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今日は平日ですが、会社指示の健康診断のために仕事を休み、有楽町の方にある病院の方に出向いていました。で、まぁそんなに時間が掛かるわけでもないので、健康診断の跡は好例の史跡巡りをして参りました。ただ、有楽町近辺の史跡は毎年健康診断の度に行っているということもあり、さてどこに行こうか迷っていたわけですが、せっかくなので”行くのが面倒で行っていない”場所に行くことにした次第。行きにくいというのは、地形的に行き難いというのではなく、電車で行こうとすると乗り換えが面倒なわけです。一駅乗って乗り換え、
海の章今日は明るいうちから酒呑タイム海の日以前飲んだ純米吟醸龍馬が美味しかったので昨日も買いに出かけたな~んて…お酒の味がわかる振りしてるwGemini作買ったのは・・・ちょうどJR住吉のLivにあるみかげで冷やして美味しい日本酒ばかりを集めたコーナーを見つけたなんか迷っちゃうがくじら…?〖酔鯨〗よく分からないが自称パケ買いDivaはくじらに導かれて購入ᰔ🐳🐳🐳酔鯨吟醸Summerなんと!酔鯨は龍馬を造る菊水酒造と同じ高知のお酒だった~🐳🐳(
今回は、幕末四大人斬りの岡田以蔵の墓参りです。岡田以蔵幕末土佐藩の剣士、刺客。高知城下に近い土佐郡江ノ口村の郷士の子。城下の武市半平太道場、ついで江戸の桃井春蔵道場で剣術を修業し、1860年(万延1)半平太について九州諸藩を歴遊、剣で名声をあげた。土佐勤王党に加盟、62年(文久2)藩主山内豊範に従って上洛。薩摩の田中新兵衛とともに、佐幕派人物に対し次々と斬奸・天誅のテロを加え、「人斬り以蔵」として世人に恐怖され、ついには同志にも警戒された。のち出奔して京摂の間に潜伏したが、64年
2日目は、一日高知市内を巡ったのでお疲れ&汗だくホテルの大浴場で汗を流して、この日も市内に向かいます最初に来たのは素になれる場所「す」ひろめ市場より少し北側ですが、歩いてみればなんてことない距離店内は激混みですが、数週間前から予約していたのでスムーズに入店できましたまずは瓶ビール前に見えるのはちくきゅう次に土佐レモンハイつくねがとっても美味しい~おいしかったよ、土佐レモンハイほかにいくつかつまみを頼んで1時間ちょっとで次の店に移動です「す」からものの5分もか
(つづき)●坂本龍馬とされる「船中8策?」(1867/慶応3年6月):国のため土佐藩を脱藩した、坂本龍馬(1835~1867年・暗殺)が、大政奉還(1867/慶応3年10月)以前に、長崎から上京する船の中で、新国家体制の基本方針を起草したのが、「船中8策」といわれていますが、原本が現存しないので、信憑性が疑問視されています。8ヶ条は、次のようで、1条以外が、大政奉還後の「新政府綱領8策」(後述)と、ほぼ重複しています。・一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令、宜(よろ
昨年の6月、15年ぶりに高知城を訪れました。梅雨の季節、ここ高知も雨は止まず、私は高知城のをしばらく散策しました。外はしとしとと雨が降り続き、石段や石垣が雨水に濡れてしっとりと黒光りしていました。それがかえって城の歴史の深さを引き立てているようで、私は心地よい静けさを感じながら城内へと足を踏み入れました。15年ぶりの高知城は、記憶の中にある姿よりもずっと威風堂々としていました。ここで、高知城がどのような歴史を歩んできたのか、少し時計の針を巻き戻してみましょう。高知城の歴史を語る上で、
