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水戸城二ノ丸角櫓二ノ丸土塀大手門大手橋杉山門柵町坂下門
日曜日は“八坂通り画廊”前でのお仕事でございました✨こちらの土塀アートは有名ですね💕撮影料としてカエルさんの口に100円を。格子戸の中にも...松浦茂さんの拾い画ですがこちらも不思議な雰囲気ですね❗️【タイムリミット】【ヴァイアレイトの町】【テクノ原人】入口にも絵がありました✨この日はお休みみたいでした🙇♂️八坂通り画廊祇園四条駅1出口から徒歩約13分yahoo.jp
昨年末、思わぬ事が出来し、予定しなかった帰省をすることとなりました。で、鉄道の乗り合わせの間、珍しいモノが見えたという府内城へ。昨年の大雨によって土塀が崩壊し、そのなかから煉瓦上の土塊が露わになったということ。土塊は土塀の構造材とみられるが、類似の工法で造られた城の土塀は現存例が少ないとのこと。当初、塀の屋根に雑草が茂っていたことから「管理不行き届きやん」とか思っていたのですが、以前の地震のときにこの塀は傾いていたとのこと。まあ、そのときに修理しておけばよかったのですが、それでは今
京都・天龍寺をご案内させていただきました。天龍寺のみどころはたくさんありますが、今回ご紹介するのは塀に瓦が埋め込まれている「瓦土塀」と呼ばれるもので、古い瓦が幾重にも埋め込まれています。瓦を挟み込む理由は、廃材の再利用はもとより、土塀の強度を増す為の工夫、さらには、意匠性(デザイン性)を得るためとも。大小様々な瓦が埋め込まれているので、珍しい瓦を探すのも楽しいですよ。
2年前に訪れた時に撮った写真をもとに描いた奈良薬師寺南門近くの土塀である。屋根は崩れ、瓦は剥がれ落ちていた。現在は修復され創建当時の美しい姿に復元されているかもしれないが、これはこれで薬師寺の長い歴史を物語る一部分ではあると思う。クレスター水彩紙210g/㎡F6
前回に引き続き、大智寺のスケッチ。山門をくぐり、境内を進むと瓦土塀が見えてくる。本堂の古瓦を使用した、熱田神宮の信長塀をベースとした、住職本人考案の瓦土塀とのこと。クレスター水彩紙F6
(2024年度-No.18)行った日:2024.2.18(日)ブログ作成日:2024.2.22(木)******************なんとも存在感のある巨樹を見た「西院伽藍」から夢殿・中宮寺が並び立つ「東院伽藍」に行きます石畳と土塀が古の姿を偲ばせてくれます<薄日が木々の影を優しく映し出していました><瓦を抱き込む><支えられて立っています>興福寺から春日大社にかけては外国人観光客があふれんばかりでしたが法隆寺には日本人も
『奥村さん、困った事がおきました』といつもお世話になっているお施主様から電話が昨年末にありました。話を聞くと、どうやら10年ぐらい前に施工させて頂いた土塀に落書きがされたとの事でした。指定文化財になっている土塀。文化財ですし、ちゃんと昔ながらの技法で直したいんです。でもどこを探してもそれが出来る業者がみつからず、途方にくれていた所やっとの思いで見つかったのが奥村さんでして・・どうにかこれを元の状態に戻して頂けませんか?そんな熱い想いを伝えて頂いたご依頼で当方もその想いに応えられるよう
西国寺から下がって東へすすむと久保八幡神社裏参道の道しるべがありました進んでみると亀山神社とも書いてありますが表側には立派な本殿がありました応神天皇が即位22年に淡路・播磨・小豆島を経て、尾道に巡幸されたと伝えられています。その際に海辺に玉子に似たひかり輝く石を御覧になり、亀の形をした小さな丘で休息されたのがきっかけで里人たちが祠を建てて聖地として崇敬したそうです。神社としての創建は貞観年間(859年~877年)と伝えられています(尾道まちかど広報室HPより)正確な
日本の住まいには、土の壁という特徴的な壁があります。土の壁は、日本の歴史や文化、自然や風土と深く関わっており、エコロジーで健康にも良い自然素材です。土の壁には、さまざまな技法や素材が使われています。例えば、漆喰や土壁、珪藻土などがあります。これらの土の壁は、耐久性や断熱性などの優れた効果を持ちます。また、壁に模様を作ることで、個性や美しさを表現することもできます。土の壁を自分の住まいに取り入れるときには、いくつかのポイントがあります。まず、塗壁の種類や素材を選ぶときには、イメージや費用など
(耐火レンガの土塀=岡山県備前市伊部2024年2月10日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)では、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残されており"土塀の宝庫"です。その中から今回は耐火レンガの土塀を取り上げます。とある民家の土塀(北面)。一層一層丁寧に積み重ねられた
