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本日旧暦の2月25日は菅原道真公の命日です。(改暦は何度もありましたので単純に旧暦に当てはめてます)本日は、新暦で固定された神武天皇祭の日ですが、旧暦でみると菅原道真公の命日と重なる日でもあります。日本中に菅原道真公を祀る天満宮や天神様がありますので、本日お祭りがあるところもあるかもしれません。なぜ「あるかも」なのかというと、道真公は梅を愛したことから梅の花の開花時期と重なる新暦の2月25日にお祭りがされるところが多いようだからです。それもまた道真公が人々に慕われた証ではないかと思います
①「漢字に基づき作られた日本独特の文字」②「最初の勅撰和歌集とその編者」③「代表的な物語とその作者」④「代表的な随筆若しくは日記とその作者」⑤「藤原頼通が宇治に開いた寺院と現在の本尊の作者」を含み、150~200字以内でまとめる。平安中期の文化は「藤原文化」又は「国風文化」と呼ばれている。後者は平安前期の「唐風文化」に対するもので、大陸文化を基礎に日本の風土・嗜好に合わせる様に創り出された文化だった。唐の力の衰退に伴い、寛平6年に菅原道真の建議によって遣唐使が廃止さ
三跡(三蹟)(さんせき)とは、平安時代中期の三大能書家のことで、野跡(やせき)小野道風(894年〜966年)(おののみちかぜ)(トウフウ)、佐跡(させき)藤原佐理(943年〜998年)(ふじわらのすけまさ)(サリ)、権跡(ごんせき)藤原行成(972年〜1027年)(ふじわらのゆきなり)(コウゼイ)のことを言います。藤原行成のことを、権跡(ごんせき)というのは、彼が正二位権大納言(ごんだいなごん)であったからです。彼らは書道における和様(わよう)(日本様式)の大成者です。唐の衰退により、894
名古屋のシンゾウです昨日は、過去問における小論文等の傾向をお知らせしました。今年は何が出題されるのか、ワクワク、ゾクゾクク....不安ですね。本日から、《過去問題(小論文)です》で、過去小論文を通常問題形式にして提供します。振り返ってみると、最初は楽勝な問題が多かったですね。巷に京都試験を定着させるためには止むを得ない事だったのでしょう。でも、復習をしてみると、忘れていることも沢山ありました。総問題数が250を越えますので、ボチボチ(4日ごとに40問ずつ)と掲載しますので、勉強のお伴に加
名古屋のシンゾウです本日は、公開テーマの「京の茶室」を整理してみました。前回試験対策用に作った印刷物も有りますので、公開テーマとしては、昨年の「京の名木」に比べれば、組み安しという感じがします。皆さんはどうですか。「茶室」については、通常でも必ず勉強するところですから、馴染みがあります。しかし、公開テーマの説明文に「千利休生誕500年の節目に、様々な文化が織りなす茶室を深堀りします。」とあります。この深堀りというのが不気味ですね。難しい茶室も出題しますので、しっかり覚えなさいという警告で
①「漢字に基づき作られた日本独特の文字」②「最初の勅撰和歌集とその編者」③「代表的な物語とその作者」④「代表的な随筆若しくは日記とその作者」⑤「藤原頼通が宇治に開いた寺院と現在の本尊の作者」を含み、150~200字以内でまとめる。平安中期の文化は「藤原文化」又は「国風文化」と呼ばれている。後者は平安前期の「唐風文化」に対するもので、大陸文化を基礎に日本の風土・嗜好に合わせる様に創り出された文化だった。唐の力の衰退に伴い、寛平6年に菅原道真の建議によ
2021.8.18和漢朗詠集は、漢詩句と和歌を融合させた、平安時代当時のヒットソング集らしい。時代は、紫式部や清少納言、藤原道長の時代。和漢朗詠集を読めば、平安貴族たちの季節感や美意識、彼らの知識・教養の源泉を共有する事ができるらしい。と言うことで、折角臨書しているので、漢詩や和歌の内容も知りたいと思い手に入れてみた。(^^)面白い‼️😆
近江八幡の福祉カフェの「古典の会」。今月はオンラインでした。生徒さんはお姉さま方5名。今日から「伊勢物語」、初回は「東下り」。遣唐使の廃止から国風文化、仮名の成立、歌物語の性格、代表作の中の有名なエピソードなど、持ちネタを羅列しただけの60分だったような汗。富士山は比叡山の20倍くらいの高さで盛り塩の形という描写に皆さん感心されたり、暦のことを詳しく説明したり、思わぬ展開もありました。最後はワクチンの話や、戦争末期と今の類似性の話に。当分オンラインで、10月には一度
我が国の移民難民受け入れ問題について。今、日本では移民難民の受け入れはかなり厳格に適用されている。それに対して反発する声もあるようだが、実際それは悪いことばかりなのであろうか。話は変わるが、子供の頃、拾ってきた犬や猫を飼おうとして親にこう言われたことはないだろうか。ちゃんと最後まで責任を持って育てられるのかと。移民難民問題にも実は同じような問題がその根底にあるのではないかと筆者は考えている。ところが、目先の問題に囚われた安易なヒューマニズムから、やれ可哀そうだ何だという理由で
