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サムライせんせい2018年11月16日(金)公開幕末から現代にタイムスリップした侍・武市半平太と人々の交流を描いた黒江S介のコミックを市原隼人主演で映画化。投獄されていた幕末の志士・武市半平太は突然、現代日本にタイムスリップ。学習塾を経営する老人・佐伯の家に居候することになるが……。あらすじ幕末からタイムトラベルで現代へやってきたちょんまげの侍。それは幕末を生きた高知出身の志士・武市半平太。尊王攘夷か公武合体かで国論が揺れていた幕末期、失脚して、投獄の身であった土佐勤王党盟主の半平太が
雨が強くなってきてJRの運行状況が気になる中、昼過ぎまで高知市内の散策を続けました。◆坂本龍馬誕生地&龍馬の生まれたまち記念館。誕生地には石碑が建ってるだけでしたが、それにしても龍馬関連の施設が多すぎて、どれか1つだけ見て回る際にどれがいいのか悩みますよね。ここにも立派な(でも新しめの)龍馬像が。◆早めのお昼は高知のご当地麺と言ってもいいみそカツラーメンをいただきに「ラーメンの豚太郎」へ。豚太郎自体はうちから数kmの場所にもあるんですが、みそカツラーメンってあるんですかね?名古屋
ホテルのチェックインは15時から。荷物を預けて明日の分を歩くことにしました。13時22分ホテル最寄りバス停。13時27分国道55号沿いで。旧道沿いは、良い町並みがありそうです。次回があるとしたら、旧道を遍路したいです。13時34分奈半利川を渡ります。13時41分鉄道との立体交差。福田寺土佐勤王党の縁のお寺のようです。13時49分土佐黒潮鉄道奈半利線田野駅駅前には道の駅田野駅屋があります。お食事どころあります。駅を過ぎ
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます刀剣乱舞大本丸博in幕張メッセ刀剣乱舞ONLINE十周年カウントダウン昨日は南海太郎朝尊でした土佐勤王党・武市半平太の刀剣として顕現してくれました。刀剣博士ぶりはその名前の刀工のゆえでしょうか公式サイト紹介ページ↓https://www.toukenranbu.jp/character/166/南海太郎朝尊|刀剣男士|「刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ)」公式サイトゲーム「刀剣乱舞ONLINE」を中心と
続きです。高知駅前電停に着きました。駅前広場で気になっていたモノを見に行きました。顔出しパネル。《土佐の維新の志士像》《結成から百五十年土佐勤王党》説明板。《勤王志士たちのゆかりの地》。《どっぷり高知旅》。[○ど]が、【某どうでしょう】を想起させます(笑)JR高知駅。分岐器?とさでんの撮影を終えて、主人とお兄ちゃん組と合流して、次の目的地へと移動しました。《標高440m》。続きます。
コレを書いてる時間は無いけど、コレを書かないで寝るのは無理!という訳で書き残す。最近のマルセイユタロットは、北斗の拳的な「ヒャッハーーー!!!」というノリではないけど、とてもわかりやすく強く出てくる。今日は地元の夏祭り。この日を境に暑さのギアが一段上がるのを毎年感じる。そして今日は、古巣の和太鼓団体の演奏を見に行った。未練があって見に行った訳じゃない。「ちゃんと下手だよね?やる気出してないよね?」を確認する為だ。見に行く前にカードをひいた。8正義R。お助けカード:13「ジャッジし
水色赤のYouTube更新。勝手におすすめ映画。企画、原案、脚本は、武知鎮典三池崇史監督の「IZO」人斬り以蔵の怨念映画を語る。↓YouTubeで他にも色々やってます。チャンネル登録してくれると嬉しいです。水色赤山口敏太郎タートルカンパニー所属になりました。水色赤と云うバンドの様なモノ様々な曲を聴いてください。曲の解説や雑談などもしています週二回、月曜と木曜の夜に更新しています。都合により不定期配信になる時もありますがなるべく週二回配信していきます。チャンネル登録よろしく