2028年の大河ドラマは、、、✨「ジョン万」✨もうご存知の方も多いかと思いますが2028年の大河ドラマは「ジョン万次郎」のお話です⛵土佐の貧しい漁師の家に生まれた万次郎14歳で遭難し、アメリカの捕鯨船に救助されます船長の温かい支援を受けてアメリカで学問や英語を学びやがて鎖国中の日本へ帰国⛵世界を知る数少ない日本人として、幕末の日本に大きな影響を与えましたHeartofaSAMURAI2028年の大河ドラマは「ジョン万」だと教えてくれたのは長男『龍馬伝』も
坂本龍馬を赦してちょんまげ【下田・宝福寺】下田の【宝福寺】です。明治維新の英雄の坂本龍馬の像が有りました・・・三谷幸喜さんの大河ドラマ『新撰組』では、坂本龍馬が下田まで来ていましたけど・・・実際に来た事は無かったと思います。・・・テレビで、三谷幸喜さんが龍馬の下田滞在説で、出演者に突っ込まれていました・・・『龍馬が、下田に来た記録は無いけど、、、来なかった記録も無かった』と言っていました!🤔・・・
興味があった絵金を見たくて「絵金蔵」へ伺いました。絵金とは江戸末期から明治にかけて活躍された弘瀬金蔵さんの愛称です。天才肌で若くして土佐藩家老の御用絵師に登用された実力派でありながら、贋作(がんさく)騒動に巻き込まれたことで失脚し、その後は町絵師となりました。
さて南蛮船来航の地から発祥地つながりできました「海援隊発祥の地」です坂本龍馬の出身である土佐藩が長崎での経済活動として「土佐商会」を置いた場所です1866年に後藤象二郎により土佐商会は設立されました土佐商会の主任には後に三菱財閥を築く岩崎弥太郎も在籍しており坂本龍馬はここ土佐商会で商人の岩崎弥太郎や豪商小曽根乾堂なとを紹介されますそして彼らをいわばスポンサーとして海援隊の前身「亀山社中」は設立されましたそのきっかけは間違いなく「土佐商会」にあったのです橋の袂
鯱バス本社営業所所属一豊三菱ふそうエアロエース2TG-MS06GP昨夏に導入された、観光・貸切仕様のエアロエース。同時期にのべ2、3台程導入されたとみられ、同社企画のツアー等で運用されています。この車両に命名された“一豊”は、豊臣秀吉の天下取りを支え、後に土佐藩の初代藩主となった“山内一豊”にちなんでの事と思います。この年の新車において、フロントのみシグネチャーライトを装備。リヤにはドラッグフォイラーが新たに装備されました。両サイドに“SSA-320”の表記があるため
名称:浜川砲台別名:鮫洲抱屋敷城郭:台場築城年:1854年築城主:土佐藩主要城主:土佐藩所在地:品川区東大井2浜川砲台30ポンド6貫目ホーイッスル砲浜川砲台絵図坂本龍馬像浜川砲台跡地土佐高知藩山内家下屋敷跡浜川橋
司馬遼太郎の名作も終わりが見えてきた。剣術家ながら海軍に今日を持った坂本龍馬は薩摩藩の後押しで亀山社中を作り企業化し複雑な思いを持ちつつ出身の土佐藩とも連携してさらに事業を広げる。このあたりはどこまでの商人の発想で驚かされるが先に手掛けた薩長同盟に土佐藩をひきいれて倒幕勢力に仕向けて行く過程は見事な革命家だ。そればかりではなく革命が成った際の政権構想まで披露するのがこの巻だ。一介の浪人が世の中を動かしていく展開は読むうちに夢中になった。第7巻のこの会で最高調に達し
「坂本龍馬は、脱藩して貧困に喘ぎながらも、日本を洗濯した偉大な英雄である」もしあなたがそう信じているなら、本書『龍馬史』(磯田道史著)を読むと、痛快なまでにその幻想が打ち砕かれるでしょう。現存する手紙や一次資料から人物像を読み解く本書は、「よく分からないが、とにかく龍馬は凄い!」という感情論を完全に排除しています。今回は、本作に描かれる「等身大で、ひたすらに人間臭い」幕末のキャラクターたちを紹介します。1.作られた「貧乏な大天才」坂本龍馬世間のイメージ:貧しい脱藩浪士。薩長