前回の続きのようなお話です。藤原道長(兼家の四男)は、995(長徳元)年に8歳違いの甥・藤原伊周(兼家の長男道隆の息子)との争いに勝利し、内覧ー天皇に奏上する文書及び天皇が下す文書を事前に内見する任務に就任してその地位を不動のものとしました。因みにこの時伊周は、父道隆の滅後、政権をめぐり叔父・藤原道長と対立さする最中に、何とあろうことか、花山上皇に従者が矢を放ったなどの罪で、太宰権帥に左遷されました(長徳の変)……藤原道長像自滅でございますで道長は内覧に就任後、長女彰子が一条
1011(寛弘8)年6月13日。第66代一条天皇が、皇太子の居貞(おきさだ)親王へ譲位したのです。が…この当時、誰もが最も権力を握れる、天皇の外戚=母方の親戚を手にいれたいるのに必死となり、そのポストを巡って、とにかく藤原氏同士でもめまくります。私はこの藤原氏同士の揉め事を、“日本の歴史上最大の汚点”と呼んでおり、権力争いの醜さと愚かさがこれほどまでに如実なのも珍しいほどです。今回の話の流れから、当然ながら、挿入されるべき出来事もあるのですが、今回は割愛をします。が…まぁ~そこ
コロナで、人の移動が制限され、海外とのつながりが無くなり、国内も、都心一極集中が見直されてきたのかも。国内でいうと、より、自分が住む地元に多くの人が目を向けて欲しい。もしかしたら、長い目で見たら、地元商店街にとっては、意外と今回は、大きなチャンスの前触れのような気もした。まだ前触れでしかなく、悔しいが、バタバタと廃業する店も多いだろうけど、地元商店街の方も、これをチャンスととらえて、より地域住民に寄り添い、地域住民と共に、地域を盛り上げ支える一員としての自覚を高めるべきだ
天の川と言う名の桜を平成の終わりの今頃買った。ハナミズキが満開だ。春の雨風にさらされても咲いたハナミズキ。外来種の強さを証明するように青空を鳥のように羽ばたく。年代モノの手水鉢は舅のご愛用だった。晴天の空をも写すまぁるい水鏡が義父さんを忍ばせる。花に染む心のいかで残りけん捨て果ててきと思ふわが身に西行「山家集」奈良時代は中国文化の影響が強かったので和歌などで「花」と言えば梅をさした。平安時代になり国風文化が育ち桜の人気が高まり「花」は桜を指すようになった。天
菅原道真公を祀る天神様では、毎月25日を天神さんの日としていますが、これは道真公のお誕生日が6月25日であることと、薨去されたのが2月25日であることに由来しています。本日は道真公の命日として(新暦ですが)、この時期は各地の天神様で祭典が行われています。菅原道真公は、学問の神様として著名ですが、その神様の始まりは怨霊として恐れられ祀られたことから始まります。ではなぜ、怨霊とされたのか?といえば、学者の家系に生まれた菅原道真公がその優秀さから異例の出世をし右大臣までになり活躍されている
原則1回の問題数は2問。アトランダムに出題する。センター試験前日まで、できるかぎり連日出題する。問11経済民主化政策に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する法律a~dとの組合せとして正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。X第二次農地改革の際には新たな法律が制定され、徹底した改革が実行された。Y財閥解体の一環として、既存の大企業の分割を意図した法律が制定され、当初325社が分割の対象に指定された。a自作農創設特別措置法b農地調整法c過
木曜日の早稲田オープンカレッジ講座は「国風文化なんて存在するのか」なかなか面白かったっすよん!何となくとらえていた日本文化の流れ飛鳥~白鳳~天平~弘仁貞観~国風~鎌倉…北中国六朝文化が50年程遅れ日本に伝わった飛鳥文化〈金銅像〉は飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏)にみられるように頭でっかち・馬面、杏目で生硬飛鳥寺には、百済様瓦と新羅様瓦が混在しているし裏手には8枚ではなく7枚の不思議な百済様瓦がある。白鳳文化は唐の初頭の文化が入って来たもので興福寺・東金堂本尊台座にあ
テスト顔晴って~\(^o^)/中学社会歴史飛鳥天平国風文化にからめて復習しましょう!いけるひとは、一度動画を止めて、穴埋め問題として解いてみてください。自信がない人は、一度一緒に聞いて、次にもう一度見てみてー!(クイズ化して、私が答えを言う前に答えてみてね)きっとレベルアップした自分に会えるはず…(笑)↑変な顔ーーーーーー!(笑)変な顔でも、記憶に残ったら!(笑)少しでも楽しく覚えてもらえたら~自分の知っている情報と結び付くと、「記憶」が定