🌸幕末に暗躍した人斬り岡田以蔵⛳岡田以蔵は、幕末の闇の部分を担当した☆土佐勤王党は幕末に尊王攘夷活動を展開したグループ*武市半平太は、総勢約200名の大集団を率いていた*武市は藩政の実権を握るほどの勢力を誇り*諸藩や朝廷にも働きかけ、幕府に攘夷の決行を促すよう仕向けている☆武市には藩も朝廷、幕府までも、己の意のままに動かす勢いがあった*下級武士の武市がこれほどまでに出世できた背後には、*公武合体主義者だった吉田東洋を暗殺しがあったからだ*以来、目ざわりな者
朝から曇り空だったが、それでも午前中には一時的にパァーっと陽光が射した。しかし、天気予報は正確で、午後からはしっかり雨空になっている。このところ、週の内に一度は雨模様の日がある。低気圧が周期的に西からやって来て、雨をもたらしている。きっと、春の天気へと移り変わっているのだろう。春は三寒四温というように、暖かい日と肌寒い日が入れ替わりになり、それとともに雨が通り過ぎて行く。春の雨は、音を立てて降り注ぐよりも、しっとりと細かい雨が似合う。だからと言って、今さら〝月さま、雨が〟〝春雨
2024年01月13日高知県須崎市にて武市先生とスタートレイルここでの星空撮影は初めてでしたが車からすぐ撮影できるので楽ですこの日は他に車があり多分星空撮影かな?武市先生の頭の上でスタートレイルタイトルは武市先生の辞世の句戻ることのない時間をはかないと思っていても、これから死をむかえてる今昔のことなど惜しむに必要がない、そんな意味とネットに書いてありました。北向きの星空は岩崎先生の実家の方が綺麗でした南向きは太平洋なの
幕末土佐藩の、武市半平太と岡田以蔵の師弟関係を描いた小説です。師弟愛を踏みはずした先に待つものはー。こういう謳い文句だと、中身はBLなのかな〜と思ってしまう。実際、武市と以蔵のBLっぽい短編をどっかで読んだことがあります。誰の著作だったかな?BLっていうか、ご主人様と奴隷のような、ちょっとSMのケもあったような気もする。しかしこれ、BLとかそんな甘やかなものじゃなかった。サイコホラーとでもいうのだろうか・・・戦慄の一冊になりました。(個人の感想ですからね)
尾崎忠治尾崎忠治は明治期に大審院長・枢密顧問官などを歴任した官僚。天保2年(1831)に土佐藩に白札格の尾崎源之丞氏の次男として生まれる。旧名は源八。厳しい身分制度がある土佐藩において白札格は下級武士の下士で最上位の地位にあり、上級武士の上士と同等の待遇を受けていた。土佐の儒学者・奥宮慥斎に学び尊王攘夷運動に目覚めた尾崎は、武市半平太を盟主とし、坂本龍馬も所属していた土佐勤王党に参加。勤王党のメンバーは後に弾圧されていくが、明治新政府では勤王の志士として高い地位で登用されてい
元治元年(1864)六月五日の夜、池田屋から脱出したのち河原町二条下ルの角倉屋敷の門前あたりで自害した望月亀弥太ですが、その遺体に関して『佐野正敬手記』に以下の記述があります。翌朝、河原町角倉屋敷辺に一人切り捨てに致しこれ有り。また長州屋敷南横手通地蔵の後ろに手負い一人死に居り候処、右屋敷内より板囲いを破り取り入れ候由の事。河原町角倉屋敷辺で切り捨てられていたとされるのが望月亀弥太であり、一方長州屋敷南横手通の地蔵の後ろで死んでいたというのが吉田稔麿だと思われますが、長州屋敷
池田屋から脱出した望月亀弥太は北に向かって逃げ、長州藩の北側にあった角倉家の屋敷の近くまで来たところで力尽きて自刃したといわれています。望月亀弥太(と思われる人物)の死を伝えている史料・文献は逃げ去り候内一人は、二条下ル御用角倉屋敷脇にて自殺致し居り申し候。(『肥後藩国事史料』)何者とも知れず。一人自殺。角倉長屋前にて(『京武坂風説』)同町(※.河原町通のこと)三条通り角倉鍋次郎門前に、二十二三の人、槍疵を負い自殺して果てる者あり。(『備前池田家史料草按』)会津藩兵の
さて、平尾道雄の『坂本龍馬海援隊始末』などで望月亀弥太は池田屋を脱出した後、会津藩士で郡代同心であった大柳俊八と五十嵐寅助と斬り合ったとされています。五十嵐は即死、大柳は重傷を負い翌年死亡しているのですが、伊藤哲也先生のご指摘によると会津藩側の記録『維新階梯雑誌』では、これは美作出身の浪士安藤鉄馬の仕業だったとされているそうです。安藤は木屋町に三人でいたところ捕縛されたそうで、その後、二人を斬って逃亡したということなのでしょう。また、所司代与力だった佐野正敬の手記(日記)にはこんな記述
