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おはようございます!週の始まり今週もがんばりましょう!!今日は背中に暑い陽射しを受け、土塀の修復です。久々に定規で角を起こす仕事、気合入れていきますよー
さて、真如堂の後はすぐ北隣にある迎称寺へここも萩の名所として有名です(^_^)vお寺の境内には入れませんが、通りの土塀沿いに萩が咲き乱れ古い土塀をバックに二色の萩が楽しめます(^^♪真如堂と同様、こちらもそこそこ咲いてましたね。この時は、意外と人が居なくて、私達の他にはカメラ片手の女性がひとりだけ人がいない分、蝶々がやって来ていて、1枚だけカメラに収めることができました(^^ゞということで、思ってたより萩の花が咲いてるので、次に行ってみましょうか(^o^
天守に向かってひたすら登る。大手門跡を登ってすぐ、三の平櫓東土塀・現存部分(重要文化財)。上の方は復元部分。段々に連なる石垣群。城内で最も古い石垣。
やほほーーーーーーーーひなんかね??最近まぁんちのぉおやつがねぇ??重すぎてぇ晩御飯まで、たどり着かなくなってきた。。。まぁれーーーーーーーーーーふヽ(`▽´)/娘なんかね?焼きめしに、白ごはんと、おかず食べてたまぁ、我が子は。。。寿司🍣でも、別で、白米とおかず。。。食べてるんらもとぃー今日はね??『浅尾陣屋跡』のお話なりここも、昨日と同じく岡山県総社市にありまする簡単に。。。文久3年(1863)に1万石に加増され、旗本から大名となり、陣屋を新たに築きました。
奈良続き奈良公園のほうにやってきました。片岡梅林う~ん、早かったか。親子かな。かわいい~遺跡のような、土塀がありましたよすごい、木の根。鹿が根の間に寝そべっていました。自然豊かで、奈良はいいなあ!奈良公園にも、お宝あり!料理旅館江戸三ホームページには、江戸三の歴史が書かれています。江戸三の祖先は、江戸時代(文化・文政)のころ、商売を始めるために奈良から上方に移ってきたそうです。その場所が、大阪西区の「江戸堀三
奈良、高畑町神官のお屋敷があった社家町。いい土地柄なんですね。土塀の中に立派な洋館も見ることができます。こちらは、現在、たかばたけ茶論というカフェになっています。中村家住宅(旧足立家住宅)洋画家の中村一雄氏が、自宅である洋館の庭を開放したカフェです。高畑は、志賀直哉を始めとして、文人画家が集った街。次回ご紹介する、志賀直哉邸には武者小路実篤らが集い、高畑サロンと称されていました。こちらの洋館は、大正8年、画家の足立源一郎氏が建てた南プロヴァンス風の建物だそう
春日大社、下の禰宜道から東へ行くと、中の禰宜道、上の禰宜道があります。その奥は、春日山原始林です。春日大社ともに、世界遺産となっています。春日大社の神域として、狩猟伐採が禁じられた、千年以上もの間守られてきた森です。一本一本がご神木レベルということですね。春日山原始林もそのうち歩くぞ!高畑町にもどります。巣箱がついてる。ここにも鹿さんが集まっていますね。そろそろ住宅地ですけど。奈良に住んでいた友達が、子供の時、朝、遠足に行こうと玄関を開けたら鹿がいたそうで
2014年1月1日、京都定期観光バスを利用した正月の京都の寺社巡り。昼食時の自由時間を利用して京都五山の第一位、天龍寺へ。「古都京都の文化財」の1つとして世界遺産に登録されている。天龍寺の正式名称は「霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)」で、臨済宗天龍寺派大本山の寺である。こちらは寺の入り口となる総門。元々は檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した「檀林寺」という禅寺の跡地で、その4世紀後に後嵯峨天皇とその子の亀山天皇が離宮(亀山殿)を設けた。その後、南北朝
雪の富士山を堪能した後は中井町の厳島湿生公園へ。広い湿生地は夏は蛍が舞ぶ所。冬になったらきっと水鳥たちが来ているはず。駐車場で迎えてくれたのは竹林から聞こえる竹の歌声。残念ながら只今湿生地は2月初めまで木道の補修工事中。広い池には鳥の姿が見えません。半ば諦めかけながら湿地の周りを歩いてみるとこんもり木が茂る厳島神社の裏側でカモたちに会えました可愛いコガモとカルガモたち。遠くてはっきり写らなかったの