世界遺産・国宝姫路城の有料エリア内各所から撮影した大天守
(備前焼屋根の土塀=岡山県備前市伊部2024年1月10日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)では、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残り"土塀の宝庫"です。その中から今回は、備前焼の陶板で屋根を葺いた土塀を取り上げます。塀の屋根瓦に備前焼の陶板、丸瓦の代わりに備前焼の廃材
(本瓦葺の土塀=岡山県備前市伊部2024年1月9日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)では、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残されており"土塀の宝庫"です。その中から今回は、とある民家の本瓦葺(ほんかわらぶき)の土塀を取り上げます。本瓦葺は城郭や寺院などで用いられ
(窯壁と石の土塀=岡山県備前市伊部2023年12月26日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)では、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残されており"土塀の宝庫"です。その中から今回は窯壁と石の土塀を取り上げます。(窯壁と自然石)窯壁とは、登り窯の内壁を構成する耐火性の高い
(陶片と耐火レンガの廃材を再利用した土塀=岡山県備前市伊部2024年1月23日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)では、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残されており"土塀の宝庫"です。その中から今回は陶片と耐火レンガの廃材を再利用した土塀に着目します。幾層にも丁寧に積み
(土管屋根の土塀天津神社=岡山県備前市伊部2024年1月9日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)は、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残り"土塀の宝庫"です。今回ご紹介するのは、塀の屋根に土管を用いた土塀です。備前では、明治以降土管が大量生産され日本の近代化を影で支えてきました
(陶片を塀の屋根にてんこ盛りにした土塀=岡山県備前市伊部2024年1月6日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けてきた岡山県備前市伊部(いんべ)は、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。伊部には数多くのバリエーション豊かな土塀が残されており、まさに"土塀の宝庫"です。その中から今回ご紹介するのは、塀の屋根に備前焼の陶片がてんこ盛りにされた土塀です。陶片がオブ
(廃材を再利用した土塀=岡山県備前市伊部2023年10月14日撮影)千年以上にわたり焼き物を作り続けて来た岡山県備前市伊部(いんべ)は、焼き物の産地ならではの光景がそこかしこに見られます。そんな伊部の里の様子を「千年の窯業地備前焼伊部の里」と題しシリーズでお届けしています。今回は廃材を再利用した土塀を取り上げます。それでは、本題に入りましょう。民家を取り囲む土塀。不老山が見えます。土塀をよく見ると石、レンガ、瓦、匣鉢(さや)などの陶
前回に引き続き、書寫山圓教寺のスケッチ。前回掲載の大講堂を後にして、坂道を下ってゆくと瑞光院の土塀が見えてくる。瑞光院は、圓教寺内の塔頭の一つである。かつては西国霊場巡りの宿院として利用されていたらしい。古びた土塀と紅葉とのコントラストに趣を感じた。アルビレオ水彩紙並厚口F6
祖父の家とか社宅とか一階のマンションなんかには必ずにあった。中には小さな池もあった。小さな坪庭から広い庭まで。あれば何となく気持ちが落ち着く。特別何か植生をするでもなく、人は必ず庭を造ろうとする。あるとないとでは随分と違いますね。小さな庭に関する思い出も随分とあります。しょっちゅう使っていたのではないのにね。前にも言いましたが、本格的に庭を造り汗水たらして世話をしたのは、家を建てたときです。どうも人は家を建てる時などに、空き地に庭を造りたがるようです。言ったように「自然」への憧