後世の史料・書籍などで、池田屋事件の際に望月亀弥太は奮戦し、屋外に出たあと会津藩召し抱えの剣客大柳俊八と五十嵐虎之助を斬ったとされているのですが、これはあながち作り話でもないようです。事件当時、その池田屋から南に歩いて4,5分ほどの土佐藩邸(河原町通蛸薬師下ル東側)にいた土佐藩士の伊藤和兌(かずみち。通称善平)は、長州三田尻にいた息子甲之助に宛てた手紙の中で、池田屋に集結した浪士たちに「壬生寺を囲み、焼き討ちを以って(壬生)浪士(を)皆殺し」「伝奏議奏へ願い、長州を京都へ入れ候様仕る事
坂本龍馬らと共に蝦夷地開拓の「北地策」を計画していたはずの望月亀弥太は、なぜか古高俊太郎が新選組に逮捕されて急遽集まることになった池田屋の会合に参加していました。彼ら、いわゆる長州系浪士たちの本来の目的は京都・大坂に潜伏させていた浪士を一斉蜂起させ、京都市中に放火して親幕派の中川宮や京都守護職の松平容保を討ち取り、更には御所に乱入し孝明天皇を長州に連れ去るものだったといわれています。ただし、孝明天皇拉致に関しては浪士側(長州側)の史料に特に言及されていないのですが、仮に孝明天
元治元年(1864)六月五日の朝、木屋町通四条上ルに店を構えていた桝屋喜右衛門が新選組に逮捕されます。この桝屋喜右衛門、その正体はいわゆる〝長州系志士〟の古高俊太郎であり、京に潜伏していた長州系浪士たちはこの事態を受けてその善後策を話し合うべく、三条小橋西の旅籠池田屋に集まることになりました。この池田屋での会合に望月亀弥太も参加していたことは、同じ土佐藩の野老山吾吉郎の証言に夜六つ半(午後7時)頃、河原町四条上ルの貸本屋に行き、いつの間にか(石川)潤次郎も合流し、そのまま三条小橋
元治元年(1864)二月、望月亀弥太、千屋寅之助と共に長崎に赴いていた坂本龍馬は、勝海舟の命でそのまま肥後に向かい横井小楠を訪問します。そして四月に大坂に戻りますが、翌五月には神戸海軍操練所が正式に発足します。が腰を落ち着ける間もなく、六月二日には再び船上の人となり、江戸に向かいます。浪士たちによる蝦夷地開拓計画「北地策」を勝に具申するためでした。一方、中岡慎太郎は五月十一日に京を発って長州に向かっています。その目的は幕府の開国政策と長州への処遇に不満を持つ浪士を京都-摂津(大坂)間に
元治元年(1864)に入り、中岡慎太郎は河原町の長州藩邸にいて高杉晋作らと共に薩摩の島津久光を暗殺する計画を練っていました。しかし高杉は久坂玄瑞に促されて共に帰国することになってしまい、更に当の島津久光自身も四月十八日に京を発って帰国の途についたので、計画は自然と立ち消えになってしまいます。中岡は続いて五月十一日に郷里の有志に激を飛ばすべく書を認め、同志の山本四郎に持たせて土佐へと向かわせました。その書翰の中で中岡はかかる切迫に及び候ては機会の急、間髪をも入れず、この大機を失いて
文久三年(1863)末から京都に潜伏していた望月亀弥太は「松尾甲之進」という変名を用いるようになります。本名と見比べてみると「望月(=満月)」に対して「松尾(松の枝先)」、そして「亀」の「甲」と、ずいぶん洒落の効いた名前ではありませんか。・・・本名を推測しやすい変名もどうかとは思いますが。一方、同年九月に脱藩し、長州三田尻に入っていた中岡慎太郎は、翌元治元年(1864)一月に三条実美の使者として上京。石川清之助と名を変え、楢崎龍の回想とは異なり、長州藩邸を拠点として活動していたようです
文久三年(1863)十二月、望月亀弥太は土佐への帰国命令に反して脱藩することを決意し、再び京都に潜入しました。ウィキペディア『望月亀弥太』には、脱藩後は長州藩邸に潜伏していたと書かれているのですが、のちに坂本龍馬の妻となる楢崎龍(お龍)の晩年の回想録である『反魂香』によれば、「京都大仏南の門、今熊の道、河原屋五兵衛の隠居処を借りて」坂本龍馬と中岡慎太郎、本山七郎(北添佶摩)、松尾甲之進(望月亀弥太)、大里長次郎(大利鼎吉)、菅野覚兵衛(千屋寅之助)、池内蔵太、平安佐輔(安岡金馬)、山本