※2020年12月2日訪問※二の丸角櫓の外観を見学した後は、現在は道路となっている二の丸と三の丸の間の堀切を見て行きます【二の丸西側の土塁】と復元された【土塀】です堀底の道路を見て頂くと、圧倒的な土塁の高さを実感出来ますね余りの高さに、土塁の壁面はコンクリートで補強されていますね堀底の道路からは復元された大手門をチラッと臨む事が出来ましたさて、お昼前に仙台を車で出発して、水戸に着いたのは15時過ぎ、そこから三の丸跡→大手門→二の丸跡→本丸跡→二の丸角
12月12日今年最後の日光街道を歩く。また寄り道して、石橋駅からまっすぐ歩いていく。結構歩いたなあと思い始めた頃になって、ようやく畑の向こうにうっすらと林が見えてくる。「孝謙天皇神社」解説版を読んでみる。今から約千二百余年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。かつて道鏡は法王として孝謙天皇(女帝)に最も厚い信任を得ていました。女帝は配流された道教をあわれみ、この地にまえり病没したと言い伝えられていますが、女帝の崩御後、道鏡と共に女帝
ひらがなの俳句時次郎★陽が当たり長き土塀に冬溜まるひがあたりながきどべいにふゆたまる
熱田神宮。あの織田信長も必勝祈願をした熱田神宮。信長が奉納した土塀を一度見たいね。織田信長が好きな犬。どんちゃん。愛犬「三種の神器の草薙神剣が祀られているのか。ますます憧れるよ。」下克上がトラウマの人。織田信長。織田信長「どんちゃん。部下は大事せなアカンよ。パワハラ厳禁やで。」呼ばれてないのに参加する人。織田信成さん。信成さん「どんちゃん。また来ちゃったよ。信長さんが好きなのね。」
庭の一角に渋柿がなっている。そろそろ採ろうかと、先日親戚から高枝伐りバサミを借りてきた。脚立を出して、籠も用意して、採り始めたところ、今まで死角になっていた(いや、あえて見ないふりをしていた)場所がとんでもないことになっていることに気づいた。かろうじて残った土塀と生け垣の間に直径30センチくらいの木が倒れている。なぜかここに生えているバナナの木は、枯れた葉がオバケのように垂れ下がり、なかに立ち枯れたものまである。かろうじて残ったと思っていた土塀には蔓性の植物ががっちり絡まって、瓦の下に
職人さんは、だいたい朝8時頃から16時を過ぎて暗くなるまで作業をしている。10時には保温ポットにお茶をいれ、湯のみ茶碗とちょっとしたお菓子を持っていくが、ユンボやトラックが行き来しているので、それ以外の時間はお邪魔しないようにしている。木曜日、職人さんたちのお休みの日、ぐるっとまわってみた。築石の上に枠を作り、コンクリートを流し込んでいる。このコンクリートを土台にして新しいフェンスが建つ。土台の高さは30cmほどあり、これは塀の内側と外側との段差のため。左奥には10メートル足らずの
お寺の紅葉を観にといきましたが・・あらっ・・・誰もおらんかった葉っぱがほとんど散り住職が落ち葉も掃き集めちゃって・・・遅かったですでも壁に影映る夕陽をいうける土塀が美しい埋め瓦の影ええよお寺の前でワンコ連れの九野さんにあったむちゃんこ可愛いワン
功山寺を出た後、紅葉が見頃の覚苑寺(かくおんじ)に向かいました。道すがら、土塀のある道を選んで歩きます。その途中には、毛利邸があります。この日は銅像を見ただけです。毛利秀元公。逸話では、3本の矢が有名ですが、毛利元就公には9人の男子がいました。3本の矢には、嫡男の隆元、次男の元春(吉川元春)、3男の隆景(小早川隆景)が登場しますね。久留米城址の記事には、小早川秀包のことに触れましたが、元就の9男です。4男は元清(穂井
下関市内を、散策しました。住吉神社に行くと、紅葉はちょっと遅かったようですね。風の強い日が続いたので、よけいに落葉したのでしょう。狛犬も、マスク姿です。長府のほうへ、行ってみます。いつも紅葉が一番きれいな、覚苑寺ですが、タイミングが遅かったですね。桜の木に、ジョウビタキがとまりました。土塀が、長府らしい光景です。木に、ヒヨドリがとまりました。功山寺は、一番人気の、場所ですね。忌宮神社には、いつも烏骨鶏がいます。東行庵の、樹齢300年の東行楓、今日はこの紅葉が一番素晴らしかっ