こんにちは。京都では、幕末好きの息子に誘われて、幕末や明治維新にゆかりの場所をいくつかたずねました。新選組と池田屋事件(1864年)をめぐった散歩の記事はこちらです。『壬生寺、前川邸、池田屋跡』年始に行った京都旅行では、幕末に興味のある息子の提案で、壬生寺へ行きました。壬生寺は、新選組の駐屯地でした。新選組局長・近藤勇の像。新選組「鬼の副長」土方歳三…ameblo.jpそして、幕末と言えば、坂本龍馬。龍馬にゆかりの地も訪れました。高瀬川の
司馬遼太郎の『戦雲の夢』を読みました。土佐二十四万石の領主長曽我部盛親は、秀吉没後の混乱時、父の葬儀や自らの領主就任のため時勢をうまく読むことができませんでした。関ヶ原の戦いの際には一旦徳川の東軍に加わろうと考えながらも、家康に送った使者が石田側に見つかりとらえられたためやむなく西軍に加わりました。このため、盛親はお家取り潰しとされ、自らは京都郊外に置かれ、所司代の監視の元に近隣の子どもたちに読み書きを教える身となりました。雌伏すること十数年、大坂の陣では旧土佐藩氏達を引き連れて大阪城に向かい
BS時代劇「浮浪雲」観ました。雄ちゃんは脱藩した元・土佐藩の武士でしたが、派手な立ち回りはなかったですけど、刺客に襲われた時の身のこなし方がかっこよかったです。家族思いの優しい山本を雄ちゃんは抑えた演技で見せてくれました。乾物屋になったその後の山本の様子も見てみたかったなぁ・・・。あっという間の45分間でした。これ、42℃にまでなった京都で撮影してたんですね。とても思えませんでした。さすがは役者さん。【Amazon.co.jp限定】遊助LIVETOUR202
【龍馬さんの言霊】1月13日は長崎市万屋町の清風亭で龍馬さんと土佐藩参政後藤象二郎との歴史的会談が行われました。よぉ考えてつかぁさい!わしの考え(大政奉還)は土佐が、新しい日本を創る要になるゆう事ぜよ!まさにそれこそが大殿様がお望みになっておられる事ではないですろうか?これほどまで言うたち気に入らんと云われるなら、土佐藩も、後藤様も、とんでもない大馬鹿者じゃ!まっこと恐れを知らん男じゃのぉ、おんしは、、誰かに恐れ入っちゅう暇はないですきぃ、、わかった、、、
坂本龍馬の名言「世の人は、我を何とも言わば言え、我が為す事は、我のみぞ知る」この言葉を残した坂本龍馬は、幕末の動乱期に活躍した志士である。土佐藩の郷士から身を起こし、薩長同盟の締結に奔走し、日本の近代化への道筋をつくった。その自由闊達な生き方と先見性は、今なお多くの人を魅了し続けている。この名言には、世間の評価に左右されない、龍馬らしい爽やかな独立心が宿っている。人はどうしても周囲の目を気にしてしまう。「どう思われるか」「誤解されないか」と不安が先に立つ。し
先日は勝海舟を天界から降ろして言葉をいただくという、何とも奇跡的な話を聞いておりました。明治維新の立役者、素晴らしい功績をたくさん残され、その時の志などを聞くことができました。そんな勝海舟の元に弟子入りしたのが、坂本龍馬です。本からの紹介ですいままでの古い自分を倒し、新しい自分と出会いたいと思うときはありませんか?そんなときは、明治維新の立役者、坂本龍馬がいかにして革命を成し遂げたかが、とても参考になります。倒幕。2
高知城の隣の県立高知城歴史博物館を訪れました。デザインが凄すぎてビックリ土佐藩山内家の史料や所蔵してた工芸品等が展示してあります。高知城眺めながら休憩してましたが、暑くて汗かいたんで半袖で行動してましたが最近の天候がイカれてるよ…