文久二年(1862)十月十五日、土佐藩五十人組の一人として江戸に向けて旅立った望月亀弥太でしたが、河野万寿弥、依岡権吉、千屋寅之助ら十二名の同志と共に京に留まることになります。これは当時、英国の軍艦が兵庫に来航するとの噂があったためだとされています(『陸援隊始末記』平尾道雄)。結局、英国艦兵庫来航の事実はありませんでしたが、それからほどなく、翌文久三年(1863)一月には藩命により幕臣勝海舟に入門し航海術を学ぶよう命じられます。勝の私塾や神戸海軍操練所の開設はもう少し先のことですが、勝
文久元年(1861)、武市半平太らが中心となって土佐勤王党が結成されます。尊皇攘夷の実行を目指して結成された土佐勤王党ですが、意外なことに、その党員名簿である「土佐勤王党血盟者姓名簿」の中に望月亀弥太の名前はありません。『維新土佐勤王史』(瑞山会/大正元年)では「血盟簿以外の勤王党同志人名録」として、岡田以蔵、豊永貫一郎、近藤長次郎、沢村惣之丞、野老山吾吉郎らと共に望月亀弥太の名が記されています。彼らの名が血盟簿にない理由として、同書では「遠隔の地に住し、あるいはその地位の利害より、あ
池田屋事件で死亡した浪士の一人、望月亀弥太(諱・義澄)は、天保九年(1838)十月七日、土佐藩の白札下士であった望月団右衛門(諱・真澄)の次男として土佐郡小高坂村(こだかさむら)西町に生まれました。母の名は曽野(その)といい、祖父か嘉右衛門、兄(長兄)は清平(諱・正中)といいました(『贈位内申書(斃難者履歴書高知県)』望月義澄の項による)。通称の「亀弥太」は一般的に「かめやた」と読まれています。これはおそらく高知県の郷土史家平尾道雄の著書『坂本龍馬海援隊始末』(昭和四年)などを根拠
歴史を作った土佐藩士を自作の歌で紹介するベテランシンガーさんがいます今回はその歴シンガー「龍民さん」の演奏をシェアさせて頂きます🎵まずは「人斬り以蔵」と恐れられた『岡田以蔵』のテーマ【以蔵が斬る】「斬る」と「kill」(殺す)をかけ合わせてる点がニクいですよね😂あ、サポートベーシストは「そうゼヨさん」です🎵【全色再入荷】フォームローラートリガーポイントTriggerpoint筋膜筋膜リリースグリッドFoamRollerストレッチトレーニング
おはようございますACE鍼灸整骨院は今日も朝から営業中(株)Touch−Up・設備部門、伊鐵相棒のKISHIMOTOと漢の一服いざ現場へ出陣伊鐵、、、、小指身体のメンテナンスは健康部門・ACE鍼灸整骨院設備のメンテナンスは住宅設備部門どちらもお客様のニーズに合わせて対応して参りますので今後とも宜しくお願い致します。(株)Touch–UpACE鍼灸整骨院〒406–0021山梨県笛吹市石和町松本830–1カリエーラ753–101TEL080344138
連載開始早々、早速の中断が入ってしまいました今回の中断は富士山を背景にした満開の芝桜、「富士芝桜まつり」の模様を速報したのですが今年の春は桜の開花が例年に比べ際立って早かったようで、と言うことは5月GW明けが見頃のバラも早そうだですので、“見頃の春バラ🌹中断”がありますこと、予め予告させて頂きますさて、Jetstarにて成田国際空港から高知入りしましたchu、到着は15時を過ぎていましたのでまず最初にチェックイン手続きと荷物を部屋に置いて👇街中散策へとお出かけです『南国土佐を訪れてVol
何かと土佐に縁のあるここ最近ですそして、今回はコチラ!!『舞台幕末奇譚SHINSEN5~外伝~』*ネタバレ注意あらすじもののけが憑いた“人斬り以蔵”こと岡田以蔵を追って、新撰5人衆が土佐へ向かう。そこで出会ったのは以蔵の幼馴染、坂本龍馬。以蔵に憑いたもののけの正体とは?土佐を救うため、以蔵を救うため、そして日本の未来を創るため、龍馬と新撰5人衆は戦う。ついこの前も坂本龍馬が主軸にいる舞台を見たんだよそれは自分の中にとどめ中今のところ書く予
ひとつ前の当ブログで、『人斬り』(1969五社英雄監督)を取り上げました。「人斬り以蔵」と恐れられた岡田以蔵(勝新太郎さん)は、土佐藩の非情な武市半平太(仲代達矢さん)に利用されることに嫌気がさし、縁を切りますが、他藩は雇ってくれません。カネに困り、武市のところに舞い戻り、攘夷派がかついでいるはずの公家の暗殺を命じられます。まるで、今の日本の「非正規雇用者」や「外国人労働者」のような扱いです。勝新太郎さんはその単純さをつけこまれ、使い潰される以蔵を熱演。仲代達矢さんも冷酷な感じを出していま