遣唐使を廃止した時期から唐風文化が廃り、国風文化が盛んになったと定説になっている。また、桜を愛でる日本の文化についても、「日本が遣唐使の派遣を廃止し、唐朝が滅亡するようになると、唐風文化は廃れていく。平安時代になると国風文化が栄え、桜の人気もそれに応じて高まっていった」と言われている。そうであろうか?何故、国風文化が盛んになると桜の人気が高まるのであろうか?何故、唐風文化に勢いがあった時は梅を好まれ、桜の人気は無かったのであろうか?遣唐使や遣隋使などが実施される前には、桜が好まれた時期が若干で
安史の乱を避けて楊貴妃は日本に逃れたが、遣唐使で唐に渡って帰国した吉備真備も知っていたとの説がある。そして、山口県長門市の向津具(むかつく)半島に楊貴妃が上陸し、亡くなったと云われている。そして、長恨歌でも楊貴妃の魂は海上の仙山に住まわれていた(参考)。山口県長門市油谷向津具下久津楊貴妃の墓その吉備真備の母親が楊貴氏(ヤギシ、八木氏)であると言う墓誌が出土し、吉備真備の母親が楊貴妃だったと注目された挙句、単なる偶然として否定された。これに対し、実は楊貴妃の一族の楊氏は日本語を喋る殷
新しい元号『令和』に決まりましたね。天皇と国民の和歌集である『万葉集』からこのお言葉が選ばれたそうです。中国の古典に慣わらなかったのは日本が遣唐使を廃止し、日本オリジナルの文化を作るんだと国風文化の頃を連想させてくれます。どうも、占術研究家の藤です(o・ω・o)そんな平安な雅な時代に期待を寄せながら占術研究家としての道を歩むきっかけについて少しだけお話しようかと思います(o・ω・o)まだ私が中学1年の頃某大手予備校に通っていたときの数学担当だったのがA先生。中学
先日の夢での映像がしっかりときっかけとなり、わたしの今秋のテーマは「歴史」になっています。以下日記に綴ったように、最初は「軍師」を追いかけて中国や日本の歴史を辿ろうと調べ始めたのですが、https://ameblo.jp/inohanae/entry-12416765890.html動画で偶然、魅力的な番組に遭遇。占術はもちろん、文字で歴史を辿るのも面白い。NHKその時歴史が動いた「ひらがな革命~国風文化を生んだ古今和歌集~」"漢字"の菅原道
はじめたばかりですが、使い勝手などの事情で、ライブドアブログへ引っ越すことにしました。新しいブログはこちらですhttp://jyoukouin.livedoor.blog/どうぞ、よろしくお願いします。
(過去の記事より)古い遺品や資料などから平安近いと考えられる服飾復元に挑戦したりしています。これは復元してみた裳唐衣です☆
これまでに復元みたいなことをしてみた作品や挑戦してみたことはホームページでも紹介しています。最近はフェイスブックなどで更新していてホームページの投稿は途絶えがちですが、一応あります笑興味があれば是非ご覧いただければと思います。よろしくお願いします。「承香院(じょうこういん)国風文化実践研究会ホームページ」http://jyoukouin.otodo.net/承香院(じょうこういん)国風文化実践研究会代表のフェイスブックhttps://www.facebook.com
今更ですが、ブログをはじめました。まだ使い方が全然わかりませんが、少しずつ馴れていきたいと思います。現在、フェイスブックで「承香院別当」としてコメントを公開したりしていますが、ブログのほうが多くの方に読んで貰える傾向があるから始めてはどうかと友人から勧められ、はじめることにしました。主に、平安時代の文化全般についていろいろな私見を発信したいと思っています。やり方を覚えたらフェイスブックと連動するようにしてみたいです。どうぞよろしくお願い致します。尚、しばらくは、フェイスブッ
菅原道真公については、以前にも少し記事にあげましたが、藤原基経が宇多天皇に万世一系の天皇たる主権がないことを自ら明らかにした「阿衡の紛議」を収めた人物として有名です。先日、is6689ブログで「藤原定家」がその肖像画において、「椅子の冠」を被っていたことから、「聖霊を受けた方」であると、徳之島のダビデ王により明らかにされましたが、私は「菅原道真」についても、以前からそのように感じていたので、肖像画を調べてみました。ネットから拝借したのですが、やはり「椅子の冠」を授かっておられま
↑平安京大内裏復元模型PublicDomainWeb版:nikkansan.net/feature/平安時代の暮らしと王朝文化/
国風文化の特徴マトメ~なぜ平安時代に【ひらがな&カタカナ】は生まれたか?BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)国風文化とは、遣唐使が停止された10世紀以降に発達した、日本独自の文化をさします。漢字からひらがな・カタカナが生まれ、現代に至るまで併用されているように、「中国の文化を魔改造+日本オリジナルの要素」と考えるのが妥当でしょうか。漢文や漢詩はこの時代以降も重んじられていますし、中国文化からの脱却や...『ゴールデンカムイ』時代劇専門チャンネルでもCS初・最速放送決定!