堺事件は、土佐藩士が勝手に上陸したフランス水兵たちを切りつけた事件。フランス側が厳しい処置を求める中、土佐藩は切りつけた本人が名乗りでるように促したところ、次から次へと藩士が手を挙げ、11名がフランス側の目前で切腹をすることに。4人目の土佐藩士が腹を切ったところで、恐怖に耐えきれなくなったフランス側は中止するように要求します。切腹した藩士のひとり、西村左平次は、次の辞世の句を遺しています。「露と消ゆ我が身のことは憂えねど心にかかる國の行く末」大和民族はかくも腹を据えた
土佐藩出身、明治維新で活躍した板垣退助像。子どもの頃まだ残っていた百円札の肖像画の人物でもありました。髭がトレードマーク。明治維新後は自由民権運動でも活躍。明治から大正にかけて隆盛した友綱部屋の後援者として、後に横綱になる太刀山のスカウトにも尽力、好角家としても知られています。高知城にて撮影。板垣退助誕生地記念碑板垣退助(高知市ホームページより)天保8(1837)年に土佐藩士300石の家に生まれた。旧姓は乾。戊辰戦争の功績によって土佐藩の家老格に出世し、明治新政府では参議となったが、明治
高知城の天守閣まで登ってきましたー天守からの眺めです高知城公式ホームページ高知城の歴史や文化、周辺観光情報を提供する公式サイト。日本の国宝である高知城の歴史や見どころ、イベント情報、アクセス方法などを提供しています。kochipark.jp古いお城なので、階段はかなり急です…ですが、最上階からの景色は素晴らしい!高知市内を一望できます急な階段を登りきった達成感もありこの眺めはまさに“ご褒美”のようです土佐藩のお殿様も、きっとこの景色を眺めていたんでし
坂本龍馬の言葉「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」坂本龍馬は、幕末の志士として日本の近代化に大きな役割を果たした人物である。土佐藩出身でありながら脱藩し、薩長同盟の仲介や大政奉還の実現に尽力した。海援隊を組織し、商業活動にも従事するなど、既存の枠組みにとらわれない自由な発想で時代を動かした。31歳で暗殺されるまでの短い生涯で、日本の歴史を大きく変えた革命家である。「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」坂本龍馬のこの言葉は、
慶応三年(一八六七)十月十四日将軍徳川慶喜は土佐藩の勧めにより大政奉還を朝廷に申し出て翌日勅許された。大政奉還に反対の立場の会津藩・桑名藩の中にその決定に反発する勢力がいた。そこで大政奉還の関係者である坂本龍馬がターゲットになったと考えられる。
先日来、高知への家族旅行について書いてきました。この中で、桂浜近くの「坂本龍馬記念館」の資料を基に、「坂本龍馬記念館にみる幕末の土佐藩海運」を書きました。今回も、この中から「亀山社中」について取り上げてみます。これまでの通説では、慶応元年閏(1865年)、神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て長崎の亀山(現在の長崎市伊良林地区)において「亀山社中」が結成され、当初は貿易を行い交易の仲介や物資の運搬等で利益を得ながら、海軍、航海術の習得に努め
先日の家族旅行では、高知の「坂本龍馬記念館」を訪れました。高知県立坂本龍馬記念館坂本龍馬といえば、幕末における土佐藩脱藩志士により運営された海運会社「亀山社中」・「海援隊」が連想されますね。また、幕末の神戸海軍総連所で坂本龍馬に操船を教えた勝海舟は、龍馬から「師」と仰がれていました。神戸海軍操練所の遺構その勝海舟が編纂した「海軍歴史巻の二十三」には、明治元年現在における新政府および諸藩の船舶が記載されています。「船譜」の土佐藩を見ると、8隻の船舶が記載されて
かく恥と云ふことを打ち捨てて、世のことは成るべし坂本龍馬パパのひとりごと恥も外聞も捨てて、、、は、なかなかできねぇんだなぁ(相田みつを風)パパの大好きな坂本龍馬を見習うべし