震災、更に第二次大戦も潜り抜けてきた‟不滅の門”です。ちょうど良い按配に人力車が停まってくれました。📷二天門の扁額は三条実美によるもの。三条は長州藩と関係深い貴族でした。それが何故、二天門の扁額なのか?分からない・・・・・・😓そして浅草のエッセンスたる浅草神社。何度も取り上げているように祭神は土師真中知(はじのまな
前回の『古屋家家譜』に見える安牟須比命からの考察|久米の子の部屋(ameblo.jp)で、埴安神と安牟須比命との関係について考えてみました。今回は、静岡理工科大学名誉教授の矢田浩氏の「宗像神信仰の研究」に、埴安神についての興味深い考察を見付けましたのでご紹介します。むなかた電子博物館(むなはく)|宗像市がもつ魅力を歴史・文化(民俗・芸術)・自然をテーマにデジタル集積(munahaku.jp)の紀要のページに収められたものなのですが、なかなかのボリュームです。「宗像神
今年になって、さきたま古墳群を皮切りに鷲宮神社から大宮の氷川神社へと関東平野の古代水運に注目して散策を続けるオヤジ・・・・・・😁そこで今回は東京湾の物流の痕跡を探しに大好きな浅草周辺を散歩します。まずは駒形堂を訪れました。↓駒形の「駒」は当然「馬」を暗示します。浅草には檜前牧(ひのくまのまき)という牧場が存在したとの説があります。馬の事にも興味津々のオヤジですが馬は次回の散策テーマにして駒形堂の後は今日の目的地へ向かいます。待乳山(マツチヤマ)聖
大江定基と力寿二人の悲恋の話を過去に書いた大江定基と力寿を知ったのは私の祖母の実家が力寿と縁があったからそれから私の中で【大江氏】はずっと気になっていて大江氏は三河とも縁があるようで大江定基以外でも大江維時(定基の祖父)、大江清通、大江定経、大江挙周(匡房の祖父で定基の従兄弟)が三河国司となっている大江氏を遡っていくと土師氏に行きつく菅原道真も同じく土師氏になる和泉式部も大江氏因みに土師氏の始祖は天穂日命としている埴輪を作ったのも土師氏と言われており、天皇の葬儀を司る一
多分、たいていの日本人は菅原道真をご存知かと思うそう‼️受験シーズンには学問の神様としてお参りなさる方も多いなぜ、実在の人物が神様として祀られたのか❓それも学問の神なのはなぜ❓って思った事ない❓菅原氏はもともと土師氏を祖とする氏族土師氏は、渡来系の氏族とも言われてるけど、先祖の野見宿禰は、それまであった、古墳に生きた人間を殉葬させる代わりとして埴輪を発明したとも言われてる人ちなみに、桓武天皇の外祖母は土師氏の出身道真の父の是善は幼い頃から聡明で、文章博士となり、やがて、文徳天皇の