三連休初日。昨夜の雨で少し気温が下がった。それでもまだ暖かいような気がする。もう11月も終盤だもの。土塀の解体は進み、基礎の築石が現れた。土塀の土を丁寧に取り除いてくれている。それにしても積み上げた石の美しいこと。お城の石垣の小型版というのは大袈裟かもしれないけど、この石はどこから来て、誰がどのくらいの時間をかけて積み上げたのだろう。この築石の上に土台を作って、新しい塀を造るのだけど、風情と言う意味ではとてもとてもかなわないだろうな。だけど、今はもう土塀を造る職人さんも珍しく、
土塀の解体。元々かなり崩れていた。蔓がしっかりからまっていた瓦をどけると、その下にもしっかり蔓がくいこんでいる。んーーー蔓性植物、こわい。家の方も、土を取り除いてみたら、なんと腐っている。土が水を含み、木を腐らせる。なんか、こんな占いなかった?解体しているこの部分に、予想外にたくさんの物が収まっていて、それを運び出すのに疲れた。いや、ほとんど運び出してくれたんだけど……こんなにあるの?まだあるの?どうしてこんなの置いてたんだろう………昨年の悪夢がよみがえる。どうするんだ
週末の京都真如堂から出てきて、すぐ横神社みたいやけど、法伝寺ってお寺やそうです。今はタマスダレにムラサキシキブ春は桜が綺麗ですそんで、真如堂前の道を北、突き当たりにある迎称寺土塀と萩で有名のお寺
大和郡山市の郡山駅から、矢田寺さん。矢田丘陵、松尾山なんかを、あちこちしながら。走ってきましたよ。そして、法隆寺さん方面に、下りてきました。とりあえず、お参りしつつ、法隆寺さんに向かいましょう。まぁ、この辺りなら、古墳はあるでしょう。てか、どこ掘っても、遺跡が出そうですよ。徐々に、下ってきましたらば。斑鳩神社さん前です。チョッと、階段がありそうですけど。やっぱり、無事に来れたこと、御礼申し上げておくべきでしょう。斑鳩神社さんは、天満さんなんですね。階段、上がります。一歩
傾斜何度くらいでしょうか15度はなさそうです…こう見るとそんなに急じゃないみたいですが実際結構な坂ですあの行燈のあるところが北の高台のてっぺんです鬼平のロケできそうです♪鉄つぁん待っとくれよ~あっしは年なんですぜ~彦っとっとと来ねえと置いてくぜんっ?あの女…どっかで…おカツじゃ~ねぇか…そこに威勢のいい男が…どいたどいたー!オットットドン!
叔母の遺骨をはやく高野山へ届けておきたい、母から頼まれ、昨日は徳島からの引き揚げ完遂で少々オーバーワーク気味でしたが朝7時半、高野山に走りました。叔母夫婦と、わが父母、この高野山のお寺に眠ったり、行くこととしております。私ら夫婦(IDATENとごうかいな奥さん)の宗教事情はとても複雑であり、安心できないのでもう高野山へ入ると、母は決めているのですね。私は自分のことはおいおい決めようと思っています。墓は今、檀家になってるお寺に置いておいてしかし仏壇
本能寺において、光秀は武将としての矜持を保つことができたのか―諏訪勝則『明智光秀の生涯...Yahoo!ニュース大河ドラマを楽しみにしたい(令和元年十二月成稿)。[書き手]諏訪勝則(すわまさのり・陸上自衛隊高等工科学校教官)1965年神奈川県生まれ。平戸城ってすごい!市が子ども歴史講座47NEWS長崎県平戸市岩の上町の平戸城で24日、「子ども歴史講座」があり、児童6人が地元の観光シンボルの城の歴史や建物の名称、役割などを学んだ。朝ドラ俳優の「懐かしのスカートめく
近鉄特急で難波から約1時間、降り立ったのは、伊賀神戸ここで乗り換え。。( ̄◇ ̄;)伊賀鉄道30分弱の小さな旅。。到着。。Σ(゚д゚lll)忍者市駅後ろ〜!後ろ〜!!w忍者市駅上野市駅伊賀流忍者発祥の地である伊賀市。平成29年2月22日(にんにんにん)の「忍者市」宣言に続き、同年4月28日には伊賀忍者が日本遺産に認定。さまざまの事思い出す桜かな松尾芭蕉伊賀市観光案内所∑(゚Д゚)マンホールカード三重県伊賀市さらに、ヘリテージカード上野市上水道水源
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「暑おすけど風情は抜群✌️」📸仁和寺裏側の土塀#fromkyoto2020…📸gaku✌️