下関長府の覚苑寺は、とても紅葉の美しいところです。長府には、すてきな場所がたくさんありますが、中でもここは、静かで大好きな場所です。土塀も、長府らしい雰囲気です。ドローンで、紅葉の様子を、撮影されているところでした。美しい絵になるでしょうね。乃木大将像や、観音像も、紅葉に囲まれています。ツワブキも元気、イチョウもきれいです。ピラカンサスも、真っ赤ですね。海近くの水辺に行くと、ヒドリガモの群れが、陸に上がっていました。長府覚苑寺門も木も紅いです
※2023年11月19日訪問※2023年11月19日に行われた『仙台城大手門跡発掘調査成果一般向け遺跡見学会』に併せて、現在修復工事中の『仙台城大手門跡北側土塀・石垣』の様子を確認して来ました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼令和3年2月13日及び令和4年3月16日に発生した福島県沖地震により、被災した大手門北側土塀では漆喰の剥がれや亀裂、石垣の一部落石等の被災がありました。令和5年10月より本格的な復旧工事に入り、まずは、土塀の漆喰と土壁(損傷が激しい部分のみ)の撤去を行い
昨日上げるつもりが忘れてた(^^;)足軽資料館のある敷地は歩けるようです入場無料\(^^)/開館は9:30まだ入れません再び用水路沿いを歩きます水量が多い聖霊病院前この用水路は「大野庄用水」かつては木材の運搬にも使われ金沢城の築城にも大きな役割を果たしたといわれていますお屋敷の塀には用水路の取り込み口が京都上賀茂社家町のお屋敷のように庭園に川
町の通りの西側に薬医門を構えた上級武家屋敷が並び、その東側は中級武家屋敷群と、商家の質素な長屋が軒を並べている。中級武士屋敷の棟門中級武士の屋敷が発掘を元に忠実に復原されている。その敷地は約30m四方で当時の基準的な広さとされるが、上級武家屋敷に比べるとやはり格の違いが分かる。周囲に土塀を巡らせ、屋根は割板で葺かれていた。主室室内
6月の最終週から7月25日まで、お寺の塀の工事にかかっていました。梅雨だったので仕事に行っても、10時から雨、昼から雨、1週間天気が悪い、など雨に悩まされた現場でした。工期を延長してもらえたので、納得のいく仕上がりになりました。塀が長いのと夏の暑さで、乾燥が早く大変でした。40メートルあります。漆喰を全部めくります。瓦も葺き替えされたので、すきまがあいています。土を固めるシーラーを塗布しています。基礎部分の洗い出しも、復旧しました。
見どころ満載の姫路城続きです。手前に赤目を置いてみました。桜の枝に囲まれます桜に囲まれた白い土塀はの門前からの天守の眺めこの後、天守に入り中を見学するのが通例ですがこの日はあまりに人が多く入城を諦めました。現存の天守閣またの機会に是非中を見学したいと思います。にの門から本丸(備前丸)に下っていきます。
東土塀の石段を上ると、広く開けた三の丸跡に出る。東土塀三の平櫓跡この三の丸跡から大手門を見下ろすと、その険しさが一目で分かる。三の丸跡と厩曲輪三の丸の石垣(手前)厩曲輪の石垣(右上)ここで少し一息入れて、厩曲輪から二の丸の石段を登る。二の丸跡への石段二の丸跡に上がると、今まで姿を見せなかった本丸の石垣と天守が初めて顔を出した。本丸の石垣と天守
岡山県高梁市内山下備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)備中松山城は2度目の攻城です。何故来たかというと、あの超絶岩盤石垣群と、こじんまりとしてるが存在感ある現存天守をもう一度見たかったからです。どうせなら雲海に浮かぶ天空の城も見れるかなと、めっちゃ早めの夜中に出陣したのはええけども、途中で眠とうなってPAで仮眠したら間に合わなかった寝すぎた居眠り運転は超キケンなので、眠たくなったら仮眠しましょう。ただ、高梁市へ入ると霧でモヤモヤしてた。雲海見れたかも知れんも
全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石」の使われ方』において「雁木(がんぎ)」が見られるお城をお届けしています。北から南のお城にかけて順次ご紹介していきますが、本日は「関東・甲信越」にあるお城の「雁木」をお届けします。「雁木(がんぎ)」というのは、お城用語だけではなく、広く色々な場面で使われていますが、お城でいえば、石塁や土塁の上へ昇り降りするために城内側に備え付けられた石段のことで、特に幅があり石塁や土塁と平行(同じ向き)に石段が付くものを呼んでいます。特に、敵方が攻めてきたりす